教育シンポジウム(1998年6月27日)
子どもたちをささえ、育てるには
あいち公立高校父母連絡会事務局・愛知県立岩津高校教諭 山田信克
学校現場の実態
私は、愛知県で高校の教員をやっている山田と申します。最初に、定時制の統廃合の問題とか教育改革の動きの話しがありました。学校教育は、今曲がり角にきていると言われています。さまざまな問題をかかえていて、しかし、なかなか学校教育そのものが子どもたちにとって、通うのに楽しい学校になっているとは誰も言いきれない状況です。
その中で、学校を変えなければという話が各方面でなされています。文部省や中央の段階でも、あるいは教職員組合でも、あるいは国民の間でも教育改革の話が出ています。教育改革の話が各方面で出ているのですが、何をどのように変えていったらいいのか方向として定かでありません。
一方で中央教育審議会だとか、教育課程審議会だとか中央審議会の答申が出る、その答申に対する応答または防戦に追われて、たとえば神奈川県の場合でいえば、県が定時制の統廃合を進める動きに対してどうするか、その対応に追われて、そのことだけに精一杯の状況で、したがって積極的に下から学校をどのように変えていったらよいかという方向が出てきていないのが実状です。
では、学校を変えるための重要なポイントは何かと言いますと、学校そのものが今まで教職員だけで運営していた状況から、父母、子どもも参加できる、そういう学校に変えていくこと、それが一番大事なポイントではないかと思っています。その意味で、愛知父母連絡会をつくり、父母が教育の主体の一員として活動しているわけです。
戦前の教育を思い返してみれば、天皇の子どもとして教育するというのが、教育の中心でした。臣民の子どもを育てることを命題にして、多くの子どもを戦場に送ったという歴史があります。
戦後、その反省から教育は大きく転換しました。日本国憲法あるいは教育基本法に基づく学校になったはずです。憲法には、主権者は国民と書いてあるのですが、学校では誰が主権者だったのか、誰が学校のあり方を決めてきたのか。無論、文部省や県教育委員会が決めてきたのは事実です。もう一方で、学校のあり方や教育課程を決めてきたのは、そのところは教職員の職員会議が全部基本的には決めてきたというかたちになっているのではないかと思います。無論、誤解のないようにいいますと、職員会議が全部職員の思い通りやってこれたとは言っておりません。しかし、今まで学校は教職員の主導で運営されてきたということは、まぎれもない事実です。
父母連絡会の役割
教職員だけが学校を担っていくことだけでは、子どもにとって生き生きする学校にならないということが、だんだん分かってきたのではと思います。もう一度、戦後教育が目指した主権者は国民、学校は国民のものという原点に戻って考える必要があると思います。本来のあり方というのは、三者がものを言いあえて、自治が形成される、そんな学校に変えていくこと、これが一番のポイントだと思います。
その中で、教職員では解決できにくい諸問題も親が参加することによって、解決できることがいっぱいあります。たとえば、管理主義や体罰が一貫してなくならない問題があります。体罰の問題について、教職員だけでは議論しにくい面があります。そこに、親と子どもが入れば、体罰は当然ダメに決まっているじゃないかという意見が当然のごとく出てくるのではないか。教職員だけだと、それは相手も悪いのだから、理由があるから、あるいは我慢の限界だからやっても仕方がないのではないかという空気が流れかねません。そのことが体罰を温存することになります。
もっと言えば、教職員の専門性に関わる点に踏み込めるかという問題について議論は必要ですが、例えば、親が聞いても面白くない授業に対して、子どもに我慢して6時間座っていろと言えるのか。親も授業を聞いて「面白くないね」と言うことになれば、やはりこういう風に変えたほうがいいねと言うことになります。
しかし、教職員のサイドからすれば、こんな学級の規模で、例えば40人でいっせいにやっていて、またこんな設備で、親の言うようにできませんよという話に発展します。それじゃどうすればよいのか、もう少しこういう要求をして、人数が少なくなって設備が整ったら、ゼミのような生徒にとって楽しい授業ができるのではないかという話しになるのではないかと思います。親と教員が一致して、校長や教育委員会にお願いに行こうという運動になります。この要求はすぐには実現しないでしょうが、運動はすごく豊かなものを生み出すでしょう。
一方、父母が学校に参加するということは、非常に難しい問題です。なぜかというと、校長をはじめ教職員の側は、何も知らないくせに批判をするという受けとめ方をするのがほとんどだからです。親がものを言ってきたとき、「そうですね」と言えない現実もあります。結局、都合の良いことは聞いて、都合の悪いことはほとんど聞かない状況を考えると、親と学校は、対等の関係ではないと言っても過言ではありません。
父母連絡会の性格
父母の参加をどう進めたらよいのか。PTAを大事にすることは、学校教育を豊にするために、大切なことだと思っています。しかし、PTAでやれることには、限界があります。PTAは、基本的には全員参加です。それから、在学生の保護者の資格が必要です。全員参加の組織というのは、皆が賛成しなければ何もできないという側面もあります。しかし、一人でもやれることもあります。卒業式に日の丸・君が代をきちんとするという決議があっても、PTAに拘束されずに、反対することができます。
PTAの組織があるにもかかわらず、自主的・継続的な組織を父母がもつということは、とっても大事なことです。その組織を父母がもつことによって、PTAを豊にするという効果を生むと思います。
もう一つは、学校というのは当事者だけのものではなくて、地域のもの、あるいは国民のものという視点が必要です。子どもがいない大人は、PTAに参加できませんので、教育に関わるためには、当然自主的・継続的な会を通して、教育に主体的に参加できるようになります。PTAが非民主的に運営される場合もありますが、たとえ完全に民主的に運営されていても、今のようなことから、会の存続が必要です。
もう一つ大事なことは、国民一人ひとりがバラバラにされ、話し合う場がないということです。お互いに、悩みとか解決策を話し合う場が今求められていると思います。親が今バラバラにされて、選択の自由の名のもとに、自分の財力や能力に応じて、この学校にわが子を入れられたらいいなということにのみ走っていき、そのことに国や自治体が拍車をかけているという傾向があります。
親同士が、自分の子どものことについて話し合えないというのが実状です。失敗するというのは、描いているとおりに、うまくいかないというかたちになっているという意味です。
のちほど、「定通父母の会」の馬場さんから、話しがあると思いますが、定時制に子どもをやった親は、様々な苦難の道をたどり、辛い思いがあります。「定通父母の会」に入って初めて、自分の思いが語れる場があったという親たちがたくさんいるのが現実です。
そういう意味で、中学校ごと、高校ごと、あるいは定時制ごとにそういう組織ができたら、親の悩みを語り、聞く場ができたら、学校は変わっていくと思っています。
父母連絡会の運動
その会は、今までの懇談会とは違っています。何が違うかというと、今までの懇談会は、地域に学校の先生や専門家が来て、さまざまなことを説明し、こういう道が正しいとアドバイスを行い、聴衆者が帰っていくという形を続けてきました。何かを学習しようというときは、小・中学校の先生に来てもらい、その先生はそういう催しがある時だけ来てくれる、そういう形式の懇談会が多いのです。そういう表面上だけの懇談会が多かったのではないでしょうか。子どもが問題を起こしたら、その懇談会には参加できない、そういう懇談会がずっと続けられてきたのではないでしょうか。
教員を上に置く学習会的なものではなく、子どもが問題を起こしたら出られないという会ではなく、あたたかく話を聞いてあげられて、お互いに対等、平等に「そうね」と言い合い、親同士が成長し、変わっていける、そういう会が必要です。
その会のポイントは何かというと、父母だけではそういう会を組織できないので、教職員がオルガナイザーとして、組織することが必要だけれども、組織した教職員が、その会ではほとんどしゃべらず、聴き手にまわることが重要なのです。何かというとすぐ教員が説明したがるのですが、黙ってずっと聞くと言うことです。教員が苦手なのは、人の話を黙って聞くことなのです。人に聞かせることはしょっちゅうやっているのですが、人の話を聞けないというのが、教員の特性といってもよいのではないでしょうか。
そういう会をつくりながら、話をするだけではなく、出た要求については、校長や教頭に話をしたいという声を届けていくことが大切です。例えば、トイレが汚くて改善してほしい、暗いので照明を明るくしてほしい、女性の母体のことを考えると心配になり、やっぱり暖房をきくようにしようという声がまとまります。暖房の運動は20から30人の運動ですが、県の予算の4億から5億の予算を配置することが可能です。今やっているのは、公共施設に冷房がないところはないのだから、学校に冷房をつけさせようという運動をしています。
教育の困難をつくり出しているのは、国や県ですので、こういうことはやって下さい、こういうことはやらないで下さいという下からの声を届け、実現に向けて取り組むのは、民主主義社会にとって必要不可欠な要件ではないでしょうか。このようなさまざまな要求を聞いて、多くの住民の願いを実現するために、こういう会を神奈川でも是非軌道にのせて下さい。
「あいち定通父母の会」の運動について
あいち定通父母の会会長 馬場 末春
「あいち定通父母の会」の馬場でございます。子どもは2年前に通信制を卒業し、下の子は今高校2年生で定時制に通っています。2人とも、子どもは不登校で、下の子は小学校を半分しか、上の子は中学校を半ばしか行かなくて卒業しました。今から、9年か10年前に登校拒否の問題がだんだんと社会的に問題になっていた時期でした。
ちょうどその頃、私の家で子どもが学校に行かない時に外に出そうとして、いっしょに散歩していると、近所の人たちがなぜ学校に行かないのか不思議がっている状況でした。最近そういった人たちの子どもたちが高校生になり、突然学校へ行かなくなるケースがだんだん増えています。その頃は、理解がなくて地域の人たちを説得に行かなければならない状況でした。
学校に何回も呼び出されました。仕事が終わってから学校へ行くことは、学校が認めてくれませんから、私よりもうちのカミさんの方が比較的休みがとれる関係で、仕事を休んで行くことがたびたびありました。私も、校長さんや教頭さんに何度も頭を下げてお願いしましたが、心の中では何でそんなにして頭を下げてお願いしなければならないだろうと思っていました。学校は閉鎖的ですごいところだなあというのを、子どもが学校を離れてから、十分実感として分かったような気がします。これは大変だな、どうしたら学校が開かれたものになるのか、考えさせられました。そのへんのことが根底にあって今の運動につながっています。
私も民間会社にいまして、どちらかというとモーレツ社員でした。子どものおかれている現状というのがあまり見えなくて、やっぱり子どもはいい高校、いい大学に入ることが重要だという価値観をもって子育てをしていくことが大切だと考えていました。それが、子どもの不登校という場面にぶちあたって、自分の価値観が大きく変わっていきました。
今日はいろいろビデオをもってきました。ちょうど「定時制・通信制父母の会」ができてから4、5年たちますが、それより2年前に定時制に関わる運動がありました。それは、公立高校父母連絡会が、愛知県の高校に暖房設備がないということで、暖房をつけたいという運動をやっていました。その運動を一所懸命取り組んでいた、あるお母さんが私立高校を一次も二次も落ちてしまったけれど、どこか行くところがないだろうか、という話をもってきました。
「それじゃ、定時制高校に行けばいいじゃない」という話になって、そのお子さん、お母さん、そして中学校の先生といっしょに、定時制高校の授業を見学することになりました。定時制の授業を見て、本人は「非常に分かりやすい授業をしているし、のんびりゆったりしている。こんな授業なら楽しいなあ」と感想をもらしていました。実際見学したお母さんも中学校の先生も、定時制の授業の教え方が分かりやすい、このことをもっと多くの人たちに知らせるべきだという話の流れになりました。
そこで、わら半紙にですが、見学の感想をまとめて「教育の砦」という表題をつけて刷りました。定通の運動をしているお母さん方に読んでもらったところ、これは是非、新聞社に出さなければならないということになって、朝日新聞社に送りました。幸い、新聞社が取り上げてくれたのですが、そうしたらその日から毎日電話がかかってきました。
実際に、「教育の砦」千部を愛知県内に普及しましたが、定時制に対する問い合わせが多いから、どうしたらいいんだろうと、お母さんたちも困ってしまい、定時制高校の先生にも相談したんです。定時制はどういう教育をしていて、どういうシステムなのか、もっと広くみんなに知らせなければいけない、どうしたらよいのか話し合って、説明会をやりましょうとなったのです。
しかし、先生方が非常に落ち込んじゃったんですね。「外へ出て、説明会を開いても本当に来てくれるんだろうか」と不安でいっぱいでした。そういうなかで説明会を開いたのは、今から5年前の2月11日でした。
名古屋市立中央高校という定時制専用の学校があるのですが、その場所を借りて最初60人くらい来ればいいなというつもりでいました。ちょうどその日、僕がたまたまうちの子が通信制に入って2年目だったものですから、親の体験談を話することになっていました。最初不安になって、5人くらいかなと思っていたところ、10分くらいで教室が満杯になってしまいました。どうしようと嬉しい悲鳴をあげたのですが、とにかく収容できる会場を確保しなければと奔走して、その学校と隣の生涯学習センターが共有している講堂を、たまたま空いていましたので、お願いして急きょ会場を移動しました。そうしたら、400人は入れる講堂に、300人の方々が来てくれました。コーヒーを百本用意したのですが、足りなくてあわてました。そこで一番驚いたのは、定時制の先生方でした。「こんなにも、定時制の教育に対する期待が強いものなのか」と驚きの声をあげていました。
その会場で、親の体験談とか定時制の生徒が心境を発言してくれたものですから、その発言を聞いたお母さん方がすごく感動して、「こういう説明会を毎年やっていくべきだ。定時制そのもの自体は、どちらかというと暗いイメージだ。しかし、実際来てみて、先生たちや生徒たちを見たり、親の話を聞くなかで全然イメージが変わった。」とおっしゃるのですね。
定時制はどんどん統廃合されていくし、自分もやる気を失っていくという先生方もだいぶ見えたのですが、やっぱり自分の教育観が奮い立たされるということに、はっと気づいてこれはやっぱり続けるべきだという気持ちを持ってくれました。それ以後、毎年春にこの会をやりましたが、春だけではいけないということで、3年目に秋にもやり始めました。
愛知県三河郡では、春には毎年300人を越えています。今年は、異常なくらいで春にはトータルで500人来ました。
毎年、同じ説明会をやっていても面白くないので、2回目には演劇をやったんですね。演劇の先生に見てもらって、化粧をしたり、衣装を作ったりして、実話を大事にしていこうということで、中学の進路指導を題材とした『15の春を泣かすな』という演劇をやったら、テレビが放映してくれました。そうしたら、また一躍「定時制・通信制父母の会」の名前が知られるようになりました。
その中で、定時制に実際関わっている先生たちが見えたり、定時制を卒業した人たちが何か協力したいと申し出てくれたりしました。この間、会員数が290人になりました。7年前は、ほんの2、3人から始まったのですが、4年前の総会の時は90人でしたから、それ以後200人の方々が会に入られたことになります。
最近は、ほとんど現役の方ばかりですから、実際に定時制・通信制に通っておられる子を持つ親の方が中心になっています。
今年は、初めて2校単独で「父母の会」を開けるようになりました。こういう力もあって、定時制の給食の改善に向けて取り組みました。県立は自校調理方式ですが、名古屋市立はセンター方式で仕出し弁当なのです。昔は、ご飯が冷たかったのですが、カレーを弁当にかけて食べるやり方でした。「やっぱりカレーライスは皿で食べれるようにして」という要求を市教委に出し、2年くらい前にカレーの時は皿で食べれるようになりました。
その要望書を提出するとき、お母さん方といっしょに教育委員会に行ったのですが、その時一人のお母さんがぽろっと「教育委員会に私たちがいろいろ意見を言っていいんですね」と言われたんです。親は教育委員会というお上に対して要求することは慣れないことですから、どういうふうに言ったらよいのかなかなか分からないんですね。僕たちもあんまり経験がないんですが、だんだんやっていくなかから、お母さん方が変わっていくのがよく分かりました。
もう一つは、どちらかというと不登校気味のお子さんを持ったお母さんが見えて、「中学校はまったく行ってなくて、定時制に入ったら毎日通えるようになった。その姿を見てびっくりした」と感嘆しておられました。
定時制のもつ本当の教育力はどこにあるのか。やっぱり、本当に管理から離れて、競走のない教育はこんなにも子どもを生き生きさせるものなのかということを体験して、お母さん方は変わっていくんですね。最初は涙、涙でタオルを置いておくと泣いちゃって泣いちゃって、今までの自分思いのたけを何とかはらしていました。1回目にウアーと泣いた人がだんだん教育委員会に行ったり、校門の前でビラをまいたりするほど、変わっちゃうんですよね。そのドラマチックな動きのなかで、今までの運動を通して、僕はすごく人間くささを感じます。
やっぱり、定時制教育のなかにものすごく人間くささがあるのといっしょで、この運動のなかにも人間くささがあるんですよね。僕はそれにとっても魅力を感じるんです。運動そのものに人間らしさがとっても大切なことだと思います。
先生方はあまりしゃべらないんですよ。さきほど、山田先生が言われたんですが、先生がしゃべるとお母さん方はちゃんと聞いていればいいんだという雰囲気になってしまうんですね。子どもを育てるという点でも、なんだかんだと親は口を出してしまうんですよ。ゴロッと寝ていると明日勉強すればいいよといっちゃうんだけれど、やっぱりきちんと構えてどうするかと話し合うことが大切だと思うんですよ。僕もだんだんとそのことを通して見えてくるようになってきたんです。そのことが、僕らのなかにあるということが成果だと思います。
今年は、朗読劇というのをやりました。その生徒さんがいろいろ話をしてくれたり、手紙を書いてくれたりしたので、それをまとめて劇にしようということになりました。今日はビデオを持ってきましたので、参考にしていただければ何よりです。ご静聴ありがとうございました。
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