1999年7月10日

                                        

7.10教育シンポジウム  県立高校生徒の報告

佐々木さん(希望ヶ丘高校定時制)

     

  簡単ですけど、私の話を聞いて下さい。よろしくお願いします。                             
 小学生の低学年の頃は病気がちもあって、周りの子に比べて休みがちでした。高学年になってからも相変わらず病気でよく休みましたが、高学年になってからの休みは病気だけでなく多少のいじめと、勉強についていけないという理由で新たに休みが増えたような気がします。しかし、低学年の時も勉強についていけなかったけど、その頃は勉強ができないということが苦になってなかったと思います。そして、学校の勉強についていけなくなって、そのことが苦に感じ始めたのは高学年の頃からで、学校も嫌いになったと思います。                      
                      
       中学生の頃、学校嫌いと不登校

  中学生になってからは学区の関係で、私の通った小学校の生徒は大半がそのまま中学生になってからも一緒でした。でも、運よくいじめをする人は他の学校に行って、それからはいじめだけはずっとありませんでした。でも、中一になってからも勉強ができないというのは相変わらずでしたが、中一になってからの一年間は休みも少なくなり学校も行ったと思います。

  そして、中二になってから、この頃かもしれないが、「勉強ができない・・・・」ということがものすごいコンプレックスになってきました。そして、勉強ができないということは学校そのものの存在自体が嫌いになりました。学校が嫌いになると学校の友達までも嫌いになり、というかわずらわしく思えてきました。それまでは本能というか無意識というか考えもなくて付き合えていた友達なのに・・・・その付き合い方を考えないと付き合えないようになってました。どんな会話をしたらよいか、どんな反応を示したらよいか等をその頃から考えるようになってしまいました。

  そして、勉強も嫌い、友達付き合いも嫌で二年生では半分も学校に通ってなかったと思います。三年生になってからはほとんど行った記憶もなく、その頃から不登校に加えて本格的な「ひきこもり」が始まったと思います。でも中学は何とか卒業させてもらいました。

       中学卒業後、家にひきこもりTVゲーム

  中学を出てからは高校に進学することもなく、専門学校などにも行くこともなく、そしてアルバイトや働くことをするわけでもなく、ただただ家の中で過ごす日々が始まりました。家の中での過ごし方は、TVゲームをしたり漫画や小説を読んだりしていました。特にTVゲームは5〜6時間はやってました。最低でもほとんど毎日2〜3時間やったと思います。

  TVゲームをしていても何か楽しいとかいうのではなく、時間を潰すためだけにただひたすらやっていた気がします。何もしないでいると心が不安で、何か形のある具体的な不安ではなく、理由もなくただ漠然とした不安で、訳もなく不安でなんとなく落ち着きがなくジットしていられなく不安にかられてしまう、体がおかしくなってしまう状態、だから神経を向けられるもの、紛らせられるものであれば何でもいい、それが私にとってはTVゲームであるにすぎないだけだと思います。

  今、思えばTVゲームをやることによって、精神がおかしくならずに一寸安定させていたと思います。他にも精神の安定を保つようなことを誰かに教えてもらった訳でもなく、無意識にやってました。しかし、家にひきこもりTVゲームをしながらも、今のままではいけないと頭のどこかに常にありました。そして、だんだんその思いが強くなってきてとりあえず働くか、それでもどこか学校に行くかと考えるようになりました。

  そして、「働く」にしても私の学歴では、今の学歴社会ではどこも私を使ってくれないだろうと思ったし、それまで何年も学校に通うことも、働くこともしてなかった人がいきなり働くことなどできるわけがないと思って、自分ができそうなことからと考えて、とりあえず学校に、定時制か通信制の高校に行きたいと思いました。また、この頃から「ひとり」でいることが淋しく感じられるようになってきました。何年もひきこもっていたこともあって人との付き合いが下手になっていたけれど、独りでいるのが淋しくて、そのうえ孤独に勉強してたのでは学校も長続きしそうもないと考えて、定時制高校に行こうと決めました。

       学校探しとフリースペース探し

  それからは、定時制高校に入学するにはどのような資格が必要か、また定時制高校とはどんなところかを調べるために何年ぶりかで図書館に通うようになりました。定時制高校のことを知りたくて行った図書館で、定時制高校の本を探していた教育関係の棚で偶然に不登校関係の本を見つけました。この行動は、昨年(1997年)の4月から5月頃の事でした。それから教育委員会に電話をして聞いたところ、学校に入るにはもう時間的に間に合いませんでした。次に学校に入るまでにまる一年もあるわけです。

  でも、せっかくひきこもっていた人間がやる気を出していろいろ行動をしはじめたのに、これから一年間も待たねばいけないかと思うと、なんだかまた何もかも面倒くさくやる気が失せていくような気がしました。でも、それからは図書館で見つけた不登校関係の本を読んだりしてました。

  その本には今不登校をしている人や、過去に不登校をしていた人達が書いた、不登校に対する作文が何十人分もありました。作文の内容はよく覚えていませんが、「ああ!不登校をしている人達ってこんなに沢山いたんだなぁー」と妙に嬉しく、そして今まで自分だけみたいに思っていたのが、他にもこんなに居て安心したのを覚えています。そしてそれからは、定時制のことや不登校に関する本を読みあさり、それから本を読むだけでは止まらず、本にのっていた不登校の人達が集まる「居場所・フリースペース」や、定時制の学校を訪ね見学させて貰い、自分に合いそうなところを自分のペースでのらりくらりと探しました。

  学校見学もはじめの頃は何となく「あまり近場でなく、一時間以内に通える範囲で」という漠然とした条件だけで探していましたが、いろいろと見学させてもらううちに自分なりの見方で探すようになりました。その頃はTVゲームをやったり、漫画を読んだりするのに新しくとってかわったものが学校探しで、実際に学校にまだ行くかどうかも分からなかったけれど、学校見学を重ねているうちに、見学する学校が増えるたびに現実みがおびて、実感がわいてきたような気がします。

  学校見学に行けば自分の過去、今まで何をしてきたのか、どうして今になってまた学校に行く気になったのか、など見学に行ったほとんどの学校で同じような内容の質問をされました。今はともかく当時の私にとってはそんな質問をすることに何がある?ただ興味本位で聞かれているようで嫌なものでした。しかし、その質問を受けるたびに自分がどうして学校に行きたくなったのか、自分でもあいまいだったものが説明する度にだんだん形が見えてきました。

       調査書を作ってもらい、入学試験を受ける

  学校探し、フリースペース探しをしているうちに年も暮れ、年が新しく明けて、1998年を迎えていました。そして3月頃、入学のために必要な調書を作ってもらうために、出身校の中学へ自分で行くしかないし、時期的にも切羽詰まっていたので、嫌だなどといってられません。ですが、私が中学生の時に居た先生は一人だけしか残っていませんでした。知っている先生が居たら嫌で、居なければいないで、嫌だった学校の先生でも何故か懐かしく思えました。そして、以前あれほど嫌だった中学校が、昔はどうしてそんなに嫌だったのかと上手に説明できません。

  それからその後、2〜3回中学校に足を運びました。そこで思ったことは、確かにここは中学生活を良くも悪くも3年間(実際には2年間にも満たないが・・・)過ごした場所なんだなーと、はじめは調書を作ってもらうために来た時の「できることなら、ここだけは2度と足を運びたくなかった」という嫌な思いはなくて、妙に懐かしく、当時嫌だったことよりも数少ない楽しい思い出ばかり思いだされて暖かく思えました。今思えば「暖かく思えた」ということは中学、そして小学校等の「学校」に対して抱いていた「わだかまり」がとけ、「学校」に対して心の中で整理がついたからこそ「暖かく」思えたと思います。

  そして、調査書の他に何かの理由で授業料を払えなくなってしまった時に、肩代わりして払ってくれる保証人が高校の入学手続きで必要で、その保証人は隣の県までに住む人で、定職を持ち自立した20歳以上の人でという条件がありました。この段階では親はまだ私がこのように学校に行こうとしていることを知りません。だから、おじさん、おばさん、そして親の知り合いに頼むことはできません。もし親に学校へ行くことを話していたとしても、この年になって学校、しかも定時制では一般的に、その上世間を気にする親、そして私自身を含め、とても恥ずかしくて誰にも頼らなかったと思います。私も相談できる人も見あたらず考えた挙げ句、当時行き始めて4回、月にして2ヶ月という本当に知り合って間もない、行き始めたばかりのフリースペースの人に思い切って頼んでみました。今思えばその人はどう思ったでしょう。私であれば少なからずためらってしまうことと思います。まだたった4回しか会ったことのない人の保証人になってしまうことなど・・・・。しかし、考える間もなく引き受けてくれました。今でも本当に感謝しています。

      このまま何もしないで人生を終わりたくない

  この他にも、学校入学の手続きは本当は間に合わなかったらしいので、締切を少しのばしてくれた先生もいたりして、自分で自分の道を歩きだした頃から、何か全てに於いて良い方に回り始めた気がします。「定時制に行きたい」と思ったのは、高卒という資格が欲しかったのもあるけれど、このまま何もしないで人生を終わりたくないという想いが、何よりも強かったからだと思います。そうしたら今からでも遅くないのではないか、という想いからまずは学校に行って基本となるものを身につけたいと思いました。

  そうした全ての想いがあれだけ嫌だった学校、という気持ちを上回ったんだと思いました。そして、学校へ行こうと行動を起こし始めた頃から、不思議なことに頭の中にかかっていた霧というか、もやのようなものが晴れていくのが、かき消えていくのが分かりました。それが分かった後に、自分の頭の中にそのようなものがかかっていたのが分かりました。当時はそのようなものが、頭の中にかかっていたのも当人も気がつきませんでした。今ではもう以前のように「もんもん・ムラムラ」した気持ち、感覚にはもうならなくなったなぁーと妙に自分で自分のことが分かりました。

  他の人に当てはまるかどうか分からないけれど、簡単に説明すれば、今思えば小さい頃からあったかもしれない、悪くいえば甘え、そして何もかも人のせいにしてしまう、頼ってしまう依存、それが一年半くらい前の私でした。

       今しばらくは、定時制の学校を楽しみたい

  今日来て下さったあ皆さんは少なくとも不登校を理解しようとしていると思うけれど、我が家の親は私が不登校していた時も何も不登校のことを理解してくれなく、心配はしてたかもしれないけれど、なかば見放されたような感じがしていました。そのせいもあってか、これは私の人生であること、自分の人生なのだから親のせいにしてても仕方がない、当然のことだけど自分のことなのだから自分でやる、ということをこの年になって初めて目覚めた自我。

  そして、「霧」が晴れることによって鮮明に自分が見える。つらいこともあるかもしれないけれど、それにも耐えられるようになったからこそ「ひきこもって」いた自分から今の自分が戻ってきたのだろうと思います。

  今もまだ全てが解決したわけではありません。学校でも自分が他の生徒に比べて年上なのを気にして上手に自分を出さないでいます。だから、本当にまた学校が嫌いになってしまったら転校したり、あるいは学校自体をやめてしまってもよいと思っています。

  学校だけが将来へ進む道ではないと思うので、でもせっかく自分で考えて行き始めた学校でもあるし、それにこの年になって行く学校もまた感慨深いものがあって、ただ勉強するだけでなく学校という雰囲気自体が好きなようなので、今暫くは学校を楽しみたいと思います。

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