2006年12月17日
12月16日、第6回神奈川県定時制・通信制高校進学説明会が県民センターにおいて開かれました。当日は、中学生とその保護者を中心に約50名が説明を聴きに来ました。また、現役の定時制生徒、卒業生、保護者、そして定時制教職員などのスタッフ20数名が運営に当たりました。
最初に戸塚高校定時制の保護者、つづいて戸塚高校定時制1年生、さらに私学を退学し定時制への入学を考えている子どもを持つ母親、そして希望ヶ丘高校定時制4年生、横浜総合高校2年生、最後に総合高校の卒業生が、これまでの経験や定時制で学んだこと、体験したことを感動的に語ってくれました。
最初に進学説明会実行委員会委員長のあいさつ、そして保護者、現役定時制生徒、卒業生の話を掲載します。
実行委員長あいさつ
みなさん!こんにちは! 師走のお忙しい中、私どもが主催する「定時制・通信制進学説明会」にご参加いただきまして有り難うございます。
今回、皆様方がこの会場に足を運ばれるにあたっては自分自身やご家族の皆様がいろいろな苦闘や葛藤があって参加されたことと思います。
さて私事にはなりますが、30数年前に私自身が定時制高校に入学し苦しくて辛い事や楽しい事などが色々とありましたが無事、卒業し社会へと旅立つことができ、今の自分があります。
なぜこんな自分自身ことを申したかと言いますと、私は今の社会を築きあげてきた一社会人とし皆様方に「申し訳がなかった!」と謝りたい気持ちがあるからです。
私が定時制高校で学んだころは「働きながら学ぶ高校生」ということで汗と機械油の臭いをしみ込ませながら登校することが毎日でした。そのころの学校はどこか温かみのあるゆっくりとした教育で私を見ていてくれたし、会社の方々も「学んでこいや−!」と学ぶことに対する良識があって学校にいくことから学費まで面倒をみてもらえたものでした。そんな私を見守ってくれた「温かな社会」があったのです。
しかし、今の社会はどうでしょうか!小学生の頃から競争させる教育で、中学生になるとふるい分けるような差別化した教育を受け、高校受験では何度も、何度も「不合格」通知を与えて生徒に希望と自信を失わせている「冷たい教育」になっています。
働くところの環境でも「働きながら学校に行かせる」ことを保障する企業はあるでしょうか!それどころか、一生涯の働きを保障しない企業ばかりで短絡的な利益を追求するだけで、私たちの生活はほんとうにゆとりがないもとになっています。こんな社会を築き上げ、その一翼を成してきた私ですから、若いみなさんにただ簡単に「生まれてきたタイミングが悪かったんだよ!」とは言いたくないのです。
今日はそんな社会のなかで自分自身の信念をもって定時制や通信制の高校に通われている生徒さんのお話や、卒業されて希望に満ちた毎日を送られている卒業生の方、親子で葛藤してきた親御さんの生の声をお聞きし、皆様が不安に思っている学校入学時の事や学校生活について少しでも参考にされることを期待し、あいさつを終わりたいと思います。
2006年12月16日
神奈川県定時制・通信制高校進学説明会実行委員会
実行委員長 沢崎 三郎
不登校であった息子が定時制に入学して
横浜市立高校定時制 保護者
皆様、今日は。私の長男は、現在T高校定時制の3年生として、毎日元気に通学しております。
本日は、私の長男のT高校定時制への進学から現在に至るまでの体験を、父親として又、人生の先輩の立場からお話させていただきます。拙い体験ですが、最後までどうぞ宜しくお願い致します。
彼は、中学2年生の2学期から不登校になりました。理由は、友達との意見の対立や相談した先生への不信等で精神的に落ち込んでしまいました。
小学校からクラス全体を笑わせたり盛りあげたりする人気者だった彼が、急に学校を休みだし部屋に閉じこもっていることが多くなり、私は大変驚くとともに、彼の将来や精神面等大変不安になりました。
私は、彼とじっくり話し合うなかで、彼には高校へ進学し好きな野球を楽しみたいという希望があることが分かりました。その反面で、学校へ行けば又人間関係で悩むのではないかという不安から高校への進学を拒否したりすることもありました。私は、中学校の先生方と何度か相談しましたが、病気の人を扱うような抽象的な対応に失望してしまいました。私は、この時初めて自分の子どもに対して、親として又、同じ人間として関わりをもつことを疎かにしていたことを深く反省しました。
家庭では、彼と将来や社会についてじっくり話し合い又、時には二人で海に出かけたりと彼の内面をもっと知っていこうと一緒の時間を大切にしました。
そのような生活の中で、彼の考えていることが少しずつ分かってきました。彼は、心では学校へ行きたいのですが、朝になると不安から体が動かなくなるのでした。それからの私と彼は、まず毎朝決まった時間に起きることから始め、次に学校へ登校する服装に着替えることを始め更に、毎朝お弁当をもって二人で学校の近くまで車でドライブすることを繰り返しました。毎朝の彼とのドライブも悲観的でなく、楽しくやっていこうと考え、毎日学校へ行く道を変えたり、今日はパン屋さんに寄って店のおばさんに元気な顔を見せようとか、今日は仲の良い友人の家の前を通って通学路を少し覗いてみようかなど、毎日目標を決めて少しずつ学校に近づき、彼の登校に向けての自信に繋がればとの思いでした。
不登校になって6ヶ月が過ぎたある朝、彼といつものように車で学校の近くまでドライブしながら、「今日は学校の正門のところまで行こうか」と誘いました。彼は少し考えてから、「いいよ、オーケー」と答えました。正門に着き、顔見知りの友人たちが彼に気づき笑顔で挨拶してきます。彼も照れくさそうに挨拶しています。その姿を見ていて、私は思いきって彼に、「教室まで行って一発いつものギャグをかましてこいよ」、「ウケなかったら逃げて来いヨ。ここで少し待っているから」と話すと、彼は暫く考えてから、「分かった。行って来るよ」と言って教室に向かいました。結局その日、彼は授業が終わる放課後まで家には帰りませんでした。私は、仕事をしながらも心の中で「頑張れ」と祈るような一日でした。この日を境に、彼の不登校生活は終わりました。
彼がここまで立ち直ったかげには、たくさんの彼を支えてくれた友人たちの励ましがありました。多くの友人、先輩、後輩の皆さんから励まし支えて頂けたことが、彼にとって一番の幸運でした。不登校という体験を通して、私と彼は大切なことを学びました。それは、人生でいろいろな困難にぶつかった時、自分のまわりに叱ったり励ましたりしてくれる善い人間をもつことが何よりの幸福だと実感したことです。
その後彼は、高校進学を希望しますが、先生からは出席日数の不足や成績のことなどで確実に入学できる学校のみ紹介されました。しかし彼は、第一志望のS高校を受験すると決め、遅れていた勉強を頑張りましたが、結果は不合格でした。彼は、自分の実力を知りたいとの思いから、後日その学校へ試験結果の開示請求をしました。彼は、自身の総合成績を確認して又、勉強を始めました。
私は、最後まで執念をもって現実の自分と向かい合う彼の姿を見て、試験は不合格という結果でしたが、彼は自分自身との勝負から逃げずに見事に勝ったな、成長したなと感じました。
気持ちがさっぱりしたのか彼は、「父さん、どこの学校行こうかー」と私に相談してきました。私は、「父さんは全日制の昼間の高校へ通っていたけれど、本当は昼間働きながら夜間の高校、大学へ行ってみたかったヨ」と話すと彼は、「夜間かー 4年間だよね、長いなー、だけど全日制の人より1年多く野球できるしなー それも有りだな」とあまり抵抗なく定時制高校を希望しました。中学の先生からは、「4年間は絶対に続かないし、特に君には難しい」と反対されました。しかし彼は、「絶対に卒業して、中学に挨拶に行くんだ」とかえって決意を固めたようでした。
T高校定時制を選択した理由は、家からの距離の近さ、T高校全日制を卒業して私立の教師をしている私の友人からの勧めもありました。後日彼は、T高校定時制の二次募集に合格しました。
中学の卒業式では、まだ進路の決まっていなかった彼は、卒業証書を受け取る際に「絶対大丈夫だよ」と激励して下さった中学校の校長先生に誰よりも先に合格の報告を入れました。
(T高校定時制に)入学するにあたり、私と彼は一つだけ約束事を決めました。それは、学校へ通学するまでの昼間の時間に働くことでも、ボランティアすることでも、他の勉強をすることでもよいから、空いている時間を無駄にせず、社会や世の中のしくみを自分で体験していくことを約束しました。彼は、入学と同時に近所のファーストフード店でアルバイトを始め、現在も昼間働いております。
早いもので彼も3年生になり、過日入学してからを振り返ってみてどうですかとインタビューしてみました。
T高校定時制に入学して良かったことは、定時制高校は生徒の年齢層が幅広く、社会人として仕事をしながら通学している人たちが多いので、礼儀や挨拶という社会での基本のようなことが知らない間に身についていること、また勉強では自分の学力に合わせて選べること、具体的には数学等も算数から学べることまた、先生方も親しみやすく、日常のささいなことから将来の専門的なことまで相談しやすく、また先生よりも年上の生徒もいるのでいろいろ勉強になり、とても嬉しいことだと話しています。
そして、入学して良くないと思うことは、通学する服装は自由なので個性的な服装や格好で目立つ人も多く、善い人なのに知らない人からは外見で判断されてしまうことがすごく残念だと話しています。
これから定時制高校への入学を考えている方に伝えたいことは、4年間通学すると考えると長そうですが、いろいろな経験が出きるチャンスと考えられるし、生徒の年齢も幅広いので色々な人と出会える機会が増えるという楽しみがあること、また人と接することが苦手な人や自分を少し変えてみたいと思う人には良い学校だと彼は話しています。定時制では必ず自分の居場所が見つかるし、何より浮いてしまう人がクラスに一人もいない。必ず周りに友人や仲間の輪が自然にできてしまうと話しています。
彼は、全日制の高校は15歳から18歳までの子どもたちの学校だと思う、僕たちの定時制高校は、色々な立場の人が通う「社会の学校だよ」と彼は誇らしく言い切っています。T高校定時制には、「先生や先輩との縦の関係、友人やクラスメートという横の関係に加え、年上だけど同学年でクラスメートといった斜めの関係もあるよ」と話す彼を見て、私は改めて良い人間関係で高校生活を送っている姿に安心するとともに、すこし羨ましくさえ思いました。
そんな彼も速いもので1年後には卒業を迎えます。現在、好きな歴史を深く勉強して見たいと大学への進学を希望し、先生方の紹介で大学への訪問や勉強に取り組んでいます。将来は、まだよく分からないけど、お世話になったT高校定時制にもどって、今度は僕が後輩たちのお世話をするっていうのもありかなーと照れくさそうに話していました。
長くなりましたが、彼の中学校の不登校から始まり定時制高校の入学という体験を通して、私も父親としてまた、一人の人間として教育、学校、家庭、親子の関係を彼と一緒に悩み、考え、行動できたことで私自身、我が子から大切なことを教えてもらえたと感謝しています。また、いつも物心両面にわたって裏から表から支えてくれる妻と家族に改めて感謝の思いで一杯です。
私は、彼との今までの体験を通して、生徒の方々、先生、学校のお役に立てればとの思いから微力ではありますが、彼の入学を機にT高校定時制教育振興会の皆様方の一人に加えて頂きました。毎月一度の理事会には、先生方や周りのお母様型にご迷惑をお掛けしながらも仕事の都合をつけて出きる限り参加させて頂いております。内心、お父さん方のお仲間ができないかといつも期待しております。
少子高齢化や高等学校の再編成、景気の低迷による不安定な経済情況、青少年の自殺問題等、生徒や教育を取り巻く環境は大小様々な問題に直面しています。定時制高校の存続も危ぶまれる現状の中で、彼の言った「僕たちの学校は社会の学校だよ」との言葉を忘れずにまた、定時制高校の卒業生なら安心だ」と、社会の中で定時制高校卒業生、在校生が誰からも信頼され、誰よりも活躍されることを祈りまして、私たち親子の体験を以上で終わります。長時間ありがとうございました。
ゆっくりと時間をかけて学べた高校生活県立高校定時制保護者
小学校の5年生から不登校だった息子にとって、木々に囲まれた恵まれた環境の中でゆっくりと学べた4年間は必要な時間だったと思います。
小学校の5年生の1学期から学校へ行けなくなりました。学校の前にある我が家には毎日のように学校の帰りに立ち寄ってくれる友達と楽しく過ごしているように見えたのですが・・・。ほとんど学校には行けませんでした。でも、6年生になって友達との交流があったお蔭で、修学旅行と卒業式には参加でき楽しそうにしていました。
地域のソフトボールチームに所属していた息子は中学での野球部で頑張ることを夢に描き入学したのですが、入学してから1週間ぐらいは蒼い顔をして無理をして通学していました。が、また不登校生活が始まりました。でも、小学校で同じクラスだった友達が中間テストの間、じかに我が家にきてくれて一緒に試験勉強をして、中間テストを受けに行ったのがやっとの事でした。親としては“もう行かなくて良いよ!”の毎日だったのでホッとしたと言うのが本音でした。小学校の時とは違い、友達も忙しくほとんど来てくれなくなり、悶々とした時をすごしていました。
学校の勉強らしい勉強はほとんどしていなかったのですが、中学3年の夏になって小学校の時、同じクラスだった不登校仲間と進学を考え始めてサポート校へとも考えたのですが、来年度から新しいかたちの高校が…。ちょっと心が傾き、やっとの事で説明会にも行きました。受験間近か、校長先生からお電話をいただき、学校で面接の練習もしました。でも、受験したものの不合格。せっかく高校へ行こうと始動した息子にとっては幸い結果でした。暗い気持ちになっていた時、保育園の時の同級生のお母さんからの一本の電話で「定時制受験」があることを知り、藁をもつかむ思いで願書を貰いにいきました。 その時、対応してくださった先生は事務的ではなく、親身になって説明してくださいました。長期欠席の証明の提出のことも教えていただいたり、前年度の入試プリントもいただき、温かく対応してくださる先生がいるこの学校で息子も勉強できたらと涙が溢れてしまいました。
机の前で頂いたプリントを勉強をして受験。合格の知らせを受け入学、相変わらず蒼い顔で通学している息子にドキドキの毎日でした。歯医者以外に外出しなかった息子が遠足にも参加、中学で実現できなかった野球部での部活。バイト先も自分で探してきて履歴書を書き面接を受にいきました。面接の時も自分が不登校だたことも伝えての採用。(自信に繋がったようです。)中華料理屋の厨房でのバイトも真面目にこなしていたようです。
1年間は何とか頑張ったのですが2年生になって息切れ。入学式の時PTA役員の方からの誘いで私も役員として活動していたので学校に行く機会も多く、先生に相談に乗ってもらいました。先生からの電話や友達からの電話でやっと登校できるようになりました。
1年生の時は、学校を休むこともできなかったのに、休むのも良いんだと思えるようになれたようでした。4年間同じクラスで学んだ友達との関係にも助けられていました。
4年になってから大学進学を考えるようになりゼロ時限の授業も受けました。何度も何度も先生と話し合ってやっと二部の大学を選ぶことができました。2年生からは学校での授業は受けたのですが校外行事には全然参加していなかったので、4年の修学旅行には行かないと思っていました。でも、気のあったグループでの旅行は最高だったようでした。
卒業後も相変わらず蒼い顔をして二部の大学に通学している現在です。今までと変わったことは高校時代の友達と長電話したり、ボーリングに行ったりと、ちょとだけですが余裕がでてきたようです。
息子だけでなく私もPTA役員として4年間定時制高校で育てていただきました。優しい気持ちの生徒がいっぱいの学校でした。授業参観のとき教室に入っていった時、私たちににすかさず椅子を提供してくれたり、広報誌作成で取材に行った時もいやな顔もせず対応してくれました。親身になって向かい合ってくださる先生方がいて、時間をかけて学んでいるおかげだと思っています。
定時制の4年間県立高校定時制 4年
僕が定時制に行くまでの道のりや学んだ4年間を話したいと思います。
僕は小学校の頃は、最初は普通の学校に行っていました。でも高学年になり、勉強についていけず、学校に来てもつまらなくなって休むようになりました。自分がマイペースになった頃です。そのまま中学校に進み新しい人たちとともに始まった中学生活も気分次第になってました。行きたくない時は行かない、行きたいと思ったときは行くという感じでした。でも、中学で1人、いつも気にしてくれた親友がいました。彼がいなかったら中学はもっとひどかったと思います。
中3になり、みんな高校進学等に向けて動き始め、でも自分は全然考えていませんでした。先生と面談した時に「定時制」に進学したらと言われました。最初は定時制なんて知らなかったし、まさか夜に勉強するとは思いませんでした。受験して見事に合格できました。
そして始まった定時制生活。僕はバイトをすると決めていたので、高校入学と同時にバイトも始めました。やはり中学のときと違い、昼間バイト、夜学校とハードで、でもとても新鮮でした。定時制は年齢も幅広くいろいろな人たちと出会えました。
4年間続いたのは、「友達」がいたからです。もし、こんな素敵な友達がいなかったら、4年間も続いていなかったと思います。そして、定時制が自分に合っていたということ。全日の高校にいけば良かったと1年生の時はずっと思っていました。中学の時の友達は全日、自分は定時とすれ違いが多く、なかなか難しい所はいっぱいありました。でも、自分は全日に行ってもきっとついていけなかったんでは、と思います。
最初160人ぐらいいた1年の時。今では半分に満たない人数です。でも、今自分の周りにいる友達は、かけがえのない素敵な宝物です。これから先もずっと続いていきたいと願っています。
最初は辛いと思うけれど、定時制に入ったのなら、何かひとつでも夢か友達を見つけ、必ず卒業してほしいと願っています。僕にとって定時制はかけがえのない高校生活でした。そして、中学の先生にも感謝の気持ちでいっぱいです。また、僕をサポートしてくれた高校の先生や友達にありがとうと言いたいです。
これからお子さんの入学を考えておられるご両親へ、ぜひ子どもとじっくり話しをして、見守ってあげてください。
高校入試 受験生を持つ親の立場から
私の15歳(高一)の息子が学校に行き渋り始めたのは、中二の終わり頃から遅刻して登校するようになりました。心配しながら登校して行く姿を見送っていました。
息子は中三の途中から「いじめ」が原因で不登校になりました。学校不信、人間不信になった息子は外に出られなくなり、登下校中の中学生らしい声が外で聞こえるとカーテンの影から覗いては、自分の部屋に引きこもっていました。学校へは行ったほうがいいんじゃないのと言う私に向かって「学校に行かなくちゃいけないと母さんより僕の方がずっと思っているんだ。」と言うものの行動が伴いません。
不登校の真っ只中での高校探しでしたので、何とか高校生になってほしいと必死でした。子どもが動かない状態だったので、不登校親の会の先輩のお母さん達に相談し、いろいろと教えてもらいながら、なるべく沢山の学校の情報や資料を集めて子どもの目の付くところに置きました。一人で行く学校見学会、親だけが聞く説明会でした。受験が近付いて来ているのに、高校生にはなりたいと思っているけど、一向にはっきりした反応もなく虚しい想いだけが残る不安一杯の中での生活が続きました。
そうしてやっと家庭の経済状況を息子なりに考えて、公立高校第一志望に決めて、前期選抜の「自己PR書」をアピールできる所がないと言いながら時間をかけて書きました。やっとの想いで書き上げた願書を提出しに、久しぶりに制服に袖を通し、外出しました。後日の面接も一人で、電車、バスに乗り学校まで行き、ぶっつけ本番の面接を受けて誇らしげに帰ってきた息子に本当に良く頑張ったネ。こんな力がまだ残っていたんだネ。持っていた力に驚かされました。悩み抜いて精一杯受験にのぞんだあげく、結果は不合格でした。予想していたとはいえ、すごい落ち込み様でした。
後期選抜の願書提出は時間になってもなかなか出かけられず、延長願いを出しました。「どうせ頑張っても、又、不合格だよ。どうすればいいの」不安をぶつけて来る息子。
私立の二次募集に藁にも縋る思いで、初めて親子で学校見学、説明会に行き、個別の面接だったので、本音で不登校の事、今までの生活の事を伝えました。高校側は同じ様な問題を持っている方も他にもいらっしゃるけど、うちの高校で頑張って、今、楽しく生活できているし、学校側も「いじめ」についても一生懸命に取り組んでいるし、生徒、先生、保護者で連絡を密に取って、学校生活をよりよく送れる様に考えていますし、どんな事でも相談をしてくれたら、学校全体で見ていきますとの事でした。
試験で当日点をクリアすれば、合格できます、頑張ってみて下さいと。その後、学校設備の素晴らしい所を見学させてもらいました。学校も奇麗だし、ここに決めようかな、僕の為にお金を出してくれる親なのかなと試している様な気さえしました。簡単に決めてしまい、受験する事になりました。公立高校の後期は受験せずに、二次募集一本で決めました。
無事合格することが出来て、本人もほっとした様子でしたし、親の方も高校生にしてあげたい気持ちで焦っていたので、余裕のない生活での私学学費捻出なので、協力は出来る範囲でするつもりなので、せっかく入学できた学校なので頑張って卒業してほしい旨を伝えました。
高校生活もまだら登校ながら、夏休み明けまでは何とか来ましたが、僕が想っていた学校とはやっぱり違っていた、止めようと思う。止めて定時制を受験し直したいと言って来たのです。やっと入れてもらった学校なのだから、留年してもいいから頑張って卒業した方がいいのではないかと何度も話し合いをしましたが、本人の決心も固く、又、引きこもりになってしまうのではという不安は有りますが、本人が決めてほしいし、親の意見に従うような息子ではないので見守るしかありません。
学校の担任に相談すると、何とか学校へ出してくれれば、直接話し合いや指導もしたいのですが、県の教育委員会の相談機関を利用させてもらって連絡を取らせていただいていいですか。親の子どもへの接し方で何か助言が出来るかもと思うので、又連絡します、との事でしたので、何かいい方法があるといいな、自分も親として出来る限りの事はしてきているつもりだったので、何でも受け入れ、取り組んでみたいと期待しながら待っていました。一ヶ月位してから、このまま長期欠席しますと、後、数日で留年が確定してしまいます、どうされますかと連絡があり、教育委員会の話もうやむやのまま、結局、11月末で止めました。
高校生活は説明会のときの様なものではなく、騒がしさ学校一のクラスで指示が入らない生徒には暴力もふるって指導する、生徒も暴力的。そんな学校にはもう行きたくない。息子の意見だけを鵜呑みにするつもりもないですが、ここで頑張ることの意味が無い様に思えるそうです、
今現在、定時制に通っている友達の話を聞いたりしてお金もかからないし、自分を受け入れてくれる学校だと思えたみたいですが、こう言う子なので、先の事が不安で一杯の気持ちを押さえて接しています。同じ様な時期に公立高校を止めた友達と一緒に受験すると言っています。
専門学校に行き、手に職をつけたいという目標に向かって」近づけるように、今度は自分自身で動いて決めて頑張ってほしいと思っています。
娘が定時制に入って
定時制高校 保護者
中学の時、不登校だった娘は昨年定時制高校こ入りこの春、高2に進級しました。
不登校の時はほとんど家からも出ず寝てばかりのため、足の筋肉もなくなり、もちろん昼夜逆転で先が見えず、この先どうなってしまうのか毎日不安な白々を送っていました。娘は高校進学も積極的ではありませんでした。ただこのままだとますます家に閉じこもり、また周囲が高校に受かっていくと娘ももっともっと不安になり,きつとどうにかなってしまうと私は思ったため、娘が落ち着いてている時に高校の話をして受験してみるだけしてみるのもいいのではないか?と根気よく話しました。
私としては高校へ行って勉強云々というより何かに所属していれば興味のあることも出てきて世界が変わり気持ちも変わるのではないか?という漠然とした考えからでした。しかし本人は願書に貼る写真すらも撮りに行くのをいやがり、なかなか事が進みません。どうにか写真も撮り願書も書かせ前期試験に臨みましたが不合格。その後の後期試験も不合格。あとは2次試験と通信制があるのみで、不登校の親の会や神奈川新聞、教育委員会のホームページから情報を得て2次試験で家からも近い定時制高校が募集している事がわかり受験しました。
その高校が今、通っている定時制高校です。高校では軽音楽部こ入りギターやキーボードを練習し、バイトをしてためたお金でギターを買ったり、文化祭で練習した曲を披露したり、お友達と遊んだり、時々授業のノートをまとめたりと、中学の時とは全く違う充実した生活になりました。
2次試験を受験する時に中学の担任には家から近い学校の方が何かと安心だし、もしここが不合格なら通信制にするという話はしてありました。しかし2次試験の倍率が出たときに、願書を出している学校は定員オーバーしているので定員割れしている川崎の定時制(家から遠い〉へ変更したらどうか?と、わざわざ電話をしてきました。私はこの心ない言葉にがっかりしてしまいました。もし川崎の学校に合格したら担任はクラス全員が進路が決まりほっとするかもしれませんが、今まで家からほとんど出なかった子が、バス・電車を乗り継いで通えると思うのでしょうか?
私としては中学の先生は不登校の親子に理解を示さなくてもいいが(もちろん親身になって下さるのが望ましいですが)、自分自信の満足のために要らぬおせつかいをやかないでほしい。しかも威圧的に。
そしてわが子のように高校に入った事で、外の世界に目が向けられるようになった子もいるので、定時制高校をなくさないでほしいし、定時制は夜間なので夜の通学が心配です。もっと駅に近い高校に定時制を作ってほしいなあと思っています。