2003年1月23日
不登校の子も中退した人も 学び直せる、自分を変えることのできる場 定通制
1月19日、「第2回定時制通信制高校進学説明会」が横浜市旭区の区民文化センターで開かれました。昨年、神奈川県内で初めて行われた説明会を、定時制通信制の保護者や生徒、卒業生、教職員が実行委員会をつくり、発展させたものです。
当日は、受験生や保護者、卒業生、教職員など約160名が参加し、在校生や卒業生の体験談などを聞いた後、学校別、地区別のグループに分かれ、教職員の説明を受け、熱心に質問をしていました。
特に、体験談が話されたT部では、横浜市立戸塚高校の在校生7名が入学した理由や定時制のイメージ、そして楽しい学校生活などを紹介、また県立希望ヶ丘高校の3年生は20歳を過ぎてから定時制に入ったが、あまり違和感なく年下の同級生と高校生活を満喫していることなどを伝えました。また、定時制の二人の保護者がわが子を定時制に入学させることになった経緯と入学させてわかった定時制の良さと、定時制で子どもも親も変わったということを紹介しました。
次ぎに、県立平塚商業高校定時制の卒業生、横浜市立港高校・横浜商業高校・戸塚高校の卒業生が次々に自分の高校生活の体験談を話しました。特に、戸塚高校の卒業生は、全日制に入学したものの教師の押さえつける管理に反発、教師・学校不信の塊になったが、定時制に転入したことにより、全日制とは異なる教師と学校に出会い、荒れていた自分を変えていくことができた、「生かされてきた自分に気づき、生かされている自分から、生きていこうという自分に変わった」と語りました。
さらに、横浜市立港高校の4年生は、「小・中学校のころは不登校であったが、港高校に入ってからはお互いの気持ちを理解し合える仲間に出会い、クラスや学校行事で自信もついた、定時制はとてもいい」と訴えた後、同校ダンス部の4人と若々しい唄と踊りを披露してくれました。
『神奈川新聞』は20日付けで、「学び直しだれでも」「定時制通信制高校説明会 OBらが体験談」と写真付き三段抜き見出しの記事で、今回の説明会の模様を紹介しました。
以下に、卒業生の体験談を紹介します。
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不登校であったが、学校行事に取り組む中で、自分に自信がもてるようになった
司会 港高校の I さん、よろしくお願いします。お話の後、少し踊りをパフォーマンス的にご披露させていただきます。
I さん 皆さん、こんにちは。港高校4年生Iです。よろしくお願いします。何から話していいか、正直ちょっとさっきまで胃が痛かったんですけど。ちょっと今もまだ胃がずきずきと痛いんですけど。できる限り、話していきたいと思います。
私がなんで定時制を選んだのかと言いますと、先ほどから大体の方が不登校であったとのことでしたが、私も小学校の5、6年から中学の1、2年、3年まで不登校でして、ずっと1年から2年間くらいは家でのんびりと過ごしていたんですけど、やっぱり外に出ないと、このままではいけないかなと自分で思って、横浜市に相談指導学級という、不登校の子を受け入れてくれる学校が区によってありまして、私は鶴見区に住んでいたので、鶴見の相談指導学級というところに行きました。
そこで、やっぱりあんまり最初はなじめなかったんですけど、でもやっぱり自分でも内向的な性格を変えていかなくちゃいけないということで、変わらなくちゃいけないと思い始めてから、自分の身の回りの環境というか、そういうものもちょっとずつ変わっていって、相談指導学級というところで、小学校から中学3年まで過ごしました。
で、中学3年の頃にやっぱり進路のことについてすごく悩んでて、やっぱりそのまま全日制というかたちだと延長線上みたいな形になってしまうので、なんかそれは嫌だなと思って。 先ほど、港高校の卒業生の方が出たんですけども、私も『学校』という映画を見て、夜間中学の話だったんですけど、それにすごくミニの学校というのに魅力を感じて、少人数制で先生と生徒が和気あいあいという感じだったんで、こういうところなら自分は入っていけるかなと思って、それで定時制に決めって入ったんですけども。
最初は、入学式ちょっとびっくりしちゃったんですけど。入学式の時、すごい大人数の生徒さんがたくさんいて。私は、どっちかというと同い年より年上が多いほうがよかったんですね。それはやっぱり、小学校、中学校でほとんどが(同い年の)同級生で、なんかそういう環境がやりづらくて、考えも合わなかったので、できれば年上の人と一緒にいたほうが安心できるかなという思いで、そういう気持ちもあって定時制に来たんですけど。
私が入学したときは、ほとんど私と同い年で、若い方がいたんですけども、中には主婦の方だったり、高校の頃にちゃんとした授業を学べなかった人がまた再度学ぼうとしていたり、そういう人がいたりして、ちょっと安心感を覚えたりして。
入って慣れるまでは、毎日緊張して学校に通っていたんですけども。そうですね、夏休みが開ける頃になると、本当にほとんどがいなくなってしまうんですよ、40人くらいいて残ったのが大体20人くらいだったりとか、ほとんど半分がいなくなってしまうという、そういう少人数になった頃から、すごくなんか、あまり大人数が好きじゃないので、そういう少人数になってから、なんか安心できるという感じになって、だんだんちょっと慣れてきて。
それで体育祭があって、体育祭で初めて私は応援団というものを経験しました。応援団も、最初は抵抗があったんですけど、なかなかやろうと言ってもやってくれる人がいなかったりして、強引にちょっと声をかけて集めて、そうしたら、集まったので体育祭で応援団をやって、港高校に私はいるんだなという存在感みたいなものを初めて感じることができました。
で、それからちょっとずつ自信を持てて、文化祭になって、私は演劇部に入っていたんですけど、演劇部でも運良く役をもらえて、初めて港高校で舞台を踏んで、演劇をやりました。
そこから少しずつですけど、自分に自信を持って学校に通うことができました。勉強の面でもすごく私は、小学校、中学校で勉強もしていなかったので、すごく不安になったんですけど、先生方ができない生徒にもできるまで時間をかけて見てくれたりして、そういう先生の生徒に対しての熱い思いが伝わってきて、勉強頑張らないとダメだなあとか思って、それから自分でも頑張って勉強したら、なんか点が取れたりして自分もできるんだなとすごくびっくりしたりして。
やっぱり、定時制に入って本当に正解だったなあと思っているんです。
(残念ながら、ここでテープ切れとなりました。ただ、I さんの話もこの後すぐ終わり、I さんを含めた港高校ダンス部4人の唄と踊りがこの後、披露されました)
定時制で生かされていた自分に気づき、自らの足で生きていく自分に
司会 続きまして、卒業生ですね、戸塚高校卒業生のKさん、よろしくお願いします。
皆さん、こんにちは。N君のあとで、非常にやりにくい状況なのですけど。突然、3日ぐらい前に、電話かかってまいりまして。彼女と公園で遊んでいる最中に電話が鳴って、「出てくれる?」ということになって。さっき、他の皆さんも何か突然決まったようで。何話していいか分からないのですが。とりあえず、さっきうちの後輩が出て、今の学校の現状が出たんで、後輩がしゃべっているほうが、今の現状が分かっていいるのでいいんでしょうが。
とりあえず、自分が定時制で4年間過ごして、何が変わったかというと、さっきのN君に比べてヘビーな話になるかもしれませんが、とりあえず自分が何が変わったということを話してみたいと思います。
そもそも自分が定時制に入ったきっかけは、ずっとうち母子家庭で育ちまして、中学校というのは、たまたまうちの叔母が神奈川県の中学校の先生をやってまして。うちの行っていた学校は、中学校の先生のなかで赴任したくない学校のナンバー2という学校でして、まわりはもう不良だらけで、あまり素行のいいお子さんが集まっていないという学校で。僕そこで3年間過ごしたわけで、どうしてもひねくれてるわけではないですけど、母子家庭となると、家にいる親もいない、兄弟もいないとなると、何もやることがないんですよ。
場所はちょうど江ノ島の近辺だったので、結構有名な暴走族がバンバン走っている地域だったので、誰にもかまってもらえないので、正直言えば寂しいわけですよね、そうすると何しょうかというと、たまたままわりにそういう悪い友達が増えるわけですよ、そうすると何か自分の居場所はここなんかなぁと勝手な勘違いしてしまって、まわりがみんな今で言うゾッキーという言い方とか、ヤンキーという仲間が一杯いたので。気づけば、友達でも何でもないですよ。その後実際に中学校3年生になる頃には、あっと気がつけば学校の先生にも邪険にされているし、一人きりなんだなという、結局被害妄想なんですよ、おふくろが全然かまってくれないよという、単なる甘えなんですけど。
気づけば、全日制の高校へとりあえず行ってみようということで、行ったはいいんですけど、やっぱし自分も素行がいい方ではなかったんで、学校へ行けば何かトラブルがあったんですよ、学校の壁に穴があいたんですよ、大きい穴が。そしたら呼び出されたんですよ、「K、ちょっと職員室に来なさい」って。「何ですか」と言うと、「お前、何で穴あけてんだよ」「いや、あけてないですよ」という話になったんですけど、結局犯人見つからないまんま、俺と言うことになったらしんですよ。
それで、こっちもやってもいないことで言われたら、先生なんか信用できなし、まして先生とは見てなかたんですよ、やっぱり学校へ行ってもつまんないし、学校へ行けば先生から「お前本当にクズだな」と言われ。何度も、名指しで「お前クズだ」と言われたこともあるんですよ。はっきり、そんなの行ったってつまんないし、あーおれやめようかなと思った頃には、先生も「あーやめていいよ、やめていいよ」と本当口癖のごとく、おれに会うたびに言うので、やめようかなーと思ったときに、たまたま同学年の同じクラスから一気に5人退学者が出たんですよ、そうしたらやっぱり先生も同じクラスから俺も含めて6人退学者を出してしまうので、先生も言われるわけですよ、上から。「なんでお前のクラスは、6人もやめてしまうんだ」と。そうしたら先生も急に、手のひらを返すように「K君やめないで」と。前と違うんですよ。(笑い)
一番、頭にきたのは。「いや、おれやめるから」と言うと、「ちょっとこっちへ来て」と言うんですよ。あるところにつれて行かれて、「ちょっとカウンセリングしようか」と言うんです。(笑い)カウンセリングといか言っても、「何も病んでないし」(笑い)。ということで、汚い言い方したら「キレル」ということですね。今、若者の間でけっこう「キレル」ということが蔓延してる見たいなんですけど、僕もそんな育ちのいい方じゃないんで、やっぱそうなったらもう頭にくるわけです。結局それでもけじめだけはつけたいからと言って、1年生まるまる行ってえ、それでやめたんですよ。
それから1年、自分の好き勝手で生きて。バイトしたり、まあボーとしてるとか。昔から趣味でやってきたバンドを続けていたんですけど。
まぁ結局、親もやっぱり、自分の父親と母親が自分の都合で離婚して、おれは残されたという、すごいいやな感じでいたわけですけど、親父とおふくろを憎んでいるという自分もいやなんですよ。はっきり言って、親も先生ももういいよ、ウザイウザイという感じだったんですよ。
で、たまたまさっき話したうちの叔母が学校の先生やってまして、どうせ1年間ブラブラしているんだったら、こういう定時制というのがあるんだけど1回行ってみないと言われて、とりあえず叔母さんの顔を立てなければいけないなぁというぐらいの勢いで、はっきり言ってパンフレットもらったんですけど、全然目を通していないですよ。言われるがままに、普通に試験受けて、普通に入っちゃたんですよ。最初でも、おれ本当に頭悪いほうなんで、絶対試験なんか通らないだろうな思って、落ちるからいいよと思って行ったんですけど、合格しちゃいまして。
行っても、どうせ同じような学校の先生なんだから、先生なんか信用できないということで行ったんですけど。さっき、何人かが先生といっても友達みたいな感じと言っていましたが、本当に友達みたいな感じというのがピッタリなんですよ、行ってみたら今まで出会ってきた先生とまったく違った感じで。自分がこうやって生活しているなかで、あんなに親しくしてくれる人間、親より親しいんじゃないかと思ったんですけど。
でもその時点で、はっきり言っておれはひねくれています。でも、4年間通っている中で、時間もあるので省略しちゃうと、何が変わったかというと、はっきり言って親に対する価値観が変わるんです。今までは、自分だけで生きてきたという顔をしているんですよ。はっきり言って親も家にいないし、自分で何でもしてきたという顔をしているんですよ。
でも、正直、極端な話私たち子どもというのはみんな親に生かされているんですよ。でも(定時制の)4年間のなかで、生かされている立場から卒業するまでの間で今度生きる立場に変わって行くんですよ、はっきり言って、自分って何なのと考えてみた時、この4年間のなかで自分はひねくれて、なんだかんだ言っても、生かされてきたんだと実感できたんですよ。
自分の今好きなアメリカの俳優さんで、デニス・ホッパーという人がいるんですけど、その人の言葉なんですけど、「黒を否定する人は、愚かだ」という言葉があるんです。最初すごく何を言ってるんのかなーと思って、一生懸命考えて、後々理由を聞いてみたら、物事には表と裏、綺麗な部分と汚い部分があるんですよ。今まで自分というのは汚い部分、黒の部分を否定してきたんです。世間体ばっかし気にして、親なんて関係ないよ、さみしいよとか、やっぱし定時制?何かいやだよとか、必ず白いほう、白いほうと行くんですよ。たぶん普通の一般の方でも、今現在大人になっている方でも、白い部分しかみていない人がいるんですよ。
ただ僕の場合は、学校に来てからはっきり言っていい奴もいましたし、悪い奴もいますよ。それはどこだって。社会に出ても、やっぱし何年経ってもいやな奴はいやな奴です。ただ、そういった人たちと触れあうことによって、僕は4年間通い卒業して、あー世の中にはいい奴もいれば、悪い奴もいるし、白と黒の両方を飲み込むことができたんですよ。
で、僕は今インディーズのミュージシアンをやっているんですけど、ミュージシアンやりながら今そのときに、中学校から定時制に入る頃まで自分のことで精一杯だったんですけど、今ようやく定時制でいろんなことを経験して余裕が出てきて、今横浜中のバンドを集めて、みんなでチャリテーイベントをやろうという話になっているんですよ。今、自分が先頭に立って、ドイツの国際平和村という戦争孤児達の施設なんですけど。自分が今ドイツと連絡を取り合って、今年か来年には大きなイベントをやろうじゃなかという話なんですけど。
ふと思ったら、今まで自分のことしか考えてなかった人間が、ちょっとでも、ほんの少しなんですけど、こんなことを考えてやれる余裕が出たんだなと思うんです。今でも、一杯一杯なんですけど。でも必ず、どっかに過ごした中でいい経験をすれば、どっかに隙間があくんです。その隙間をうまく使うか、悪く使うかなんです。たぶん、普通にのんびり暮らしてきて、やっている方もいますけど、はっきり言って定時制というのは、楽しい部分もありますけど、つらい部分もありますよ。やっぱり、夜学校へ行って、僕なんかそうなんですけど、夜学校へ行って、学校10時くらいに終わったらこんどバイト先に行くんですよ。夜勤の仕事で、朝7時くらいまでバイトするんですよ、それで家に帰って寝るんです。したらすぐ、夕方になってもう学校へ行かなくてはいけないんですよ。そういう状況で(定時制というのは)、普通の高校と違ってきついと言うことはきついんですよ。
もし、皆さんのお子さんが定時制に入られたら、もし一生懸命がんばっていられたら、ちょっとくらい家のことはやらなくても、ずっと寝ててもあまり叱らないでやって欲しいんですよ。もしお子さんがぐうたらぐうたらしていたら、ケツの一発でもたたいてやれば一番いいと思うんですけど。
僕そうやってきついながらも、楽しく、まあいい面と悪い面があるんですよ。何の社会でもそうなんですけど、そうやって生きてきた中で、初めて僕は今生かされていたのから、初めて生きる立場になってみて、やっと自分の足で前に向いていこうと思った時に、初めて自分何かをやろうと思う気持ちになったんですよ。
ですから、これから定時制に入る方も、入ったらぜひ何か一つ自分でやれることを見つけて、卒業するまでに成し遂げるくらいの勢いで、何か一つだけに向かってやってもらいたいと思います。
僕なんか今バンドを、ミュージシアンをやってますけど、あと他にもコラムとか書いている人がいるんですよ、他にイラストレイターなんかいますけど、今までみんなから馬鹿にされていたんですよ。「お前なんか、どっちにしろ高校中退して、そんな音楽ばっかやっていて、昔たどれば悪いことばっかりやっていたのに。そんなの大きなことできないよ」と言われたんですよ。でもものすごく、悔しいんですよ。確かに、悪いことをやったのはほんと否定できないです。でもやっぱり、僕も人間ですから言われたら悔しいんですよ。絶対やってやると思って、今初めて、ドイツのこと、友達のこと、自分のこと、家族のこと、全部初めて一から見直せるという立場になれたんで。
たぶん、定時制にくる子どもたちはいろいろな環境で、不登校であったり、いじめにあったり、病気、障害を持っているなど、いろいろいると思うんです。一般の価値観からみれば、定時制に行くしかないんだよ、定時制なんだねと言うけど、はっきり言って現代に生きている子どもたちは、一つの価値観で収まらないんですよ。普通の人から見れば、一般の定時制と一般の全日制高校と、二つ種類あるんですけど、全日制の高校でだめだったから定時制に来るんじゃないんですよ。全日制の高校では、合わないんですよ。まわりの人たちで、定時制なのねとちょっといやな顔をしたら、それはあなたの価値観でしょと言ってあげてください。
子どもたちはみんな十人十色という言葉あるくらいですからいろんな個性があるんです。だから、はっきり言って定時制というのは、自由という部分もあるんですけど、そういった子どもたちを受け入れているという、それは実際僕は誇りに思っていますけど。
今でも、「出身高校は?」と言われると、結構僕の同級生の話聞いたら、履歴書書く時も、戸塚高校卒業と書く人います。確かに、卒業すれば戸塚高校なんですけど、僕は未だに何かあるたびに、履歴書なんかも戸塚高校卒業と胸張って言えるように書くんです。
確かに最初はすっごくいやなイメージで入る人も、不安なイメージで入る人もいますけど、たぶん自分で何かやろうと思って頑張った人は、はっきり言って最後精神的には胸張って出れると思います。
ただ、普通に入って普通に過ごしたら、絶対つまんないですよ。全日制の高校も、定時制も、何も考えずにやったんでは絶対つまんないです。それだけは言えます。ただ、皆さんがどれだけ努力するかによって、楽しさ具合は絶対変わってくるんです。皆さん勘違いしないでほしいのは、定時制だから甘いとか、定時制だからタバコ吸っていいとか、定時制だから何やっていいとかではないのですよ。定時制も全日制も、社会もすべて同じ、公共の場なんです。だからみんなはっきり言って、はきちがいないでほしいんです。すべてはおなじなんですよ、境はないんです。はっきり言って、壁はないんです。だから皆さん、あんまり定時制はどんなとこ、怖いとこ、暗いとことか考えずに、普通の高校入るつもりで、入ってもらいたいと思います。
とりあえず、何言っていいかわからないんですけど、とりあえず自分は定時制に入って心からよかったと思っています。以上です。
(拍手)
司会 ありがとうございました。卒業生となると、さすがに含蓄のあることを発言するもんだなと思いました。
不登校の子が、安心して進学できる公教育の場がぜひとも必要です
私の息子は現在、三部制の横浜総合高校のT部に通っております。
息子は、中学に入学してから、いじめにあい、中一の三学期のちょうど今頃から不登校になりました。そのときの教員の対応が非常にまずく、それにもかかわらず、親や祖父母の学歴へのこだわりから、息子は精神的に追いつめられ、本当に気の毒に神経症の症状も見られるほどでした。中三になる時に、悩みに悩み抜いた末、転校し、不登校をのりこえる決心をしました。
不登校をのりこえながらの進路探しは、実のところ、親子とも苦しいことが多かったです。不登校の頃の息子の生活は、昼夜逆転で、一日のほとんどをTVゲームかマンガでやり過ごすといったものでした。公立中学への転校は、なんとか自分の人生を変えたいという本人の意思からでしたが、新しい学校へいきなり何事もなかったかのように登校するには、前の学校での傷が深く、無理そうなので、横浜市の適応指導教室、もしくは、学校の保健相談室に登校するところからスタートしました。先生方やクラスメイトに温かくゆるやかに接していただき、休まずに登校できるようになり、少しずつ、クラスで授業を受けるようになりました。
一方で、私は進路の情報を集めました。中二の内申書が0でしたし、まだ集団生活をおくっていくのに不安もありましたので、今の息子の状況にあった進路を探すことにしました。そして、息子にも機会を見て、少しずつ定時制、通信制をはじめ、フリースクール、大検予備校、インターネットスクールなど、さまざまな選択肢があることを話しました。息子のほうは、新しい学校のことで精一杯だったのでしょう。話を聞くだけで、何も答えず、私も無理に聞いても仕方がないと思い、情報を提供するだけでした。しかし、あまり何も言わないのでそのうち、「義務教育は中学までだから、高校へ行かないで倍とをしてもいいし、家で家事をしてくれればお母さんが働きに行く」と言ったこともあります。すると、「それだけは嫌だ」とはっきり言いました。
そうして、一学期の終わり頃、担任の先生から、新しくできる横浜総合高校のパンフレットをいただき、説明会に行くようすすめられました。横浜総合のパンフレットや説明会では、「不登校の生徒を受け入れます」などという言葉は一言もありませんでしたが、選考に当たって重視する内容が「本校における学習及び学校生活に対する意欲、興味、関心」とありましたし、選抜試験も2回あり、特に1回目は面接と作文だけの試験だけで、調査書が入っていませんでしたので、これなら大丈夫かもしれないと思いました。それに、単位制の総合学科で選択科目も多く、先生方も丁寧で熱心で、一人ひとりを大切にしてくださる感じがして、息子も私もこの学校しかないと思いました。この時初めて、暗くて長いトンネルの先に灯りが見えた気がしました。
夏休みは、一学期の疲れもあってか、受験生の夏というよりは、リラックスして過ごしました。不登校の頃も精神的に落ち着いてからは、週に1、2回個別指導の塾に通っていましたので、そのままマイペースにすなわち、のんびりとたまに勉強を続けていました。
二学期に入ると、担任の先生から「もっと頑張れるのではないか、よい思い出をつくろう」とプレッシャーがかかりましたが、学校行事も授業もマイペースを守らせていただきました。つまり、運動会、文化祭、体育や音楽といった実技を伴う授業は見学するか、保健相談室で過ごすといった具合です。お弁当も保健相談室に戻って、そちらの仲間と食べていたようです。とにかく母親としては、毎朝登校することと、ゆっくりでもマイペースに勉強を続けることと周囲の大人に理解してもらうように、夫にも担任にも事あるごとに頼みました。そんなとき、保健室の先生が息子とうまく関わってくださって、保健相談室を居場所にして登校し続けることができたと感謝しています。
冬休みは、横浜総合に提出する志望理由書を書くのに苦労していました。内容は、志望理由の他、高校生活でやりたいことや将来の夢などでしたが、自分が不登校を経験したことをどう表現してよいのか悩んだようで、塾の先生に相談していたようです。
そうして、横浜総合のT部(午前の部)へ出願したのですが、予想通りというか、予想以上の高倍率、8倍で圧倒されました。倍率の低い午後や夜間の部へ変更しようか考えましたが、せっかく昼夜逆転を戻し、朝から登校できるようになったのだからと、息子はそのまま午前の部を受検しました。結果は不合格。息子は自分なりに、面接や作文もうまくできたと思っていたらしく、大変ショックを受けていました。不登校を乗りこえながら、まじめに受験に取り組んできたのに、その意欲が伝わらなかったことが、大変悔しかったようです。一時は落ち込んで何も手につきませんでしたが、このままではこれまでの努力が無駄になると気持ちを切りかえて、2回目の選抜試験に向けて、もう一度志望理由書を書き、英数国の三教科の勉強も真剣にやりました。
その一方、私は2回目も高倍率が予想されましたので、調査書が考慮される不合格に備えて、息子が毎日安心して通えるところをさがそうと、いくつかの通信制のサポート校などへ電話をかけたり、足を運んだりしました。
そんな中、中学の卒業式の日を迎えました。クラスのほとんどの人が進学先を決めている状況で、まだ決まっていない息子は欠席をしました。それでも、担任の先生のご配慮で午後から、校長室で学年の先生方や仲良くなった友達数人と卒業式をしてくださいました。皆に、最後まであきらめずに頑張れと励まされました。そのおかげで、競争率約3倍という第2回選抜試験にのぞむ勇気が持てたのだと思います。結果は合格でした。本当に中学3年間いろいろなことがあっただけに、嬉しくありがたかったです。
この受験を経験して、息子は確実にたくましく成長しましたが、一歩違えば、また非常に長く苦しいトンネルに逆戻りしていたかもしれません。学習意欲のある不登校の子どもが、安心して進学できる公教育の場というのは、ぜひとも必要です。せっかく立ち直りかけている子どもから希望の光を奪い取るようなこと、さらに追いつめるようなことはあってはなりません。三部制を含めた定時制高校の十分な定員枠の確保が望まれます。
横浜総合での生活は今のところ、朝の全力ダッシュの成果で、無遅刻無欠席です。気の合う友達もできて、今度は図書館を自分たちの居場所にしている様子です。クラスメイトにはお孫さんのいらっしゃるおばあちゃまや、障害のある方もいらして、その方たちの頑張っている姿を見て、息子も頑張れているのでしょう。不登校経験者も多く、保護者は皆、高校に入って顔が明るくなったと話しています。
学校設備の面や、選択科目の登録が複雑であったり、悩みがないわけではありませんが、制服のない自由さ、総合学科の特色ある授業も楽しく、そして何よりも、先生方が一所懸命に生徒のことを考えてくださっていることが、子どもによく伝わっているようです。二期制というのも、ゆとりがあってよかったようで、勉強は嫌いになったはずなのに、大学で心理学を学びたいと、とてつもなく高い目標を持ち始め、今日も漢検を受けに行きました。
子どもの進路を考えると、親も不安であせってしまうのですが、子どもの人生はまだまだ長く、その子なりの未来が拓けていることをこれからも肝に銘じていこうと思います。 以上、私の息子のありのままの体験をお話しましたが、少しでも皆さまのお役に立てることがあれば幸いです。ありがとうございました。