2002年6月22日(一部訂正)
「中陣唯夫不当人事取り消し訴訟」は、みなさまの大きな支援を受け、これまで7回の公判を行い、次回の公判で結審を迎えようとしています。結審に先立ち、原告である中陣唯夫(本会代表)が裁判長に提出した「最終陳述書」を資料として掲載します(一部、ミスがありましたので訂正しました)。
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2002(平成14)年5月16日
最終陳述書
原告 中陣 唯夫
私は1966年(昭和41年)3月、国学院大学文学部日本文学科を卒業、同4月に神奈川県立商工高校定時制に国語科の教師として赴任しました。以来2000年(平成12年)3月までの34年間、厚木南高校、平塚商業高校と、いずれも夜間定時制に勤務してまいりました。
夜間定時制勤続34年の思い
当時の夜間定時制は、地方からの集団就職中卒生が多くを占めていましたが、新採用教師の養成所のようで、ほとんどの先生方は3年勤務すると「年季明け」のように、全日制に転任されたものでした。
私もそのつもりでしたが、その3年になろうとするころ、ある生徒が何気なく「先生、俺たちのことわかっているようなうまいこと言っているけど、どうせすぐ全日制に行くんだろう」と言った一言で、私は自分の教師としての甘さを見抜かれたように思い、全日制に異動することに後ろめたさを感じ、定時制教師に徹しようと決めました。
生徒たちがその年齢には重すぎるものを両肩に背負って、人生に直面している。そしてややもすれば、差別的な勉学条件になりがちなところで健気に頑張っている ― 。私自身が地方出身者で、学生時代から生活に目一杯の苦労をしてきたせいか、とても彼らの苦労を他人事とは思えなくなり、教師として34年間彼らと向き合って過ごしてまいりました。
夜間定時制勤務は変則的な勤務のため、通常の社会生活がむずかしく、家族と夕食をとれないとか、親子の落ち着いた時間がもてないとか悩みもありましたが、その一方で、生徒たちの姿を通して社会というものに少しずつ明るくなり、そこで格闘している生徒たちの位置を考えながら、定時制教師の生きがいを発見してきた34年間だったと思います。
こうした履歴の私ですから、定年退職にあと3年という残された期間、これまで生徒から学んできたことや、現代における定時制のもとでの教師のあり方について、これから整理し、自分なりに生後まで全力を尽くし、これからも定時制で教えていこうと考えておられる方々に少しでも私の経験を生かしてもらえたらという思いですごしておりました。
思いがけない『異動要綱』違反の内示
ところが2000年の3月、思いもかけないことに34年間勤続した夜間定時制の教育現場から全日制普通科への異動内示を、県教育委員会教職員課から受けました。
私は、前年の10月に提出した異動についての『意向調書』にも〈意向無し〉の旨を記載し、校長のヒヤリングでもそう答えていました。
何よりも私が驚いたのはこの内示が、県教育委員会と教職員団体 ― 神奈川県高等学校教職員組合(以下「神高教」)との労使間で協議のうえ定めた人事異動に関するルール ― 『県立高校人事異動要綱』(以下『異動要綱』)に違反していたことです。
私は当年57歳で「異動対象除外者」であり、教育委員会が特に異動を必要とする場合、「一方的な異動又は合理的理由のない異動を行うものではない」、つまり、その理由を明らかにしなければならないのです。しかし、それもない ―。とても承知できる内示ではないと思いました。
『異動要綱』成立の背景と運用状況
この『異動要綱』は、県立高校100校計画等、高校教育の状況が変化してくるに伴い出てきた人事上の問題点に、神高教が、〈神奈川の高校教育に責任を持つ〉〈学校間格差の弊害を人事交流で是正する〉との視点で、主体的に取り組んできたことがその成立背景にあります。
88年4月。こうした主体的視点に加えて、人事異動に要求される公平性、公正性、客観性、納得性を労使間で協議のうえ、「現任校勤続15年以上の者は異動することを原則とする。」を主内容とした第1次『異動要綱』が教職員に適用されました。
しかし、運用7、8年で、異動希望者の成立率が低くなるなど、その限界が現れました。そのため97年4月から、「同12年以上の者は異動することを原則とする。」を主内容とした第2次『異動要綱』を適用、今日まで運用されています。そしてこの内容は、冊子『人事異動ハンドブック』としてまとめられ、毎年度、全組合員に配布、教職員はもとより校長・教頭の管理職もこれを基に異動問題に対処しております。
労使の信頼関係を壊した異動の強行
それだけに、実施から10年を経過、その適用対象者が延べ約10万人を超えている『異動要綱』に反した異動が、私に適用されるとは思いもよりませんでした。
第2次『異動要綱』も、先に挙げた教職員の主体的な姿勢と、人事異動における要件を備えていることはいうまでもありません。だからこそ、今日まで労使間の合意の上に成立し、尊重、運用されてきたはずです。
こうした『異動要綱』の性格についての認識は、強制異動が明らかになった直後に、神高教執行部が、〈この不当人事は、@理由を明らかにしないままの異動の強行は、『異動要綱』の恣意的な運用となること、Aこれを許せば『異動要綱』の信頼性が失われ、同時に人事異動そのものの信頼が失われること、B人事が組合の組織攻撃に使われる恐れがあることの以上3点から、不当で大きな問題をはらんでいる人事である。〉と表明した『見解』にもよく現れています。
教職員の異動ルールの眼目
『異動要綱』成立の動機とその内容から、私は教職員の異動ルールの眼目は、次の点にあると考えています。
勤務条件としての人事異動は、教育意欲の向上、言葉を変えれば生徒との関わりを教育的により良いものに高めるものでなければならないと考えます。つまり、人事異動は職務上や個人的生活条件への影響に止まらず、教育成果を左右する重大な条件整備の側面を持っていると言うことです。この点で、「教育諸条件の整備」を本務とする教育委員会にとって、人事異動はまさしく教育成果を高める「教育諸条件の整備」の一つといえると思います。
決して特権的というのではなく、教職員の異動は、一般社会の人事異動とその性格と目的とするところが自ずと異なるものであるというところをご理解いただきたいと思います。
『異動要綱』の初心を踏みにじった異様な強制異動
こうした教職員の人事異動の性格のもとに、夜間定時制や教育困難校との人事交流を高めることも含め、〈学校間格差をなくし、神奈川の高校教育全体に責任を持つ〉ために衆知を集めて作られたのが『異動要綱』であり、だからこそ尊重され、運用されてきたのではなかったでしょうか。教育に責任を持つという点で、労使双方の信頼の象徴ともいうべきものであったと思います。それがそのまま、父母や保護者、県民の、教育界への信頼につながるものでなければならなかったはずです。
こうしてみてみますと、運用から10年を経過、教育条件の一つとして重きを置かれてきた『異動要綱』に反して、34年間、夜間定時制高校に勤続してきた私を、全日制普通科へと強制異動した今回の教育委員会の措置がいかに異様なものかおわかりいただけると思います。
問答無用の『異動要綱』違反決行
内示が出てから、問題人事として神高教執行部は県教委と交渉しましたが、異動理由を質しても無視する形で一切回答がなく、上層部の判断という感触らしいものがあっただけのようです。問答無用に異動を決行したのには唖然として言葉もありませんでした。
一般的にも、定年まであと3年の教員が転任を希望することはまずないことですし、異動を求める方でも、その教職員の異動がよほどその貢献を必要とする事情でもない限り、このような内示を出すことはないでしょう。校長が私の異動を県に上申した事実もありませんでした。
では、どうしてこのような『異動要綱』に反した、強制異動が私に対して敢行されてしまったのか。
報復人事の原因と思われる「修学旅行直前中止事件」のひどさ
ただ一つ、この強制異動に関連があるとすれば、私が前任校・県立平塚商業高校定時制で遭遇した「修学旅行直前中止事件」(以下「事件」)があり、これ以外には考えられません。
この「事件」は、申し上げますと概略次のようなことです。
発端は1999年9月、修学旅行実施10日前に、いきなり学校長と定時制教頭の管理職2名が、30年前に県教委が定めた『修学旅行実施規定』に「参加者基準70%」とあることを根拠に、〈50%の参加率ではそれに反する〉と、一方的に中止することを明らかにしたことです。
学年主任の私をはじめ学年団の4名は、〈○現実には基準以下でも本校も他校もこれまで実施してきており、定時制については「基準」は実情に合わなくなり死文化してきていること。○旅行準備をすでにしている費用損失の面、勤務先に休暇申請をすでに出している生徒が職場で信頼喪失するなどのおそれや混乱が予想されること。○中学まで不登校や「いじめ」で修学旅行の経験がなかったりよい思い出がなかっただけにこの修学旅行に『夢』をかけている生徒が少なからずいること。○不参加の生徒も含めて学校への信頼を失うこと。〉等々、教育的に大変な事態になることを管理職に訴えました。半数以上が20歳以上である生徒たちは当然の事ながら怒りました。一部には集団退学の動きさえ出かかりました。〈あの校長の名の入った卒業証書は受け取りたくない〉というわけです。
しかし、2人の管理職は〈この県財政危機の折りに、こんな参加率の修学旅行は非常識で、県民が承知しない。〉と〈非常識〉の言を繰り返しました。夜間定時制の教師として34年間、陽が沈んでから蛍光灯の下のもとで勉強する生徒たちの姿と事情を見続けてきた私は、この〈非常識〉との言を、とうてい承服できない響きを持った言葉として聞きました。そして本当にこれが〈非常識〉と考えるべきことなのか、社会一般の良識に問いかけてみようと考え、朝日新聞の『声』欄に投書しました。趣旨は、教育界の硬直した姿勢が、今日の学級崩壊や生徒にとって学校を魅力ないものにしている一因ではないか、との問いかけでした。小さな世界の事件だけれども、教育的に含んでいる問題はとても深刻であることを指摘したつもりです。
「実施基準」に20%不足するといっても、そもそも夜間定時制は少数者の世界ですから、6名が「基準」に足りないだけのことなのです。
このために参加予定者15名の青春から、修学旅行の「夢」を奪い取ってもいいのかということで、他の一般教職員もみな体を熱くして管理職に〈実施すべきだ〉と主張してくださいました。
しかし、最初に学年団が抗議した直後に、管理職は旅行社に「キャンセル料請求書」を電話で要求し、修学旅行中止を通告していたのです。それを私たち学年団が偶然に知ったのは、それから2日後でした ―。これが、「事件」のあらましです。
管理職の「更迭」とやり直し修学旅行
さて、県教育委員会は2名の管理職を処分せずに、むしろ高校専任主幹という役職を付して教育センターと教育委員会に「更迭」し、その一方で、私たち学年団には、修学旅行の再計画、実施を要請してきました。
そこで私たちは、もう一度生徒の希望をとったり、学校への不信から参加意志を喪失した生徒をなだめたりしながら計画を立て、3泊4日の「関西方面 思い出作り旅行」と銘打った修学旅行を、明けて2月中旬に実施しました。
旅行の1日目の夕方、拝観時間帯が冬季用であったのを添乗員が失念していたため、最後の見学地の三十三間堂はすでに閉門していました。門前に立ちつくしながら、それが頓挫した修学旅行を象徴しているようで、無念の思いとともに〈覆水盆に返らず〉の語が胸にわいたのを思い出します。それでも2日目、嵐山は渡月橋そばの甘酒屋で、母親と苦労してきた女子生徒の結婚の相談を受けながら一緒に飲んだ甘酒の味は、思い出とともに今にのこっております。今彼女は若い夫とともに必死に家庭を営んでいます。
こうして、とにかく無事に修学旅行を終え、3月1日の卒業式の日も、私の教師生活最後の担任としての卒業式だとの感慨にふけり、後3年で定時制教師の生活を全うできると、心の安らぎさえ感じておりました。
生殺与奪の権をふるった「尊厳」毀損の強制異動
ところが、その翌日にこの訴訟の端緒となった強制異動の内示が出されたわけです。定年退職前の3年間で、34年間経験のなかった全日制高校で、どういう教育成果をあげようということだったのでしょうか。『異動要綱』の「57歳以上 ― 異動対象除外者」規定も、定年退職3年前の教職員の立場を理解したものであったはずです。
私に何の非があったというのでしょう。私が学年主任として、また教師として完璧であったというつもりはありません。かといって反対に、処分めいた強制異動をされるいわれは全くないというしかありません。
美点もなく凡庸な一教師にすぎませんが、ただ生徒と向き合うその時が、自分の培ってきたすべてを一番細心に、緊張して集中的に発動するときだと信じ込んで34年間、試行錯誤しながらこの職業に携わってきました。虚仮の一念といわれるものにすぎないかもしれません。
しかし、どのような職業でも、その経験を培いながら専門性を高めていくものですし、それがあってこそ、人は自己の人生に確信や完結性がもてる存在になるんだと信じます。人は口に糊するためにだけ生きることを肯んずる存在では決してありません。そのことを人は、「誇り」として自覚し、侵害してはならない「尊厳」として尊重し合うのです。
この「尊厳」を強制異動によって毀損した県教育委員会。教育法学者も危惧する、肥大化した『管理運営事項』の教育長への権力集中。これが〈裁量行為〉〈人事管理上の措置〉との言で、融通無碍な生殺与奪の権となり、私への強制異動となったと考えています。
「不利益処分」による訴えでは、その目的が個人的利害の範囲に止まってしまうので、『異動要綱』により教職員、さらに〈神奈川の高校教育を守る〉うえから、第三者機関であるはずの県人事委員会にたいして、この運用違反に対する「措置要求」を行いました。
ところが、〈転任は任命権者がその判断と責任において行うべき『管理運営事項』であるので措置要求の対象にはならない〉と、教育長の運用違反を追認して「門前払い」をしたわけです ― 。私は〈『管理運営事項』をその判断と責任において行うべきところを行っていない〉と認識したからこそ、その公正な執行を求めて「措置要求」したのです。
私は、このままにしては、教職員は異動にかかわって身分が脅かされ、それがひいては教育活動を広くゆがめることになると考え、「『措置要求』却下の決定」の取り消しを求めて、県人事委員会を提訴したわけです。
第三者機関のこの姿勢では、私ならびに私たち教職員の身分はどこで、誰が救済してくれるのでしょうか。教職員のみならず、誰であれ、社会的に「木の葉」より軽い、このような身分の扱いがあっていいわけがありません。
誰にとっても意味のなかった不公正な強制異動
この強制異動は、誰にとって教育上の意味があったのでしょうか。もちろん私にとってではありません。むしろ私には不当な異動に加えて、教育に直結したものではありませんが、高血圧症の持病をもつ妻の通院介助が、全日制への強制異動でままならなくなりました。これは人事委員会に訴えましたが一顧だにされず、今も不都合に悩んでおります。
それでは生徒にとってでしょうか。それとも生徒の保護者にとってでしょうか。
中学の時にいじめにあって、教師にも学校にも不信感いっぱいで定時制の入ってきて、4年間それをほぼ克服するかにみえたその時に、この「事件」で挫折させられた生徒は、私の転任の件を聞いたとき、〈これはいじめではないか。教育委員会がこんなことをしていいのか〉と一日中荒れていましたと、保護者からお聞きしました。
生徒たちの反応は末尾に資料として添付しましたが、これは年輩の生徒が、他の生徒たちの事件の感想を取りまとめて、担任の私に渡してくれたものです。その一部をここに転載します。
○正直言って、小中学校の時、いじめで登校拒否をしていたが、とりあえず、修学旅行は行った。
けれども友達もいなかったから、何一つ楽しい思い出はない。定時制に入ってから、友達、先生に恵まれて、やっぱり修学旅行は、4年間がっばって行くもんだと思ってたし、本人だけじゃないく、親もすごく楽しみにしていた。しめくくりじゃないけど、やっぱりパァーと行きたかった。それと、校長、教頭に対して、怒りのやり場がない。教育者として無責任すぎる。教育委員会の方も。「たかが定時制」という態度をもっているのじゃないかとも思う。学校という一つの社会の中で、人の上に立つ者のやることじゃない。ひどくブジョクされた気分。ちなみに私は、積み立てしてなかったから、本当は卒業した後、使おうと思っていた定期預金を解約してまでお金を都合した。できるのなら、損害ばいしょうてもらいたい。腹立つ。
○修学旅行なるものは、もう二度と体験することはないと思い是非とも4年間の良き思い出の一コマとし、楽しい旅行を描いていました。突然の中止、しかも教職員以下を切り捨て、人の心というものを踏みにじられた思いです。
教育とは学問と心、その両方が育てられる場であるはず。なんと野蛮なやり方で我々の夢がうちくだかれて終わったのか、残念で仕方ありません。民主主義の世の中で、しかも教育の場で、とても残念です。残された期間で、この嫌な思いを塗り替えられる、学校生活が送れたらと切に願っています。
(修学旅行の予定日程だった)24日〜27日の4日間は仕事(治療)を断り、患者さんたちに迷惑をかけて終わりました[50代の生徒で、整体士として開業]。
○今、テレビなどで教育問題がよく取り上げられているけど、まさか、自分の通っている学校で、今回起きたようなことが、身近で起こるとは思ってもいなかった。
○私は中学の時、不登校で修学旅行にいっていません。だから、今度こそは、行けるとおもったのにこんなことになっちゃってすごく、かなしいし、くやしいです。みんなで、いい思い出つくりたかったな。
○校長は70%にこだわっていたが、じっさい県の方では定時制で70%以上は、むずかしいことがわかっているのだから、その基準をいつまでも変えないでいるのは、どうかと思う。また、修学旅行に行くのは生徒なのだから中止を決める前に生徒と話し合うことがじょうしきだと思った。でも先生たちがしんけんに話しいるところみて、少しだけ、修学旅行に行く気になった。それと先生たちのちがう面をみれてよかった。
○私は、今回このようなことになってしまってすごく悲しかった、と同時に校長先生、教頭先生に対して、怒りと不信感を感じました。私は中学の修学旅行は良い思い出がないので、すごく楽しみにしていていたのに、あと10日前に控えているのに中止と聞かされて「どうして」と疑問に思いました。あとで校長、教頭の独断で中止を決定したと知り、2人に対し私はすごく腹を立てました。高校生活の最後の楽しみが奪われてすごいショックでなりません。
○私は中学の時、不登校で修学旅行に行って、楽しい思い出が一つもありませんでした。定時制高校に入り、はや4年。修学旅行シーズンに入り、「さぁ、今回こそは、楽しい思い出を」と思った矢先、こんなことになるとは、思ってもみませんでした。
○29日の説明会での校長の話ははっきり言って理解できませんでした。校長の口から出る言葉はみな、70%に達していないから、人数が少ないから、ルールだから。返事は同じ。しまいには、うそを言ってまでいいわけをする。一体、なんなのでしょうか?なんなのでしょうか校長って。旅行へ行けなくなったのは私たちなんですよ。かってに、一週間前に中止にされて、ルールだから、人数が少ないからで私たちが納得するとお思いなんでしょうか?あそこまで校長が、自分勝手だと思いませんでした。
その後の卒業生と父母、同僚の先生方、県民の反応はこうしたものでした。
【卒業生】
○中止されたとき、先生が一生懸命になってくれたから、迷惑をかけるんじゃないかと心配したが、こんな形で先生が他の学校に飛ばされるなんて。「よくやるよ」と腹が立ってしょうがない。それでも教育委員会ですか。
○えげつないことをするもんですね。何を考えているんでしょうか。落ち着いた静かな学年だったのに、あんなこと(=中止事件)をされて迷惑だった。先生、体に気をつけてがんばってください。
【保護者】
○まず「なぜ?!」というのが実感です。問題を起こした校長・教頭さんは役職付きのままにしておいて、子供たちのために奔走した先生方が無理やり他の学校にやらされるなんて変です。県の教育委員会の態度は矛盾しているし、不信感でいっぱいです。
○こんなに面倒をみてくれて、安心して預けられる先生で、子どもは幸せでした。娘に「そんなにいい先生なの」と聞きましたら、「そんなにいいの」と言いました。娘はいじめに会い弱っていて、定時制に入れるのはカケだったんです。平商は、いい先生がたくさんいるからと、知人の息子さんにも行くようにすすめました。今、良かったと喜んで定時制に通っています。でも先生がいなくなったんですよね。先生に対してこんな失礼な話があっていいんですか。生徒が卒業したら飛ばすなんて、陰でやるようなキタナイやり方です。
【同僚・教職員】
○2学期も、あわただしく過ぎてゆきます。9月21日の朝日の声欄のご文章を目にしました。お役人の考えることは、何と貧しい発想かと、あらためて思いました。中陣さんの声が届かない県の教育行政は、将来がない。教育の内容まで、ズカズカふみ入ってくる。日の丸君が代もしかり。ひどくなってゆくばかりです。修学旅行問題、たいへんですね。健闘を祈ります。何か、お手伝いできることがあれば、お申しつけ下さい。それにしても、校長、県教委。形式主義には、あいた口がふさがらない。生徒の意向や信頼関係をどう考えているのだろうか。
○予想はしていたが、あまりに子供じみた当局の対応。突然、異動要項を無視し強制異動させた県教委の狂気と理不尽さ。そして、裏に潜む大きな力。私はつぶさに現場をみた組合員として、強い怒りと不安を感じる。
○このような不当人事が容認されるのであれば、今後我々は良心を持って教育に携わることができません。生徒への責任はどうなるのでしょうか?県教委が人権教育とは、悪い冗談というほかはありません。
【市民・県民】
○とんでもない校長・教頭が存在した。勇気を持って正義を実行した者に、おかしな処分が下りた。神奈川の教育の危機。直そう。
○何を焦ってるんだろう教育委員会は。先生方に同じく公正に適用されるはずの『人事異動要綱』を無視した超法規的な人事発令をするとは。子どもたちの教育に責任を持つべき教育委員会が、もっと冷静沈着であってほしい。特に青少年の事件がこれだけ深刻な時に、教育委員会が「ナンデモアリ」の超法規的な世の風潮に煽られているようなことをやっていいわけがありません。
背後の圧力を思わせる県教委の不公正人事
ここにみられる各方面の人々の反応は決して特異なものではなく、ごく平凡で健全な社会生活のうちに培われた良識の声だと思います。
このような良識ある激励の声を知る時、問題を起こして責任を問われなければならない2人の管理職を処分なしとし、教育に携わる者として当然の姿勢をとった教員2人を報復的に異動させた措置は、とても不公正なものだと誰もが感じとるところです。県教育委員会の背後に、この「不公正」を迫る勢力の圧力があったと考えざるを得ません。
こうしたことが是認されるならば、教育や学校、教師に対して、特に生徒や父母がどんなに幻滅のに悲哀を持つか ― 。そう考えると、私はいたたまれない気持ちに駆られるのです。
訴訟の動機と卒業生への思い
最後になりましたが、私は、定年まであと一年もありません。
そんな立場で敢えて訴訟に踏み切った主な動機は、○教師37年間の有終の美を飾りたい私自身の思い。○中陣がんばれと支援して下さる卒業生、父母、組合、教職員の同僚のみなさん、そして知人・友人、さらに各方面の方々から寄せられている激励に応えたいとの気持ち。○公教育に対する信頼を、特に生徒や父母・保護者から失ってはならないといつ切実な判断。○人格を軽んぜられた生徒の名誉をきちんと回復したいということ。○現場で教育活動に奮闘している特に若い先生方に、このような理不尽なことで身分を脅かされるようなことが二度と起こらないように願って、この訴訟判決を「置き土産」にしたい、等と考えたからです。
また、いまは大変な不況で卒業生たちも必死ですが、私は必ず10年後か20年後に、中止されてしまった北海道方面への修学旅行を当初の計画通りに忠実に実現したいと思っています。彼らの奪われた「夢」を引きとって温め、定年退職後に私がやらねばならない大きな目標の一つとして、彼らと実現させる決意でおります。
卒業生たちは50歳に近く、私は傘寿を迎えているかもしれません。
行き届かず、また礼を失した陳述箇所があるかもしれませんが、よろしく私の訴えの本意とするところをご理解いただけますようお願いしまして、私の陳述を終わります。