2003年5月29日

 中陣不当人事取り消し訴訟(「勤務条件に関する措置の要求に対する決定取消請求訴訟」)は、この3月に集結しました。裁判終結にあたって、原告の中陣唯夫(本会代表)が神奈川高教組中央委員会において行った挨拶を資料として紹介します。


中陣訴訟を終えて   神高教中央委員会での挨拶

当事者責任を果たさなかった神奈川県教育委員会・人事委員会・横浜地方裁判所

夜間定時制へ復帰(再任用)は、一つの「成果」


中陣唯夫(大秦野高校・定時制)


 第204回中央委員会にご出席の委員の皆さん、ごくろうさまです。
 私はこの3月末日、秦野曽屋高校を最終勤務校として37年間勤涜(夜間定時制高校3校・34年間十全日制高校1校・3年間)の県立高校教諭職を定年退職しました。
 現在、再任用教員として大秦野高校・定時制に勤務しております。これは、高教組の組織事案として支援いただき闘って参りました中陣訴訟の一応の「解決」の緒果であります。

 2000年4月の不当配転以来、前任校の平塚商業高校・定時制のみなさん、3年間組合の仲間、同僚として支えてくださった秦野曽屋高校の皆さん、組合員の方々、そして組合本部執行部のみなさん、公判には必ず傍聴してくださったOBの方や先生方、また、何度も総会で訴訟報告の機会をお与えくださった秦野・伊勢原支部の皆さん、そして野村先生、岡田先生お二方の弁護士さん、さらに知人・友人、市民運動の仲間の皆さん、県外から声援を送ってくださった教育訴訟を闘う先生方、教育学者の方々等々。今日までのご支援ありがとうございました。この場をお借りしまして、衷心より厚くお礼申し上げます。

 さて、皆さんへの謝意と責務に代えて、中陣訴訟とは何であったのか 一 これを強制異動の不当性と県教育行政にみられる問題、福岡判決の性格、さらに予想される「教育」の状況に即して私見を述べてみます。

 私の不当配転は、1999年9月の平塚商業定時制・修学旅行直前中止事件 一 学校長と定時制教頭が生徒や教職員に隠して、修学旅行直前に30年前に県教委が定めた「参加者基準70%」に達していないことをタテに中止してしまった事件 一 に端を発しています。

 2人の管理職は専任主幹の肩書きを付けて名目的に「更迭」。この時、学年主任であった私を事情聴取した県教委は何ら「反応」を示さなかったにもかかわらず、年度末にいきなり『県立高校人事異動要綱」(以下『異動要綱』)に反して「異動対象除外者」である私に対し、34年間動続した夜間定時制から全日制への異動を内示、そのまま〈聞く耳持たぬ〉姿勢で敢行したのでした。っまり一種の報復人事を行ったわけです。

 この時点でも今日までも〈教育委員会が特に(異動を)必要と認めたものについては、一方的な異動又は合理的な理由のない異動を行うものではない〉との確認事項があるにもかかわらず、異動理由を全く明らかにしていません。ここにも、報復人事の性格が表れています。県教育委員会は〈神奈川の教育に責任を持つ〉との立場で神高教と協議、確認したはずの[異動要綱』とその信義関係を破棄したわけです。

 一般にも、人事異動は学校の教育条件および身分保障と密接なかかわりを持っものであり、教育長の「管理運営事項」ですませられる問題ではありません。かつての労働省(当事)局長通知にもそうあります。
 判例上、公務員の転任措置は行政処分とされているのですから、その理由を明らかにする義務は『異動要綱』によらなくてもあるわけです。そして、こうした不当・不利益な人事異動に対して制約された労働基本権の下にある公務員の救済制度として人事委員会があり、審査請求ができる事になっているはずでした。

 ところが、県人事委員会に「転任理由の提示と転任命令の撤回」の措置を求めたところ、〈理由の提示は給与、動務時間その他の勤務条件に関するものではないから、また命令の撤回は任命権者がその判断と責任において行うべき管理運営事項であるので、ともに措置要求の対象にはならない〉一・つまり第三者的な救済概関として役割を果たすのではなく、県教育委員会の〈『管理運営』の絶対化〉を押しつけるという驚くべき判断を平然と示したのです。中陣訴訟は、こうした発端と前段を経て闘われたものでした。

 戦前の中央集権的な国家主義教育体制を排し、教育の「地方自治」を実現するために創出されたはずの公選制の教育委員会制度が、48年の発足からわずか8年の56年に任命制の教育委員会制度 一 「地方教育行政の組織及ぴ運営に関する法律」(地教行法)に代わってから約半世紀。それは〈教育界を『いつか来た道」に退行させ〉、〈教育を特定勢力の支配下に『奉還する』ための半世紀〉だったと言われますが、今日の教育行政が当座性・不公平性・保身性・無謬性、そして、一般行政と何ら選ぶところのない官僚性に浸食されているところに、その「成果」の一つを見る思いで私はおります。

 当座をしのぐ[修学旅行実施規定』への対応、問題の管理職の「更迭」は〈学校正常化のための措置で処分ではない〉とし、問題のない一般教職員を〈人事で始末をつける〉不公平性、年度末人事で関係者のおおよそを異動させて幹部官僚の責任を糊塗する保身性、教育条理に暗くても「管理運営事項」をかざして威を振るう無謬性、これらが合流、収斂したところに抜き難い官僚性がはびこっていると思われます。

 こうした弊害の具体例を、修学旅行事件を起こした二人の管理職に関してみてみます。校長(当時)は前任校で受検生に対し差別的発言をして物議を醸し、県教委が厳重注意した人物。にもかかわらず、なぜ更迭せず2ヵ月後の新年度に、平塚商業高校に校長のまま転任させたのでしょうか。
 定時制教頭(当時)は、着任前は教育センターで教育相談室長を務めていましたが、中学時代に不登校だった女子生徒に対し人権間題を起こし父母より厳しく抗議され謝罪を求められた人物。にもかかわらず、県は「更迭」の翌春には全国高文連・神奈川大会の事務担当に登用しています。人権侵害と高文連大会事務方、何かミスマッチを感じるのは私だけでしょうか。
 どうしてこんなことが罷り通っているのでしょうか。まず指摘されねぱならないのは、任命権者 一 教育長が人材登用の不明を認めないぱかりか、その責任をきちんととろうとしなかったことです。むしろ、自己を取り巻く状況を打算的にとらえ、官僚的姿勢をはばかるところなく発揮したと私には見受けられます。

 弊害の具体例は、前教育長・小森良治氏自身にもあります。昨年春、高校再編絡みで夜間定時制の募集定数を過剰に縮減したため多数の不合格者が出て、大騒動になった事がありました。氏はこの時〈門戸を叩いた子に入り口を閉ざしてはならない〉と言って緊急対処しましたが、収拾しきれない面が残り、責任は免れないところだと思います。ところが、氏はこの「事故」の直後に、県立神奈川リハビリテーション病院七沢リハビリテーション脳血管センクーの理事長に収まりました。っまり定年退職後に「天下る」のは既定のことだったのです。

 この2,3年間に急展開されている県教育委員会の異様とも思える、〈県民が見ている〉という脅迫的なフレーズを挺子に強化されている「服務」の名による管理統制 一 、それは教職員の教育活動の「核」と私生活・健康さえも損ねかねない非道なものですが、その一方で、この体制作りに辣腕を振るってきた責任者 一 前教育長自身は「事故」の責任も任命権者として「教職員の不祥事」についての責任も取らず、退職後の自己計画として県関連施設に理事長として「天下っ」ている 一 。
 教職員の状態とこの前教育長の姿勢とを対比させた時、私は怒りを抑えることができなくなるのです。

 〈正道を説きながら、自らは邪道を取る〉、こうした官僚的身勝手さ、不公正さを、「個人攻撃」との謗りを恐れながらもあえて指摘するのは、このような教育官僚の姿勢が、上意下達の「学校教育計画」の押し付け、「指導力不足」教員への対応や今年度から実施の新たな[人事評価制度」などの基底に働いている、働くだろうと危倶するからです。因みに小森氏は「県政功労者」として顕彰、記録されています。
 こうした官僚本位・不公正の払拭を組合が当局に迫ることも、管理統制問題と闘う大切な前提ではないでしょうか。


 さて、中陣訴訟の判決が昨年暮れの26日に横浜地方裁判所(福岡右武裁判長)で下されましたが、判決は〈原告の訴えを却下する。訴訟費用は原告が負担するものとする。〉というもので、この間わずか10秒あまり。40名をこえる傍聴者は、この木で鼻を括ったような判決にしぱし狐に摘ままれたような体でした。

 高教組執行部は同日付で「神高教抗議声明」を出しましたが、この判決の性格を指摘している箇所を以下に抜粋してみます。

「異動の理由については勤務条件とは言えず、また転任処分は管理運営事項であり、措置要求の対象にはならない。」という不当な判決を行った。県教委に対して人事異動の理由を明らかにせよとした措置要求を管理運営事項であるとして認めなかった県人事委員会の主張に沿った本判決について、神高教として強く抗議する。
 人事委員会の役割を過小に評価する本判決には承服できない。異動理由は勤務条件ではないとしながら勤務条件がいったい何かには言及せず、また、人事異動が管理運営事項として本件の人事異動が勤務に与える影響などにも一切蝕れていない。そのような意味で、本判決は論理性に欠け一方的である。人事委員会は、労働基本権が制約されている公務員の代償措置として存在するものであり…人事異動上の問題においても、申し立ての詳しい根拠や本人の主張に耳を傾けず、管理運営事項であるとして措置要求を門前払いにすることは許されることではないと考える。」

 妥当な抗議声明ですが、私の理解の範囲を重ねますと、この判決は〈一種の労使協定に当たる『人事異動要綱』が、外部から攻撃の対象になることを避ける判断をしながら、その一方でこの労使脇定に当たる『人事異動要綱』を勤務条件法定主義に則って真正面から取り上げると、その影響が波及して大変なことになる〉という二つの側面を勘案して、結局のところ、原告(私)の請求する〈人事委員会は、勤務条件である転任の基準(『人事異動要綱』)に即した人事行政を行うよう県教育委員会に勧告すること、また、(それに従わないなら)その転任理由を明らかにすること〉についての判断を避けたものであったと思います。

 しかしもう一歩踏み込んでみますと、むしろ〈行政に弱い裁判所〉の風評を裏付けるようにこの判決は、〈転任は任命権者がその判断と責任において行うべき管理運営事項だから措置要求の対象にならないから却下する。これを却下した判断は本件の転任自体を勤務条件としての側面を持たないとした。この判断は正当だから、異動取り消しを求める原告の請求は、その余の点について検討するまでもなく、理由がない。以上の次第で、請求は棄却を免れない〉、端的にいえぱ〈転任は任命権者の管理運営事項だから勤務条件ではない、(だからこの異動は正当である)〉というわけです。こんな専断的で、第三者的機関である人事委員会の責務を免除した判決があるでしょうか。傍聴者がしぱし狐に摘ままれたようになったのはご理解いただけると思います。まるで役柄を忘れた役者が頭を抱えて舞台下手に駆け込んだような、無様な判決であったというのが私の印象です。

 つまり、県人事委員会が第三者的概関の立場をなげうって、『人事異動要綱』の転任基準と乖離した報復的人事を行った県教育委員会の「管理運営事項」を全面容認し、それと同じ「丸投げ的」判断を今度は司法の地方裁判所が行って、被告の県人事委員会を「救済」したと私は考えています。
 行政と司法は公正な関係にあるのか。議会と行政の癒着、そしてその行政と司法の関係が結局のところ、地方政治の力学に関与しているのではないか 一 。思わずこう口にしたくなるような判決で、教育法理の援用など考えもつかないように、ただ「管理運営事項」に鼻面を取られたような、理非明快な法理的で教育諭的省述など全く欠いた、政治臭さえする後味の悪い判決でした。
 それだけに当初担当した前任裁判長が、〈(人事委員会が県教委の問題人事を容認した場合)原告をどこが救済するのですか〉と、反語的に述べた言がとても新鮮に想起されます。彼は教職員を保護すべき現行法の運用が、現実には「糠に釘」になっていると危倶していたのかもしれません。

 その危倶を証左するかのように判決は〈請求は、その余の点について検討するまでもなく、理由がない〉と述べ、私が三度[陳述書」で述べてきた〈とりわけ教育に携わる者の転任は教育的見地からの配慮が大切だ〉との点について、顧慮する姿勢を全く欠いているのです。この「配盧」は、教育への不当な支配の禁止(教基法10条1項)とも関連して要点の一つですが、全く踏まえられていません。
 今日の裁判官が一人約300件もの訴訟事案を抱えていかに多忙であるか、といわれる現状があるにもせよ、一冊の教育関係書にさえ目を通さず、ただ判決の「塩梅」を測りながら演澤法的に判決文を書いたであろう怠惰と、壊死していく司法界の一断面とを、判決文を繰り返し読んだ私の嗅覚は嗅ぎつけてしまっています。

 行政と議会に失望しても〈国民の権利保障と国家の法秩序維持という二つの機能を矛盾なく果たし〉てくれる裁判所があると信じていた私は、今は神奈川県の行政・議会・司法が三位一体となっている、言わぱ、カラクリ箱の秘密を見てしまったような思いでおります(もちろん一面の真実でしょうが)。
 したがって私は、この判決は「不当判決」というにも当たらない、言うなれぱ、裁判長の名を冠して「福岡・任務放擲判決」または「福岡・三権癒着判決」とでも呼び慣わすべきものだろうと思っております。


 私は判決から二週間後に東京高等裁判所に控訴しましたが、関係方面の尽力もあり3月、私が要求していた夜間定時制への異動内示が再任用ですがありました。これを受けて、この訴訟を進めてきた関係者と協議の結果、「仕事を取ること」を優先して内示を受諾、控訴を同時に取り下げました。この判断には私の定年退職で「訴えの利益」がなくなり、裁判の見通しが極めて難しくなったことも勘案されています。

 この対処、「決着」には、様々な見解があるかと思います。ただ現在の私の立場では、冒頭の挨拶の思いを衷心より申し上げるのが、皆さんに対する一番真っ当なあり方だと思っております。
 中陣訴訟の意義も含めて、この訴訟全体についての分析・総括については、なお一定の時間の経過を要するのではないでしょうか。原告として闘ってきた私としましては今は、中陣個人の手を離れて「一人歩き」を始めている中陣訴訟を通して、先に繧綾申してきました私たちを取り巻く神奈川県の教育行政や「教育基本法」改悪問題などを考えていただくことでもあれば、これに勝る喜びはないと考えております。

 私たちには権力もお金もありません。そうした私たちがこれからを切り拓いていくには、〈誠実さと知恵と見識、行動力 一 。これらを誰の立場で磨いていくのか、磨かねばならないのか〉。私たち銘々が、こうしたモノローグを反芻しながら団結していくことが今、とても大切になっているのではないでしょうか。
 私自身もこのモノローグを繰り返しながら、「外野」から皆さんと連帯していくつもりでおります。

 最後に神高教のご活躍と皆さんのご健勝を祈念し、お礼の挨拶と致します。ありがとうございました。

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