労働と学習を並行し、ゆっくりと丁寧な時間が生徒を育てる ―  定時制高校から


                                   横浜翠嵐高校定時制教諭     松藤 哲


 「(前略)定時制の仲間も、何らかの理由ではじき出された人たちという共通のものがあった。(中略)(しかし)学校の受け入れ体制が違っていた。派手な服装の生徒であっても、うまく主張できないのを服で主張しているんだということを、先生方はわかっていた。

  授業も(中略)つめこみでなくじっくりと確実に理解できる方法で教えるやる方は、とてもわかりやすく、学ぼうという気持ちになる。一年のつっぱりも、派手派手も、一年すぎた頃には、おちついて、仲間は頑張ろうに変化していった。ここのところを先生方はわかっていたものと思う。(中略)

 (青少年の問題行動を報ずる)マスコミ報道を見聞きするたびに、教育の現場定時制の仲間の人達や学校の良さを伝えてあげたいと思う。(攻略)」(後述の50才の生徒の作文より)

  仕事に疲れた体で聞いていた授業が終わった。これまで学校の勉強に自ら取り組むことなどなかったと思われる少し回り道をしてきた男の子が2人、少し勉強のできる現役入学の男の子に、授業でわからなかったところを質問している。現役の子は、2人に対し敬語を使いながら、親しく教えている。こんな光景が毎日見られるようになった。

  中学ではほとんど相手にされてこなかったかなりの低学力の女の子が2人、こちらも数学が苦手の50才の女性(生徒)に引っ張られて教師に質問にくるようになり、それまでお情けでもらっていた合格点を何とか実力でもらえるようになった。この50才の女性は、社会生活での矛盾や疑問に対する自分の無力さを痛感し、子育ての一段落を期に、定時制の門を叩いた。彼女の学ぶ意欲が学級に与えた影響は大きい。中学で不登校だった生徒が何人もいるが、異なるものを認めあう定時制の雰囲気の中で通えるようになり、他人と話ができるようになったり、文化祭に主体的に参加するようになったりしている。

  以上は私が担任した学級の3、4年次の様子の一部である。こうした落ち着いた雰囲気ができるまでには、暴力で支配しようとする生徒に対するとりくみをはじめ、教師集団の膨大な努力の積み重ねがある。また、仕事と学習の両立が難しかったり、遊びの誘惑から抜けきれなかったりして退学したかなりの数の生徒たちの存在がある。以下、とくに私の学校に限定せず、神奈川の定時制高校(夜間)について述べたい。

  定時制高校の現状とその特長

  定時制高校は、さまざまな理由から働きながら学ぶ青年に対して、教育の機会均等を保障するための場である。青年期に働きながら学ぶことは、働くことの意味や誇りを知る、実際の社会と結びつけて学ぶことができるなど積極的な意味を持っている。現在の定時制では、かつてと比べ当初から働いている生徒は少ない。しかし、学年が進むにつれて働く生徒は多くなり、全体では約6割が働いている。その就労形態は、パートやアルバイトが多数を占めている。

  詳しくみると、今定時制では、次のようなさまざまな生徒たちが学んでいる。少数だが、経済的・家庭的な理由で働かなければならない生徒たちがいる。近年では不況の影響もあり、その数はふえている。働かざるえないわけではなく、働きながら学びたい、自分にはそれがあっていると希望して定時制にくる生徒たちがいる。一定期間社会に出て、改めて学びたくなったり高卒の資格を取りたくなったりして、定時制の門を叩く生徒たちがいる。そして、全日制を希望したが受け入れてもらえず、やむをえず定時制にくるかなりの数の生徒たちがいる。さらに、別の高校を退学して、定時制にくる生徒たちがいる。

  こうした中で、基礎学力が不足している、学習意欲が少ない、基本的生活習慣に欠ける不本意入学である、などの課題を抱える生徒がかなりの部分を占め、入学当初は、学校に出てこれない、授業が成立しにくい、などの現象が現れる。しかし、教師集団などによる努力が続けられる中で、次第に定時制教育の良い面が発揮されてくる。

  様々な職業や年齢の生徒がいて互いに教育力を発揮する、大学進学のための競争による歪みがない、4年かけてゆっくり学ぶ、1日の学習時間が短い、学級の生徒数・全校の生徒数が比較的少なく教職員と生徒のつながりが深い、互いに異なるものを認め合う雰囲気がある、少人数や到達度別集団などで基礎学力をつけることに力を注いでいる、制服がなく校則も最小限である、などが定時制の特長といえよう。

  こうした特長があることによって、定時制教育は、様々な課題を持つ生徒たちの「これまでの学校生活で失わったものをとりもどすための場」や「やり直すための場」になっている。特に、中学校で不登校だった生徒の場合は、その7〜8割が登校できるようになる。また、定時制では、授業の中などで、本質的な質問、鋭い質問が出されたり、討論ができたりする場面が、いわゆる「進学校」においてよりも多いように思われる。このことは、大学受験による歪みのない・働いていることによる現代社会の生きた課題と結びついた・本質的な学習が行われている、もしくは行われうることを示していると思う。

  最後に、大きな課題として、進路保障の問題がある。不況による求人の減少など、進路保障における困難が増大している。

  定時制の良さを生かす教育課程・教育内容

  前述した定時制の良さを生かし発展させるためにはどのような教育課程・教育内容が求められるだろうか。

(1)生徒の自信回復のための授業の工夫

  定時制で学ぶ生徒の多くは、これまでの学習のどこかでつまずき、自信をなくし、勉強嫌いになっている。そういった生徒には、ささいな事項でも「分かった」という喜びを体験させることが何より大切である。そのためには、低学年(とくに1年次)の授業に基礎的な内容を多く取り入れ、また少人数講座や十分な配慮を前提に到達度別授業も含めた工夫が考えられる。

(2)現代社会の生きた課題と結びついた授業の工夫

  たとえば、労働基準法を取り上げ自分の仕事の実態と照らし合わせてその矛盾を考えさせるなど、現代社会の生きた課題と結びついた授業は、定時制の良さを生かすことができる。以上のような授業が求められており、実際に行われている。これらをさらに充実させていくには、後述の教育条件の整備が不可欠である。

  一方、県立高校将来構想検討協議会においては、修業年限の弾力化(3年卒業制)、諸制度の活用、「単位制」の活用とが打ち出されている。 定時制では、様々な課題を持つ生徒たちが、1日4時間で4年間というゆっくりしたペースの学校生活の中で自信をとりもどし、立派に成長し卒業していっている。これを3年で卒業させるために、1日の授業時間数を増やしたり、通信制との併修で単位を取らせたりすることは、生徒に過重な負担をかけ、結果として不登校や退学をふやす可能性が高い。また、現在進められようとしている「単位制」高校は、学習の系統性を保障しない。教職員と生徒・生徒相互のふれあいによる成長が不十分になる、などの問題がある。3年卒業制や「単位制」高校は、現在の定時制で学ぶ生徒たちにはふさわしくない制度であると思う。

  求められる教育条件の整備

  定時制の良さを生かし発展させるには、教育条件の整備は不可欠である。
(1)学級定員   1学級の定員は、1人ひとりの生徒にゆきとどいた教育ができ、同時に集団の中で他の生徒と様々な関係が結べる数であってほしい。現在の35人は到底そのことを保障していない。20〜25人が上限であろう。

(2)教職員の配置   様々のハンディを抱えた生徒たちのために、全ての定時制における養護教諭の専任化は待ったなしの課題である。また、教育課程の様々な工夫に必要な教職員定数、講師時間の増加、事務職員・司書の適切な配置も求められている。

(3)施設・設備   多くの定時制で、グランドにおける体育の授業や部活動は、きわめて不十分な照明のもと、危険な状態で行われている。全ての定時制におけるグランド照明の抜本的な改善は急務である。定時制用ロッカーの設置、教室をはじめとする定時制専用教室の充実も求められている。

   定時制の統廃合について

  県は、定時制高校を教育改善重点校とそうでない学校とに分け(このこと自体、不当なことである)、後者については入学者が2年連続15人以下になったら募集停止という方針を強行してきている。すでに、川崎工業、小田原城東、小田原場内箱根分校が募集停止され、来年度には三崎高校定時制が募集停止されようとしている(99年度入試で募集停止となった)。

  だが、生徒たちの最後のよりどころである定時制高校は、働きながら学ぶ生徒のため、また様々なハンディを抱えて近くの学校しか通えない生徒のために、少々生徒数が減っても、県内各地に散在させるべきである。経済効率が優先されて「弱者」が切り捨てられることがあってはならない。2年連続15人以下という全国的に見てもきびしい基準で統廃合が進むことは余りにも問題が大きい。

  なお、全日制を希望したが受け入れてもらえずやむを得ず定時制に来る生徒が全県で数百名いる。この生徒たちは、希望を尊重して全日制で受け入れるべきである。そのために全日制の計画進学率を希望者の率にまで即刻引き上げることを強く要求する。



  『ここに教育の水脈を見つけた ―  高校生が育つ県立高校を!』(神奈川高校教育研究会議編)に掲載された論文を、編集者と本人の同意を得て転載しました。

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