2000年12月6日

2000年度 教育講演会  
不登校・登校拒否をどう理解するか
連載 @ 太いロ−プを降ろしてほしい
中央大学教授・臨床心理学士  横湯園子

 はじめにお詫びしなければならないといけないのは、2時とお約束していたのですが、今日、海外帰国生の入学試験がありまして、3週間前に突然私の専門領域に関わってきましたので、その業務に関わらざるをえず、5時になりお詫びいたします。頭がなかなかそのテーマにいかないのですが、そのうちもどりますので、よろしくお願いいたします。

 今日一人、ある国からもどってきた高校生に、なぜ、中央大学の心理を選んだのか質問しましたら、大学案内に私の書いた言葉を読んで受検したといっていました。どういうことかと言えば、関西淡路大震災のちょうどあの時、教師たちの全国研究集会に私は行っていたのですが、埼玉県の高校生が担任の先生に託して、私も参加しました「不登校・登校拒否の分科会」にメッセージを寄せてくれました。長いメッセージだったのですが、その中に非常に印象的で、現在の私が仕事をする上で影響を与えてくれた言葉になるメッセージでした。「今登校拒否をしている私たちは、崖っぷちに立っている。細いロープではなくて、太いロープをおろしてほしい」というメッセージが届きました。

 共同研究者として座っていた私は、子供たちが求めているのは、細いロープではなくて、太いロープなんだなあとつくづくその言葉を聞きながら、思いましたが、じゃあ、私たち大人は、何をしたら太いロープになれるんだろうと思いました。それ以降、自分自身の研究だとか、今日お伺いした講演もそうなんですが、太いロープになるための一つの縄になりたいと、そんな風に思っています。

 それから、先ほど紹介していただかなかった本に「アーベル指輪のおまじない」があるのですが、なんの本かお分かりにならないと思いますが、心理学の本なのです。小学生が私の本を童話と間違えて買うようなのです。どうして読めるのか分からないのです。漢字が多いのですが、時々小学生から感想文か、お手紙を頂くのです。その中に、今頃は中学校を卒業する頃か、高校生になっている頃だと思いますが、小学生の4年生の少女からお手紙を頂いたのです。はじめは、「先生、小説家になるにはどうしたらよいのですか」にはじまった便箋4枚の手紙でした。途中までは、中学生なのか高校生なのか分からなかったのです。でも、漢字が少ないなあ、あまり勉強をしていない高校生かなと思っていたんです。途中から、「私の弟は小学校1年生で、時々行って、時々休みます。私は小学校4年生だけれど、男の子たちにいじめられます。」というようなことが書いてありました。

 その中で書いてあったことは、最初子どもサーカスの話の後に、「子どもはそんなに弱くないけれど、やっぱり弱い。大人は助けてほしい」と書いてありました。その後「さよなら」でもなく、「先生、生きる歓びは何ですか」と続いている手紙でした。私はこの手紙を頂いて、どう返事を書いたらよいのかわかりませんでした。「生きるとは」ということを自分なりに書くことは出来るんですけれど、あまり真剣に書いてしまったら、小学4年生には荷が重過ぎるのではないか。かといって、いい加減に書いたら、すぐに私の心を見抜くだろうと思いまして、弱り果てていました。それで、画廊に行った時に手に入れた絵葉書に返事を書きました。その頃まで、「太いロープ」という言葉と「子どもはそんなに弱くないけれど、子どもたちはやっぱり弱い。助けてほしい。」というのが子どもたちの気持ちなんだなあと思ってずっといたんです。ところが、今実感していることは、神戸児童殺害事件以降、子どもたちは大人から守られているという「守られ感」を失ってきているなあというようなことを感じて、心配しているのです。

 中央大学に来る前に、北海道大学にいたんですが、そこで心理教育相談室を開設しまして、北海道の子どもが私たちのところに来るようになりました。神戸のあの事件の時に、小学1年生で登校拒否をしている少女が、「先生、学校は変わるの」と聞いてきました。私は、マスコミの大騒ぎは幕が下りるだろう、その後学校が変わるとはおもえないんですね。「変わるといいいね」という話で終わりました。

 もう一人、いわゆる「社会的ひきこもり」というふうに言われていて、当時24歳の青年が私のところにやって来ました。彼は、18歳で大学に入り、すぐ退学して家から一歩も出ないという生活をしています。私が北海道に行ったということで、一人の友人からの紹介でやってきた青年でした。その彼がやはり神戸の事件の話をした時、「騒ぐだけ騒いで終わってほしくない。学校も社会も変わってほしい。もし、変わらずに騒ぎが終わったら、あまりにも虚しすぎる。」という風に言っていました。


連載 A 子どもたちは大人からの「守られ感」を失ってしまった


 私は予測がついていたので困ったなと思いました。そして、神戸家裁の判決が下りて、「酒鬼薔薇少年」が実は性格的に問題をもっていたというような判決が新聞に出ていたのです。そこで、学校の問題ということより、個人の人格的な問題だということで、するっと幕が下りてしまいました。

 それ以来、私のところに来ていろいろな話をしていた少女や青年が、この事件以降、学校のことをピタッと言わなくなっちゃうんですね。その無言が怖かったですね。そして、私たち大人はいろいろなコメントをしてきましたが、信頼を失ってしまったんじゃないかということで恐れてきました。

 その後、ナイフ事件が起きたんです。栃木県の女性教師が生徒に刺殺される、その後埼玉県の男子生徒がいじめ、いじめられるという関係が逆転して友達を刺してしまう。

 黒磯の事件とともに埼玉県のナイフ事件、北海道の知床半島の近くの高等学校でやはりナイフ事件が起きたんです。新聞では小さく出たんですが、やはりその高校生が言っているのは「中学時代は親友だった。高校に入ってから理由がわからないまま、自分はいじめられる方になって、彼はいじめグループの中心だった。夜、呼び出しの電話があって、そして殴られるのはわかっているのでナイフを持っていった。ナイフを出せばそこでやめてくれると思ったんだが、ぶつかってきたので刺してしまった」と警察で話していたそうです。


 そのような一連のナイフ事件を見聞きする中で、子どもたちは大人に訴えないで、ナイフを持っていったんだなあと思いまして、今や、子どもたちは大人からの「守られ感」を失ってしまったんだと思いました。

 私は、初めは登校拒否の子どもたちとずっとつきあっておりました。そして、「子ども虐待防止協会」の仕事をするようになってきました。殺人事件に関わるようになってきました。殺人事件との関わり方は弁護士の方からの鑑定の依頼と、時には裁判所の方からの依頼を含めた関わりの中で、供述調書等を見る機会がだんだん多くなってきました。

 そうしますと、実際に供述調書を読んでいますと、マスコミに登場する識者という方々がイメージゲームのように勝手に想像しているのとは違って、子どもたちはそんな簡単な理由で人を殺したりはしないんだという歴史が見えてくるんです。

 そんな中で、私は今日、「不登校・登校拒否をどう理解するか」と言うことですが、今の子どもたちが暴力にさらされて、そして対人関係のところですくんでしまって、動けなくなっているという状況の中で、登校拒否をしている子どもたちが、多くなったという感想を持っています。




連載 B いじめや暴力にさらされている子どもたち



19年前であったと思いますが、法務局の人権擁護局で登校拒否した生徒だけを対象にした「登校拒否のきっかけ」を調べた調査があります。その時は、60%の子どもたちが「いじめ」をきっかけにして登校拒否になったというように答えていますし、東京シューレの子どもたちが、同じ時期に、仲間の子どもたちに登校拒否のきっかけを聞いています。これも法務局の調査とほぼ変わりありません。60%の子どもたちが「いじめ」をきっかけに学校に行かなくなったと答えています。

 それ以降日本の状況は、学校や社会全体が暴力的状況になっていきます。子どもたちの仲間集団も質が変っていきますので、そういうことを見ますと、60%なんていうものではない。臨床の立場から見ますと、80%以上、もしかしたらもう少し高い割合で、登校拒否をしている子どもたちはその被害者になっているのではないか、ほっておくとだめになるのではないか、という感想をいだいています。

 それから8月4日に、総務局が「青少年に関する調査」発表をしています。いわゆる普通の中高生、東京を含めて1都3県の中高生を対象に調査しましたら、3割の子どもたちが、親に何らかの形で暴力を振るわれていると言っていて、高校生は「親を殴りたいと思っていたが、親を殴れなかった」と答えている結果がでています。そうしますと、今の子どもたちを理解するのは、どうしても暴力を抜きにしては考えられない時代になってしまったなという感想を持っています。ですから、登校拒否の子どもたちを理解するのに暴力から理解し、子どもたちをみるということで、資料をお配りしました。

 同時期に、暴力に晒されていない子どもたちでもどういうことが起きているかといいますと、一つは、熊本大学医学部の小児科教室の先生方の調査と、それから、小児科医が実際に診療している中で、アンケートを通してだけでなく、体をチェックしていく中で「学校過労死」とういうことを医学書の中で指摘しています。私もその本を買って読んでみました。

 そうしましたら、今、「過労死」が問題になっていますが、「過労死」とは、生体が破綻して死んでいくということだけではなくて、生体リズムが狂って、何らかの形で神経を含めて、様々なダメージを受けたり、生体リズムが乱れる状態までを「過労死」と言うんだということを小児科医の先生方が書いています。その中で子どもの「過労死」状態は「死」以外、どういう状態かといいますと、「がんばれ日本」という中で、過度の競争を強いられ、そういう勉強を強いられている中で子どもたちは、「過労死状態」になっているんだという結論なんです。  
             



連載 C  「過労死」状態にある今の子どもたち


 具体的に私たちの目から見て、子どもの訴えから見て、何が「過労死」かというと、たとえば勉強ができなくなる、記銘力の低下を招くことです。疲れやすさを訴えてきます。学校の中で、どうもこの子は集中しないし、いくら教えても覚えが悪い、いつもこの子はぐだぐだして、塾に行っても成績が上がらないと言われている子が、本人の責任ではなくて、ここまで生体リズムが乱れているんだということです。

 そして、その子からすると自分のことをだれも理解してくれていないと思っています。もちろん、家族も友人も先生もですが・・・。誰にも理解されていなくて、自分は孤独だなという風に思ったら、これは憂慮すべき状態です。数ヶ月の休暇が必要だという結論です。

 もしかしたら、ここにいらっしゃる先生方やおうちの方も、この頃、物忘れが多いな、歳をとったなと思われる方もいらっしゃると思いますが、もしかしたら、歳の問題ではなくて、ストレスと過労の中でいろんなことで、物忘れをしているのかもしれません。そうなったときには、やっぱり、年休をとらなければいけない、リラックスして、身体を元の状態に戻さなければいけないということだろうと思います。

 この本の中で、学校の生徒を対象に授業をやって、記憶力を確かめるために、即テストをやったら、ほとんどの生徒は落ちこぼれるだろうと書いています。先生方が授業をやられているのは、これまでの長期の記憶に頼っているからだろうと思います。

 今の日本の子どもたちは、「過労死」状態にあるんだということを、親も教師も理解した上で子どもとつきあうことが必要です。ですから、一口に登校拒否といっても、疲れ切って理由もわからないけれども休んでいる子もいるし、長期に暴力に晒されて、出てこれない子もいますし、様々ですので、一括していろんなことは言えないだろうと思います。

 ですから、今日お話するのは一面それだけではないということを承知したうえで、時間が限られていますので、暴力というところに焦点を合わせて話をさせて下さい。

 今日は、なぜいじめられたことを私たちに言えないのか、そして、いじめられた本人はどういうプロセスで心の傷を負い、さまざまな症状を出していくのか、そういう子どもが癒されて仲間の中に戻っていくということはどういうことなのか、というところに焦点を合わせて話をさせて下さい。

 その話の前に、もしかして、お読みになっているかもしれませんが、手塚治虫が亡くなって8年目ですが、『僕のマンガ人生』という本がでています。私も手塚治虫が大好きなので買いました。開いた2ページ目から「僕は、小学校からいじめられっ子でした。体が小さくて、めがねをかけていて、運動がだめでいじめられていました。」と書いてあります。




連載 D  手塚治虫にとっての「いじめと人間の尊厳」

  「例えば、『解剖ゴッコ』というのがあった。休み時間になると、みんな彼のところへ来て、いきなり、一枚ずつ服を脱がせて、スッポンポンにして、廊下に出す、そして、授業の始まる前に急いで服を着て教室に入る、これを『解剖ゴッコ』だ」と書いています。

  それに対して、この本はなくなった後にでていますので、当時の親や友達がいろいろな文章を寄せています。「彼は、いじめられていたと言っているけれども、あれはいじめではない。冗談で,ふざけて遊んでいただけだ。」兄は、「彼はいじめられた、いじめられたと言っているけれども、あれはいじめではなく、からかいだったんだ」と言っています。

  ところが、手塚治虫さんは、いじめられたと言っているんですね。私は、「いじめ」って何ですかと聞かれますと「いじめ」とは本人が「いじめられた」と感じれば「いじめ」ですと、いつも答えています。

  手塚治虫さんが亡くなった後も、妹さんや親、友達は否定していますが、彼は「いじめられっ子」です。そして、いじめと同時に自分のことを語った講演録が本になっているのですが、その講演の中で、自分のテーマは一貫して人間の尊厳を追求していきたいと語っています。一つは、いじめられたという自分の経験と、もう一つは、大阪大空襲なんですね。旧制中学校の時に、大阪で大空襲にあっているんですね。空襲後、宝塚まで歩いて帰った時見たもの、それが、自分のテーマとしてきた「人間の尊厳」であり、これまでいろんなことを描いてきたけれど、テーマはそれだったと語っています。私は誰が何と言おうと、彼は、「人間の尊厳」というのを、貶められていくパワーゲームの中で、貶められていく人間いうものが、どれだけ人間としての尊厳が傷つけられるのかということをずっとテーマにしています。

  この本は最後は「ゴッドファーザーの息子」という漫画で終わっています。一番始めにスッポンポンにされた旧制中学の子が、デートしているのを生意気だとスッポンポンにされるところから始まります。ゴッドファーザーの息子は、もっとやわらかい言い方をすれば、「どらえもん」に出てくる「ジャイアン」のお父さんみたいな人で、暴力団の組長ですから、凄みのある人で、その彼が手塚治虫少年の漫画に惚れ込んで、彼を守っていくんですね。これは実際の話ではないわけですから、いじめられた彼はどんなにそういう強い人に守ってほしかったか、この本を読むとわかると思います。それがこの本の最後になっています。

  そのようなことで、「いじめ」というのは、本人がいじめられていると感じていて、そして、いじめられていると言われたら、それは「いじめ」であるということをお話しした上で、なぜ「いじめ」は見えないのかというお話にうつりたいと思います。

 


連載 E  なぜ、いじめは見えないのか ― 孤立化・無力化・透明化



  なぜ、いじめは見えないのか。「孤立化、無力化、透明化」というところで説明しています。中井先生という精神科医の方で、神戸大学にいらっしゃった時に、関西大震災に際して、いち早く、「心のケアーセンター」をつくって、この中心になった方です。先生は、震災で外傷を負った人たちの治療の中心となって、アメリカで出版された『心的外傷と回復』を電車の吊革につかまり読みながら、PTSD(心的ストレス傷害)がいかにすごいものであるかと思い、早くこの本を日本語にしてみんなに届けなければと考え、本を出されました。私はちょうど北海道で勤めていた時だったのですが、小児科医・精神科医と私の6人で、興奮気味に一年間かかって、先生の訳された本を読みました。

  そこでお手元にお渡しした資料は、日本でまだわかっていない学説です。中井先生は、「いじめのプロセス」は3段階である、「孤立化、無力化、透明化」の3段階を経ていくということを説明されています。簡単に説明させてもらいますが、特に学校の先生方は、「孤立化、無力化、透明化」のところをよく見ていただければ、子どもたちを指導しやすいと思います。

  孤立化の段階というのは、孤立していなければ、持続的に「いじめ」標的にはならない。この段階では、いじめの作戦は標的を孤立化させる作戦であるという段階です。いじめのターゲットが決まると、こいつをやるぞとみんなにPRして、やられなかった人は「ああ、よかった」とほっとして離れる。こういう段階を孤立化といいます。

  そして、これは、後の症状と関連するのですが、被害者である彼はいつも警戒体制に入って、自分のしぐさやあらゆるものはどこか悪いんじゃないか、どこかそれでやれるんじゃないかとたえず緊張状態に入って、加害者であるいじめっこたちは、攻撃する時間も、攻撃する点も自由に選べる時点で圧倒的に有利な状態に入ります。

  孤立化の段階の時は、意外とおうちの方にも言っているかもしれません。でも本人は、学校に行っているので、今休ませたら高校進学を控えているからということで、親は学校に行かせちゃうという段階でもあります。

  無力化段階というのは、すでに孤立化作戦の中で孤立化しているのですが、ここが一番暴力を振るわれ、卑劣で激烈な暴力がこの段階で起きてきます。

  孤立化、無力化の段階では、被害者である本人はまだ屈服していませんので、何とかしようと思っています。「自分が悪かったら教えてくれ」と言ってみたり、あちらこちらにSOSを出だそうとしている、こういう段階です。ここで一番無力化作戦の中でもっとも意識的にやられるのは、一切の反撃は無効である、どんなにやっても無効なんだと観念させることです。ですから、親や先生にチクッタということを口実にメッタ打ちにされてくる段階です。そして、そのうちに大人に話すことは卑怯だとか、チクルとは何だとか、本人は加害者である支配者の洗脳をうけて、自分の内面まで訴えることは卑怯でみっともないということで支配されていく段階です。もはや訴えることも、戦うこともしなくなることが無力化段階です。

  そうしまして、このへんから「いじめ」は次第に、中井先生のお言葉では「透明化」していきます。つまり、いじめられる子がいるのに、私たちも目にしながらも、あたかも風景になってしまう段階、いじめが起きていてもそれは学校のあるいは一教室の風景であるというような状態です。



  連載 F  なぜ、いじめは見えないのか ― 孤立化・無力化・透明化


  それは、善良なドイツ人に強制収容所が見えなかったように、みんなが見えなくなってしまう。これを中井先生は「選択的非注意」(注)と言っています。または、フロイドが言う「否認の心理」のことです。

  大体自殺する子どもたちは、この段階で自殺しています。あと半年したら卒業だと分かっていても、その半年というのは現実の生活から関係なく、永遠のその先の先のことであるという状況の中でもう自分の人生は終わりなんだということで亡くなっていく訳なんですが、これは空間的にも、現実的にも、周りの人間が実際存在しているのでなくて、自分を支配している「支配者」としてしか見えなくなっていき、時間がなくなっていくというのですか、そいう状況になっていくんです。

  「なぜ訴えないのか」といろんな方がおっしゃるのですが、もうそういう段階ではないんですね。これを中井先生は、「孤立化・無力化・透明化」という風に説明しています。誰か一人でも、見える人がいれば救えるんですが・・・。

  よく事件のあった後、校長先生は「知りませんでした。」と言いますね。本当に知らない時もある、と私も見ています。つまり、透明化段階では見えていないんですからね。それから、責任問題として知っていても「知りませんでした」と述べる場合もあるんですね。わたしもテレビを見ながら「知っているくせに」と思うこともあり、二通りがあるんです。

  そんな中で、日常的に暴力に晒され、恐怖に晒されてた子どもたちや人間の心理というのは、たとえば、ナチの強制収容所とか奴隷キャンプだとか、刑務所だとか全く無権利状況のなかで、思うがままに暴力をふるわれていく囚人たちと、「いじめ」で暴力に晒された子どもたちとまったく変わりはない状況がでてきます。

  これは、引用しておきました、ジュリット・ハーマンの『心的外傷と回復』の中にこの症状がでてきます。これは、小学校の時に「いじめ」を受けて、地元の学校に行ったらまたやられるからといって、本人もおうちの方も落ち着いた私立の高校に行けるように努力していくんですが、ここでも、登校拒否になる子どもがいます。

  私は今、一つの学校にスクールカウンセラーとして入っているんですが、その行った私立の学校で「いじめ」にあっているわけではないんです。だけど、登校拒否になるんですね。これはどういうことかといいますと、クラスの中で突然、ワーワーとお大きな声を出す子がいて、どこかでちょとした小競り合いがあり、それを見ているだけで、フラッシュバックがおきる。つまり、自分が今暴力を受けていないんだけれど、ある刺激、音とか光とか匂いだとかの後に、自分が暴力を受けた状況になってしまう。

  せっかく入ったのにやめてしまったと親はそう言いますし、特に、お父さんなどは、「こいつはダメな人間なんだ。根性がなく男としてダメだ」という言い方をします。しかし、子どもにとっては暴力を受けていなくても、あたかも今受けたように感じてしまいますから、パニック状態になってしまいますし、まったく体が動かなくなってしまいます。


 「この辺から、いじめは次第に『透明化』して周囲に見えなくなる。繁華街のホームレスが『見えない』ように、善良なドイツ人に強制収容所が『見えなかった』ように、「選択的非注意」という心理的メカニズムはいじめを全く見えなくする。」(中井久夫『いじめとは何か』より)


連載 G    暴力とトラウマ


  登校拒否をしている子の中には、眠れない子もいたり、眠っていても「先生、僕は朝起きても体が棒のようにかたくなっているんです。」という子もいます。なかなか眠りに入れないんですね。

  眠っているとき夢をみます。これを「外傷性悪夢」といいますが、ほんとうは「いじめ」のことなど思い出したくないのに、夢を勝手に見てしまいます。それは、やられている夢で、これでもかこれでもかと見るんですね。それはとっても怖いことなので、眠りたくない、だから、電気をつけて明るくしている。それをお家の方は、夜更かしをしている、電気代が大変だという訴える方もいます。

  しかし、無力化段階で、徹底的にやられていますので、いつも警戒態勢を強いてとっていますから、私たちは緊張しているけれど、リラックスしているし、リラックスしていても緊張している、どんな場合でも対応でき、切り替えられるですが、一度暴力に晒された人は、ちょっと気がゆるんで眠ってしまい侵入してくる。このような状況で、登校拒否の子どもたち、毎日苦しんでいます。

  アメリカの社会の中でも、犯罪が非常に多いのですが、その大きなきっかけになったのがベトナム戦争です。長期化したベトナム戦争です。ベトナム帰還兵がアメリカに帰るのですが、この人たちにも同じことが起きました。いつも侵入してくる、そしてなにも見えなくなって、苦しいのでアルコールを浴びるように飲むとか、麻薬中毒になるとか、様々な問題を起こしていくわけです。そんなことでアメリカは、犯罪社会になっていく訳です。勿論、それだけが原因ではありませんが、大きな原因のひとつです。

  それと同じようなことが今、日本で起きています。犯罪が多発していますが、この前のバス・ジャック事件です。彼は、すごいいじめを受けていて、そして、窓から飛び降りて、腰を痛めて入院し、志望校でないとこへいきます。あの頃から、お母さんは彼が豹変したといっています。そして、ご存知のような事件を起こすのです。 彼を理解するには、彼の辿ったプロセス、PTSDを理解しておかないと、あの事件は理解できない。丁寧に精神科医の先生がその辺勉強してくださっており、彼をゆっくりカウンセリングしてくれれば、あんな事件は起きなかっただろうと見ています。

  これが今、日本の子どもたちが、教師の体罰以外、親による虐待以外に、同世代の中で起きている出来事の中で子どもたちは、非常に深い心的葛藤、トラウマを受けている状況にあります。国連の「子どもの権利委員会」で勧告があったように、過度に競争的な教育が子ども達を蝕んでいる。国連では「学校恐怖症」という言葉をつかっていますが、いじめの問題に対して速やかに対策をとるように勧告しています。

 次号につづく

お詫びと訂正
 EとFで記載した、ジュリット・ハーマンの『心的代償と回復』『心的概況と回復』は、『心的外傷と回復』の誤りでした。お詫びして訂正いたします。



連載 H 「自殺しないで登校拒否をしたのは、僕の強さ」


  何故「いじめ」は見えないのか、そして私たちはどこをよりどころにして関わっていくのか、これからお話していきたいと思います。

  約5年前ちょっとつきあった生徒で当時中学3年生のはじめにつきあって大学にいった頃お別れしたのですが、今頃は工学系の大学を卒業するか、または4年生になっている頃と思いますが、その彼のお話をしましょう。

 彼は、中学の入学式の翌日から「いじめ」にあって、そして、私のところに来たのは3年のはじめでした。どういう経過で登校拒否になったかといいますと、中学の入学式の日に、彼の話ですと、どこのクラスになって、誰と一緒になるのか見ようと思って、模造紙の貼ってある掲示板のところへ行って見るのですが、その時幼稚園の頃の「いじめ」を思い出すんです。小学校は学区が違っていたんで一緒ではなかったので忘れていたんですが、彼と一緒になりたくないと思ったそうです。

  ふっと横を見ると彼が立っていたんです。私はこれで勝負があったと思いました。彼は目が合ったとき、ニヤニヤしていた。もう1人は怯えていました。後でどうしてそうなるのかもう少し丁寧にお話ししますが、それからいじめられてしまって、そして約学年の半分の男子生徒が何らかの形で「いじめ」に加わっていきます。中心グループも勿論あるんですが。中味は、マスコミでいわれているように「いじめ」の中味とすこしも変わりません。トイレに連れ込まれて、ズボンをぬがされて、スッポンポンにされて、暴行を受けるわけです。

 そのなかで彼が一番いやだったのは、給食の献立のプリンやゼリーがある日です。それはどういうことかといいますと、その日はプリンやゼリーの容器を捨てないでとっておき、トイレに連れ込んで、容器にみんなのお小水を入れて、それを彼に飲ませるんです。一番つらいのはプリンやゼリーがある日です。それが、中一からずっと続くわけですから、長期的に「いじめ」に晒されて、学年のこれだけの男子が何らかの形で加わっているし、すくなくとも見ているわけです。透明化になっているのです。担任は体育の先生で、学年主任です。そうすると、日本人のタイプでいうと、根性を持ち強くする教育です。

 そんな中で彼は、死ぬ決心をするのです。死ぬ日を献立表で決めるのですね。今日はプリンかゼリーのある日だということで、決心して出かけるんです。彼は歩いているときに、一度だけ決心するんですね。彼らと闘って死のうと決心するんです。そこが自殺する子と自殺しない子との別れ道なのです。彼はトイレに連れて行かれて、みんなのお小水飲まされるわけです。やられている最中に、こんな奴らために死んだら自分の負けだと思うんですね。彼は自殺することをやめて、学校に行くのをやめるんです。彼は、「僕が自殺をしないで、登校拒否をしたのは、僕の強さだったと思う」と語っています。

次号につづく

(お詫びと訂正)
  前号等で紹介した『心的外傷と回復』 の著者は、ジュリット・ハーマンではな くジュディス・ハーマンでした。お詫びして訂正いたします。



連載 I  家の中での「孤立化」と学校不信


  その後が悲惨だと彼が言いました。一つは、中三ですから、高校進学を前にしています。おうちの方は、休んだら進学はダメになる、と言います。もう一つは、孤立化の段階でPR作戦を徹底的に受けます。なぜ「いじめ」は必要だったのか、いじめる側にはいじめるための大義名分が必要なんです。

  その時担任の先生は、いじめる人間も悪いけど、彼は根性もなく、弱々しいところも問題なんだというふうに言います。お父さんも、学校に行けない人間は「くず」だ、高校も卒業できなかったら働くところもないし、「いじめ」くらいで学校に行けなかったら、社会の「くず」だとおっしゃるんですね。彼は、家の中でも孤立化していくわけです。せっかく、自殺もしないでいるのに、家の中で孤立化していくわけです。ですから、本来だったら、家の方は自殺しないで生きてくれたことを感謝しなければならないのに、教師のPR作戦に乗ってしまうと、あたかも同じような結果になってしまうわけです。

  もう一つは、学校不信又は人間不信です。それはどういうことかといいますと、休んでいますから、担任の先生が家庭訪問に来るわけですが、その時に「俺が守ってやるから来い」というので信じて、学校に行きます。しかし、担任の教師は、いわゆる日本的なクラシックな教育方針で、「男は一度たたかってこなければ男でない。たたかってこい」と言って彼を行かせます。また、やられてしまいます。彼は校長室に逃げ込んだんですね。校長先生は新任の校長で、校長になる前は校務分掌教育相談をやっていた人ですから、登校拒否は何かとか、神経症は何かとか、強迫症とは何かとか、それなりに知っていらした。そういう知識があったので、逃げてきた子を見て、これは尋常ではないということで、私のところへ電話をかけてきたので、彼とつきあうようになるわけです。

  5年ちょっとつきあったと言いましたが、彼は、重要な話を4年の終わり頃、初めて口に出します。それまでは、彼は月に一度私の所に来ていたのですが、私と彼との間では、一度も「いじめ」の話をしませんでした。私のほうからも、彼のほうからもしませんでした。

  私がお手伝いすることがあったら教えてほしいというと、勉強がしたいというので、私は社会科の教師だから、社会か国語か英語だったらいいけれど、理科、数学は全然ダメだと伝えると、英語が勉強したいと言いだしました。初め2年生と3年生の分は、何ヶ月も経たないうちに終わってしまいました。さて、次はどうしようと言っていると、英語の原書を読みたいということで探してきたのは、「イソップ物語」でした。

 高校進学の時に、彼に通信制高校はどうだろうと言ってみました。どっかに所属していないと不安だから、行かなくてもいいからどうだろう。スクーリングは月に一、二度しかないから、とりあえず入ればと言うと、私の勧めにしたがって彼は進学しました。

 かれの家は、実は千葉県です。千葉県の通信制高校では、地域で学習グループを組織していて、何々グループは何々地域の公民館で、何々グループはあそこの喫茶店と結構集まって、レポートをみんなで助け合って勉強していました。先生方もぶらっと遊びに来て、自分の教科を教えているのです。

  
連載 J  「今、生きていて本当によかったね」
  彼は通信制高校に少しずつ慣れていきました。そこに、通信制高校卒の資格を取ろうと頑張っているおじさん高校生がいて、生徒会活動をしていたんです。彼に、生徒会活動を一緒にやらないかと誘ってくれました。そこで、私のところにきて、どうしようと言ってきました。私は、「おじさんが守ってくれるからやってみたら。怖かったらおじさんの後ろに隠れればいいじゃない」って言ったら、彼は安心して活動を始め、だんだん慣れていきました。

  その次から、ラジオ関東が深夜放送で、当時イベント案内をしていたんです。いまやっているかわかりませんが、代々木公園とか夜中のイベント学校など紹介されて、彼はそこに行くようになるんですね。月に一度なんですが、彼はそこに行きながら、その時の話が話題になりました。その一つに、いつもそのイベントにいて、同じ始発の電車に乗って、横に座る男子で、まあ同年齢の男の子がいるようなんです。

  いつも何も話さない。彼は、「先生、彼は登校拒否かなあ。」と聞きます。「どうして」と聞くと、「色は真っ白い。昼夜逆転して家にひきこもっているに違いない。きっと、緊張しているから言葉を交わせないんだよ」「君は言葉をかけるの」と言うと「かけない」と言います。「だけど、誰かを求めているんだよ。」と言うので、ある時、私は「君の方から、僕は登校拒否だったんだよ。今、通信制高校生なんだ」と言ってみたらと言ったんです。そうしますと、彼は「それは出来ない」と言うので「どうして」聞きますと、「いじめられたことを話さなければならないから」と言うのです。私が、彼に言ったのは、「実は、先生は君がどんな状況でいじめられてきたのか

  全部知っていたけれど、君が今その話しをするのは無理だろうと思ったから、君がそれを話してくれるくらいに信頼されなければダメだなあと思って、君とつきあってきたけれど、とりあえず私に話してみちゃったら」って、「一人に話をすると、意外と他の人にも話せるから」と言いました。  そうしましたら、声が出なくなるような感じで話をしてくれました。それがさっきの話の内容です。私が彼に言ったのは、「とにかく君が生きてくれて本当によかった。うれしい。」それと同時に、「どんなに君が一人ぽっちで努力して、そして絶望していったか分かる。そして、一つ一つ話をしてくれて、目の前で君がやられているような気がして、その当時何もしてやれなかった先生を責めてしまった。」というようなことを言いました。

  「そして、今生きていて本当よかったねえ。君が今高校生になってよかったねえ」という話と、「おうちの人は、子どもは可愛いと言いながら、本当にピンチの時に、おとうさんは、あせりすぎちゃったね」と言いますと、彼は初めて泣きました。そして、お父さんがなんとか彼を学校に行かせようとして、無理矢理、家族の力を借りて、自動車に乗せて学校に行こうとした時、彼はドアを開けて飛び降りたんです。私は、一瞬ビックリして「もし、自動車が走ってきたら轢かれていたじゃないの」と言ったら、彼は、「神様というのは、そのように助けてくれるんだよ。偶然、後ろから自動車が走ってこなくてよかった。」というような話をしました。


連載 K だれでも自分を守る力を持っているが、それを見落としている


 その中で彼はその青年と友達になっていくのですが、ここで私たちがいわゆるPTSDといわれるこういうたくさんの症状をもって、人間関係のところで立ちすくんで,何かあるとフラッシュバックしてくるような、そういう状態がある中で、私はカウンセリングしている時にここが山場だと思うときは、実はいじめの話の時です。

  つまり、彼は孤立無援の中でたった一人闘い、諦め生き残ってゆくサバイバルですよね。 で、彼の話を聞くことによって目撃者になり、そして私と彼の受けた経験を共に経験して、彼の言葉に出来なかった悔しさや苦しさやむなしさや絶望を彼の代わりの言葉によって、彼もその時の気持ちを言葉にしていくという共にある関係になったんだと思います。

 それからもう一つは、聞いているだけではなくて、手塚治虫が「自分の漫画が一貫して人間の尊厳でした」という風に言うように、人間としての尊厳を叩きつぶされていくというか、地に落とすがごとくやられているわけですから、彼はいかにしてそうではないということを分かって、生き残ったいうことはすごい事なんです。私は、「君は自分を本当に大事にする大事なところを育てていて,本当によかった」と率直に述べました。

 私は彼と一緒に彼自身の自己像を共有いく。で、なんて言うんでしょうか、そういう中でたとえば、私は「いじめ」であろうが同じようにつきあっていくのですが、レイプを受けた例を一つ話します、どんな人間でも必ず自分を守る力を持っていて、そこを本人があまりに悲惨な経験の中で見落としているんです。それを見つけるのが私たちの仕事だということでレイプの話をさせてもらいますが、なんていうんでしょうか、ジュディス・ハーマンの本にでてくるのですが、女子大生が東京の男子学生と故郷の人間が集まってパーテイをやるんですが、誘われるんですね。彼女は行くんです。ところが、そのパーテイは実は男子だけしか集まらなくて、レイプを目的とする集まりなんです。彼女は知らなくて行ってしまうんです。

 そこで彼女は精神科の治療を受けます。彼女のいわゆる病名は人格障害とか分裂病とかひどい症状を出してしまうんですが、この治療の最後の段階のところは書かれているんです。つまり、人間は人間として必ず自分を守るという力を持っているわけで。この女性はレイプをされた事よりも、何が自分を責め続けたかということになるのですが、レイプが終わった後で、ある男子学生が「今のセックスが最高だったといえ」と言われて、彼女は言ってしまうんですね。それが、彼女をずっと苦しめていたんです。

  その場面のところで、女性の精神科医が「あなたはまだ忘れていること一杯あると思うので,苦しいと思うけどその場面を思い出そう」と言われて思い出すんです。その言ってしまったときに、あなたは何を考えていたのか、どういう状況だったのか、誰とどんな声を出していたのかということを丁寧に話をしたんです。その時にその「言えと言われた時に、自分は何を考えていたのか、思い出すんです。精神科医は、「あなたがイエスと言ってるのは、二度やられないためのあなたの最後の砦を自分で頑張ったのではないのか。あなたは自分のことをみだらな女性だと言っているけどそれは違う」と、丁寧に話をしていくんです。 そういう中で。彼女はだんだんリカバリーしていくという話が出ています。



連載 L  不登校の子の願いにあったメニューを準備する


 ですから、レイプであろうと、いじめであろうと症状を出して動けなくなっている子どもたちというのはそんなことだろうと思います。

 ここには、定時制高校の先生方がいらっしゃいますが、いろんな経験をもった子どもたちが定時制高校に来ていると思うんです。過去を語る子どもたちだけではなくて、何らかの理由で来ていると思うんですが、そういう子どもたちが、ちょうど先ほどの子どものようにどこかつながって、その子たちがフッともう一度出て行こうとする時、器というのは豊かなメニューが日本にいっぱいなくてはいけないと思っているんです。その豊かなメニューの一つとして、意義ある存在として定時制高校はあると思っています。

 私は、「高校はどうしたらいいでしょうか」といろんな人から、おうちの方や本人から相談されますと、子どもの状態によって通信制高校だったり、定時制高校だったりします。そして、そこには生徒の数が少なくて、先生方が細やかに丁寧につきあってくれて、なおかつ、何かをしようと思うときの生きる力の一つとして勉強をクリアーする、そういう意味でそういう器を利用したらどうかと勧めます。

 いじめであろうと、何であろうときっかけはストレスで疲れてしまったであろうと、登校拒否をしてしまった本人は、原因がどうであろうと、自分のこととして引き受けて、そして自分はどういう風に生きていったらよいのか、やっていけるのかやっていけないのか、我がこととして最終的に引き受けて何かを掴み取っていく。時間のかかる子もいます。ですから、命を賭けて、悩む子もいるし、疲れた子はコンコンと眠りながらそして体を元に戻しながら、結果的に行けなくなったこの時をどうしようと自分の生きる先を悩んでいく。原因はどうであろうと、学校に行かなくなった自分と向き合わざるをえない。その時、私たち大人がやることは、子どもたちが何を願い何を要求しているのか。その願いと要求にあった様々な場所、器、メニューなどを準備するのが私たち大人の仕事だろうと思います。

 同様に、おうちの方だったら、行かなくなった子どもに対してこの子は将来どうなるのか悩むのは親として当たり前なんですよね。その時即学校とかいうふうにいかないで、その子が命を賭けて行かないということを引き受けて、悩んでテレビの前でゴロゴロしていたりとか、ゲームをやって笑ったりしているのを見て、こんなに元気なのにこの子はもしかしたらサボっているのではないかと思うかもしれませんが、テレビを見ている時でも、ゴロゴロしている時でも、あるところではじっと考えて、向かい合っているんです。または、考えるとつらくなって時をどう過ごしたらよいのかわからなくなって、その苦しさを一時的に忘れようと思ってやっている子もいます。どちらにしても外側から見ては、子どもは見えないんですね。



  連載 M 仲間の中に入っていった時、自分を取りもどし再生できる


 どちらからしても、外側から見て子どもは見えない。ですから、私たちはこの子が何を願っているのか、何を欲しいと思っているのか。で、そのことを本人が解決する力があるのか、あるとしてもどこをお手伝いすることがこの子の願いを実現させることになるのかということをわかりたい。で、わかりたいと思うと同時に、子どもが命をかけて長い時間をかけて見つけだした選択の道を喜びたい。

 親はもしかしたら、学校と思っているかもしれないけれど、選んだ道を喜びそれを応援していく。それが今の日本の場合は学校がどうしても学歴社会で、不利になる場合が多いんですよ。だから、大人の私たちがやることは、どのような道を選ぼうとその子どもが不利にならないための社会や基盤づくりが片方で追求されていかなければいけないというように思っています。

 そして、もう一つどうしてもお伝えしたいことがあります。先ほどの子どもで言ったら、通信制高校の学習グループだったり、生徒会活動だったり、イベントが彼にとって仲間に入っていく機会だったのです。仲間の中に入っていったときに、もう一度自分を取り戻せます。かって、意味を失っていた他人の言葉に、改めて生きる意味だと
か、自己の存在理由を仲間の言葉から発見していくと言うのですか。で、自分の中に仲間が再生していく帰還性的プロセスというのが、ある子どもにとっては居場所であり、ある子どもにとっては定時制高校だったり、通信制高校だったり、さまざまだと思うんです。

 居場所という言葉も、グループでもいいし、なんだっていいんです。その同じ苦しみを経験して仲間たちの中でもう一度再生すると言うんですか、そして仲間の中でもう一度再生するんです。

 これは、登校拒否の子どもをかかえて格闘しているお母さん方が「登校拒否の親の会」の中で救われていく。子どもは実際、学校に戻ってないけれど、そこで私だけではないんだと思ったとき、はじめて、他のお母さん方の言葉が自分の思いと重なり、そして、子育てのあり方をもう一度一緒に考え、そして、学校とは何なのか、親とは何なのかということを相対化しながら、させながらもう一度自分という人間を再生取り戻し、子どもとつきあっていけるというか、セルフヘルプという受容組織というものが日本では数えられないほどある。



連載 N最終回 つながり合う「癒し」の中に、21世紀の希望がある



 それと同じように子どもたちの居場所があるわけで、今の日本の状態は大変な状態で、なんか先を見ると気が遠くなるような暗さと恐ろしさを感じるんですが、それでも、やっぱりギャンブラーの自助組織とか、登校拒否の子の親たちとか、居場所のような所でそういう子どもたちとつきあっていると、その人たちが苦しみの中で命をかけて見つけだしていく、そして、新たに他人とか仲間とつながっていく。そのプロセスというのは、今の日本のこの重苦しい状態にヒビを入れていっているなあというふうに感じていますし、それからグループとしての「癒し」みたいなものがここにあって、今21世紀に向かって私たちが希望をがあるとするならば、もう一度つながり合う「癒し」の中に私は可能性があると思います。

 で、そういうようなことが登校拒否のことは当事者によって辛かったり苦しかったり深刻だと思うんですが、長い目で見ていくと、希望の一つに点火しうる、そういう事柄であるというふうに思っています。

 そして、通信制高校や定時制高校については、もともと私は日本で初めて「登校拒否の子どもたちに教育の保障を」ということで親とともに、厚生省とか文部省に働きかけて、学校ができて、そこの教育に20代の後半になりましたので携わることになりました。

 実は、親の会で「希望会」が初めてできるんです。これが初めてのセルフグループなんです。それから現在まで様々なグループとつきあってきたんですが、その1人1人が自分と社会を相対化しながら力強く生きてゆく。そして、人間としての誇りを取り戻していくプロセスを見ていくと、「この世の中まんざらではないなあ」と思っているのと、同じように苦しみを持って私も生きているわけですから、同じ地平でどういうふうに生きるかということを語るというなかに、答えがあるんではないかと思っています。

 原因はともかくとして、最後は必ず私たちは大丈夫だというふうに、どれだけ希望をつなげるかということで、グループとしての「癒し」それが21世紀への大きな力になっていくんじゃないか。一度苦しみを受けた人は、もうだまされないし、同じ過ちを繰り返さない。

 手塚治虫先生も中井先生もずっといじめを受けて、ずっと苦しんできたことが先生のエッセイに出ています。自分の経験にこだわってこだわって、1人は漫画家になり、1人は精神科医になって、社会に貢献しているわけです。

〈ここで、テープ切れとなりましたが、講演もこの後すぐ終わりました。〉

 好評いただいた横湯園子さんの講演連載は、今回で終了します。

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