2005年2月4日

 「かながわ定時制教育を考える会」は、「『連合』路線の見直しを ニュース」の最新号(83号 1月31日発行)で、神奈川県の定時制教育をめぐる情勢や背景、生徒と保護者の思いに応えていく課題と、その課題を実現していくための運動のあり方を提起しました。以下に、その記事を紹介します。



子どもたちの希望がかなえられる定時制教育を

     「高校再編計画」に歪められる神奈川の高校


 この数年、都市部で夜間定時制高校(以下「定時制」)の「統廃合計画」がつぎつぎと打ち出され、これに対し、各地で保護者、生徒、教職員、そして卒業生を含む市民・県民が「教育の機会を奪うものだ」として反対運動に取り組んでいる。世論やマスコミもかつてなく定時制教育に関心を寄せ、良識的な報道や意見も目立つようになってきている。

 しかしその一方で、これまで定時制がもっていた「小規模で、四年間いろいろな人たちと交流しながら、全日制とはまた違うかたちで、紆余曲折を経ながらも厳しさをのり越えて大きく成長する学びの場」という特長が、変わってきているように思われる。これはなぜだろうか。

 以下に、本県にみられる現状とその背景(原因)、生徒や保護者の要望や思いをとりあげ、それに応えていく課題と、その課題を実現するための運動のあり方について、一つの提起をしたい。


過大規模を押しつけられる定時制

 定時制の特長であった小規模校、小規模クラスが、県立は1クラス定数が35人から40人になり(ちなみに全日制は39人)、1部の学校では1年生で45人を超えるクラスになっているところがある。   
 さらに、2次募集時に急遽1クラス増で3クラスにした翠嵐高校や募集停止の計画もあった横浜市立戸塚高校が4クラスから5クラス規模となったように、定時制としては過大規模であるところが増えている。内部措置で生徒指導上、クラス増をせざるを得ない学校も多い。

 こうした増加の背景は後に述べるが、不本意入学者の増加や経済的事情で私学に進学できず定時制に入学してくる ー 、つまり定時制が、全日制を希望しながら入学できなかった生徒の大きな「受け皿」となっている現実がある。と同時に、これまで不登校や「引きこもり」を経験し定時制を「学び直し」の場として入学してきた人たちの「居場所」を狭めることにもなっている。不本意入学の生徒と、定時制に「居場所」を求めにくくなった生徒たちが、定時制に対する思いの相違や学力の差異を抱えてあふれかえっている ー 、これが今日の多くの定時制の姿である。

 定時制に学ぶ生徒たちのために、変則勤務などからくる負担にも耐えてきた教職員側にもーつの変化が現れてきている。 端的に言えば、定時制教育を希望していながら「異動ルール」で異動せざるを得ない立場、過大化に伴う生活指導上の諸問題、変則勤務の上に教職員に不可欠な自主研修が認められないなど、いろいろな「障害」にとりかこまれ、定時制教育にかける意志が削がれがちな状況におかれているということである。

  

狭められる公立全日制の入学定員

 では、この生徒たちと教職員をとりまく状況の背景(原因)は何であろうか。
 まず、受検生が殺到する定時制になってしまった大きな原因は、県が「高校再編・前期計画」(2000〜2004)により全日制高校を14校削減したことによる。特に2002年度と2004年度の定時制受験への殺到は、この計画による公立全日制入学定員の過剰な縮減に原因があることは明らかである。にもかかわらず、2005年度入試でも、これまでのように公立全日制高校希望者の約27%が断念せざるを得ない入学定員となっている。

 しかもその全日制定員を昨年比2347人減にする一方で、県立定時制のそれは280人増としているのである。つまり、全日制不合格者には定時制が用意してありますと言わんばかりである。これは、学力による選別ではなかろうか。希望する全日制の門戸を狭め、希望しない定時制に追い込むような「高校再編」は、生徒・保護者・県民が決して望むところではない。

 これに加えて、横浜市が2002年度に断行した市立定時制5校を1校にする「再編計画」が、横浜市内の定時制進学を極めて困難なものにし、それは川崎市や他の県立定時制への進学にも深刻な影響を与えている。

 不況下、対公立比約7倍の経済的負担の私立を断念するのは保護者、生徒ともやむをえない判断である。初年度納入金の平均額が全国最高、私学助成の生徒1人平均が最低レベルの本県ではなおのことである。 生徒・保護者・教職員の教育要求と教育行政の姿勢との乖離が、定時制の生徒たちをめぐる問題の最大の背景(原因)である。

  

不条理な教職員への管理強化

 一方、教職員の教育活動条件も不条理というほかないほど厳しいものとなっている。
 規模過大化によるクラス経営や生徒指導の超多忙化ときびしさ、不十分な施設、再任用や臨時任用が増え、専任が減ってゆく下で奮闘する教職員たち − 。これを県教委や管理職が教育条件を改善したり、配慮、励ますのではなく、反対に定時制勤務の変則性を無視した「服務」の名によるカンヅメ的勤務の管理強化や、「手当削減」や「人事評価」によるしめつけ、「自主研修」を認めないなど、意欲や専門性を軽視した管理と介入、干渉を繰り返している。 このような背景が、現場の教育活動の「総力態勢」や達成感を得にくいものにし、「定時制への熱意」を薄めてきている。

 じっくりと4年間かけて生徒と教職員とが築き上げる信頼関係から生まれる定時制教育の良さは、こうして失われつつある。これは教育という公共的課題にとって、非常に重大なことである。


切実な、定時制を求める声

 しかし、それでもなお、定時制に対する生徒や卒業生、父母の要求や思い、期待には、大きなものがある。

○僕は定時制で、自分自身が生まれ変わったと言っても決して大げさでないくらい変わりました。(関東首都圏集会)
○自分は学習障害を持ちながら、定時制を卒業し、現在大学で音楽の道をめざしバイオリンを学んでいます。定時制はすべての人の学ぶ権利が保障される大切な場所です。 (大阪市)
○県の計画で私の子の学区では(全日制高校が)2校もなくなったため行き場がなくなり、定時制を希望しても競争率がかつてなく高く、なんとかしてください。高い私学には簡単には行かせられません。(神奈川県)
○定時制で、人生は崩れても失敗しても幾度もやり直せることを知った。定時制に恩返ししたい。(横浜市)
○学力が遅れているがそれも丸ごと認めて、指導いただき感謝している。(同上)

 以上は、集会や冊子での関係者の発言のごく一部である。これだけでも定時制の特長が十分伝わっていると思う。


「再編計画」の本質を明らかに

 では、長年にわたり教育の機会を全体的に保障する立場から営まれ培われてきた定時制教育が、「再編計画」のために便宜的に「統廃合」されたり歪められたりして損なわれつつある現状を変えていくには、いまどんな課題があるだろうか。 まず、その根本にある「教育改革」、その具体化の一つである『高校再編計画』の本当の姿を明らかにし、県や横浜市、さらに予想される川崎市の具体的な計画に明快な反対運動を展開することである。

 「改革」というが、現状の批判的分析を欠いた、トップダウン型の『再編計画』では、生徒、保護者の要望とのズレが大きくなるのは当然である。何よりも教育の機会が狭められていく 「再編計画」を、一部の教職員組合にみられるように、容認したうえでの批判や単に一部改良を求めるだけの姿勢では、生徒や志願者たちを優勝劣敗的に選別、排除していく傾向にあるこの「再編計画』」の流れを押し返すことはできないだろう。教育の条理に則って成果を上げる点からも疑問点の多い「再編計画」であることを広く知らせていく必要がある。

生徒・保護者の立場からの改革を

 また、公立高校全日制への就学率が落ちていること、私学への慢性的な不本意入学と授業料滞納、退学者の増加の実態、私学の「空枠」が事実上放置されていることを数値的にあきらかにし、そのツケが進学難に、保護者の耐え難い経済的負担になっていることを広く県民に明らかにし、公立全日制の募集定数の大幅な改善を要求してゆく。

 この点を改善して公立枠に転換してこそ、公立高校の公共性の意義があるというものであろう。と同時に、教育選択の幅を広げる観点からも、私学助成の抜本的増額や10数年据え置きのままの補助額や受給資格の改善を関係者と共同して目指す必要がある。

 さらに定時制生徒の負っている課題 一 教科書の無償支給や給食費補助の資格に制限を設けている問題、過密クラスの勉学条件や施設の改善など、また教職員の教育活動の遂行上「障害」となっている先に挙げた諸問題を保護者、県民に明らかにし、その解決に理解と協力が得られるように取り奴んでいくことも緊急の課題である。


立場や考えの違いをこえた共同の運動を

 教育を受ける権利は等しく認められるべきものである。権利としての教育の実現という事業そのものが、自治体・国レベルの壮大な民主的で共同的な事業であるように、この権利を名実伴った現実のものとしていくには、やはり生徒、保護者、卒業生、県民、教職員やその組合等が協力共同して壮大な運動にしていく必要がある。

 立場や考えの違いなどを協力共同の障害にするのではなく、むしろ運動の強さにしてゆく取り組みが、この課題の大きさに比例して重要である。
 事実、この数年のうちに本県でも、生徒、保護者、卒業生、県民、教職員連携の運動が急速に進み、当局との話し合いで、05年度入試の定員制減を緩和させたり、私学奨学金を1万円アップ、公立・私立の入学定員を「協議する場」の設置とその「原則公開」、廃課程になるかも知れなかった平沼、湘南通信制に一部機能を残させる、などの成果を引き出す牽引車となってきている。

 特に今日、教育基本法や憲法を生かす観点から、共感をベースにした共同・連携の運動を求める機運は高まっている。 それぞれの持つ特長を持ちより、またさまざまな制約を理解し合い、大きな運動体をめぎしながら、自らが望む教育の機会を求める人たちのために奮闘しましょう。

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