1992年5月26日


  シリーズ 定時制のたたかいから B

是非、養護教諭の専任配置を



1.1970年前後
 養護教諭の数は「高等学校設置基準」「公立高等学校の設置、適正配置および教職員定数の標準等に関する法律」によって定められています。
 神奈川県立の定時制では、1970年前後には養護教諭の定数を持っているところが幾つかありました。しかし、集団就職による生徒数の増加のなかで一般の教員に読み替えることが組合と当局との合意で行われました。ここに県立の定時制に養護教諭が存在しない根拠が生じたのです。

 その後「標準等にかんする法律」は改定され、県全体での養護教諭の数として算定されることとなり、いよいよ学校規模の小さい定時制への養護教諭の配置は法的にも困難になりました。

 各定時制は、1970年代の半ば頃から養護教諭の配置を強く求めるようになりますが、「組合と当局との合意」「法的根拠」からその実現は困難でした。 他方、学校での検診について医師会の動きも出てきました。


.医師会の動き 〜 やっと、1週6時間の非常勤が実
 養護教諭の配置は、「資格を持った助手がいないときは学校の検診に行かない」という、医師会の強い意思表明によって進み始めました。
 こうして1970年代の後半で、まず1週6時間の非常勤が、すべての定時制に配置されました。

3.実態調査と県交渉 〜 週6時間を更に進めるために
 身体的・精神的に困難を抱える者が増加し、養護教諭の専任配置はいっそう切実さを増していましたが、教育予算要求で組合執行部は具体的資料を持たず、また生徒実態を調べることをプライバシーに抵触するとの理由で行いませんでした。

 希望ヶ丘定時制では、320名の生徒を対象とした簡単な実態調査を行いました(1984年1月)。これによって具体的な疾患や問題が89名の生徒にあることが示されました。併せて横浜市立・川崎市立・横須賀市立の定時制での養護教諭の配置状態も調査しました。こうして、定時制対策会議でこれらの資料を基に当局との交渉を求めました。

 1985年度に向け12時間の非常勤講師時間を要求しますが、その後の進展も困難でした。組合大会にも修正案を毎年提出しました。
 生徒実態の調査・他県との比較は、当局との交渉で大きな力を発揮し、執行部はこれらの調査を自ら行うようになり、当局との交渉に現場代表を入れるきっかけともなりました。

 全日制過大校での養護教諭複数配置のたたかいは、定時制での養護教諭専任化のたたかいと連携し効果的に作用したといえます。

4.専任配置への歩み   

1986年度 非常勤時間が12時間を超えました。
1988年度 これまでの厚木南の専任の他に、6校で33時間の非常勤が実現します。当局は33時間の非常勤を一律に減らし、すべての職場に20時間の非常勤をとの提案をしてきましたが、これに組合の定時制対策会議は反対し、現場からの意見書を集める運動を始めました。
1989年度   専任 厚木南
  臨任 湘南 希望ヶ丘 相模台工 神奈川工 平塚商
33時間非常勤 向の岡工
1990年度   専任 厚木南 湘南 相模台工 神奈川工
  臨任 希望ヶ丘 平塚商 向の岡工
1991年度   専任 厚木南 湘南 相模台工 神奈川工 希望ヶ丘 平塚商 向の岡工

5.教訓と課題
 このように現場からの要求活動は大きな力となり、組合本部が否定的だった養護教諭の専任配置は大きく前進したのです。

 しかし、生徒減を理由にその後の前進は、22職場中7職場までで止まっています。すべての青少年に等しく後期中等教育を保障していくためにも、すべての定時制に専任の養護教諭を配置することが必要です。

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