2003年5月19日

教育の仕事にふさわしい待遇と条件整備を  

  ー 今の教育行政は、教職員の尊厳と生命を脅かしている 


 いま教職員の間では判で捺したように、「もう辞めたいよね。余裕が全くなくなって、委員会ばかり増え会議々々。授業の下調べの時間もなく、教師だった校長は小役人みたいになって研修も認めようとしない。県教委も『教育改革』などタテにとった上意下達ばかり。何だか空しくなって」という会話が交わされている。

 多くの教職員がこうした気持ちに追い込まれているこの事態は、ある面で神奈川県立高校の教育が危機に瀕していることにほかならない。
 なぜこうなっているのかを明らかにし、事態解決の方向を考えてみよう。
 

広がる「管理」の異常さ

 2000年の二学期ごろから、それまで定時制に集中的であった「服務」という名の管理強化が全日制にも行われはじめた。

 具体的には県教委が現場状況に合わせた「一斉休憩時間の付与」(労基法)の独自運用を認めなくなり、事実上45分の休憩時間をなくしたこと、また、教特法の「研修権」を当局の専権事項のように歪曲、制約したことで、ともに違法である。

 この結果、慢性的疲労が広がり、教育の基盤である研修を保障しない当局や管理職の非常識さに怒りが広がっている。

 この間、「指導力不足教員」制度化、「新たな人事評価制度」実施、そして5月末の管理部長等の「学校敷地内駐車の原則禁止(通知)」と続いている。

 多くの学校では生活指導に追われ、「総合的学習の時間」や、くるくる変わる「入試制度」への対応、県教委通知などで20近くに増えた委員会の会議々々 一 。
 いくつかの点について、定時制実態から見てみよう。
 

放置された不健康状態

 定時制の現場では午後1時ごろ出勤のため、11時前後に朝昼兼ねた食事をとるか、出勤後に昼食をとる人が増えている。健康によいはずがない。5時半の授業まで職員室にカンヅメ状態。そして10時まで、生徒指導に息の抜けない状態が続く。

 『県立高校再編計画Jの統廃合で全日制には入れなかった不本意入学者の増大。授業妨害や教員に対する暴言や脅迫、エスケープする生徒、オートバイで乗り付ける部外者・・。校内外巡回、放課後の校舎内点検と掃除 一 そしてなかなか通じない保護者宅への電話連絡など。

 ゆとりのない教職員の勤続状況は健康状態にも、定時制教育の「人間的触れあい」の良さにも大きな影を落としている。

 咋年出された高教組定時制教研委員会の『勤務実態と定時制教育のアンケート調査報告』には切実な声があふれているが、実態はさらにきびしくなっている。
 例えば定年退職にあと数年の先生が「辞めたい。でも子どもがまだ学生だから」とつい本音をもらす現実がある。

「新たな人事評価制度」は教育の取り組み効果を後退させている

 「新たな人事評価制度」が始まったが、「校長は現場にいないで何を評価するの」「一致して生徒指導しているのに、『評価』で教職員をバラバラにすれば、荒れた学校になってしまうのは明らかである」「評価の視点が我々と管理職と違うのをどうするつもりだ? 恣意的評価になってしまう」などの声が聞かれる。この批判はもちろん全日制でも同じだろう。

 教育現場は複雑で困難なものを抱えている。管理職が「学校計画」を立て、各教職員が「自己観察記録」を書いたり「評価」を受けて、問題が解決するほど教育の営みも実態も単純ではない。むしろ、その取り組み効果を後退させるだろう。

「車通勤」を認め、教師に余裕を


 「学校敷地内駐車の原則祭止(通知)」は、唐突で教育活動上も問題が多い。理由に「環境問題への対応」というが、校外に駐車すれば、排気ガスが減るということだろうか。ここに、神奈川新聞(5月31日付け)の投書の一部を引用してみよう。

 「なぜ、車で通勤してはいけないのでしょうか。会杜などでの、書類や大人相手の仕事と違い、生身の子供たちとの授業です。肉体的にも精神的にも疲れた人間にはできない仕事ではないでしょうか。・・・・公立の教師が子供たちのため、朝から夜まで働いていることに親として、心から感謝しています。教師たちが心に余裕のある生活で、子供を育てていける環境がほしいと思います・・・・」.そもそも、モータリゼーション社会で教職員も、一般人と全く同じにそれを前提とした複雑で過密な生活を営んでいる現実を直視する必要がある。この面からも投書のように、「なぜ、車通勤がいけないのか。」である。

 むしろ、来校者と教職員のための駐車場を「学校設置基準」として、早急かつ計画的に整備することこそ、現実にあった解決方法ではなかろうか。

 定時制でも指導上、車は不可欠である。仕事で車通学する生徒の指導、深夜に及ぶ会議と遅い通勤時間帯の問題など、「通知」は例外を認めてはいるが、教育上支障が増えることは避けられない。さらに異動希望が通勤に便利な高校に集中しないか。現実に合わない「通知」は、この面でも危険を孕んでいる。 
 

自主的研修権の保障は県民への義務

 「報告書」の提出を義務付けた研修は、自主性と主体性を大きく制約しているが、場所も「自宅」は認めない上、長期休業中は事実上研修を認めない動きさえある。生徒の成長に資する今日的な教育実践を持続することや、教育に携わる者としての社会的に公正な判断力を養い高めるためには、自主的研修はむしろ教職員の義務とも言うべきものである。それはひいては保護者や県民に対する義務を意昧する。

 「人事評価」の一方で、研修しない教員作りをする 一 。県教委が県民に対し、行政責任を歪めるこのようなことは許されないはずである。
 県教委は教職員の取り組みを激励し、その成果を生徒や県民に還元できる方策こそ打ち出すべきである。
 

教育を守るために実態を多くの人に

 教職員が責任ある仕事ができないような状態に追い込まれている。高教組もこの実態に批判はしながら、「教育改革」推進の立場上有効に対処しきれていない、私たちがこの事態を押し止どめるためにすぐできること、それは身近な家族、親戚、友人、知人、市民運動の人達・・・・、こうした人たちに実態を具体的に伝えていくことである。

 これは、とかく誤解されがちな教職員の立場を理艀してもらうよい機会でもある。論議も生まれてくるだるう。これらを通して「教育を守ろう」の連帯の波を作っていくことが、いま緊急に必要なのではなかろうか。
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