2002年12月27日
シリーズ 教育基本法を守り、生かしていこう @
学校教育にいう『公の性質』(教育基本法第6条)は、国民の側のものである
この11月14日中央教育審議会は、遠山文科相が「見直し」を求め諮間した「新しい時代にふさわしい教育基本法の在り方」について、中間報告を公表した。さまざまな視点から、教育基本法(以下、基本法)を国家本位に換骨奪胎するものだとの批判が高まっているが、本紙(『連合路線の見直しを ニュース』)では3回にわたり、主に学校教育(第6条)、教育行政(第10条)の条項を中心に、最近の具体的事例をもとに、一つの批判的視点を提示したい。
時機を得た横浜弁護士会の『勧告』
憲法26条「教育を受ける権利」と基本法3条1項「教育の機会均等」を生かして、ささやかに思われがちな「定時制高校の存続」要求に応えた横浜弁護士会の「勧告」は、今日の状況下できわめて意義深い。基本法を国民の手で名実備わったものにしていく点からも、いっそうその役割が輝きを増していくだろう。
文科省と中教審のいう「公の性質」は国家主義的 「公の性質」とは、国民に帰する性質
いま、「少子化」や「改革推進」、「多様な選択」の名の下に全国を嵐のように襲っている「学校再編計画」という学校リストラ(「統廃合」)―教育の機会の縮減と学校間格差付けは、憲法にいう基本的人権を侵害し、基本法の6条(学校教育)の「法律に定める学校は、公の性質をもつ」の強引な解釈の押しつけによって行われている。
つまり、文科省と中教審は「『公の性質』とは、教育は国家的な事業であり、国・自治体(設置者)が管理・規制することで公共性が保たれる」との立場から、『再編整備計画』という「'学校つぶし」を教育行政の一つ」としているわけである。しかし、この立場は国家主義的なものであり、それを精算してから成立した教育基本法とは相容れないものである。中間報告の反動性は、ここらあたりにも胚胎している。
この学校教育の「公の性質」が、基本法前文はもちろん、先にふれた憲法26条や基本法第3条、第1条(教育の目的)、第2条(方針)などからも、主権者である国民に開かれた基本的人権として保障すぺきものとする点にあることは明らかなのである。
さらにいえぱ、憲法にある生存権(25条)、労働基本権(27、28条)と緊密に一体化した社会権の一つとして、国民に帰属する性質なのである。
この児童・生徒、保護者、国民に帰属しているはずの「公の性質」が、「今日の教育状況」を口実に、さまざまの提言や答申・報告などによって歪められつつある。つまり、享受する教育の量や質の面で、格差付けが進行しているのである。
危険な中間報告 ― 「学校の役割を明確に規定する」
こうした格差付け教育の進行は、「優秀な」生徒を「加.工」することに没頭して、これからの時代を担っていく児童・生徒たちの、個人・階層両面からの格差拡大を図ることになっている。中間報告は「学校の役割を明確に規定する」としているが、進行中の「教育改革」の既成事実の上に、国民の側の「公の性質」に対立させた「学校規定」ならぱ改悪以外の何ものでもない。
シリーズ 教育基本法を守り、生かしていこう A
答申の前提は、生徒も教員も国家に帰属するものとしている
この3月下旬、中央教育審議会は教育基本法を改正するよう、文部科学相に答申した。 「改正」を求める答申は1947年施行以来はじめてだが、委員からは「法は行為を律するが、心を律するものではない」「結局カジを取ったのは文科省の事務局」「審議というより長時間シンポジウム」などの声が上がり、「答申」が個人や家庭まで国家が踏み込む慎れの強いものであり、文科省主導で蕃議不十分なものであったことを示している。
因みにこの答申は目標を「21世紀を切り拓く心豊かでたくましい日本人の育成」としているが、咋年8月文科相が経済財政諮間会議に出した『人間戦略ビジョン』の題名「新しい時代を切り拓くたくましい日本人の育成」にそっくりなのも、その本質を示竣している。
シリーズ@では、6条の「学校教育」を中心に、特に学校の持つ「公の性質」について述べたが、Aでは同条の後段に規定されている「教員の身分」の特性について述べてみる。
ここで、教員は「全体の奉仕者」であり、その使命と遂行が義務づけられ、そのためにこそ、身分の尊重と待遇の適性が政府によって図られねばならないと規定している。
つまり、前文の「憲法理想の実現には国民教育の力に期待する」との趣旨の担い手である教員の、使命ゆえの重みが明快に述べられているのである。
ところが、答申では「A教員 一 学校教育における教員の重要性をふまえ、現行規定に加えて研修と修養に励み、資質向上を図ることの必要性について規定することが適当」と、「研修・修養・資質向上」が新たに強調されている。教特法の「研修」の章に謳われていることでもあるから、一見もっともに思われる。
教師を「『特定の支配jへの推進者」に追い込ませないためにも、反対に立ち上がろう
しかし、答申では同時に、それが「評価の実施、適切な処週、不適格教員に対する厳格な対応、要請・採用・研修や免許制度の改善」を伴うものであることを明らかにし、こうした教員政策を「教育上の最重要課題」としているのである。このように「あるべき教育」「あるべき教師」を抽出するための諸施策を掲げている点に、現行法と決定的違いがある。では、その施策の動機となっているものは何だろうか。
答申全体には、「たくましい日本人」、「国を愛する心」というキーワードとともに「グローバル化の進展と国康的な大競争時代」の項目が目にっく。そしてここにその動機があることは容易に推察できる。つまり、「21世紀の進展するグローバル世界を生き抜く、たくましい日本人」、「国際社会で国を愛する心を持った帰属性ある日本人」を育てる教師づくりをめざし「研修・修養・資質向上」を入れ、諸施策とリンクさせようとしているのである。端的に指摘すれば、教師を教育の条理を踏まえた「全体の奉仕者」から、かつての国家主義的体制の担い手 一 『特定の支配』への推進者」へと追い込みを図っている。
「指導カ不足教員」の法規定や、新たな「人事評価制度」の発足はその一環であろう。
教員は、国家に帰属する身分をもって、学校・児童生徒、家庭・社会をすべて国家に帰属させる一翼を担った歴史を繰り返してはならない。教育基本法改悪をめざす勢力と対峙して、はっきり反対と意志表示しなければならない点の一つが、ここにこそある。