2002年7月19日
試行に入った「新たな人事評価制度」明らかになりつつある問題点を発信し、
保護者・県民との共同を
「新たな人事評価制度」の導入は、この4月からいよいよ12校で試行に入った。
昨年10月の教職員人事制度研究会の「報告」を受けて、この2月、県議会で質問に答えて岡崎知事、小森教育長(当時)が「処遇に反映する評価制度にする」「試行の検証を得て、15年度に教職員の新たな人事評価システムとして実施していく」と言明。
3月には、教育庁内の教職員人事制度検討委員会が『教職員の新たな人事評価システムの試行にあたって』という冊子を公表。「報告」を踏襲した内容で、「自己観察書」「観察指導記録」の書式をまですでに添付されている。試行校用の冊子はこの制度がイメージできるように具体的で、書式項目はさらに詳細になっている。
今、試行校では
ある試行校の進行状況はこうである。
4月下旬に校長が、「学校目標」6項目を作成。5月、職員会議で確認。これに基づき教職員個々の「自己目標」(教科・教科外・学校運営)設定。6月、3週間にわたり、提出した「自己目標」をもとに、日割りで1人約20分の校長・教頭との面接が行われた。
そこでよく言われたことは「もっと具体的に書きなさい」だったという。試行は9月に終了、10月には評価が出される予定である。
言うまでもないが、試行校では教職員間に、将来的にこうした評価が処遇に反映されられるのかという不安が大きく広がっている。そして、教育が空洞化していくことへの危惧がかつてなく強くなっている。
「教育改革」の効率的な担い手つくり
ここで今一度、この人事評価制度の狙いを見ておこう。
戦後、今の自民党につながる政治勢力が、国民の統合と労働力政策の一分野として「教育政策」をつぎつぎと打ち出してきたが、今日の教育をめぐる深刻な問題の多くは、その結果と言っていいだろう。この点を反省して正していくのではなく、21世紀の国家的戦略として、統合された国民の育成、能力的棲み分けを前提とした国民の育成、そして公教育のリストラ ― 、これらを三位一体に、国民教育から国家本位の教育に移行させようというのが今日の「教育改革」の本質であり、それを担い推進する効率的制度して、この新たな人事評価制度は準備されているのである。
実施3年目の都立高校の現場では
では、この制度実施3年目に入っている東京(都は、「人事考課制度」という)は、どうなっているだろう。都高教「人事考課『黒書』」や証言から、状況をまとめてみよう。 まず、教育活動が「評価」制度となじまない、むしろ、単純な評価基準では教育の定石を地道に踏まえて活動する教職員は評価されないという声が多い。
また、この制度に費やす時間の浪費に対する批判も強い。自己目標の設定や3度の管理職との面接、そして観察授業 ― 。ただでさえ生徒状況からも時間や研修、ゆとりがほしいのに、かえってそれが失われていっている。この事態への「悲鳴」と、そこにこの制度の無意味さを見抜いている教職員は多い。
さらに注目されるのは、評価者である管理職に対する強い忌避反応である
「観察授業を見終わって、生徒に実名をあげて、あの先生と比べてどちらがわかりやすい?と聞く」管理職もいるというから驚く。当局追随で保身的、教育に対する識見も人格面も信頼のおけない人物に自分の教育活動が評価されるのは「屈辱」だとする痛切な意見が多い。しかしその一方で、面接などを通して教職員間に管理職に対する一種の「親和感」が醸成されつつあるとの指摘もある。
こうした問題点のまとめるかのように、おそらく強いストレスをともなってであろう、「このままでは都立高校の未来はない」とする回答が散見される。ポツンと「結果責任はだれがとるのか」という意見もみられる。
夜間定時制で、どんな問題が
この制度の問題点が定時制にも及ぶことを前提にした上で、この制度が、夜間定時制の教職員を対象に試行されることに、相対的にどんな独自の問題点があるのかみてみよう。
まず、不登校やいじめ、不本意進学による中退、学力遅滞、家庭や経済事情、心身の障害など、さまざまな困難を抱えて「居場所」を求め、「学び直し・生き直し」を胸に、入学してきた生徒たちの学びの場が、今日の夜間定時制であるという認識が必要である。
こうした定時制に、個々の教職員を五段階に評価して競わせて分断し、処遇に格差を付けてしまうことは、定時制教育の破壊であり、その弊害を受けるのは生徒である。
もちろんこうした弊害は、課程の別なく同じだが、より定時制のほうにその不条理がわかりやすく現れるということである。
しかも、定時制課程が未経験かごく浅いというえに全日制兼任である校長と、ほとんど定時制の現場実態も知らない新任の教頭とで人事評価を行おうとすれば、教職員との信頼関係はできないだろう。
いま、この問題に求められているのは
この制度の万全の実施のための試行だと県教育委員会はその目的を述べているが、それならばその試行の公正な結果報告のために、まず試行校の全教職員に対象にアンケートを実施してその結果を公表すべきである。さらに全教職員対象にアンケートを実施すべきである。この制度が結果責任を問われないものにするには、大切な取り組みの一つのはずである。
次に、試行校における管理職の絶対評価と県教委の相対評価の具体例を無作為抽出で公開すべきである。なぜなら評価の公平性を約束しているのだから、実施前にその証しを教職員に示しておく義務があるからである。
教職員組合は試行校の教職員をどう励まし、支援していくかを明らかにすべきではないか。
一部で評価段階の多少を問題にしているが、評価による格差付けそのことが問題なのである点を見誤っては、反対闘争にならない。
最後に、父母、県民に向けて、「教育改革」の名で権利としての教育が破壊されつつあることの警鐘を乱打し、その実態情報を多彩に、度数高く発信し、連帯を強めていかなければならない。
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