2001年6月1日

  シリーズ 「教職員人事制度研究会『検討資料』を斬る」③ 

民間でも見直しが始まった成績主義評価を
今、学校現場に導入することは最大の誤り


 県教委は、自らが依託した「学識者」で構成する「教職員人事制度研究会」(以下「研究会」)がまだ最終報告をまとめていないにも関わらず、新たな人事評価システムを早急に導入することをめざし、4月25日に庁内に行政レベルの検討組織を発足させた。

  「研究会」は昨年末に『検討資料』をまとめたが、さまざまな教育関係者から多くの問題点の指摘と反対意見を受け、今年の秋に最終報告を出すべく、現在検討を続けている。

 しかし、この最終報告を待つことなく、行政の検討作業が着々と進められているわけで、県教委は「研究会」を自らの操り人形としているだけでなく、多くの教育関係者を愚弄していると言わざるを得ない。

 開かれた県政、民主的な県政を標榜しているのなら、今すぐ行政レベルの検討組織を最終報告が出るまで凍結すべきである。

 さて今回は、新たな人事評価システム、すなわち成績主義評価を取り入れている民間企業やアメリカと東京都の学校の例などを示し、「研究会」が美化し、導入を検討している成績主義評価が、実はすでに民間企業をはじめとして至るところで破綻し、見直しが始まっていることを指摘しよう。

日本の民間企業で、成績主義評価の見直しが始まる

 この4月、大手企業ではいち早く1993年に成績主義を導入した富士通が、その評価方法の見直しに踏み切った。マスコミは次のように伝えている。

 「脚光を浴びる仕事で評価を得たいがために、地味だが大切な業務を避ける傾向がある」 「マイナス評価になるので、面倒なこと、半期で成果が出ないことはみんなやりたがらない」 「評価の公平性に不満を持っている。直属の上司は、お気に入りの部下への評価が高い」(『週刊朝日』4月6日号)

  「どうしても目一杯の目標を決めてしまう。真面目な社員ほど目先の仕事に追われて神経を擦り減らしている」(『週刊ポスト』5月4日号)

 また、富士通以外でも成績主義賃金を見直す動きは急速に広がっており、SPAジャパンでは「売り上げ拡大に偏重し、アフターケアをおろそかにして“売り放し”になる傾向があった」(『週間ポスト』同号)と問題点を認めている。

 雑誌スパは、4、5月号に特集を組み、以下のように成績主義賃金の弊害を明らかにした。「会社挙げて目先の利益を追い、失敗したら責任のなすり合い」「失敗を恐れるあまり、若手社員のスキルが上がらない」「他人を蹴落とすことを考える風潮があり、・・・・チームワークは成果主義導入前より悪化した」スパは、成果主義の本家アメリカでも、「なるべく人材を社内に維持する戦略から、成果主義を見直している」と伝えている。

校長や教員主導によるカンニングが増えるアメリカの学校

 アメリカの教育界では、校長や教職員が生徒の平均点を上げようと正解を不正に教えるケースが増えているという。「ニューヨーク市で昨年暮れ、公立32校の教諭や事務職員計52人がカンニングに関与したと名指しされた。校長や教頭も含まれていた」(『朝日新聞』2000年2月9日)。

 それによると、いずれも動機は、勤務成績を上げたいという教職員側の焦りにあった。アメリカでは、クラス全体、学校全体でテストの成績が上がると、昇給など教職員の待遇面で有利に働く。逆に生徒の成績が下がれば、校長や教職員の能力が疑われ、マイナス評価となる。成績主義評価が導入されると、こうした事態が予想される。

 また、日本の私立学校の中にも成績評価を導入している学校があるが、担任をしている学級の出席率が評価対象となるため、熱のある生徒を欠席させないように担任がタクシーで迎えに行ったり、欠席の多い生徒を安易に退学させようとするなどの弊害が現れている。 

すでに導入された東京都では、様々な問題が生じている

 東京都では、2000年度より多くの教職員、都民の拙速な導入に反対する意見を押し切り、「人事考課制度」という成績主義評価が行われるようになった。

 この制度は、①自己申告 ②業績評価 ③賃金・人事・研修などへの活用、という三つの柱からなっている。

 自己申告は、校長が示す「学校経営方針」を踏まえて各教員が「目標」を設定し、どこまで達成できたかを「自己評価」するものである。したがって、教育委員会の指導に追随した校長の「経営方針」を押しつけられることが予想される。

 現に、東京ではコピーした「申告書」に鉛筆で下書きをさせ、校長と教頭との面接で書き直しを迫っている。また、「申告書」に異動希望を記入する欄を設け、「申告書」を出さない場合は「異動について白紙委任と見なす」という圧力がかけられている。

 業績評価については、評価を行うために管理職による授業観察が行われている。どのクラスの授業が観察されるのかということで、職場に動揺が生じており、「問題の多い大変なクラスの授業を持ちたくない」とか「授業観察ではクラス担任も評価されることになる」という声が起こっている。

 評価は校長・教頭による5段階の絶対評価の後、校長による3段階の相対評価に基づき、教育委員会が5段階の相対評価を行う。この二つの相対評価は、未来永劫非公開とされ、すべては藪の中に隠されてしまう。

 そして、この評価が賃金や人事に反映されることになるため、ひとり一人の教職員が競争を強いられ、疑心暗鬼となり、教師集団が集団として機能しなくなるのではないかと危惧されている。

成績主義評価の問題点をふまえ、『検討資料』を全面的に見直すように

 そもそも教育は、子どもたちの「人格の完成」(教育基本法)をめざし、教職員が協力・共同して子どもたちに精神的・文化的な働きかけを行い、子どもたちの成長・発達を援助する営みである

教育活動は、教職員が力を合わせてこそ成果をあげることができる集団的な取り組みである。また、成果は短期的に現れるとは限らず、長い目で子どもたちの成長を見守る姿勢が重要である。

 しかし、成績主義評価は短期的な目先の成果のみを評価対象とし、また同僚の教職員の失敗を期待するような競争を強いることになる。成績主義評価は、教育の本質的な要件を蹂躙し、学校教育を破壊していくことは明らかである。

 「教職員人事制度研究会」は『検討資料』提出後、続出している民間企業の成績主義評価の見直しの動きを十分に調査・研究し、成績主義評価の問題点とその実例を全面的に検討し、さらに教育関係者をはじめ多くの県民から意見を聴いて、『検討資料』を全面的に見直すことが求められている。

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