1991年9月20日


  シリーズ 定時制のたたかいから ①

連携プレーで跳ね返した「研修日」攻撃  

『連合路線の見直しを ニュース』第5号(1991年9月30日)より



 近年の定時制のできごとを振り返って見ると、「研修日に対する当局の攻撃」、「養護教諭専任化の闘い」、「給食改善の取組み」、「人事異動への15年ルール導入反対の闘い」、「機械警備導入の反対の闘い」等々が思い出されます。

  定時制の統廃合・単位制高校の新設という攻撃が当局によって開始されたいま、これまでの闘いを振り返ってみることは有益なことと考えます。
 この記事に関連してのご意見や新資料等がありましたら是非送っていただき、皆さんと共に闘いのエキスを取り出して行きたいと思います。


A 経過
 1984年度末に、校長会を表立った攻撃主体として、ほとんどの定時制に20年来根付いてきた「1日研修」について、「ヤミ年休ではないか」とする攻撃が始まりました。
 発端は、ある定時制についての投書で、「研修日問題に手を付けないと議会筋から取り上げられて大変なことになる」という当局の揺さぶりでした。

 各分会はこれに対し、基本的・実質的には従来の「1日研修」を守り抜き、1986年度に入って一応の決着をみたのでした。


B 争点
 校長会は、「無届けで定期的に行われている現行の研修なるものは実際上はヤミ年休のようなもので、もし教育公務員特例法(以下、教特法)19条、20条に基づく研修ならば、届け出て不定期に行うものである」、「正規の勤務時間よりも短い現行の勤務時間は、研修を保証しているものと考えられるから、もし現行の研修を存続させるなら勤務時間を正規のもに戻すべきである」という2点を攻撃の内容としました。

 これに対し、各分会は「研修権は慣行化している既得権であり、教特法19条、20条にその根拠を持つ権利である。定時制勤務の特殊性を、労働条件の免から補填している側面もある」との主張で反撃しました。

C 攻撃の意図はどこか
 研修権は教特法第20条に保証され、教育労働を支える権利です。これを真正面から攻撃することをはばかった県当局は、校長会を表に立てた「綱紀粛正」ののろしを現行研修にむけて上げたと考えられます。

 校長会も「行革」、「臨教審」の動きを背景として「現場管理強化の実績づくりの好機」ととらえたのではないでしょうか。

 言うまでもなく、この研修権への攻撃は、単なる「綱紀粛正」にとどまらず、教育活動への干渉、統制、支配を意図してしかけれれた攻撃であったといえます。

D どのように展開したか
 組合本部は、従来の研修体制を維持するためには「届け」をただ提出すれば当局の攻撃をかわせると、形式を整えることを中心にしました。従って当局の攻撃の本質を理論的・実践的に解明し、闘いの方針を出すという本来の責務を為し得ませんでした。その一方で、「統一対応」方針の校長会と話を進め、「校長会と話し合いがついているから、後は現場で形をつめるだけ」と「分会一任」の方針を示しました。

 各職場では、改めて研修権についての学習会が持たれ、長い間かけて研修日を定着させてきた苦労等が様々に話し合われました。そして、「この研修日に対する攻撃に『届けの形式の問題』として対応するなら当局の思う壺にはまってしまう」、「研修権そのものへの攻撃と考え反撃し、これまでの研修日を守り、権利として定着を目指そう」という動きが各分会で強まってきました。

 各職場間で資料の交換や電話での情報交換が行われ、校長会の「統一対応」を打ち破る大きな力となりました。多くの職場で、校長と研修日についての話し合いが行われ、中には研修権について文書を取り交わした職場もありました。

 こうして、約2年間にわたった闘いの終わりには、中心になった校長が「これまで通りでいい。ただ研修印を出勤簿の押すために届けを出してほしい」と言うところまでになりました。

 E まとめ
 この研修日問題では、県当局の研修内容への介入の危険性を実際上排除し、現行の研修体制を維持・存続できたこと、勤務時間の問題には触れさせなかったことで大きな成果があったといえます。さらに、研修権について大いに議論し、管理職ともさらに前進した確認ができた職場のあったことも成果といえます。

 そして、こうした前進の基に「職場での学習・討議」、「各職場間の情報交換と励まし」、「職場独自の創意ある闘い」、「事柄の本質を見抜く様々の知恵を集めた議論」等があったことは、忘れてはならないことでしょう。
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