2000年11月4日
県教委の「指導力不足教員等への指導の手引き」は、
教職員および学校の主体性・自主性・創造性をそこねるもの
県教育委員会は、9月18日付け通知で県立学校長に「指導力不足教員等への指導の手引き」(以下、「手引き」)を配布した。
今年度に入り、県教委は自ら「異動要綱」に違反した不当な異動を敢行したり(本会代表中陣唯夫を不当配転)、立て続けに管理統制を強化する「服務通知」を発し「労働基準法」に反して教職員から休憩時間を事実上「剥奪」したり、職員会議の校長補助機関化を徹底させてきている。その結果、県教育行政のひどさに対する疑問と怒り、忌避の念を現場に蔓延させている。
こうしたもとでも、個々の教職員の誠意ある教育活動は営まれているものの、士気の低下の広がりは避けられなくなっている。今回の「手引き」は、こうした状況をさらに加速させかねない内容を含んでいる。それはなぜか。
「服務通知」と「手引き」で、教育の条理と保障はどこへ
第一に、「手引き」全体が、学校教育の大前提を欠落させていることである。つまり、教育活動は父母、県民の付託を受けて営まれているがゆえに、教職員および学校の主体性、自主性、創造性は十分に保障されねばならない。この点を、「手引き」はまったく顧慮していない。全教職員を「指導力不足教員等」であるかどうかの対象にしようとすることは、先の「服務通知」に引きつづき、この保障すべき点を重ねて否定している。
第二に、「指導力不足教員等の例」の中には、評価、認定が主観に委ねられやすい例がいくつもあげられている。たとえば、「生徒とのコミュニケーションがとれない」などのことは、多くの教職員が経験していることで、これをもって「指導力不足教員等」というのなら誰もがその対象となりうる。
「上司の指示や指導を無視し」などともあるが、全教職員による十分時間をかけた協議のもとに明らかになった職員の総意の上に、上司の指示や指導を置き、それが絶対だとなれば、教育現場の円滑な運営がさまたげられるのはもとより、特定の教職員の排除、ひいては「特定の支配」が教育現場に貫徹されてしまうだろう。教職員に照準を当て、管理職に強権を与えるような「手引き」は、教育現場を萎縮させ、荒廃させるように働くだけである。
第三に、こうした県教委の方針が、各学校の独自性を考慮せず、学校管理職を通して上意下達に現場に下ろされるようになると、誤りを指摘し、手直しを求めるチェック機能が作動することが難しくなる。例えば、「指導力不足教員等」という認定に際しての誤認とそれによる人権侵害が引き起こされた時、管理職と県教委の責任はどうなるのか。その点を、この「手引き」はまったく触れていない。これでは、教職員は「まず無難に」という「事なかれ主義」に陥って、現場は無気力化していくだろう。
教育条件・勤務条件の格段の改善整備こそ、県教委の緊急の課題、責務
県教育行政は、その本来の職務として条件整備に格段の努力を傾注し、現場教職員を励ますことが必要である。県教委が本当に「指導力不足教員等」の解決を求めているのなら、まず「教育公務員特例法」にもとづき、自宅研修を含めた教職員の自主研修を認め、保障することである。さらに、30人以下学級を直ちに実現し、専任教職員の増員、授業持ち時間の軽減、休憩時間の確保をはじめとする勤務条件の改善などを早急に行うことが必要である。
また、教育の条理に基づいた各校の自主的な学校運営に干渉しないこと、メンタルヘルスケアの格段に求められる職種であることを尊重した管理姿勢、そして教職員の健康管理を重視した厚生活動などが求められる。教職員の士気を低下させ、教育活動そのものをそこねるリスクの高い「手引き」ではなく、教育条件・勤務条件の格段の改善整備こそ、県教委の緊急の課題であり、責務である。
高教組は、批判的討議を呼びかけ、「手引き」の撤回を迫るべき
教育現場から見て多くの問題点を含む、この「手引き」を神奈川高教組は分会長管理としている。そのため、各校では細かい点が分からないところから、教職員に不安と危惧が広がっている。さらに、「手引き」が極めて大きな問題と危険性をもっているのに、教職員の間で十分に検討されていないため、既成事実化していく危険がある。
こうした現状においては、「手引き」の内容を教職員はもとより、保護者、県民に完全に公開し、大いに批判的議論をまき起こすことが必要である。そのなかで、「手引き」の問題点、危険性を十分に説得的に示し、これを撤回させていく運動をつくり出すことが、今求められている。
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