2000年2月18日

シリーズ 県立高校統廃合計画を斬る B

再編計画が美化、推進する「単位制による高校」、すなわち

ショッピングモールハイスクールは、すでに破綻、見直しも


  県立高校改革推進計画の第一の特徴は、今後10年間に60数校の県立高校を統廃合の対象とし、結果として25〜30校の県立高校を削減することにある。

  第二の特徴は、新しいタイプの高校の拡大ということで、以下の表のように4種類(5項目)の高校を示し、このなかの三種類が該当する「単位制による高校」の設置を、無条件で美化、推進しようとしていることである。

新しいタイプの高校の拡大

     項   目    実  施  内  容     具 体 的 計 画   
@単位制による普通科高校  単位制による普通科高校の設置 ・設置拡大
  (前期4校、後期4校程度)
Aフレキシブルスクール フレキシブルスクールの設置 ・設置(前期3校)
B総合学科高校 総合学科高校の設置 ・設置拡大
  (前期6校、後期8校程度)
C新たな専門高校・
  専門学科の設置
総合技術分野の高校
総合産業分野の高校等
・設置
  (前期4校、後期4校程度)
D定時制課程における
  新しいタイプの高校の設置
新しいタイプの高校への改編 ・全日制の再編と合わせて実施
  (前期 単位制普通科1校・総合
   学科1校、後期拡充)


  最初にあげられているのは、「単位制による普通科高校」で、これは現在の神奈川総合高校と同じタイプの高校である。

  次は、「フレキシブルスクール」で、単位制で普通科である点では前者とまったく同じである。しかし、1日8時限から12時限の授業を開設する点や、定時制課程が併設されるところで、全定併修が行われる点で、前者と異なる。

  第三に示されているのは、「総合学科高校」で、これは現在の大師高校と同じタイプの高校である。普通科ではなく総合学科である点で前の二者と異なるが、単位制である点では同じである。

     全国的に明らかになってきた単位制高校の問題点

  「単位制による高校」の問題点は、この間先行して設置されてきた各県から報告されている。まず、第一にホームルームという基礎的な集団の形成が十分できないため(新宿山吹高校をはじめとして、まったくロングホームルームを実施していないところが多い)、各生徒が個人個人バラバラに切り離され、コミュニケーションをとる力が十分に育たない。

  また、授業に出ることや趣味的なクラブ活動だけが学校生活となり、学校行事や生徒会活動に対して消極的となり、特別活動による人間形成がおろそかになる。こうした問題点が顕著であるため、東京の国分寺高校では生徒と保護者、教職員が、都教委による「単位制高校への編成替え強制」に対し、大きな反対運動を展開した。

  さらに、「単位制による高校」は必修科目を削るだけ削り、その分多くのバラエティーに富んだ選択科目を置き、それを生徒個人が好きなように選択し、自分なりの時間割を組めることをセールスポイントにしている。しかし、この選択科目が多ければ多いほどよく、それを自由に選択できればできるほどよいという点こそ、「単位制による高校」の破綻をもたらすものなのである。

  すなわち、高校教育が選択の仕方によっては予備校と変わらないものにもなり、また選択によっては駅前のカルチャーセンターと変わらないものとなるからである。「単位制による高校」ときわめて類似しており、単位制で選択科目中心のアメリカの高校は、ショッピングモールハイスクールという批判を受け、破綻に直面し、見直しの動きもある。

     「単位制による高校」は、ショッピングモールハイスクール

  アメリカの高校を数多く視察研究している佐藤学氏は、次のように言う。

  「ショッピングモールハイスクールとは、多種多様な内容(商品)を多数の選択科目(店舗)で提供する、総合デパートや商店街のような学校を意味している。そこでは、教師(売り子)は手を変え品を変えて、生徒(お客)をひき寄せる必死の努力を展開し、生徒のほうは、どこかに掘り出し物はないかと学校をさまよい、いくつかの教室(店先)を『ちょっと見るだけ』と言ってわたり歩くだけだという。

  ここでは、一部の生徒は買い得の商品を手に入れるだろうが、多数の生徒は安物をつかまされるか、将来、クレジットに苦しむこととなる。さらに、教室で疲弊し居場所を失った教師と生徒たちは、遊技場(クラブ活動)にたむろし、そこで親密な人間関係を求めるようになるが、次第にクリニックセンター(カウンセリング室)へと居場所を移し、やがて、そこからも立ち去っていくという。

 ちなみに、アメリカのハイスクールの中退率は25%(都市部では40%)であり、新任教師の半数近くが数年間で燃えつき、離職している。

・・・・選択中心のカリキュラムは、成績が極端によい生徒や悪い生徒、特殊な関心や能力をもつ生徒には有利だが、多様化され選択の幅が拡大されればされるだけ、大多数の普通の生徒には不利に作用する性質をもっている。「個性化」され「多様化」した学校では、多数をしめる普通の生徒たちは見失われているのである」(『ひと』94年7月号)

  佐藤学氏のこの指摘は、まさに日本の「単位制による高校」にもあてはまるといえる。単位制高校である新宿山吹高校は、退学率が33%(92年度)から23%(94年度)であり、都教委も「学力差がある中退者・不登校経験生徒の学校になったが、さらに山吹でも中退する生徒が多い」と認めている。また、問題点として考えられているのは、「HRがないので、生徒の把握がしにくい状況で、問題行動にも対応ができにくい体制になっている」、「担任を中心に選択科目の指導をしているが、安易な方向で選択科目が選ばれる傾向がある」ということである。

     神高教本部執行部が、「単位制による高校」を美化しているのは問題

 神高教本部執行部の「単位制による高校」に対する評価は、「神奈川の高校教育改革プラン」(2003年委員会)の中によく現れており、次のように基本的に「単位制による高校」を評価、美化している。

  「単位制高校は集団の苦手な子にとってだけではなく、自分で集団をつくりたい積極的な子にとっても、従来の学校にはない可能性をもっているといえます」 しかし、このような表面的・抽象的なレベルだけで「単位制による高校」を評価するのは問題で、すでに全国的に設置されてきた「単位制による高校」の現状を、ショッピングモールハイスクールとも比較しながら、詳しく検討することが必要である。

  多様化された選択科目中心で、単位制であるという点では「単位制による高校」は、ショッピングモールハイスクールと基本的に変わらない。アメリカの経験に学ぶならば、こうした「単位制による高校」を設置することに対し、十分すぎるほど慎重でなければならない。この意味からも、県立高校改革推進計画は根本から見直すことが必要である。

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