2021年9月17日

神奈川高教組が連合路線ににじり寄っていった経過

 

「連合路線の見直しをニュース」第3号(1991年3月7日)より


 連合日教組にとどまることを決めた臨時大会から一年余りが経ちました。神奈川高教組(以下、神高教)は、1991年1月29日・2月2日付討議用資料で地域連合の方針を特集しています。
 もう一度、来た道を簡単に振り返って見ましょう。

「日教組を連合に行かせない」(1989年7月第49回定期大会)

 神高教は、連合路線を取らないことを大会方針として明確にするように迫られる中で、自らの態度を曖昧にしながら、「日教組を連合に行かせない」との提案をしました。

 なぜ「日教組を連合に行かせない」との方針を持つのかとその提案理由を更に追及されると、「いろいろ問題が残っているままで日教組に見切り発車はさせない」と、どこまでも「連合路線」の評価をさけ、神高教としての主体的態度をはっきりさせませんでした。

「連合に行った日教組にとどまる」(1989年11月臨時大会)

 日教組が「連合に行くこと」を決めた後、神高教執行部は全国的な課題・統一の力のため日教組にとどまるのだと提案しました。ここでも、「組織力・共に闘う仲間の連帯」などを連合日教組にとどまる理由として説明しました。

 連合の持つ政策・要求については深く言及することを避け、結局「連合路線」を評価することを避けました。

「地方連合(連合神奈川)に参加する」(1990年定期大会)

 全組合員の半数に満たない支持でも新たな組織(連合神奈川)に加わりました(定期大会で連合神奈川加盟を決めた後、全組合員による批准投票が行われました。投票結果、投票総数8,447、有効投票数8418、賛成4,246、批准率50.27%。当時の組合員数は9600名ほどであり、賛成は組合員数の過半数に達しておらず、組合員のなかに多くの不安、批判があるなかで加盟が強行されました)。

 これは、連合についての自らの判断を明らかにしない「連合隠し」をして、組合規約39条を侵してまで強引に「連合路線」に飛び込むやり方と言えます。 「全員投票をただの通過儀礼におとしめたこと、政策を棚上げにして組織論だけという一面的な討議の誘導をしたこと」の2点と規約39条を侵したことで、神高教執行部は組合が常に留意すべき民主主義を大きく逸脱したといえます。

 現在、連合日教組は連合に加盟したゆえに思い足枷を付けられた事実が次々と出てきています。私たちはそれを冷静な事実としてしっかりと見ていきたいと思います。

                   トップ(ホーム)ページにもどる