2018年10月19日


随想 8

法は“やりすごされる”、という文化  

中陣 唯夫(元県立定時制高校教員・「考える会」前代表)


 夜間定時制高校をふりかえると、「給食」はピン留めになっている記憶の一つである。

 県教育行政の「公共性」めかした大人げない攻撃で、半世紀余りで夜間定時制の給食制度を廃止した酷薄さは、そこに教育と学校給食との統一性が見いだせない分、おぞましい記憶となっている。

 それだけにというか、1956年の「夜間高校給食法」(略称)成立前に、国会の文教委員会において都立高校定時制の主事が心をこめ訴えた1400字ほどの記録には、鮮烈なものがある。

 たとえ一片のパンでも生徒に与えられたら、生徒の顔はどんなに明るくなるか,はつらつとなってくるか…。大人が一致団結してなぜ一(ひと)塊(くれ)のパンさえ与えられないのかという生徒の素朴な疑問に教師は答えられないのか…。夜間の電灯の下で空腹を抱え勉強する顔を思い浮かべていただき、定時制教育に輝かしい一ページが飾られんことを切にお願いします。


 では県の「公共性めかした」とは、どういうものだったか。全面的「行政改革」・財政危機・喫食率の低下・“高校は義務教育ではない”・「費用対効果論」(意味ないとみれば予算化しない)・法制化した学校給食衛生管理基準では多くの定時制が不適格等々を挙げ、これらを行政の責務として改善や検討することもなく、「公共性」を盾に攻撃はすべて、「費用軽減・ゼロ」の方向に撃ち込まれた――。

 思えば、この法律の(目的)は、「その普及充実を図らねばならない(・・・・・・)」ではなく、(設置者の任務)も「給食が実施されるように努めなければ(・・・・・・)ならない(・・・・)」と努力目標となっている。これを「梃子(てこ)」にすれば、「改革」はたやすかっただろう。もう、県には廃止した経過(いきさつ)の公文書もない。

 生徒たちの方はといえば、全く為す術(すべ)がない。現場の先生方作成のアンケートでは「絶対継続・できれば継続」合わせて91%、まさに給食は定時制生活を了(お)える「最後の砦」だったのだ。

 生徒の声をいくつか挙げておこう。
*毎日給食を食べている。量にしては安くご飯はあつあつ、牛乳もついていてとても助かっている。バイトあがりの友達と食べてとてもにぎやかな食堂だ。盛りつけてくれる人とも仲がいい。そんな憩いの場を取り上げられるのはいやだ。
*今、自分は正社員からアルバイトに降格されて学生生活は苦しい。栄養バランスが大事だから、生徒の負担額が今より増えても給食、食堂を絶対なくさないでほしい。困る生徒はたくさんいる、断固反対。
*夕食がなくなれば一日0食になるかも。死ぬ。*日本という国が、ダメな国に見えてきた。


 法は粗末に扱えば,「学校」は「収容所」にさえなる。追い落とされるように「給食法」を剥奪された側に立てば、これほどの史料(エピソード)をもって対峙し、強烈な記憶として銘記するほかない。

・親衛隊の看守が鉄条網の向こうで、杖の端に一斤のパンを突き刺してご満悦で歩いていた。彼はパンを泥の中で引きずることで台無しにし、飢えた収容者たちを苦しめたのだ。

・彼は収容所の窓に大きな氷柱(ツララ)が一本下がっているのに気づいた。のどが渇いていたので、それを掴もうと手を伸ばした時,“外を見回っていた大柄な看守”が意地悪くそれをもぎとった。私は訊いた「どうして?」。看守は答えた「ここには理由なんかはない」。
         

D.E.リップシュタット 山本やよい訳 『否定と肯定』 ハーパーコリンズ・ジャパン刊


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