2017年3月5日
随想 4
老成した生徒らは
中陣 唯夫(元県立定時制高校教員・「考える会」前代表)
生徒は教育を受けて育つ者、教師はそれを導く者―こんな常識を引っ剥がすような、時に教師に畏怖の感を抱かせるような老成した生徒に接した想いは、なぜかなかなか消えない。
炉を切った森(しん)とした八畳間。鉄瓶の湯を急須にそそぎ、すすめた湯呑に一滴の落ちきるまで、じっとそれを傾けている――。この静かな所作の主は、中学二年の眞木くんと呼んだ親友だった。
学年トップの成績、スポーツも万能。授業中は身じろぎもしない。その成果か、学期の試験勉強などは全く他所事風(よそごとふう)で、ライバルは徹夜で立ち向かおうとするが敵わない。鉄棒を撓(しな)らせ緩急つけて回転する大車輪。バンと踏み込んで、高くヒラリと向こうに着地する跳び箱。
しかし調和のとれたこの少年には、いつもすべてを見通してしまっている雰囲気があつた。
県の有名校に進学するでもなく、淡々とした姿であっさりと地元の高校を卒業。校長さんと体育の先生のご両親の意向にも頓着せず、当時珍しかった「福祉」を冠した私大に進学。秀才にしてどんなブランド大学ともイメージの重ならない何とも摩訶不思議な存在であった。
住宅ローンを組み、第二子誕生を控えた家計には、講師要請の声かけはありがたかった。
通勤一時間半の京浜の私学進学校。中学で高校三年レベルの文法、片や勤務する定時制の生徒たちの実情は―。この歴然とした学力差の切り替えに、今思えば少し苦労していたようだ。
ある日、廊下に「全国模擬テスト優秀者」と大書して、横断に100名ほどの名前が掲出されていた。その前で、五指の内に入った高校一年の生徒が讃嘆の声に囲まれている。通りがかってそれと気づき「君おめでとう。すごいね」と肩をたたくと、「あんなもの、つまらないですよ」と素っ気なく言うとすっと行ってしまった。私の内心は惨めに急速に凋(しぼ)んでいった。大人びた彼に、世の大路を狭しと横行する「線引き」尺度に付和雷同している、わが心根を見透されたと思ったのである。
この社会的空間で堪えているのは、実はこうした彼らの方でなかろうか、学力の高低にかかわらず。幾重にも鹿爪(しかつめ)らしく「線引き」を設ける人たちは、彼らの眼にどう映っているのか興味深い。
ここまで想いが動いてゆくと、必ず頭に浮かぶのは小泉八雲の小さな一つの「怪談」である。
出雲の大変貧しい百姓夫婦は、赤子を次々と六人も川に投げ込み、人には死産だと言っていた。暮らしが少し楽になったある夏の夜、百姓が五か月の子を抱いて月を仰ぎ、大声で賞(め)でたその時、その子が、下から父親の顔を見あげて急に大人の口を利(き)いて言った、
「御父つぁん、わしを仕舞(しま)いに捨(し)てさした時も、丁度今夜の様な月だたね」
こう言ったきり赤ん坊は五か月のそれに戻った。末尾は「百姓は僧になった。」である。
これは突飛な連想かもしれない。しかし、なぜか組み替えようがない連想回路となっている。