2012年3月26日
新シリーズ 定時制生徒は、いま (1)
定時制高校に入って
県立高校定時制2年生
四十数年前、中学を卒業する数年前から私の進路は決まっていました。家が貧しかった事もありますが、私の幼いころに両親が離婚をし、その後父は人の紹介で再婚をしました。
私には兄と二人の姉がいるのですが、兄と姉が高校へ行かなかったことで私だけを高校へ行かせることはできない、という継母の考えを私は小学校のころから聞かされておりました。
中学校での進路説明の折、私は中学校を卒業したら働くという項に丸をし、提出しました。後日、家庭訪問の時担任の先生は母に私の高校進学を勧めてくださいました。母は「上の子たちが高校へ行っていないのに○○ちゃんだけを上の学校へ上げることはできません。」と断りました。先生は「ではせめて夜学へ行かせてやってくださいと。」と言ってくださいました。母は「○○ちゃんには学校から帰ってきたら家事をやってもらっていますので、夜学へは行かせられません。」ときっぱり言ってしまいました。
いつの頃からか、自分の力で生活ができるようになったら夜学へ行こうと思うようになっていました。
上の三人の子供たちが小学校へ入った頃、夜学へ行きたいという思いに駆られましたが、まだ子供たちが幼いためその時はあきらめました。
三年前、四男が高校へ入学した時、主人に夜学へ行きたい旨を話しました。昔、そんな話をしたことがあったのですが本気にしてなかったのかもしれません。「もう良いんじゃない」と賛成はしてもらえませんでした。一昨年、もう一度主人にお願いをしました。「四男が高校を卒業してからなら良いよ。」とやっとOKが出ました。私が夜学へ行きたい夢を話すことで、大学を目指している四男への少しでも発奮材料になればとも思ったのです。四男は「そうか、頑張ってね。数学と英語くらいなら教えてあげられるから」と思わぬ方向に話は進みましたが、息子たちも嫁たちも喜んでくれました。
でもいくら中学時代好きだったとはいえ、数学、英語は積み重ねですからどこまでわかるか不安がないわけではありませんでした。
そして定時制高校へ入り、まわりを見渡せば十代の若い子たちばかりの中、年配者は私だけ…。二、三日経つと隣の女の子が話しかけてくるようになりました。彼女の名前は○○ちゃん。何日か経つとお母さんのお迎えの車の中から「○○―、さよなら」と彼女が大きな声で親愛の情をこめて(私は勝手にそう思っているのですが)言ってくれますので、私も「また明日ねー」と手を振りました。毎日の勉強はまだ難しい段階ではありませんでしたから、毎日楽しく日々過ごしていました。
しかし、数学の中間テストの内容はそれまでの簡単なプリントとは違い、ルート・連立方程式・二次方程式が全く思いだせませんでした。好きな数学が解けなかったことがショックでしたが、これが今の自分の現実なのだと受け止め、一からやり直そうと「ダンゼンよくわかるくわしい数学」という中学のテキストを翌日買いました。この一年間で中学三年分がクリア出来れば、と思い時間を作り家で少しづつやっております。
今はクラスの元気な女の子たちやヤンチャな男の子たちとの勉強も悪くないな、と楽しんでいる現在です。