2010年12月18日


多忙化と人間関係の薄まり・統制管理の下で進行している

職場と仕事に大損失となるパワーハラスメント


神奈川県立X高校では
 元研修指導主事の校長が「指導」の名で生徒の人権も侵害

県教育委員会は、パワーハラスメント防止指針の策定と
教育行政の改善を


 いま教育現場は超多忙で、生徒たちとかかわる余裕を持てなくなってきている。原因は、人事考課制度の導入による人間関係の稀薄化、教職員の非正規雇用の増加、本務以外の事務的作業の肥大化など、挙げればきりがないほどである。こうした下で、教職員への管理体制がいちだんと高圧的になっている。これこそパワーハラスメント(以下パワハラ)発生の温床である。全国的にも10数府県がその対策として「指針」を出すほどに、事態は進行している。

 県立]高校定時制ではこの6月に学校長によるパワハラが大問題となっているが、未だ解決をみていない。では、なぜこの学校長(以下Y氏)の言動がパワハラなのか。この1月の人事院通知、他の11府県の「防止指針」等をもとに、その問題点を指摘し、Y氏問題の解決とその防止策、さらに県教育行政の改善を求めたい。

パワハラとは
 定義は確立していないが、今日の到達点と思われる「人事院通知」はこう規定している。
 職権などのパワーを背景にして、本来の業務の範囲を超えて、継続的に人格と尊厳を侵害する言動を行い、それを受けた就業者の働く環境を悪化させ、あるいは雇用について不安を与えること。

 
Y校長の発言を5点にまとめてみると
1 暴言をはき、ひどく粗野で乱暴な言動をとる

@無記名で好き勝手なことを言っている。正々堂々と名前を書け、こんな無責任な方法があるか、卑怯な人間だ。
Aその度に反対して、いい加減にしろ。私のやり方は講師でも誰でもできる。そのどこが悪い。
B法律に違反するなら何の何条に違反するか言ってみろ。組織なら上司の言うことに黙って従うのは当り前じゃないか。
C警察の答えを待つことなく、学校には「特別権力関係(論)」があり、茶髪禁止や制服強制はできるんだ。

 @は、校長の押しつけ方針に反対した教職員が、教育指導について同僚の意見を求めてアンケートを取ったことに対するY氏の言動である。このアンケートは文章回答で21通、3700字余りの教育的識見あふれるものである。対照的にY氏は教職員の衆知を集め指導力を発揮すべきなのに、そのことは意に介さず、権限の示威に懸命である。生徒を指導するのに、学校には警察以上の「特別権力関係(論)」があると暴言を吐いている。

 実際に、謹慎に相当する事実の有無が曖昧なまま、2名の生徒に「専決事項」を盾に1週間の謹慎処分に課している。教育の場で「推定有罪」的な処置である。しかも運用規定が定まる前の行為にさかのぼっての処置である。これ自体が人権問題である。パワハラ姿勢が生徒の人権侵害にまで及んでいる。これが受験校として知られる全日制の生徒であったらどうだったろうか。県教育委員会は直ちに保護者に謝罪し、調査に入るべき事案である。

2 自分の意見を押しつけ、異論を排除する

@私の指示に違法性はない。私の命令はすべて職務命令だ。やる必要がないというなら地公法違反だ。
A指示だといったはずだ。私の言うとおりにやってもらう。
B何が建設的かは私が決める。私に反対する意見はとても建設的とは認められないし、運用も私に権限が与えられている。
C正しいのは私が言ったこと。上司に率直に従うべきだ。

 Y氏の言動の特徴は、独善で専断、意見の押しつけと異論に対する排除か軽侮の姿勢である。先輩教師としての落ち着いた対応や指導姿勢は皆無といっていいほど見られない。批判を受けると自己正当化のために教育法や公務員法を並べたてて憚らない。法の運用はその精神を意義あらしめるように運用するもので、示威の「道具」にするような援用は一般常識にもとるものである。
 Bの「建設的」は、好結果につながる教育指導を願って発言されたものである。それを自分の意見に反するから、「建設的」の語義は自分が決めるというのは意見の封殺であり、ひいては、教職員とは認めないと言うに等しい。


3 人事上の雇用・昇格・評価・異動などを示唆して何かを強要する
 
@これほど言っても文句があるなら校長室に来い。説明してやる。それでも従えないなら、事故として報告する。
A若い先生が多いから言っておくが、校長が言ったことは悪で、みんなで話し合い納得しなければやっていけないなんて、採用試験の面接でそんなこと言ったら絶対受からない。私が面接官なら真っ先に×をつける。
B決定に反対するなら、学校経営に対する妨害行為として(人事評価は)Cをつける。黙ってつけるのは、卑怯だと思うので言っておく。
C校長が判断したら(論議は)ここまでだ。それでも反対を言うならCをつける。予告しておく。

 @は、「事故」として県教委に告げるよというもの。今後の教師生活にいいことはありませんよとのサインを出しているに等しい言質。この定時制は臨時任用の先生方が8人も在籍している。少なからぬ人が正式採用の受験をすると考えられる。その面前でAのような発言をするのは、半ば脅しであり将来の「夢」をも壊しかねないパワハラである。

 B、Cは人事評価はBやCはおろか、お前の出方によってはDかも、というパワハラで人事評価が給与所得に連動している分さらに悪質である。
 
  
4 就業者の人格・尊厳を侵害する

@そんな自己満足じゃダメだ。生徒の気持ちがわかるいい教師だと思っているなんて何を思い上がっているのか。自己陶酔してんじゃないよ。
Aとりあえずやってみることができなくては成長できないよ。そんなことができないなんて未熟な先生方。
B校長の専決事項に反対の人は法律違反だ。指導対象とする。(教頭に)名前を控えて。
C専決権に反対するのは大人としてダメだ。

 @は生徒を見守るという指導姿勢を見せた教員に対する、1と重なるパワハラである。職業人への許しがたい侮辱である。
 これはさらに5の「極端な低評価」にも重なる。複雑で困難だがセーフティネットの側面を持つ定時制教育に賭けて、教育条件がまだまだ不十分な態勢の下で奮闘している教職員へのパワハラ。「未熟だ」「大人としてダメ」と大人に対して言える大人は、人格の備わった大人ではない。
 異論者の「名前を控えておけ」とは、教職員は何か罪科を犯したとでも言うのだろうか。本当に教育を支えている人たちは誰なのかが見えていない、教育現場管理監督者のパワハラである。


5 部下の仕事を極端に低く評価したり、仕事と無関係なことで非難する

@県はいま多忙化解消をあげている。こんなことで90分も使うなんて、定時制の先生はヒマなんですねといわれてもしょうがない。
Aどのような指導をするかは私の専決事項である。
B全日制の職員会議では皆ものも言わず従う。俺を支持しているということだ。
C公務員としての仕事をしっかりやってもらいたい。

 @は教育指導の会議が長引くのは、そこにのっぴきならない複雑な問題、側面があるからである。X高校定時制は当局の学校視察でも高く評価されており、数々の教育的実績もこうした会議で指導態勢を培ってきたからこそのものである。それを県の「多忙化解消」に反した行為であるかのように、仕事と無関係なことに絡めて揶揄(からかい)めいた非難をしている。県は途中で本務をうっちゃらかしても「多忙化解消」を目指せと言っている訳ではなかろう。
 Y氏は定時制教育の経験が全くない。そのハンディを「専決権」を振り回して解決するのでなく、職責を認識し、謙虚に教職員の意見に耳を傾け、そこから多くを吸収し、その蓄積を定時制教育に還元することこそ考えるべきだろう。

パワハラは、職場に大きな損失をもたらす

 パワハラは、上司と部下との人間関係の単なる感情的行き違いといった問題ではない。]高校定時制の問題が長く解決をみないのは、県教委や教職員組合、Y氏本人にも、こんな矮小化した見方があるからではなかろうか、「お互いもう少し大人になれ」という。しかし、その人権意識の欠如が、まさにパワハラを横行させる原因となっている。

 大阪府と和歌山県の文書から、パワハラの定義の一部を以下に掲出してみよう。

 教職員の個人としての尊厳を不当に傷つけ、その能力の有効な発揮を妨げる。
また職場秩序や業務の遂行を阻害し、組織にとって大きな損失をもたらすものである。(大阪府)

 個人間のトラブルではなく、職員が能力を発揮する機会を阻害し、働く権利を侵害するなど、個人の尊厳を傷つけ、職員の執務環境を悪化させる重大な職場問題と認識すること。(和歌山県)

 教育の職場でのパワハラは、X高校定時制に見られるように、現実には「重大な職場問題」であり、「組織にとって大きな損失をもたらす重大問題」である。これは、X高校定時制の一教職員の次の「意見」にもよく表れている。この「損失」を被るのは、言うまでもなく、教育的に働きかけてかかわっていく対象である生徒たちである。県教育委員会にこの「損失」の回復を早急に措置するよう求める所以である。また、「大所帯」である神奈川県は速やかに「パワーハラスメント防止」の指針づくりに取りかかるべきである。

(校長の押しつけに)従わないようなことがあれば「職務違反として問題にする」と言う発言に対して、職員全体がもう何を言ってもムダだという閉塞感から意欲を持てない状況がある。(X高校定時制教員の意見)

教育センターの元指導主事がなぜパワハラを

 X高校校長Y氏は、このパワハラ「損失」の回復措置を未だ講じようとしていないが、パワハラ再発防止のためにも、彼の経歴から伺える問題点を以下に明らかにしておきたい。

 Y氏は一現場教員から善行の「教育センター」に転任、「教育研究相談室」「学校経営研究室」等の指導主事を務めている。つまり、Y氏は教職員の官製研修の施設であるセンターに通算8年の長きにわたり、在勤した経歴の持ち主である。その間、94年に「教育相談の実績について」と題した冊子が出されている。そこには、年間教育相談総件数8717件のうち、約76%が学校内関係(学習、進路指導、登校拒否、いじめなど)、来所相談約30%とある。Y氏も一職員として当然に携わっていて、ここで鋭意専門性を培ったはずである。こうした履歴の持ち主が、定時制の生徒の現実に真正面から向き合って教育活動を積み重ねる教職員に、なぜ視野広く柔軟に現場が抱えている教育問題をねばり強く洞察し、その職に相応しく共同の姿勢がとれなかったのだろうか、不思議であり疑問である。

 「県教育センター」(教育研究相談室)といえば、1999年に平塚商業高校・定時制で、−修学旅行直前中止事件―を起こして更迭されたK教頭は、その前年に室長だった人物である。定時制の実情に不明にもかかわらず、「修学旅行実施規定」の「参加基準70%」に達していないからと、Y氏と同じく「専決的に」実施一週間前に旅行会社に、担当学年団に無断で、キャンセルした事件である。さらに、生徒の中学時の不登校事実を詮索し、人権侵害で訴えられている。

 こうした研修指導主事のポストで長年経験を積みながら、教育現場の責任者として赴任するとなぜこれほどに教育活動の本旨に乖離した尊大な言動をとるようになるのか。
 神奈川県の教育行政―直接には教育委員会―は、教育の条理と、県教育センターで管理職・一般教職員対象に徹底しているであろう研修の「核」とする「教育条理」との間に、深刻な矛盾・乖離をきたしているのではないだろうか。 

 この事件の解決と再発防止のためにも、この仮説的推測を糸口として神奈川県の教育行政の構造的問題の究明とその改善が、あらためて求められている。

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