2000年4月4日(4月21日一部追加)

神奈川県教育委員会は、教育行政を担えなくなっているのか

            「人事異動要綱」に明白に違反した

         不当配転は、教育の生命を殺すもの

中陣唯夫


  神奈川県教育委員会は、3月31日発表の人事異動で、異動希望を出していない私に対し、秦野曾屋高校への異動を命ずることを公にした。以下に、この不当な強制異動に対する経過とその不当性を述べたい。

  3月2日、私は人事異動の第二次内示を校長より受けた。県立高校に34年間勤務し、定年退職まで後3年(57歳)である私は、昨年10月中旬の「意向調書」に「異動希望なし」と明記した。57歳以上の者は、そもそも異動対象者から除外されており、本人からの強い希望がない限りは、異動はあり得ない。県教委はそうしたことをまったく無視して、私を異動させる内示を出したのである。

  思いもかけない内示に驚きを隠しきれない平塚商業高校の校長と教頭に、私が明確に「応じる意思はない」と伝えたのは、言うまでもない。

  私が所属する神奈川高教組は、これを問題人事として県教委と交渉を重ねたが、最終的に22日、不調に終わった。そこで、組合本部執行部と私と組合顧問弁護士とで協議し、顧問弁護士2名と本部執行部全員を代理人として、3月29日付けで県人事委員会に「@転任させる辞令の差し止めおよび撤回、A転任させる理由の明示」を求めて「措置要求書」を提出した。
 以上が、この問題の経過のあらましである。

  そもそも私は、労使間の労働協約とも目される「県立高校人事異動要綱」にある「本人が希望する場合を除き、57歳以上の者」との規定の通り、明確に「異動対象除外者」である。この異動対象除外者を異動対象者とするには、誰もが納得する合理的で必然的な理由がなくてはならない。県教委は、この理由をまったく示すことができず、ただただ必要な人事としか言えず、辞令を強行したのである。

  県教委が教職員に対し、人事権を盾に「生殺与奪の権」を振るった、きわめて問題のある異動発令である。

  発表の翌日電話を下さった卒業生の保護者より、「子どもが『これでは、いじめではないか。教育委員会がこんなことをしていいのか』とやり場のない怒りで一日中当たり散らしていました」と聞いて、暗澹たる思いを持った。この卒業生は、いじめに会い、学校と人間に不信感いっぱいで定時制に入学してきた生徒である。それをほぼ克服していた矢先に例の「中止事件」でズタズタに壊され、今回で回復しきれないくらいに「不信の淵」に落ち込んだのではないかと、何とも言葉がない。県教委は、こうした卒業生にどう教育的責任をとるつもりなのか、と問いたい。

  昨秋の「平塚商業高校定時制修学旅行直前中止事件」との関連で言えば、県教委はやるべきことは何一つやらない一方で、やってはいけないことをやっているのである。

 具体的に言えば、○生徒への謝罪  ○「中止」によって生じた生徒への損害賠償  ○旅行中止の「不透明なキャンセル料支払い問題」の決着  ○担当学年団への名誉回復  ○人権侵害を受けた生徒とその家族から送られた、内容証明付きの謝罪要求書に対する小森教育長の回答など、県教委は全く何も整理することができないまま、責任をとっていないということである。

 そして、その一方で1988年から適用(1997年一部改定  異動対象除外者は55歳以上から57歳以上に改定など)されて、この間のべ約14〜15万人を対象として適用されてきた「県立高等学校異動要項」の根幹を、今回の不当配転人事で「不渡り証文」のように破棄したのである。

 やってはいけないことをやったというのは、もちろんこのことである。この「異動要項」を弄んだような「火遊び」の代償は、県教委の最高責任者、小森良治教育長が県立高等学校教職員全員に支払うべきだし、教職員全員がこれをきちんと小森教育長に求めるべき立場にある。

  こうした不当な強制異動が教育の場でまかり通ってしまうと、例えば、「日の丸・君が代」強制問題や県立高校統廃合問題など、どんな問題でも良心に従って強く意思表明すれば、どのような結果がもたらされるかを教職員が考えるようになってしまうだろう。教職員は自由にものを言えなくなる ― 言論の自由が保障されない学校現場は、もはや教育の場とは言えない。

  その意味で、今回の不当配転は、私一人の問題ではなく、神奈川県の教育に多大な悪影響を与えることは明らかである。


  私は、今回の不当な強制異動を断じて認めるわけにはいかない。神奈川高教組の組織とともに、教育にかける県民や教職員の願い、そして私の信ずる教育の条理というものを踏まえて、県教委が辞令を撤回するまでたたかうことをここに表明する。

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