2008年1月14日


定時制の保健室から

 定時制に勤務する養護教諭です。このたび『ニュース』に養護教諭の仕事について、多くの子どもたちとの係わりを通し、思ったことや気づかされたこと、考えたことなど書かせていただくことになりました(会報『ニュース』連載されている「定時制の保健室から」をこれから転載していきます)。


第1回    服装や髪型は、子どもの自己表現

 全日制に勤務していたときのことである。Y子は、学校には馴染もうとせず、親しい友達もつくらない子だった。時折1人でふらりと保健室に来て、学校が合わないと話した。

 Y子の学年は、服装指導に関して厳しい指導をしていた。2年に進級し担任がひときわ規則に忠実に指導をする教師になった。Y子は担任に反発することはないが、ズボンを穿いて来ることについて注意をされても変えず、生徒指導部が何度か呼び出し注意をしたが、改善が見られず謹慎処分を受けた。

 その繰り返しで、とうとうY子は学校に嫌気がさし自分からやめてしまった。Y子がやめてもいい程にゆずれないズボンに拘る理由、彼女の真意に迫れなかったことが後悔される。それとともに理由のいかんに関わらず女性であるから、スカートを穿けという一律の指導で良かったのか、その疑問を職員に投げかけることが出来なかったことも心に残っている。

 その後、定時制で一つの出会いがあった。Eは入学してきたころは、友達もつくらずー人で行動していた。2年に進級したころから徐々に、しだいに毎日のように保健室に来るようになった。保健室では、はじめは隅のほうに黙って座っていたが、慣れてくると家族のことやアルバイトのことなど楽しげに話すようになった。髪の毛は短くし服装も男の子のようだった。

 半年ぐらいしたとき、その頃テレビで放映されていた金八先生」に出てくる、「なおという子と自分は同じだ」と「性同一性障害」であることをカミングアウトした。Kは小学校の低学年のころに、女性であることに違和感を覚えたという。学年が進むにつれ、女の子の中で好きなアイドルやおしやれについて話をしていて本音が出せなくなり、友達を避けるようになり、中学では長いスカートを穿いていたという。

 私に話した後、両親にも話しを受け止めてもらえた。その後、Kは自信ができたのか見違えるように明るくなり、進路にも前向きに取り組み、希望の学校に合格した。卒業式には、背広で出席した。ところで、その年の卒業記念に学校が用意した物は、男子が黒で女子がピンクだった。Kから抗議され、配慮が足りなかったと気づかされた一幕もあった。

 多様な生徒が在籍して居る。もっと私たちは、子ども達に気を配り慎重に見ていかなければ、子どもたちを知らないうちに傷つけることになる。服装や髪形は、その子の自己表現である。せっかくの子どものサインを表面的に捕らえず何を訴えているのか.。読み解くことが必要だと思う。

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