2003年2月21日

教育に携わる者を擲った中陣訴訟の判決

中陣 唯夫

 

中陣訴訟の判決が昨年暮れの26日の午後4時すぎ、横浜地方裁判所で下された。判決は「原告の訴えを棄却する。訴訟の費用は原告が負担するものとする」というもので、この間わずか10秒あまり。40名をこえる傍聴者は、その木で鼻を括ったような判決にしばし狐に摘ままれたような態であった。場所を開港記念会館の一室に移して集会が持たれ、野村、岡田両弁護士が報告・説明。それを受けて傍聴者との質疑応答は緊迫したものとなった。

私の理解の範囲では、この判決は「一種の労使協定に当たる『人事異動要綱』が、外部から攻撃の対象になることを避ける判断をしながら、その一方でこの労使協定に当たる『人事異動要綱』を勤務条件法定主義に則って真正面から取り上げると、その影響が波及して大変なことになる」という二つの面を勘案して、結局のところ、原告()の請求する「人事委員会は、勤務条件である転任の基準(『人事異動要綱』)に即した人事行政を行うよう県教育委員会に勧告すること、また、(それに従わないなら)その転任理由を明らかにすること」についての判断を避けたものであった。

むしろ、「行政に弱い裁判所」の風評を裏付けるように、「転任は任命権者がその判断と責任において行うべき管理運営事項だから措置要求の対象にならないから却下する。これを却下した判断は本件の転任自体を勤務条件としての側面を持たないとした。この判断は正当だから、異動取り消しを求める原告の請求は、その余の点について検討するまでもなく、理由がない。以上の次第で、請求は棄却を免れない」と、まるで頭を抱えて舞台下手に駈け込むように逃げ込んだ判決であったといった方が、より正しいだろう。

つまり、県人事委員会が「第三者的機関」の立場をなげうって県教育委員会を全面容認し、それと同じ「丸投げ的」判断を今度は司法が行って、被告の県人事委員会を「救済」したと私には思われるのである。行政と司法は公正な関係にあるのか 一。

後味の悪い判決であった。当初担当した前任裁判長が、「(人事委員会が県人事を認めた場合)原告をどこが救済するのですか」と、反語的に述べた言が想起される。彼は教職員を保護すべき現行法の運用が、実は「糠に釘」になっていると危惧したのかもしれない。

その危倶を証左するかのように判決は「請求は、その余の点について検討するまでもなく、理由がない」と述べ、私が三度『陳述書』で述べてきた“とりわけ教育に携わる者の転任は教育的見地からの配慮が大切だ”との点について、顧慮する姿勢を全く欠いている。

今日の裁判官が一人約300件もの訴訟事案を抱えていかに多忙であるか、といわれる現状があるにもせよ、一冊の教育関係書にさえ目を通さず判決文を書いたであろう怠惰と、壊死していく司法界の一断面とを私の嗅覚は嗅ぎつけてしまっている。

この判決は「不当判決」というにも当たらない。言うなれば、裁判長の名を冠して「福岡・任務放擲判決」もしくは「福岡・判断丸投げ判決」とでも後世に呼び慣わすべきものではなかろうか。

私は二週間後に東京高等裁判所に控訴した、この世には死なせては絶対いけないことがあると確信して。

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