2011年7月7日

 6月30日、横浜駅西口にある県民センターにおいて県教育委員会高校教育企画課と保護者・県民との話し合いがもたれました。これは、「かながわ定時制・通信制・高校教育を考える懇談会」が申し入れ、県議会開催中の忙しいなか急遽設定されました。「かながわ定時制通信制教育を考える会」からは3名が出席し、定時制や通信制に関わる要求について発言しました。
 以下、話し合いに出席した「考える会」代表の意見を掲載します。


県教委(高校教育企画課)との話し合いに出席して


「かながわ定時制通信制教育を考える会」代表 中陣 唯夫


 この日の出席者は、県から高校教育企画課の田中課長と入学定員担当者。「懇談会」側からは、高校や中学校の父母の方、不登校問題に取り組む方、定時制の教員や退職者など17名。「話し合い」と銘をうった会合としては、実質40分にすぎない意見交換の時間というのは、いかにも短い。予定の時間が10分ほど延びたが、「要請書」にある神奈川県の教育行政が抱える累積課題、これらに対する要望、意見、批判が県との間にかみ合うようになる「時間」には足りなかった。これが率直な感想である。

 本県の「高校教育改革」の最たる誤りは、高校課程を学力別に振り分け、全日制を上層に位置づけてその門戸を狭め、こそから漏れた受験生は定時制に、さらに通信制へと送り込む「選別ベルトコンベアー」を作ってしまったことだろう。その結果、この10年間に、高校教育の機会均等の点から不十分ながらも存在意義を持っていた定時制課程と通信制課程は、すっかり学力ランクを表す課程に塗り替えられてしまった。

 不合格者の多くは「行方不明」となり、合格しても「多様化」の名の下に選別された高校生たちは、卒業後の履歴に明らかに「制約」が加わるだろうといった高校生に仕立て上げられている。

 こうした神奈川の高校教育政策の行き着く先がどんなものであるか。それを端的に示すのが、通信制への進学率を全国一にした横浜修悠館高校の設置と、開校4年足らずで年間700名にのぼる中退者を出すようになっている実態である。

 開校年度の冊子の表紙に躍っていた「夢をかたちに!! ― Make Dream Come True ― 」 「新しい学びから未来へ!」のコピーが、そらぞらしい。

 中学2年生のお母さんから、親として入れたくないと思う修悠館高校に成績だけでなぜ入れねばならないのかとの発言があり、その途中で涙になってしまった方がいた。また、不登校その他の事情を抱え悩んでいる現役生や卒業生にかかわっている方々からの発言も、「メルトダウン(炉心溶融)」のような神奈川の教育行政が、子どもたちをどんどん追い詰めていることへの強い怒りをにじませるものであった。

 こうした事態に拍車をかけているのが、前知事が設けた「公私立高等学校設置者会議」(以下、「設置者会議」)と教育委員会との矛盾である。知事設定の一協議機関が高校入試の公立全日制の募集定数を60%と規定することまでやってのけている。これでは、県教育委員会の県民に対する「公的存在感」はカタナシである。

 前者が自治体の首長が設けた協議機関に過ぎないのに対し、後者は立法府の審議を経て成立した法律に基づくれっきとした行政の一機関である。にも拘らず、前者が後者を凌ぐ権限を発揮している。しかも、この恣意的あり方犠牲者は、この県で高校進学を目指す子どもたちや高校で学びたいとしている人々である。

 「ボタンの掛け違い」は、掛け違えたボタンの位置を付け替えても何ら正されない。衣類の合わせを目を正しくするには、真横の穴にボタンを掛けることである。田中課長の話を伺いながら、私はこの慣用句をしきりに思い浮かべていた。

 課長の話は、教育的に誠実に取り組もうとしていると聞いた方もいるかもしれないが、私にはその根本に「県立高校改革」10年間の深刻な結果の「彌縫策」(欠点や失敗を取り繕って、一時的に間に合わせること)があると思われてならなかった。「彌縫」の反復は、教育改善どころか、いっそう事態を深刻にするだけである。

 「要請書」が指摘している点すべてを教育行政の責めにするのは間違いだろう。しかし、同時に、今日の神奈川の教育実態の多くが、教育行政の姿勢と施策にその因があるとするのは正当である。

 今、直ちにすべきことは、「県立高校改革」発足前の諸施策、例えば「計画進学率」の向上を目指したシステムに立ち返り、そこに培われてきたはずの到達点と改善点を検証し、論議することである。また、前期・後期の入試制度や全県一区の学区制の見直しに取り組むべきである。子どもたちの不安を煽り、心の荒みを生むような過度の競争となっている高校入試、「貧困の連鎖」につながるような、教育に名を借りて次世代の階層、階級化を準備するような高校入試や学校間格差づくりの機会になっていないか。

 教育委員会と教育庁が文字通り、公教育の責務者を任じるのであれば、ここら辺りは欠かすことのできない課題として考え、協議を尽くしてもらいたいところである。

 この「話し合い」の参加して改めて、神奈川県は新知事の下、高校教育が抱える諸問題の画期的な見直しがなされねばならないとの実感を持った。

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