キナバル山 登山旅行(1997.8.4−10)/マレーシア/サバ州
友人夫妻3組6人で4000m登山に挑戦しました。これは、その時の日記と、写真です。

6日目

8月9日(土)
朝,8時にフロントで集合することにしていたが,私たちは少し遅れた。夜中までハガキを書いていたのがたたったらしい。フロントで投函を頼んだ。切手代は10枚で5リンギット。1枚25円だから,日本で出す場合(70円)に比べて3分の1強だ。
今日はサバ州立博物館へ行く。ホテルでタクシーを呼んでもらった。車は左側通行で日本と同じ。料金は8リンギットという話だったが,降りるときに10リンギットを要求された。押し問答の末,「ホテルに言うぞ」でケリが着いた。博物館は,なかなか充実していたが,照明の消えている部分も少なくなく,よくわからないことも多かった。最大の疑問は,なぜイスラムなのかだったが,これは3階のイスラム展示を見てやっとわかったような気がした。また,イギリスによる植民地支配がマイナス面とプラス面を両方書いてあるのに対し,旧日本軍による占領にはなんらプラスの評価はなかった。占領された側がそのように見ているのに,占領した側が「悪いことばかりではなかった」などと言っても説得力はない。

サバ州立博物館

太鼓の練習?

マレーシアではないが,インドの場合,英国資本および当局がインド民衆を迫害していた一方で,インドの独立のために積極的に活動していた英国人(特にジャーナリスト,作家)が数多くいた。単なる感想だが,インド以外でも同様のことがあったのだろう,それに対して日本が支配した場合は,そんなことは決してなかったのだろう,と思う。実際,日本で出ているボルネオ関連の書籍は,戦争中の部隊の記録や思い出話の類と,あとは探検もの,自然ものばかりである。手に入りやすいものとしては中公文庫に堺誠一郎『キナバルの民』,里村欣三『河の民』がある。いずれも従軍記者が書いたもので,里村が「お辞儀」をしたプロレタリア作家である分,多少目線の違いは感じられるものの,基本的な姿勢に違いはない。この「お辞儀」という言葉を私が見たのは野上弥生子の『迷路』に出てくる会話の一シーンだったが,いかにも日本的な表現だと思ったことを覚えている。閑話休題。

サバ州立博物館内公園

サバ州立博物館内公園

サバ州立博物館内公園

サバ州立博物館正面

博物館の入り口にいた若い係員にバス停の場所を聞く。地図を書いてもらった。これなら確実だ。屋外にある伝統家屋の展示などを見てから,バス停へ行く。乗ったのは25人乗りのミニバスで,少年が車掌をしていた。実に利発そうな顔をしており,行動も機敏だった。運賃は6人で3リンギット。一人当たり25円だ。バスはヤオハンの裏が終着。ここはミニバスのターミナルになっている。ミニバスは個人営業である。運転手が少年の父親なのだろうか。
夕食はホテル裏手の屋外食堂。夜になるとテーブルが並べられる。海鮮シャブシャブにビール(なぜかカールスバーグ)を飲んで,一人19リンギット。信じられないくらい安い。シャブシャブはスチーム・ボートと言うんだそうな。具をすくって,ナンプラーとチリソースをつけて食べる。とてもおいしかった。皆,大満足。

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