E = M C^2

アルバート・アインシュタイン(Albert Einstein)

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Out Of My Later Years (Citadel Press)の 11 章(pp. 49--53)


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質量とエネルギーの等価性の法則を理解するために、我々は、相対論以前に高い位置にあって、 互いに独立な、2 つの保存則、又は "平衡"の原理に立ち戻らなければならない。 これらは、エネルギー保存則と質量保存則とである。前者は、17世紀という遠い 過去にライプニッツによって進められ、 19世紀に力学のひとつの原理のある系として開発された。


例として、A 点と B 点の間を質量が往復する振り子を考察しよう。 これらの点で質量 m は、経路の中の最低点、C 点にそれがいるときより h だけ高い(図を参照)。 一方 C においては、持ち上げる高さが消えている代わりに、その質量は速度 v を持っている。 それは、あたかも持ち上げる高さが全て速度に変換されたかのようである。そして、逆にもそうである。 正確な関係は、g を重力加速度として mgh = m/2 v^2 と書けるかもしれない。ここで興味のあることは、 この関係は、振り子の長さと質量の通過する経路の形との両方から独立であることである。

重要なことは、全過程を通して何かが定数であること、そしてその何かがエネルギーであることである。 A 点と B 点においては、それは位置のエネルギーまたは、 "ポテンシャル"エネルギーと言われ、 C 点において、それは動きのエネルギーであり、 "運動"エネルギーと言われる。この考え方が正しければ、 mgh + mv^2/2 の和は、振り子のどの位置においても同じ値を取らなければならない。 もし、h が C を超える高さを表し、v が振り子の通過点における速度であるなら。 そして、そのことが実際に合っていることが見出された。 この原理の一般化は、我々に力学エネルギーの保存則を与える。しかし、摩擦が振り子を止めるとき、 何が起きるのだろう?


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それへの答えは、熱現象の研究の中に見出された。この研究は、熱が温かいものから冷たいものへ流れる 破壊できない実体であるという仮定に基づいていて、我々に"熱の保存則"というひとつの原理を与えるようにみえる。 一方、はるかな昔から、インド人の発火用の錐のように、熱が摩擦から作ることができることは知られていた。 物理学者は、長い間この種の"熱生産"を勘定にいれることができなかった。 彼らの困難は、つぎのことが確立したときにのみ克服された。摩擦によって作られた任意の量の熱は、 消費されなくてはならないエネルギーの量に正確に比例すること。 そのようにして我々は、"仕事と熱の等価性"の原理に到達したのではないか。 我々の振り子を例にとれば、力学的エネルギーは次第に摩擦によって熱に変換される。

そんな風に力学的と熱的エネルギーの保存則はひとつにされた、物理学者は、そこから保存原理が、 化学的、電磁気的過程、手短にいえば、全ての領域に応用され拡張されるということを納得させられた。 物理系の中で、エネルギーの総和というものがあって、それが起こり得るどのような変化においても、 つねに一定に残るということが明らかになった。

こんどは、質量保存則である。質量は、物体が加速に対して反対する抵抗によって定義された(慣性質量)。 それはまた、物体の重さによっても、計られた(重力質量)。 この基本的に異なる定義の両者がある物体の質量について同じ値を導くということは、そのこと自身、 驚くべきことである。 その原理、すなわち、どのような物理的、化学的変化においても質量が変わらないということ、に従えば、 質量は、(不変であるため、) 本質的な物質の質であると表出している。熱し、融かし、蒸発させ、 化合物に合成しても全体質量は変わらないであろう。

物理学者は、この原理を、ここ数十年前に受け入れた。 しかし、特殊相対論の挑戦でそれが不適切であることが証明された。そのためエネルギー原理にマージされた。 それは、約 60 年前、力学的エネルギー保存の原理が、熱の保存則と結合されたのと同じである。 エネルギー保存の原理は、以前は熱の保存則を飲み込み、今は質量の保存則を飲み込むまでに至って、 その領域をひとり抱えているといってよいかもしれない。


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質量とエネルギーの等価性を E = mc^2 という式によって (何か不正確にだが)表明するのが習慣になっている。 その中で c は光速を表し、約 186,000 マイル/秒で、E は、静止した物体に含まれるエネルギー、m は、質量 である。質量に属するエネルギーは、この質量、それに莫大な光速の 2 乗が掛けられたものに等しい。いわば、 膨大な量のエネルギーが、質量の全ての単位に備わっていると。

しかし、もし、物質のすべてのグラムに莫大なエネルギーが含まれているなら、どうして長い間知られなかった のか。答えは十分単純である:長い間、外部に取り出されることがなかったから、観測できなかったのである。 それは、まるで伝説的に富める者が決して消費せず一銭も外に出してはならないようで、彼がいかに富めるかを 誰も言えないのである。

今、我々は、その関係を逆にして、エネルギー量 E の増加は、質量に E/c^2 の増加を伴わなければならない ことをいうことができる。私は、その質量に容易にエネルギーを与えることができる。例えば、もし私がそれ を10度熱すればよい。その場合、どうして、この変化に伴う質量増加、又は重量増加を測定しないのか? ここでの問題は、増加する質量には c^2 という膨大な係数が分数の分母にあることである。そのような場合、 もっとも敏感な天秤を使っても、増加は余りに少ない。


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質量増加が測定できるためには、質量あたりのエネルギー変化が莫大でなければならない。我々は、そのような 領域をひとつだけ知っている。質量あたりそのようなエネルギー量が解放されているような領域を。すなわち、 放射能の崩壊である。概略の過程は、つぎのようなものである:質量 M の原子が質量、M' と M'' のものに 分裂するとき、それらは莫大な運動エネルギーを手放すのである。もし、これら 2 つの質量が静止して置か れれば、つまり、運動のエネルギーをそれらから取り去れば、それらのエネルギーを合わせても、元の原子の エネルギーより、少なくなっている。等価原理によって、分裂生成物の質量の和、M' + M'' は、分裂する原子 の元の質量 M よりなにがしかまた少なくないといけないが、それは、古い質量保存則に反している。 ふたつに対しての相対的な差というのは、1% の 1/10 のオーダーである。

現在、我々は、個々の原子の重さを計ることが実際にはできない。しかし、その重さを正確に測定する間接的 な方法はある。そのようにして我々は、分裂生成物 M' と M''とに移される運動エネルギーを決定することができる。 こうして、等価の式を検証し確認することができるようになった。また、その法則はさらに我々に、正確に 決定された原子の重さから、どのような原子分裂を心に描いても、そこからどれだけのエネルギーが解放さ れるかを計算することを可能にしている。もちろんその法則は、どうやって分裂反応がもたらされるか、 又は反応するかどうかについては、何も言わない。

何が行われているかについて、我々の富豪を使って描き出すことができる。原子 M は、富んだ守銭奴であり、 人生を通して一文(エネルギー)も外に与えなかった。しかし、心中、彼は彼の財を二人の息子 M' と M'' に 遺贈しようとした。それには、全体の遺産(エネルギー又は質量)の千分の一より少ない少しの量を、彼らが 地域社会に与えることを条件にした。息子達がもつものは、その父がもつものより、なにがしか少ない。 (質量の和 M' + M'' は、放射性原子の質量 M よりなにがしか少ない。) しかし、地域社会に与えられた 部分は、相対的に少ないとはいえ、(運動エネルギーとしては) まだ非常に莫大であり、それは、それに よって邪悪な脅しをもたらした。その脅しを避けることが我々の時代の最も緊急の課題となった。