http://adsabs.harvard.edu/abs/1947PASP...59..153H
エドウィン・ハッブル
EDWIN HUBBLE
ウイルソン山天文台
宇宙の開拓が始まったのは、そのときだった。ー望遠鏡が開発され、次から次へと外へ掃く開拓、我々の時代まで、我々は宇宙自体の よき標本だろう莫大な空間の領域を研究した。今日、今までのどれよりもはるかに強力な新望遠鏡の完成に近く、技術の達成としてと、 さらなる開拓の機器としての両方の重要性を考察するのが適切である。この目標を視野に、私は、一般的な望遠鏡の開発と、とくに200 インチ、それが我々が解くのを助ける問題を議論することを提案する。
単レンズの対物のガリレオの光学の筒は、2〜3インチの直径レンズをもつ、20〜25フィートの長さの望遠鏡に急速に成長した。そこで、 より長い筒における技術的な困難のために実際的な目的には、開発は止まった。
より長い焦点長は、色の困難に克服のためには、望ましいと考えられる。単レンズでは各異なる色は、違う距離に焦点をもたされる。 それゆえ、像は、どの特定の色が焦点を結ぶときも、他の色の焦点外れによってぼけさせられる。長い望遠鏡は、異なる色の像を広げ、 長い距離まで、単色が他色からの最小の干渉で焦点を結ぶことを可能にする試みを表していた。100、150、200フィート長、直径3〜6イ ンチの望遠鏡が実際に建設された。しかしながら、これらの怪物的な機器は、使用に余り振り回しできなかったので、ガリレオの時代 から最初の世紀と半分の期間は、実際の仕事はより小さい望遠鏡で行われた。
最終的に、18世紀の半ば色の問題は、単レンズの対物を止め、それぞれ分離した部品が他の色収差の殆どを打消す異種ガラスでできた、 複合対物レンズに置き換えることによって解決した。これらの色消し (アクロマティック) レンズは、ずっとよい像を与え、レンズの 直径に対して比較的短い筒を使えるようにした。望遠鏡は、たちまち新しい成長の時期に入り、ウイスコンシンのヨーク天文台の40イ ンチレンズ焦点長63フィートを頂点とした。その40インチは1892年に完成した。そのとき以来、レンズは集光力よりも、特別目的に関係 して開発されるようになった。技術的な理由から、より大きいレンズがその予測できる未来に作られることはなさそうである。
この全てのレンズの最大のものは、当初、"大学のシステム"の計画と関係していた、ここ南カルフォルニアの熱心家のグループによって 注文された。そのプロジェクトは完全には実現しなかった、そして未完成の望遠鏡は、シカゴ大学によって買われ、完成させられた。
最近の非常に大きな望遠鏡は、集光能力が最大の考慮であり、全て反射式であり、屈折式ではない。光は、凸レンズによる屈折でなく 凹面鏡によって反射されて焦点に集められる。これらの望遠鏡は、全ての色が同じ方法で反射するから色収差をもたない。
最初の反射望遠鏡は、アイザック・ニュートン(Issac Newton)によって1672年に作られた。単レンズの屈折の色の問題を避けるための 熟慮する努力のなかで。彼の最初のモデルは、約6インチの長さの筒の底に据え付けた、直径約1インチの球面の凹面を象った磨かれた 金属鏡をもった。像は、筒の上端の中央にあるが、焦点のすぐ下で45度にセットされた小さな平面鏡で側面に投げられる。ニュートン は王室学会にそのおもちゃを贈呈し、そこにまだ見られる。彼の有名なプリンピキアの1巻の上にたたずむそれが。
ニュートンの反射鏡は、色の問題を避けたにも関わらず、もうひとつの欠陥、主鏡の球面からくる、球面収差として知られるものを被 っていた。50年後の1722年ハッドレーが放物面の凹面鏡の方法を見出すまで、反射鏡の開発が最終的に実行されることはなかった。 約90年前、金属の鏡は、表面に銀を付けたガラスに置き換えられた。現在は、アルミニュームが銀の代わりになって、低膨張率ガラス が開発され、放物面化の方法は完成し、望遠鏡建造の技術的問題は、それらが持ちあがったとき解決してきた。
40インチ屈折鏡は、ジョージ・E・ヘールの指導の下、ヨーク大学に設置され、彼は、この望遠鏡の成功にも関わらず、さらなる大集光 力の探索は、鏡によるもので、レンズにはよらないことを明らかにみた。屈折式は、ある種の仕事(例えば、2重星の分解、位置の精密 観測、広角写真を含む)にはまだしもよいが、集光能力にとって、あらゆる意味で未来は反射にあった。なぜなら、反射は、表面からで、 ガラスの透明性や絶対的な一様性を要求されない;レンズの場合、辺からだけ支持する代わりに、鏡は背後と側面から支えられてよい、 そして、もちろん、色収差がない。
ヘールは、大きな反射鏡の開発の推進をアメリカで率先した。24インチの普通でない完成が G. W.リッチーによって成され、ヨークに 設置された。その成功を、直後に60インチの計画が動議設定されたことが証明する。ヘールがウイルソン山天文台を設立するためヨーク を離れたとき、彼は、パサデナにリッチーと60インチの未完成鏡を送り込むことができた。そこで望遠鏡は 1908 年に完成した。 ウイルソン山の60インチの仕事は、大反射鏡への信念を非常に完全に正当化し、新しいものの製作が直後に計画される、今度は100インチ 鏡である。この反射鏡は、第1次大戦のさなかに完成し、天文学の歴史に重要な時代を記した。それはまだ動作中の最大の望遠鏡である。 4つの大望遠鏡60〜84インチ鏡をもつものがそれ以来、完成され(ふたつはカナダに、ふたつは合衆国に)、他は、リック天文台向け120イ ンチを含む、計画又は建設の過程にある。
100インチは、最重要の研究の新領域を開き、それを越えた豊かな領域を垣間見せた。もし、より大きな集光力があれば、これらの、より 遠方の領域が開拓できるだろう。この挑戦に直面したなかで、より大きな望遠鏡の可能性は、ウイルソン山の天文学者の間で好まれる会話 の話題であった。そして同様な他の場所でもそうだったと想う。我々は、200インチ又は300インチについて語り、さらなる光について夢見 さえした。そのグループのひとり、F. G. ピースは、300インチの暫定的な設計を描き、技術的特徴が不可能でないことを示した。
再度、ヘールは率先した。彼の努力を通した資金が1928年に国際教育会議からカルフォルニア工科大学への贈呈の形で、天文台と研究所の 設立のために保証された。天文台の委員会は、ヘールを議長とし、国中の偉大な専門家たちが助言者として、プロジェクトの詳細を管理した。 ヘールが出てからは、マックス・メゾンが議長になった。100インチを超える段階の大胆さとして、光学的技術的な両方の遭遇するであろう 未知の問題の観点から正当化しうるのは、200インチ反射鏡であると決定した。研究所とショップがカルフォルニア工科大学のキャンパスに 建てられ、パロマー山に天文台の場所が見出され、コーニング・ガラス会社によってパイレックスガラスの円盤が成し遂げられ、プロジェクト は安定に進んだ。戦争によって中断されるまで。日本に戦勝の日の後、すぐに仕事は継続された。そして、望遠鏡はいま完成に近付きつつある。
パロマー山上では、もうすぐドームと架台は準備され、ドライブの詳細とかなりの量の付属品は完成の過程にある;全ては偉大な鏡の設置 されるときに間に合うようにスケジュールされている。
鏡も、最終段階にある。ジョン・A・アンダーソン、彼は当初から光学の仕事をガイドしてきたが、私に、(4月上旬のころ)いう、真の放物面 からの違いは、現在光の波長の1/4だと。この精度は、かつては十分よいと受けいられただろうーしかし、この頃はそうでない。非常に繊細な 作業が違いを1/10波長にまで押し下げるだろう。ーいわば、円盤の全てに渡って100万分の1インチ、そして、アンダーソンは、その限界さえ 下回ることを夢見ているのではないかと私は疑う。
しかし、いつの日か、夏の終わる前、形成は止められ、鏡はパロマーに移送される。しかしながら、その転送は、望遠鏡の完成に向けての 単なるもうひつの段階でしかない。光学的性質のものでないかなりの量の仕事が山の上でなされるだろう、その鏡とその薄いアルミニウム のフィルムが設置され最初のテストを受ける前に。そのとき初めて、秋のいつか、完成の日を予測し、スケジュールすることができるだろう。 その間、我々は、何かの研究が1948年の早期の月の間に開始するだろうと信じたい。
一度、望遠鏡が成功して動作に入れば、ウイルソン山とパロマー山の両天文台は統合されるだろう。この統合は、ワシントン・カーネギー 協会とカルフォルニア工科大学の宇宙の我々の知識を拡大する共通の努力の、完全な協力を表わす。そこには競争の可能性はない。ふたつ の山の各望遠鏡は、その固有の領域に使われるだろう。
200インチの固有の領域は、第1にその莫大な集光力によって決められる。なぜなら、全ての可能な応用の適切な考慮は、現在与えられる以上 に時間を要するだろうから。私は、引き続く議論を3つの典型的な問題に制限することを提案する。これらの問題とは、最初に、火星の運河の 存在;次に星々の化学元素の相対的な存在量;そして、3つめは宇宙の大規模な構造である。それぞれの問題は、集光力の特定の側面を表す。 つまり、分解能、分散、そして、深みへの貫通である。
短い導入として、望遠鏡自体についてコメントしたい。鏡は、200インチ又は17と1/2フィートの直径の光のビームを取込むー言葉を替えれば、 それは100万人の目、4つの100インチ反射鏡にあたる光量を集める。それは、この光を漏斗して、鏡の55と1/2フィート上の1次焦点に像を結ぶ。 そこにカメラの地上図を見るように空の像が形成される。この像は顕微鏡で視覚的に検査することもでき、写真乾板に記録することもでき、 スペクトル分光器で分析することもでき、又は、他の技術で研究することができる。実際、ほとんどの仕事は、直接写真かスペクトル分析で 構成される。長時間露光を使って、接眼鏡のなかに実際にみられるよりも何倍も暗い星々や星雲の写真を撮ることが可能である。この理由の ために、200インチは巨大なカメラであると描写できる。
いま、200インチ向けの典型的な問題を考察しよう。私は、太陽系のある構成員に関する問題から始めよう。その望遠鏡は、太陽に向けられる ことはないだろう。温度効果のために。ー何らかの方法で、それは焦がす虫メガネの働きをするだろうから。また、それは月の研究に何も唯一 の長所を提供しない。その領域には、それは他の幾つかの望遠鏡とほとんど同しく得られる種類の改良したデータを出すだけだろう。しかし、 惑星の写真の領域では、この機会は、ユニークである、なぜなら、初めて、目が普通サイズの望遠鏡を通して見られる全てを写真に撮ること ができるからである。直接の応用は、火星の運河の非常に反論の多い問いである。
運河は、大きな円に沿って走る非常に微細な暗い線として描写される。ときには2重に、しばしば収束し、又は"オアシス" と呼ばれる場所で 交差して。そのような微細な、髪の毛様のパターンは、背景の大きなよく知られる印に重ねられ、シアパレリがそれらを初めて報告して以来、 過去70年間の全てに渡る期間、6インチから上の全てのサイズの望遠鏡を使う、様々な訓練された視覚観察者によって記録されている。運河の システムは、もし現実なら、それはほとんど必然的に、火星上の現在又は過去の知的生物の存在を意味する。
しかし、他の訓練された観測者は、これも全てのサイズの望遠鏡を使って、運河の痕跡がないことを報告する。E. E. バーナード、多分、ア メリカの最も偉大な視覚観察者は、リックの36インチ反射鏡、ヨークの40インチ、ウイルソン山の60インチを含む、世界中のそのとき最大の 望遠鏡を使って多年に渡りその惑星を観察し、そして、彼は、莫大な量の詳細を見たが、運河は見出さなかった。
ふたつの天文台のグループが互いに対等に反論し、観察は個人的印象であるから、どのグループもその主張の有効性を示せないでいる。明らか な証拠によって、その論戦は、写真によって解かれないといけない。ひとたび、それらがその惑星の現実の特徴なら運河が現れるべき写真が 入手できるなら、合理的な疑いを超えてその問いは静まるだろう。そのテストは、これまで可能ではなかった。なぜなら、現存の機器は、 要求される標準に接近しているとはいえ、それらを実際に満たしていないからである。200インチは、しかしながら、全ての必要な条件を満たす に違いなく、その問いを静めるに違いない。
問題は、次のようである:火星は小さな天体である。100インチの直接焦点では最もよい惑星の反対位置で1/16インチより小さく、長いカセグレ ン焦点では1/5インチより小さい。微細な印の限界テストとして役立つのに十分な大きさの像を得るには (すなわち、写真乾板の分解能を望遠鏡 の分解能に比較できるようにするには、)もっと大きなレンズを使用することが必要である。こうして、望遠鏡で集められる全体光量は、より大 きく広げると、それに対応してより暗い画像になる。さらには、火星の大気のために、表面の印を撮るためには、深いオレンジか赤いフィルタ を通す必要があり、まださらに画像の実効的な輝度を低減する。低減は非常に大きく、現状の望遠鏡の写真は、スナップショットでなく、時間を かけた露光を要求する。露出は、たった1秒(又は何分の1秒、100インチで)であるが、画像の飛び跳ねや、ちらちらすることが最も微細な詳細を 汚し去る。
あなたは、望遠鏡が他の全てと同じく、星々の瞬きを拡大することを疑いもなく理解する。限界的な観測は、最大の定常性の期間(良いシーイ ング)を制限する。そして、そのときでさえ、ちらちらすることは、高い拡大率のときは、感知できる程度である。目は、このような条件下で は画像を "保持" できるが、時間露光の写真は、救いがない。ちらちらすることは、微細な詳細を汚し去る。この理由で、火星の運河がいわれ るように微細な印の場合、目は、写真乾板が記録できる以上に見ることができる。
しかしながら、200インチは、非常にたくさんの光を集めることができ、そもそも、フィルタを通した拡大した画像をスナップショットで撮る ことが可能になるだろう。これらの露光は、踊る画像を捕まえるのに十分なだけ短いだろう。その閃きの最後にーそれが方向を反転するとき、 それは瞬間的に静止する。もし、多くの露光が映画のフィルムにスナップされるなら、それらのあるパーセントは、(少なくとも普通サイズの 望遠鏡で)目で見るこのができるものを記録していると期待されてよい。
この話にはずっと多くの話があるが、それは、現在の議論には余りに技術的である。しかし、次のことはいくらかの保証とともに言える。 つまり、200インチは、火星の運河に関する長くあった論争を静めるかもしれない。
私が議論のために選択した、次の問題は、スペクトル分析である。御存じのように、もちろん、光は我々に届くのに、それぞれが異なった色を 代表する全ての異なった波長のごた混ぜとなって来る。プリズムか干渉縞によって、赤の長い波長から菫色の短い波長まで両方の方向にそれら を超えて走る、順序だったスペクトルの系列の中に色を広げることが可能である。そのような星と星雲のスペクトルは、ある特定の波長に、 深い意味のある現象を示す。スペクトル分析は、これらの特定の領域の分離と研究を含む。
あなたのラジオは、そのアナロジー(類似物)を提供する。ダイヤルを調節することであなたは、ラジオの波のスペクトルにそって走り、特定の 波長を分離するのは、その波長に放送している特定の局を聞くためである。
もしも、調節する装置がない非選択受信機で、全ての番組を同時に聞くなら、結果は混乱であろう。そのような悪夢から、個々の局からのメッ セージの明瞭な受容までの段階は、天文学のなかでは、集積した光の研究から、スペクトル分析の段階を示唆する。
星々と星雲の光は、原子から出ている。多くの種類の原子は、多くの元素の原子が多くの安定状態を持ち得るだけの数だけある。原子の各種類の 各状態は、原子の性質と、それが存在する物理的な条件とに関するメッセージを送信している放送局の集合体を表している。調節によって、 これらのメッセージを読むことで、化学的な元素を特定し、温度、圧力、その他の物理的な属性、そして視線方向の運動(動径速度)を測定する ことさえ可能である。
しかし、メッセージを明瞭に読むためには、正確な調節を達成することが必要である。ーすなわち、最大限可能なスケールまでスペクトルを広げ ることが。200インチの偉大な集光力が新しい可能性をもたらすのは、ここである。
その上にスペクトルを広げられる長さと、それでもまだ写真に撮れる輝度を残すことは、天体の輝度に依存する。太陽は、赤から菫までスペクト ル長は約50フィート長まで;最も明るい星は、約3フィートに渡り、裸眼で最も暗い星は、約1フットに渡る。役立つ情報を与える最も短いスペク トル長は、約1/10インチの長さで、最も暗い裸眼星よりも、約10万倍も暗い星々と星雲から得られたものである。200インチでは、全ての星々と 星雲のスペクトルは、約4倍の長さに長くでき、結果的に分析は、今まで可能だったよりも、ずっと正確に実行され得る。
ひとつの領域、いま弱く垣間見られるものが、むしろ完全に開拓できる。重要なデータは、異なる種類の星の異なる化学元素の相対量である。 これらのデータは、異なる化学元素によるスペクトルの異なる局の(又は線の)比較研究から導かれ、そして最長の実際的スペクトル(最高の可能 な分散)が適切な分析には要求される。
宇宙の99パーセント以上の原子が水素であると信じる理由があり、重さにおいても、水素は、全ての原子の最も単純で軽く、多分、宇宙の全物質 の大きな比率に貢献する。水素の相対量がかなり、星々で変わるという、注意を引く示唆がある。また、 (巨星から矮星、熱い青い星から冷たい 赤い星まで) 星々の物理的な状態は広く変っていても、他の元素の相対量が星々で広くは変わらないという想定にもいくらかの理由がある。 仮説は、主に反証を待ち、強力な機器による、さらなる研究を要求している。
現在、現存の望遠鏡で薄暗く大まかに描かれるこの領域を、200インチだけが適切に開拓できると信じられている。現在は、3つか4つの最も輝かし い星の分析によって示唆されるものは、これらの天体によって批判的にテストでき、研究は一般にサンプルの大収集に渡る比較の方法に拡張でき る。我々は開拓の最終的な結果を予測できない。それらは、宇宙の我々の知識の開発における、次の主要な章を代表してよいし、又はそれらは、 相対的に些細なことであると証明されてもよい。しかし、未開拓の領域は、挑戦とともにぼんやりと見えてきて、挑戦は応じられるだろう。
そのデータには莫大な意味がある、なぜなら、それらがふたつの非常に重要な問題、つまり、星のエネルギー源と化学元素の起原に直接関係する からである。
地質学者は地表の歴史を研究して、少なくとも数億年の過去に渡って、太陽がほとんど一定のレートでエネルギーをあふれ出し続けていることを 我々に確信させる。その間違いのない供給の可能な源は、知られていないだけでなく、想像すらできなかった。核物理学の現代科学が開発される までは。いま、説明は、アインシュタインの有名な式の上限まで、多様な寿命を星々に与える、広範囲の核反応から探索されることができる。
エネルギー=質量 x (光の速度)^2
例えば、もし、太陽の全体の質量が直接にエネルギーに変換されるなら、太陽は、現在の速度で放射が、100万倍の100万年間可能である。 しかし、もし、核反応がそのエネルギーを供給していたら、可能な寿命は(現在の放射の速度でもって)、それに含まれる特定の反応に応じて 削減されるだろう。
一般に核反応は、元素の変化ー古き化学者の夢ーを作り出す。最もそれらしい太陽のエネルギー源に関する現在の理論、ベーテによって提案 されたものは、炭素サイクルに基づいていて、そのなかで、太陽のなかに見出される温度の炭素の存在のために、水素原子核が結合して、 ヘリウムを形成し、その過程でエネルギーを解き放つ。太陽のなかで実際に観測される炭素の異なった同位元素の相対量と、炭素サイクルの 意味する相対量との比較が、その理論のひとつのテストとして用意されている。
漠然とした類似の方法で、全ての元素が原始的な水素原子からの組み立てを思索することはできる。そして、これらの思索は、物理的な特性 が広く異なっている星々のなかの元素の観測された相対量によって指導され得る。
このように、大スケールのスペクトルによって導かれる存在量のデータが、星のエネルギー源、元素の起原、宇宙の過去の歴史とその将来の 進化に直接に関係している。
200インチ向けの3番目のユニークな研究は、宇宙論であるー全体としての宇宙の構造と行動である。天文学者は、観測可能な空間の領域ー 望遠鏡で観測できる領域ーが宇宙のよいサンプルであることを希望している、そして、彼らはそのサンプルの観測した特性から宇宙の性質の 推定を試みる。200インチは、その偉大な集光力のために、100インチの約2倍の距離まで空間に貫通するに違いなく、そして、従って、我々 に現在得られる約8倍の空間の体積を開拓することを許すだろう。観測可能領域が宇宙のよいサンプルである確率は、こうして大きく上昇する。
この新しい領域を開き、新しい望遠鏡に道を用意したのは、100インチであった。1920年代の期間にむしろ突然に、絵は開発された。太陽は その惑星の家族とともに空間に孤立し独りきりとみえる。しかし、我々は知る。それは単に星々のひとつであることを。数10億の星々の ひとつであって、星の系をなしている。この系は、空気のなかを蜂の群れが漂うように、空間を通して漂う星々の群れである。その系のなか のどこかから見たら、我々は星々の群れを通して見渡し、境界を過ぎて、越えて宇宙にはいる。
これら、外側の領域は、殆どの部分が空虚であり、ー莫大に空虚の空間が拡がっている。しかし、ここそこには、巨大な間隔に散らばった、 我々自身のと同じような、他の星の系が見つかる。それらは、非常に遠いので、個々の星は、最も近い幾つかのなかだけに見られる。一般に それらは、微かな光の継ぎはぎと見え、小さな雲に似ている。そして、永くラテン語で雲にあたるーつまり、"星雲"と呼ばれてきた。
我々はいま知る。これらの星雲たちが巨大な星の系たちであり、平均すると太陽の約10億倍の明るさであることを。それらは、真の空間の 住人でありー宇宙の開拓の道標として役立つ巨大なビーコンである。我々は、その幾つかが大きく現れ、輝かしいことを見る。これらは近 くの星雲である。そしてそれらが、不断に数を増すとともに、小さくそして微かになるのを見出す。そして我々は、外へ空間へ遠く、より 遠くへ向かって到達し、ついに、最大の望遠鏡で検出できる最も微かな星雲にまで。我々は、観測できる領域の辺境に到達したのである。
この領域は100インチで開拓され、毎秒18,6000マイルの速度をもつ光が、5億年の旅を要するほど離れた距離までである。こうして現在の 観測可能領域は、観測者を中心にした球形をしていて、半径が約5億光年である。この球形のなか、至るところに約1億の星雲が散らばって、 それぞれの星系は、我々の天の河系に匹敵する。
この観測可能な領域を宇宙のサンプルとしてする研究は、ふたつの大規模な特徴の認識に我々を導いた。最初の特徴は、一様性である。 星雲は、単独に、群れをなして、又は、大きな集団(クラスタ)となって散らばっている。しかし、非常に大きな空間の体積を比較すれば、 その内容は全く似ていることを見出されるだろう。大きなスケールでは観測可能領域は、非常に同じ姿を表す。全ての方向の全ての距離で。
次の特性は、遠方の星雲からの光の波が、それらが旅行した距離に比例して、長く伸びたように見える事実である。それは、あなたの ラジオのダイアルが、局の距離に比例して、全て長い波長に向ってシフトしたかのようである。星雲のなかのスペクトルの局(又は線)た ちは、赤い方向にシフトし、そして、これらの赤方偏移は距離によって直接に変わるーひとつの近似では、線形の関係で。
赤方偏移は、最も容易には地球から離れる視線方向の運動の証拠と解釈されるー星雲たちが我々から全ての方向に逃げ去っていて、 それらがより遠くに去ったものは、より速い速度をもって退いていることの証拠であると、この解釈が、膨張宇宙の理論にそれ自身、 直接に貸与している。その解釈は、全面的には受け入られていないが、我々の最も慎重な人でさえ、赤方偏移は、膨張宇宙か又は、 今まで知られていない自然の原理の証拠であることを承認する。
観測可能な領域の観測されるふたつの特性、つまり、近似的に均一な分布と、赤方偏移の近似的に線形の法則とは、どの宇宙の理論も 満たさなければならない。それらは、テストとして使える、唯一の大スケールの観測結果である。それらは、不十分なデータによって 過去に開発された多くの理論を消すのに役立ち、しかし、幾つかの現代理論がそのテストに生き残った。これら後者の理論全ては、 観測者に近傍の限られた領域にある観測された特徴を許す、しかし、それらは、測定がより大きい距離に拡張されたとき、分布と赤方 偏移との単純な近似的法則からの逸脱が見出されることを予言する。これらの出離は、理論から理論で違い、そして、もし測定が必要 な距離まで拡張されるなら、正しい理論を間違ったものから識別するだろう。
こうして、宇宙論における最重要な観測的問題は、大きな距離の、小さな2次の効果であると記述できる。星雲は、大まかには均一な 方法で分布しているように現れ、赤方偏移は、大まかには距離に比例する、100インチの限界までは。次の段階は、これらの特徴をも っと正確に決定することである。100インチの限界範囲を越えて、そして近似的により大きな距離までに。
100インチで必要な精度を達成しようとする試みがなされてきた。そして、結果は、重大なものとみえる。もしも、それらが有効である なら、赤方偏移は、膨張宇宙を理由としないだろうもののようにみえ、宇宙の構造についての現在の思索の大半は、再検査が必要になる だろう。その重大なデータは、しかしながら、必然的にまさに単独の機器によって得られたものであり、独立の証拠によって結果をチェ ックする可能な方法がない。それゆえ、現在、結果は、決定的ではなく、示唆的と受け取られるべきである。
その問題は本質的に200インチ向けである。この新しい望遠鏡は、数10億光年までの空間に貫通し、大きな距離の2次効果は、見失うことが できないほどに顕著になるだろう。
特別に最後の例として、赤方偏移の増加に伴う見掛けの明るさへの効果について言及したい。急速に後退する光は、似ているが静止した、 同じ瞬間の距離の光より暗くみえることは、よく知られている。理由は、動物体からの光量子の流れは、後退によって薄くなり、毎秒、 少ない数が観測者に届くからである。明るさは量子の到着のレートによって測られ、後退する光は、異常に微かになる。
実際に、暗くなる係数(減退率?)(みかけの明るさの減少)は、後退速度と光速との単純な比率で表される。1/100の光速の後退は、1%の見掛け の明るさの減退になり、1/10の光速では、10%等である。こうして、後退速度の効果は、速度が毎秒数100マイルに達するまでは無視でき、 数1000マイル/秒では感知でき、数万マイル/秒では顕著になるだろう。
もし、赤方偏移が実際の後退の証拠であるなら、減退率は、100インチの測定限界の近くで感知可能になるに違いなく、200インチの限界近く では、顕著になるに違いない。200インチの直接写真の丁度限界で、減退係数は、40%〜50%のオーダーに近付き、間違えることができなくなる。
我々は、確信をもって予言してよい。200インチが我々に、赤方偏移が急速に膨張する宇宙の証拠として受け入れなければならないか、 又はなにかの自然の新しい原理の属性の証拠としてかを、告げるだろうことを。答えが何であれ、結果は宇宙の開拓への主要な貢献として 歓迎されるだろう。
私は、3つの特定の問題を述べた。火星の運河、星々のなかの化学元素の相対的存在量、そして、赤方偏移の本性、なぜなら、それらは、200イ ンチ望遠鏡のユニークなパワーを表しているからである。すなわち、分解能、分散、そして、貫通。
これらの問題は、最重要であるから、解くことができ、それらは、同種の他とともに、初期研究プログラムに含められるだろう。これらの問題 の解は、単独でも十分に望遠鏡建設を正当化するものだろう。
しかし、そのようなプログラムは、単なる論理的な始まりでしかないー宇宙の広大な未知の領域への開拓のなかへの、慎重に考慮された最初 の段階である。なぜなら、暗闇は押し込められるに従って、我々のいま予見できない、より大きな問題が、疑いもなく持ちあがるだろうから。