第三四日目


2000年2月25日(金) 

 6時50分出発 〜 板東 7時10分出発 電車 〜 徳島 7時35分 〜 高速バス なんば 11時 〜 電車 高野山 13時半 〜 バス 奥の院 14時到着 〜 無糧光院宿坊 16時到着


 昨晩はわりかし眠れ、朝を迎える。いつもの通り準備し、板東駅に向かう。久しぶりの電車に乗るとともに、これで歩き旅を終えることになる。本当に四国一周を歩き成し遂げたと感じ,電車に乗る。7時台の電車なのに、余裕で席に座れる。徳島駅に着いても客が少ない上に,売店での新聞が少ない。これでは絶対に自宅の最寄駅より売上は少ないだろう。3分の1ぐらいか。ただディリ-スポーツのスポーツ紙の部数が多いのは阪神ファンが多いのかな。明日の帰り道ドリーム奈良のチケットを予約し、高速バスなにわ行きのチケットを取れ、バスに乗車。

 バスの中では日刊スポーツを読むが、大阪版のため違和感を感じる。読み終えた後熟睡に入る。時々なぜかうめき声を発していたような気がして恥ずかしいが、それでも寝る。順調になんば駅に着き、今度は南海高野線に乗る。関東の西武線みたいな感じであった。急行に乗ると次の駅から混みだすが、また眠ってしまい,気がついたら、乗客が数人になり、山の中に入っていく。ローカル線みたいな感じであり,最後の一駅はケーブルカーになっていた。

 高野山は寺が一個だけではなく、100以上もあり,寺の町であった。案内所では、納経は本山でやるのではなく、奥の院で行うことを聞き、バスに乗り込む。標高が800m以上もあり、雪も残っていることから大変寒い。本当に寒く、はく息も白い。奥の院の一番奥では若いお坊さん達がお経を唱えていた。僕も同じ場所で、訳も分からず、ろうそくとお線香をあげて、無事巡礼の旅を終えたことを感謝した。その後、燈明の受付をして、最後の納経を行うが、機械的な作業であり,ここでの感動はいまいちであった。

 その後中心部まで歩き、宿坊を紹介してもらうが、最低9,000円以上であり高かった。中心部にしてもらうが、これが本当の宿坊であり,最低限の設備しかなく、受付なども若いお坊さんがやってくれた。それにしても寒く,ここの洗面所のおけの水が氷を張っていた。廊下でもはく息が白くなる。荷物を置いて、一休みするが、総本山に向かうが、外見は普通の寺より少し大きいぐらいであり、寺の中は料金を取るので、外見だけみて、次は大門に向かう。

 大門は大きく,高野山の一番西端にあり寂しい場所であったが、何か威厳を感じた。その後はあまりにも寒いので、すぐに宿に戻ってお風呂に入る。風呂後は、今までの自分日記をを読み、感傷にひたるが、誤字脱字が多く、自分で呼んでみても恥ずかしい。夕食の精進料理は素材が生かされて、美味しく感じられた。その後接待などの整理をするが、夜は一段と冷え込む。ここは本当に寒く、これからの夜が心配なので、早めに着込んで寝る。  19時40分記

(実際寒すぎて、22時ごろ隣の人が「本当にこんなに寒いのですか。何とかなりませんか」と僕のところに来たが、僕もどうにかして欲しかった)


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