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2002年1月


 2002年1月31日(木) 晴れ 

    「キン肉マンの『7人の悪魔超人編』に
     『ステカセキング』(21歳/ベルギー出身)って超人が登場するじゃないですか。
     ほら、ウォークマンの形をしていて、
     ラーメンマンのカセットを聴くと顔と技がラーメンマンになったりする奴。

     彼の名前に漢字を当てて
     「捨て枷王」と書くと、
     社会の縛鎖から逃れようとするような、
     相当にアナーキーなイメージになりませんか?」

というメールをM田くんに送ったところ、

    ツルネン・マルティ当選おめでとう。」

というメールが返ってきました。

 2002年1月30日(水) 晴れ 

でかい乳房を所有する女性が走ると、おっぱいがブルンブルン暴れ出します。

自分の胸部が重力と慣性に弄ばれるあの感覚を、
一度でも良いから実際に味わってみたいと思うフェティッシュな男性も
広い世の中にはいらっしゃることでしょう。
本日は、そのような皆様のための鍛錬法を教授します。

まず、一日になるべく二杯以上のラーメンを食べるように心がけます。
そしてそのうち最低一杯はスープまで飲み干すことをノルマとします。
あとは、寝る間も惜しんで怠惰な生活を送りましょう。
スポーツなんて、もっての外です。

この日課を毎日欠かさず半年ほどゴロゴロした生活を送った後に、
ある日突然思い立って、力一杯走ってみてください。
夢にまで見た「あの感覚」をわき腹あたりで感じることが可能になります。

経験に裏打ちされた発言です。

 2002年1月29日(火) 曇り 

久しぶりに、ファンタジーに溢れたスパムメールが来ました。

    ” ヨーロッパから税関を通り抜けてFDD50枚近くを運んできました。
     オランダ娘、ベルギー娘、イギリス娘、
     フランス娘、ドイツ娘、そしてお薦めはイタリア娘。
     今なら無料サンプルを提供。
(以下略)

色々な面で効率が悪い仕事をしていると思うのですが、
皆様はいかが思われますか。

ちなみに、FDDとは「フロッピーディスクドライブ」の略称だと思われます。

 2002年1月28日(月) 晴れ 

昨日の日誌の続きです。

その後、15分1000円案を退け、
待ち合わせ場所に近づいたら電話を入れる約束をした私。
今回の待ち合わせ場所は、T井くんの家の最寄駅です。

駅まで15分の距離に近づいたので、
T井くんに電話を入れます。繋がりません。
10分後、再び電話すると、T井くんが出ました。

    T 「……んあ」
    私 「あれ、もしもし? そろそろ着くんだけど」
    T 「…………ん…今……何時……?」
    私 「……あのさ、もしかして、今起きたでしょ」

その後聞いたところによると、
どうせ遅刻すると思ったので、
待ち合わせ時間の10分後に目覚ましをかけていたそうで。

まあ、確かに私は5分ほど遅れていましたが、
それを差し引いても、何か間違えていませんか。

 2002年1月27日(日) 雨のち晴れ 

T井くんが、私のエブリタイム遅刻に痺れを切らし、対策を考えつきました。
「遅刻15分ごとに罰金1000円ね。」

で、罰金案が提唱されて最初の約束、早速10分遅刻した私。
「超過15分から課金されるんだべ? セーフセーフ。」

ウルトラ遅刻マニアの私といたしましては、
遅刻で罰金を取られるなら、
万が一間に合ったときには破格の賞金が用意されるべき
だと思うのですが、
不思議なことにT井くんの賛同は得られません。

というか、破産するのでやめて下さい。
というか、賭け事と売買以外で友人から金を取るのはやめて下さい。

というか、そもそも私が遅刻しなければ、それで万事解決するのですが。

 2002年1月26日(土) 雨 

携帯電話に伝言メモが入っていました。
不在着信時に作動する留守番電話のような機能なのですが、
通知された番号は、0299******。
まったくもって見覚えがありません(後の調べで、茨城県であることが判明)。
しかしまあ、知り合いかもしれないと思って聞いてみることにしました。

    「……ちゃ、ダメだ、よこちゃんっ……(ガチャッ)」

少々甲高く鼻にかかった声の男性が、
電話の向こうで他の誰かに切羽詰った様子で呼びかけていました。
というか、誰なんですか。何なんですか。

普段は誰のものともわからない番号には電話をかけないのですが、
伝言がかなり焦った声だったので、これは有事かもしれないと思い、
伝言が入った約10分後にコールバックしてみました。

    男 「(野太い声で)はい?」
    私 「あの、先ほどお電話をいただいた履歴が残っていたのですが、どのようなご用件でしょうか?」
    男 「ああ? 電話なんかしてネエよ。」
    私 「いや、でも確かに履歴が残っていて、その番号にかけたのですが……」
    男 「いい加減なこと言うんでネエ! (ガチャッ)」

もしかして、犯罪に巻き込まれたりしていますか、私?
(心当たりのある方は名乗り出てくださると、助かります)

 2002年1月25日(金) 晴れ 

K平くんには、このサイトの開設当初にURLを教えました。
彼の家に行ったときに、彼のパソコンのお気に入りに登録してきたのですよ。
で、まあ一度見てくれよ頼むよ、くらいのことは言ったように記憶しています。

で、久しぶりに会ったときに、彼が私に言うのです。
K 「そういや、ラーメンについてのホームページ、まだ頑張っているんだな。たまに見てるよ。」

あなた、読んだことないでしょう。

 2002年1月24日(木) 晴れ 

日本人を20年以上やっていれば、
大抵の方は「ブラジャー」という単語を口にした、
あるいは耳にした経験があると思いますが、
その中で「ブラジャー」という単語の成立を語れる人間はどれだけいるのでしょうか。

「ブラジャー」という響きは「動詞『ブラジ』+er」という英単語の構成を髣髴させます。
が、結論から先に述べますと、この推論は間違いです。

「ブラジャー」の綴りは"brassiere"です。
まず、ラテン語で「腕」を意味する"bracchium"から"bras"という語幹が抽出されます。
これが古代フランス語に入り、「腕の防具」を意味する"braciere"という言葉が生まれます。
これが転じて"camisole"あるいは"bodice"といった服を意味する
"brassiere"というフランス語(現在は使われていない)になり、
英語に入って"brassiere"=「ブラジャー」という言葉が誕生するに至るのです。

ちなみに、「ブレスレット」="bracelet"という単語も、"bras"というラテン語幹に由来します。
そういった意味では、ブラジャーとブレスレットは親戚です。

ひとつ賢くなっていただければ、幸いです。

 2002年1月23日(水) 晴れ 

身長・体格が大型化することによって、
同一カップ数であってもおっぱいのサイズ自体は大型化することに言及するM田さん。

M 「だってさ、容積が増すわけじゃない?」

そういった仕組みになっていたのですか。

 2002年1月22日(火) 晴れ 

駅で、秋田県大館市と東京都渋谷区などの団体が共同開催する、
「第6回秋田・大館フェア」のポスター(↓)が貼ってあったんですよ。

第6回忠犬ハチ公のふるさと 秋田・大館フェア。秋田犬が雪の上で目を細めているポスター。

これを見たT井くん曰く、
「あのポスターにある秋田の「いぬだて」ってさあ……」

新たな都市を作らないで下さい。

 2002年1月21日(月) 雷雨 

死のドライブ 〜エピローグ〜

    深夜。都内某所。
    何とかM本くんの家の駐車スペースに車を停めた一行。
    M本くんは疲労困憊の態で家に転がり込み、
    後に残されたY口くん、T井くん、私の三人は、各自帰路につこうとしている。

    Y 「お疲れ。もう、12時くらいだろ? 帰れるか? 俺はバイクだけど……」
    私 「いや、まだ11時45分ってとこだから、まだ電車はあるだろう」
    Y 「そうか、気をつけて。あー、俺、明日仕事なんだよなー」
    T 「そうだよねー。頑張って」
    Y 「普通ならさ、あいつが俺たちを車で送って行く状況だよな。あー、早く一人で運転できるようになって欲しいよ」
    T 「今日に関しては、俺たちが車を送ったからね」

VIP待遇ですね。

 2002年1月20日(日) 曇り 

俗に言うところの「死のドライブ」に行ってきました。
頭につく「死の」という形容詞は、
運転手がこれまで数々の伝説を残してきたM本くん(洗礼名:高田馬場フェイロン)であり、
なおかつ彼の運転技術がワイルド&タフというか、独創的というか、
俗に言うところの下手っぴぃであるところに由来します。

M本くんの友人で今回のドライブの発案者であるY口くんの名前が「忍」であり、
彼が恋人から「しのん」あるいは「しのむ」などと呼ばれているからでは、決してありません。

今回も色々な事件が私たち哀れな同乗者を襲いましたが、
それでも何とか無事に生きて帰ってくることが出来ました。
M本くんの運転技術も上がり、特にスタート(マニュアル車なんです)関連は上達したかと。
今後の精進に期待します。

だがしかし、運転席からルームミラーを指差して、
「このヘッドミラーですけれども……」
と喋りだしたことに関しては、いささかの間違いが含まれていると思います。

お疲れ様でした。

 2002年1月19日(土) 晴れ 

今日はセンター試験一日目だそうで、
妹の頭からは煙が出ていました。

センター試験と言われて思い出すのは、浪人生のときの数学です。
コンピュータを選択して、
簡単だぜウヒョー(←当時流行っていた掛け声です)、
などと思って悠々解答し、15分ほどハナクソをほじりながら待ち、
残り2分のところで見直しを始めたら、
問題冊子の最後のページを見落としてたことが判明した瞬間の衝撃は、一生忘れません。

 2002年1月18日(金) 晴れ 

東海大学の教授であらせられるこの方、学生からは「サイヤ人」と呼ばれているはずです。

 2002年1月17日(木) 曇り 

私の使用している寝袋はシンプルなもので、
外側がナイロン地、内側が木綿地で、片端がふさがった筒状になっています。
側面にジッパーがついていて、暑いときには広げて毛布代わりに使えます。

今の季節は冷えるので、ジッパーは下げず、
入るときは唯一開いた片端に足を突っ込み、肩まで順に身体を差し込んでいくことになります。
入り口を絞る紐はついていませんが、上から布団をかけて一緒に巻き込む形にするので、
空気が逃げることはありません。もちろん、簡単には出られません。

で、本日、朝起きたら寝袋から大脱出していたのですが、
これってつまり、手品師としての才能が目覚めたということでしょうか。

 2002年1月16日(水) 雨 

N野さんが、いいことを言いました。

私 「ま、またオヤジギャグを言ってしまった……。
   この頃、ついついぽろっと言っちゃうんだよなー。」
N 「しっかりしてください、それは気の持ちようですよ!

 2002年1月15日(火) 晴れ 

ノートを提出し、試験も受けてきました。
睡魔と戦った甲斐はあったようで、まあそれなりにできました。

で、私、今年度は授業を2コマしか登録していないのですよ。
もう一方の講義はなかなか興味深い内容で、
年明けにもう一回講義をしてその次の週に試験をやる、
と昨年の暮れに先生がおっしゃっていたので、
半分眠りながらもノートだけはしっかり取って来週に備えるか、
などと思って教室の最前列近くに陣取っていたのです。

なのに、ああ先生、
何で試験答案用紙を持って教室に入ってくるのですか。

というわけで、試験は散々な出来でしたが、学生時代最後の講義が終わりました。
学問をしにあのキャンパスに通うことは、もうないでしょう。
思えば山あり谷ありの5年間でした。

帰り道、後輩から評判を聞いていて、
一度食べてみたかったたこ焼きを駅前で購入し、駅のベンチに座って食べました。
生姜が効いていて、食べているうちにじんわりと目が潤んできました。

 2002年1月14日(月) 晴れ 

いや、昨日の日誌を書きながら、何か変だなあ、とは思っていたんですよ。

半年分のノート提出の話ですが、1日目に進行度が約20%ってことは、
2日間で終わらせなければいけない場合、
2日目には全体の約80%=昨日の4倍やらなきゃいけない計算になりますよね。

それってつまり、4ヶ月と24日分/1日なわけで、ユンケル飲んでガンバルンバしました。

 2002年1月13日(日) 晴れ 

卒業をかけたノート提出を近日中に控えた私ですが、
現在の進行度は約20パーセントです。
というか、半年分を2日でやろうという計画そのものに、
致命的な欠陥があるような気もします。

さて、喫茶店でカリカリ教科書から英文を書き写す私の隣で、
例のごとく(!)ヤングでキュートなカッポーどもがじゃれあっています。

女 「何でそうなのよぉー」(男の肩をバンバン叩く)
男 「いてーなー。オメー殺すぞー?」(おっぱいを揉む

その攻撃は、私を悶死させる意図で繰り出されたものですか。

 2002年1月12日(土) 晴れ 

近年、セックスのことを「エッチ」あるいは「H」などと呼称する風習が若者の間で見受けられますが、
私個人としては、そのような軽薄な風習は断固拒否すべきだと考えています。

電車の車内広告を見ていました。

    愛し合うおふたりが結ばれるH。
    そのHのおふたりの
    天にものぼる幸せなお気持ち。

やけに生々しい広告だなあ、と思って読み返してみると、
「H」と思っていた字は実は「日」であって、どうやら結婚式場の広告であったようであります。

 2002年1月11日(金) 晴れ 

寝相が悪すぎるがゆえ寝ている間に布団を跳ね除けてしまって、
朝方には体が冷え切り、
風邪を引くだけならまだしも喘息まで併発しがちで困っているあなた! (というか私!)

寝袋、デラサイコーですよっ!

寝袋の上に布団をかけて寝れば、もう怖いものはありません。
例え布団を跳ね除けてしまっても、寝袋があなたを寒さから守ってくれます。
暖房などを使わずとも、朝までホカホカぐっすり安眠です。

ただし、間違って放屁をしてしまうと大変難しい事態になるので、気をつけてください。

 2002年1月10日(木) 晴れ 

人を応援するとき、「頑張れ」って言いますよね。
これを辞典で引くと、こうなります。

で、それを英語で言うとアレです。
和製英語なのかもしれませんが、”Fight !”って言いますよね
これを辞典で引くと、こうなります。

アフガニスタンにちょっかいを出している現状を見るまでもなく、
好戦的な民族なんだろうなあ、という予想が成り立ちます。

 2002年1月9日(水) 晴れ 

東京のアンダーグラウンドには、
深夜、JR山手線各駅前で受身を取り、
その光景を写真に収める活動を主眼とした「受身同好会」なる組織が存在するそうです。

まじで。

 2002年1月8日(火) 晴れ 

ラーメン、好きですか。
ラーメン店で凄い人を見かけました。

最初に、具を全部食べる人。

 2002年1月7日(月) 曇り 

数ヶ月前から、私の部屋の棚の上では、
ヒートホークを構えた旧ザクがGMを背後から急襲しています。
一言で言うと、プラモデルを飾ってあるのです。

今朝、ふと見上げると旧ザクの機影が見えず、
慌てて探したところ、床に落ちていました。損傷なし。

これはやはり、連邦の援軍の仕業だと思います。

 2002年1月6日(日) 晴れ 

長編日誌「新座冒険倶楽部」。

 

世のラーメン愛好家の間では、
普段行かない場所に行くときには事前に現地の有名店をチェックし、
最低一杯は食べて帰ることが常識とされる。

ある1月の寒い日、その男(仮に「河村」と呼ぶことにしよう)は
旧友たちと新座でボウリングをする約束をしていた。
新座…河村は訪れたことのないこの地名に、かすかな見覚えを感じていた。
引っかかりを感じながらも、習慣に基づき新座のラーメン店をネットで検索した
河村の目に飛び込んできた店名があった。

「ぜんや」。

河村の疑問は氷解した。
「ぜんや」はラーメン界の耳目を集める新鋭の有力店のひとつである。
河村の目にその所在地たる新座の地名が触れていたとしても何の不思議もない。
……行こう。…「ぜんや」に行こう。
ボウリングの待ち合わせよりも早く新座に降り立ち、「ぜんや」でラーメンをすするのだ…。
河村の心は決まった。

しかし、「ぜんや」は恐ろしい程の人気店であるらしい。
昼の11時30分の開店時には既に40人が並び、カウンター8席に着く瞬間を待ち受けているという。
列の先頭に立つためには、開店1時間前の10時30分に店先に立つ必要があるらしい。
平均待ち時間、約1時間30分。
1月の寒気の中、1時間半も黙ってラーメン店の店先に列を作るのは、もはや苦行である。
それだけの価値が「ぜんや」のラーメンにあるのだろうか。
情報バブルに踊ったピエロたちの行進でしかないのではないか。
しばらく逡巡していた河村は、不意に不敵な笑みを浮かべた。俺が、俺が確かめてやる…!

当日、河村は9時に起床した。ものぐさな生活に慣れた河村からすれば、
朝の9時は早朝…いや、未明に近い。
それは彼の「ぜんや」に対する期待と不安が入り混じった目覚めだった。夢見は悪かった。
河村は浴室でシャワーを浴び、朝10時、新座に向けて旅立った。
空はまっ青に澄んでいた。

電車に揺られること1時間、河村は新座に降り立った。
割と近いものだ、と思う余裕がまだ河村にはある。
改札を抜け、駅前の風景を見回す。
紛れもない田舎である。街道と駐車場と建設予定地。
民家の密集率は低く、空が高く広い。
河村は方向感覚を根元からこそぎ取られる錯覚を覚えた。
右手に見えるモ、『モダンパスタ』って何だよっ…! そんなパスタ店聞いたこともないぞっ!
平気な顔して存在するな!

慌てて近隣の地理に詳しかろう友人に助けを求める電話をかける。……が、出ない。
確か、事前調査でちらっと見た地図だと、「ぜんや」は駅の下方に位置していた? 
つまり、……南。
河村は太陽に向かって歩き出した。

駅前の歩道橋を渡る。
左手に友人たちとの待ち合わせ場所であるタナボウルが見える。
車両用の道路標識で道を確認する。「ぜんや」は街道沿いにあるのだ。
おそらく、方向は合っている。道を曲がる目印と考えていた小学校も見える。
行ける。
河村の中に到着の予感が生まれつつあった。

そして「ぜんや」は不意に姿を現した。
民家を改造したという「ぜんや」の店舗自体は目立つものではない。
河村が目印と考えていた隣接のセブンイレブンが閉店していたこともあり、
彼の目には突然「ぜんや」が現れたように見えた。

「12月29日から1月9日まで休業とさせていただきます。 ぜんや」
ガラスドアの内側に貼られたお知らせの紙は、静かに河村を見つめていた。
背後ではトラックが轟音をたてて街道を通り過ぎて行った。

 

『モダンパスタ』のN澤サンはカワユく、Y田さんは巨乳でした。

 2002年1月5日(土) 雪 

『スパイキッズ』という映画を観てきました。

映画自体は、企画がやや先走りした感じはあるものの、
安心して観ていられるホームスパイコメディ(意味不明)でして、
次回作に期待、という様相でした。

が、アレなんです。
日本ではこの映画のイメージキャラクターとして、
独自に『スパイキッズ』というアイドル4人組のを結成したんですね。
このネーミングが、イマイチなセンスだと思うんですよ。

私のオヤジ頭脳で考える限り、『スパイキッズ』="SPY kids"のdをsに変えて、
"SPY kiss"すなわち『スパイキッス』というユニット名にしておけば、最大の効果を収めたはずです。

 2002年1月4日(金) 曇り 

U田川くんに「ネタのレベル、けっこう低くていいんだなー」と言われたり、
K田くんに「その小噺は大して面白くないッスね」と言われたり、
T井くんに「勧めてもらった映画だけど、10人中9人がつまらないと思うはず」と言われたり、
それとなく思い当たるところもあったりなかったりして、
最近脳みそにキレがないのかなあ、などと気に病んでいたのです。

この正月、親戚回りをしてきました。
祖母の実家に行って、爺様婆様オジサマオバサマと机を囲んでいたときのことです。

私 「最近の携帯電話は、位置情報までわかるらしいですね。GPSって言うんですか」
婆 「あら、GPSって何なの?」
父 「船なんかがどこにいるのか、衛星を使って特定するシステムだよ。うちの女房にも付けて欲しいね」
婆 「あら、そうなの。それって付けた相手にはわからないものなの?」
父 「物にもよるだろうね。放牧中の馬に付けて、その日何キロ走ったかを位置情報をもとに計算したりするらしい」
私 「つまり、付けられているかどうか、ウマとシカにはわからない、と」

このオヤジギャグがその場でバカ受けしまして、
何だ、私の脳みそは単にオヤジ化しているだけなんだ、と吹っ切れました。

 2002年1月3日(木) 晴れ 

「ごきげんよう」を標準の挨拶としている某お嬢様女子高がありまして。
朝昼晩関係なく、顔を合わせたら「ごきげんよう」、別れの挨拶も「ごきげんよう」と、
何でも「ごきげんよう」で済ませてしまうんですね。

何だか微妙に上品かつ合理的な感じがするので、
真似てみようかとも思いましたが、アレじゃないですか、
男性の身でありながら「ごきげんよう」とか言い出すのも、
ちょっと女々しい感じがするので、躊躇していたんです。

そんな私の許に天啓が訪れました。
アレですよ、同じ用途で使えて女々しくない言葉がありましたよ。

「どーも」

 2002年1月2日(水) 曇り 

バーゲンやら福袋やら、
新年の街中には、物欲をそそる罠が張り巡らされています。

本日の衝動買いリスト。
    ・文庫本二冊
    ・セーター
    ・CDラック(本棚として使用予定)
    ・寝袋

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リンクにMr.初心さんの WEB FOF を追加。
アメフトチーム運営SLGのサイトですが、CM日記もあります。

 2002年1月1日(火) 晴れ 

あけましておめでとうございます。

初夢は今晩に見るわけですが、
大晦日から元旦にかけて見たいわばプレ初夢が、
妙に印象的な、おかしな夢でした。
目覚めた後、内容をメモした紙にはこう記されています。

「イワバノフ伯爵夫妻変態性欲で死亡の訃報を新聞で読む。
 夫人は若く細く華奢でショートカット。豊島区。
 秋の山の公園、アスレチック下で再会。腕組み。」

よくわかりませんがとりあえず、正夢にならないことを祈ります。

 

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