「これよりグルティア城を攻略する」

 淡々と、抑揚の感じられない声色。
 散歩代わりの遠出のついでに、とばかりの自然さで、セティはそう告げた。

 絶句するアーサーを捨て置き、広大な平地に歩み出た賢者の背は、しかしその言が冗談ではないのだと雄弁に語っている。
 纏う気配が、僅か変質したのをアーサーは逃さずに感じ取った。それはまるで、無慈悲に目的を遂行する、神の執行者のような。
「馬鹿、おまえ一人をこんな所で放っぽりだせるかって」
「構うな。足手まといだ」
 ぴしゃりと。そう言い放ち、そのまま滑るような動きで白い影は、身を隠すもの一つない砂煙渦巻く大地に飛び出した。
 黒々と高く聳える断崖の要塞を目指し、一直線に駆ける。振り向く事も無く。
「待っ、おま…」

「ちくしょ…!」
 留められぬことをすぐに悟り、アーサーは舌打ちと共に馬首を巡らせた。
 高い嘶きと共に、馬身が反転する。元来た道を、引き返す…のではなく、浅い丘陵地帯の淵を目指し、大きく迂回するように走らせる。
 まともに飛び出せば命はない。僅かなりとも敵の監視の目を潜り、追従するための苦肉の策だ。
 身を低く屈め全速力で馬を駆り、アーサーは苦々しい表情ながらも冷静に状況の分析に入った。一瞬の動揺はすぐさま過去のものとなる。

 予想だにしない事態…という訳ではなかった。
 元より、セティが今宵ルテキアの前線基地を独り抜け出し、無謀とも言える行動を取る可能性を予め読んだ上で、動いたことであったのだ。

”グルティアにおそらく竜騎士団はいない。トラキアの門を守るのは暗黒教団、ジュダという名の司教のようだ”
 王子の付き人を勤める寡黙な男は、アーサーにそのように告げた。
 確かに、帝国の同盟国とはいえトラキアは暗黒教団の影響力に一定の牽制を利かせている。賢王として知れるトラバント王やアリオーン王子が、ロプト教団に麾下の軍を預け力を貸すという事は考え難い。何よりむしろ、トラバント王亡き後、数多の竜騎士兵がトラキア城に集い、不気味な沈黙を保っているとの情報もある。解放軍が、戦力の散逸を覚悟してでもトラキア各地の拠点に強力な師団を残しているのは、明らかに竜騎士団の動向に対する警戒ゆえであり、トラキア軍に関する複数の情報と軍師の読みを裏付けるものである。

 で、あるならば、裏を返せば現在、グルティアの戦力自体は限られたものである可能性が高い。

 帝国との同盟の体面を保つため、教団に主要拠点を任せることとしたとしても、要塞城グルティアであれば最小限の戦力で守備を図る事が可能である。無駄な配置は一切必要がないはずだ。いざとなればロプト教団の有する高位の術式、転移の魔方陣の力で本国より援軍を招き、如何な戦況にも柔軟に対応ができるだろう。
 セティの無謀とも言える行動も、おそらくは、そこまで読んだ上で勝機を見出してのことなのだろう。
 それも、むしろ彼自身の意思ではなく、影の采配者の意を汲んでと言うべきか。
「動くなら今、ということに関しては俺も異論はないがね」
 戦線が膠着し疲弊の極まった時に、”黒薔薇”でも召喚されようものなら目も当てられない。
 何より、このグルティア砦に大隊で挑むは、徒に戦力を喪失するだけの愚策だ。
 盤目の上で手駒を操る非情な策士が導くであろう、最も妥当な結論。それを正確になぞり当てて、アーサーは溜息をついた。
「ルテキアの戦力は帝国軍との戦闘に温存し、グルティアの指揮官を秘密裏に闇討ちするという訳か。最も強力で…従順な駒を利用して」
 事実、解放軍のトラキア進攻は無理を重ねたものであり、ここにきて間髪いれずにグルティアを攻略する余裕はないと見るのが、大勢の常識的な判断だろう。
 裏をかくというのは、こういうことではあるのだが。
「敵を欺くには味方からとも言うけど、一人で拠点攻略はいくらなんでも容赦ないよな」

「何よりあいつの身体が…おそらく、もうもたない」










 薄赤い月明かりに照らされた大地を、ほんのりと光を宿したような不可思議な白い影が流れるように走る。
 その脇を甲高く空気を切り裂く音が抜け、間を置かず、大地が抉れ弾ける重い衝撃音が広野に木霊した。
 長く平坦な荒地の半ばを過ぎ、砦の足元に近い斜面の下にその姿が辿り着こうかという頃にして。ようやくに堅牢な守護を誇る石門の監視者は、それが無謀な侵略者であることに気がついたのか、時遅い射撃の鋭砲を仕掛けてきた。
 だが半信半疑の威嚇であるのか、やや照準に惑いが感じられる。
 無理も無い。人外の理力を有する聖戦士の存在を理解していようとも、よもや夜半に一人でそれが現れ、隙無く閉ざされた守備砦に進攻してくることに思い至る者も多くはないだろう。だからこそ、遠方からの来襲を見落とすはずもない開けた閑地において、容易に懐への侵入を許す結果となったのだ。
 それがどのような結末を招くことになるのか、これから彼らは身をもって思い知るに至るだろうが。

 一撃、二撃と間の空いた豪砲を難なくかわし、地を蹴った勢いのままくるりと身を捻りセティが右手を振るうと、鋭い烈風が立ち起こり城壁の一角、石弓の射出孔が撃ち抜かれた。砂煙と共に石積の壁の一部が剥がれ落ち、崩れる。
 ここに来て、単騎の侵攻者に向けて長大な城門から向けられる殺気の質のようなものが、明らかに変わった。
 相手が術士であり、そして、おそるべき手練であることを、ようやくに理解したのだろう。
 僅か間をおき、次の瞬間、一斉に容赦のない射撃が開始された。風鳴のような鋭く細い音が途切れなく降り注ぎ、鉄の刃に巨大な岩塊の雨が次々と襲い来る。
 息をする余裕すらもないような迫撃の中を、セティは舞うように地を蹴り正確に避け続けた。だが、表情にはさほど余裕はない。キラーアーチによる射撃は、徐々に彼を取り囲むように範を狭め、まさに死の籠は閉じられつつある。
 短い詠唱と共に、右手に小ぶりの錫杖を呼び出すと一瞬の間、セティは動きを止めた。風が吸い寄せられるように渦を巻き、薄く光る陣形が足元の闇に浮かび上がる。
 正確に狙い澄まされた投射砲が一斉にその姿を捉え、撃ち抜く正にその瞬間。

「頼むから、あいつをあまり刺激しないでくれよ」
 アーサーは祈るように、一瞬月を仰いだ。

 転移。

 立ち昇る轟煙の中、白い影は既にその姿を失っていた。
 続いて、地鳴りのような轟音と共に。
 城門の、内側で、強大な力が弾けた。





 小動物の一匹たりとも侵入を許さないような、如何に堅固な壁門にも防ぎきれぬものはある。
 転移の術は、大陸広しと言えども扱える者が限られる杖術の奥義であり、術者に掛かる負荷も極めて高い。しかし戦下においては、時に戦況を覆す有用な一手となることもある。知恵あるものならば、敵味方問わず、対策を取らずにおく者はいないはずだが。
「ま、相手があんな化物なら別だわな。結界すらないも同然か。力任せに正面突破とはよくもまあ…」
 呆れたように、口を小さく鳴らし、アーサーは手綱を引き、馬を止めた。
 立て続けに大地が揺れ、崩れかかった崖上より幾つもの岩塊が音を立てて転がり落ちてくる。
 魔力の高まりが空間を軋ませるほどに満ちるのを肌身に感じる。城門の中で何が起っているのか、見えはしないが容易に想像はついた。
 監視の死角となるように大きく崖沿いの影に潜みながらに回りこみ、アーサーもまた、遅れ砦の足元まで辿り着いていた。夜陰に紛れ行動することが得手ということもあるが、今は白き侵入者がもたらした大いなる混乱のためか、いま一人の難敵が足元に及んでいる事実に、グルティア砦の教団兵は不幸にも気づいていないようである。

 その時、一際大きい轟音が夜を揺らした。
 ぎしりと、重く軋んだ音を立てて分厚く巨大な城門が内側から開く。途中頑丈な鉄鎖が断ち切れて、支えを失い地に落ちるままの勢いで大地を叩いた。視界を覆いつくす土煙と凄まじい反響音を、腕で目を覆い身を伏せながらやり過ごし、アーサーは吐き捨てるように呟いた。

「仕方ない。俺も覚悟を、決めるしかないか」
 咄嗟に右手の手套を嵌めなおし、腰の帯剣に手を当て確かめてから、馬の腹を勢い良く蹴る。
「及ばずながら、煤払いくらいはな」
 
 口端を僅か引き上げ。
 黒き影が煙幕の中、溶け消えるように紛れ、その姿を失った。










咎の翼 後編















「何事だ!一体これは」
「侵入者は?!」
「城の中だ!おそらく地下に…」

 まともな情報も指揮もなく、混乱に飲まれ城門内は怒声が錯綜としていた。
 ロプト教団の司祭と見られる黒頭巾の人影に、僧兵らしき兵士。複数の姿が砂煙の中を慌しく行き交う。
「落ち着け!体制を整え、追撃する。侵入者は地下祭祀場に向かったとの情報だ」
「祭祀場ではジュダ様を始め、我が教団の高僧が儀式を行っている。侵入者が如何程の者とは言え、容易く落ちはしないでしょう」
「油断するな、敵は相当の魔道の使い手…”神使”の可能性が高い」

「中央門の第一神兵隊は奇襲を受け既に壊滅。第二神兵隊に召集をかけていますが、しかし元より城内での戦闘は想定されておらず、兵の数はあまりも少なすぎる」
「右翼の剣兵部隊が破壊された中央門の守りに入ります!左塔の弓兵隊、控えの審問官隊は中庭に集参しているとのこと」
「敵はたった一人だ。祭祀場周囲に結界を展開し、侵入者を捕らえよ。相手が神使であるならば、逆にこれほどの好機はあるまい!」

 守備部隊の指揮官と思しき黒衣の人物の怒声が響く。殺気立つ複数の集団が、不届きな獲物を狩ろうと我先にと走り出した。
 得体の知れない並外れた力を示す脅威も、闇の祝福を受け、本能的な”恐怖”の感情を克服したロプト兵の狂気を止めるものではない。こと”神使”と呼ばれる異能者、神々の血を継ぐ聖戦士たちは、彼らにとっては最良の生餌でもある。夜半の奇襲を受け、追い詰められた現況を持ってしても、闇を宿す彼らの目には爛々と獲物を狩る悦びの光が満ちていた。
 だが追撃に意気立つ部隊が、狭い石造りの通路を抜け柱廊に囲まれた中庭に抜けようとする、正にその時。先行していた一人の僧侶が、真っ青な顔で、向かう広場の先より走り込んできた。
「た、大変です…異端審問官達が…」
 只事ならぬ様相に、場の空気が緊張を孕む。僧兵の見開かれた目は、異常な程に血走っていた。
「何事だ」
「ぜ、全滅です…し、死んで」



 月光を浴びた広場は、不気味な程の静けさを湛えていた。
 遠方より射撃支援を行うための巨大な石弓に投石器が整然と据えつけられている小さな広場には、ところどころ倒れ伏す人影が見える。数にして十余人。
 だが既にどこにも生者の気配は感じられない。僅か血臭が淀む空気の底に沈殿している。
 闇の力を召喚し、結界を展開する儀式を行うためのものか、蛇の紋様が刻まれた細い燭台が広場の中央に円陣となって組まれたまま放置されている。
「馬鹿な、侵入者は地下へ向かったのではなかったのか」
 絶命者は抵抗の形跡も無く、喉元を貫かれ果てていた。正確無比な剣の一突きで。
 一人、一人と、確実な手腕で命を絶たれたことが分かる。それは卓越した暗殺技術の成せる業だ。
 広場に続く右手の柱廊に向けて、点々と続く血痕。暗い石廊の影に飲まれ、はっきりと伺うことは出来ないが、ぽつり、ぽつりと点在するように通路の先に人影が倒れている。
 身を伏せ、手近に倒れた人骸の状況を伺っていた守備隊の指揮官である司祭が、引き攣った顔で声を張り上げた。
「いかん、侵入者は他にもいるぞ!油断するな!城中の者に急ぎこの場に参集せよと伝えろ!」
 慌て状況を確認すべく、僧兵が数名、右手側の柱廊の先に走り消える。
 中央門の守りについている剣兵隊への伝令に、黒衣のロプト僧の一団が慌しく元来た道を引き返した。
 足音が消え、周囲を奇妙な静けさが覆うに至って、守備隊指揮官は状況の異常に気がつきはじめた。己を含め、ロプト僧兵達の様子がどこかおかしいのだ。
 見ると、手にはじっとりと汗をかいている。背筋を滑り降りるような寒気が走り、全身が緊張に張りつめている。
 そう。闇の加護を受け、彼らは人の根源たる感情である、”恐怖”を、克服したはずであった。だからこそ、陰惨な血の儀式も、死を運ぶ慈悲無き裁定も、心一つ乱すことなく執り行う事が出来るのだ。
 しかし、場を覆う混乱と焦り。これは全て、忘れたはずの感情…恐怖がもたらす行動である。





 時間が止まったのではないかと思われるほど、長い刻が過ぎたように思えた。
 中庭に数名の僧兵達を残したまま伝令や偵察に出た者たちが戻る気配はなく、味方の部隊が合流する様子も一向にしてなかった。
 辺りは不自然な程に静まりかえったまま、城門突破後の混乱と騒音が嘘のように、赤い月明かりの元、音一つ聞こえない。
「し、司祭どの。い、いやに静かではありませんか。それに…妙に寒い」
 遂に身を侵食する混乱と恐怖を抑え切れなくなったのか、僧兵の一人が震える声を出した。
 事実、己が吐息の音が耳元近くに響くかの如き静寂が、彼らを囲んでいる。
 そして、恐怖のためばかりではない。まるで霜が降りるかのように、実際に周囲は冷え込んでいた。急激に。
 手がかじかみ、息が白く染まるのも、今は夢ではなく現実のものとして感じ取れる。
「剣兵隊は…我らとすぐに合流するはずではなかったのか」
 兵の一人が恐る恐る背後を振り返るが、アーチ状の細い石廊は闇に閉ざされ、無音の深淵が広がるのみである。
「集まれ、単独で行動するな。これは…」
 沈黙が再び場を支配する。場に残り集う兵は十数名程。急に世界が閉ざされ、得体の知れない恐怖が闇より這い出してくるかのような感覚に支配される。
 闇を奉じるロプト教団の僧兵達といえども、異常さを感じる、不可思議な静寂。まるで”虚無”が、暗く口をあけて全てを飲み込もうとしているかのような…。
 その時、広場の中央の燭台に灯されていた、赤い炎が一斉に揺らぎ吹き消えた。風一つない、凪いだ空間の中で。
「司祭どの!これは…、っ!?」
 高まる緊張に耐え切れなくなったのか、一人の僧兵が背後を振り向き判断を仰ごうとしたその時、信じられない光景が眼前に広がった。

 守備隊を率いる指揮官でもある司祭は、目を剥いたまま口を大きく開いた凄まじい形相で、彼らの前に立ち竦んでいた。
 声の一つもあげることなく。頚動脈を断たれ、高く噴水のように撥ね上がる血飛沫と共に、ゆっくりとその身が沈み出す。
 彼らは初めてそこに、恐怖を齎した元凶たる死神の姿を見た。

 どうと地に伏す、巨躯の後ろ、漆黒の衣を狼煙のように揺らめかせる優美な姿。
 細身の剣を右手に、銀弧の光が緩く筋を描く。

 彼らが最期に目にしたのは…

 薄く細められる
 紅の瞳















 グルティア城の地下深く、ロプトの祭祀場として設えられたその空間は、細く高い飾り柱に支えられた血塗られた神域である。
 トラキアが如何に教団の無法を取り締まろうと、今や帝国による後ろ盾を得て大陸中に支配が及ぶ教団の影響力を排せるものではない。他の国程の惨状に至っていないと言えど、南トラキアにおける教団の拠点として、この地で数々の血塗れた祭祀が執り行われてきたことは否定のしようもない。
 細い天窓より差し込む月明かりに照らされる、巨大な魔方陣に、陰惨な儀式を行う祭壇。朗々と紡がれる祈りの声に常に満たされた、闇の支配する領域。

 だが今、唯一人の侵入者の手によって、それは一瞬の間に失われることとなった。
「な…」
 グルティア城の支配を委ねられたロプトの高僧、自らも高位の魔道士である司教ジュダは、目の前の信じ難い光景に足を竦ませた。
 視界の全てが…凍り付いているのだ。
 透明な静謐を宿す氷に覆われ、あらゆるものが時を止めている。闇の魔力を孕む魔方陣も、細い飾り柱も、そこに居た”人々”さえも。今は冷たい霜を宿し、月明かりを弾き青白く輝いている。
 空気中の水分が変じたものか、ちらちらと雪が舞い積もり、足元に薄く白い層を成していた。

 事を成した元凶は、祭壇の上、虚空に揺れる術士の青年だ。
 だが、ゆらゆらと奇妙な覚束なさで、その身体は僅か斜めに傾いだまま宙を上下に漂っている。
 繊細な翡翠の髪が流れるように風に浮かび、神秘の光を宿す紫色の瞳が、どこか遠くを彷徨い揺れていた。



 恐るべき力を宿したこの侵入者が、祭祀の間に現出したその時、強大な風の理力と闇の魔法力が衝突を果たした。ロプトの司祭達はすぐに事態を察知し、魔法陣を稼動させ本国に増援の要請を求めようとしたのだが、セティがグルティア侵攻にあたり第一に教団の地下祭祀場を目指したのもまた、まずは援軍の阻止を図るためでもある。
 続けざまに放たれる高位魔法の応酬。最後に、その白き影が祭壇の中央付近で何事か詠唱を開始すると、空間に満ちる理力が限界を越えて膨張した。

 一瞬の静寂の後に、耳鳴りのような、金属の擦りあわさるような高音が遠くより聞こえた。
 全てを破壊する、風の神威の顕現。 しかし、詠唱が完遂することはなかった。

 突如、青年は己が身を抱えるように両腕を回し、その場に膝をついたのだ。
 行き場を失った力が、暴走し、視界を白く染める。

 そして、残されたのは。
 凍てついた世界と、宙に浮かぶ不思議な存在。
 強大な力を放ちながら、意志無き人形のように、ただ揺らぐその姿。








 突然その手が、何かを求めるように空に伸ばされた。
 と、青年の挙動に合わせて激しい烈風が巻き起こり、周囲の氷像が命と共に次々と砕けて散る。
「……っ!」
 場に満ちる力は全てを飲み込み、見ている間にも、壁を覆う氷の層は次第に厚みを増していく。そこに在る全てが零下の世界に閉ざされる。
 唯一人、襲い来る霜の嵐を逃れたはずの男の足元にもそれは至り、逃げようともがく足は、地に縫いとめる氷の薄膜に掴まれ縛り付けられた。
 凍え少しづつ重くなる身体と共に、死への階段が広がり見える錯覚を覚える。静寂とともに。
 眼前には、無防備に空に揺れる神使の姿。至高の栄誉を象徴する、獲物が、手を伸ばせば届く距離にある中で。



「やれやれだな、まったく」

 突然、溜息交じりの声が、霧霜に霞む氷の空間に響いた。
 見ると、祭祀場の入り口に、黒い外套を纏った、不思議な雰囲気の青年が佇んでいる。
「なんて寒さだ…。全く、予想どおりの展開じゃないか。俺がいなかったらどうするつもりだったんだよ」
 軽い調子でそう告げて、黒衣の青年は、赤い瞳を細め、宙に浮かぶ白い影を見上げ、手を差し出した。
「ほら、もう大丈夫だ。迎えに来てやったから。こっちこいよ」
 親しげな様子で手を伸ばすも、次の瞬間、刃のような風がその腕を煽り慌て手を引いた。薄く血飛沫が宙に走る。
 祭壇の上、意識があるのかどうかも定かではなかった白い精霊のような影が、今度は確かに瞳に関心を宿し青年を見据えていた。
 紫色の瞳が周囲を睥睨するように見下ろし、薄く口許に笑みが添えられる。
 途端、絡みつく冷気が黒衣の青年の足元まで侵食し、その身を取り巻くように這い上がった。
「この、やろ」
 余裕然としていたアーサーも、ここに至って眉を跳ね上げ飛びのいた。
 ぱり、と破れた氷の薄膜が、光を弾く破片となってその身から零れ落ちる。
「俺まで氷漬けにするつもり?」
 そう言い放つが、挑発するように右手に握っていた細身の剣を氷の床に突き立てる。
 既に幾人の血を吸ったのか、優美な装飾剣は、血糊を纏い鈍く輝く。そのままアーサーは右手を覆う黒絹の手套の端を口に銜え、引き抜いた。

 白い腕が、闇に泳ぐように揺れる。と、不自然な魔力の波動が、急激に高まり辺りを包み込んだ。
 雷光が弾けて腕の周囲に眩い光を散らす。熱風が立ち起こり、辺りの氷を溶かして水蒸気が視界を白く濁らせた。
 ありとあらゆる力が入り混じったような、それでいて全てを飲み込むような。奇妙な力が、周囲に満ちる理力の波を少しずつ侵食して静寂に還しゆく。





 緩やかな死に包まれ恐怖に怯える闇の司教は、目の前に現れた黒衣の青年もまた、尋常な存在ではないことにようやく気がついたのか顔を引き攣らせた。
 背後には冷たき霜纏いし神の使徒、前には昏き死の炎を宿す虚無の影。
 白と黒、相克する二つの力が狭い空間の中で鬩ぎ合い、視界を歪ませる。

 眼前の黒き姿が、ゆらりと、氷の床を踏み抜いて、裾を翻し悠然と近寄ってくる。
 その表情が、死を運ぶ使者の顔に変じていると知った時には既に遅かった。
「がっ!」
 首許にその右手が伸ばされたかと思う間もなく、半ば凍り息途絶えかけていた哀れな男は口から黒煙を吹き出し絶命した。
 直接、体内に強力な魔法力を流し込まれたのだ。
 銀糸に彩られた赤い瞳、そして赤い唇が艶めかしく歪む。その目は、容赦なき己が裁定には関心も留めず、虚空に浮かぶ、友であるはずの者の姿を捉えていた。
「これで邪魔者はいなくなった。俺とおまえの二人だけ」
「……」

「さあ…来いよ」















 遠く、奇妙に赤く染まる夜半の月を眺め、セリスは薄く目を細めた。
 休眠を取らない夜通しの進軍に、流石に疲労の影を滲ませる解放軍盟主であったが、その懸念は遠い空の下にある何か、に向けられているようである。
「……」
 高く切り立った、崖上の平地に馬を留め、思案するように碧き瞳で天を仰いで思いを馳せる。
 その背後に、やや早足に響く馬蹄の音が近づいた。
「セリス」
 夜に溶けるような不思議な甘さを含む声が、気のせいか僅か焦りのような色を乗せて流れた。
 白く揺れる静かな影が、若き盟主に追従するように月明かりの下に姿を見せた。
「どうしたの、レヴィン。貴方が慌てているなんて珍しい」
「……」
 振り向きながら返すセリスに、沈黙の間を置くも、軍師の視線は厳しさを孕んだままである。
「あれの気配が消えた」
「あれって?」
「……」
 とぼけたセリスの返答に、しかしレヴィンは目を伏せたまま応えようとしない。
 ややあって、上げられた目が強い紫色の光を湛えて、契約の主たる聖君を見据えた。
「お前の仕業だな。この戦況下では、僅かな”揺らぎ”も道の誤りに繋がりかねないというのに」
「知ったように話を端折らないでよ。何を言うのかと思えば」
 溜息と共に、セリスは声を落すものの、次には強い意思を乗せて明朗に切り返した。
「文句を言いたいのはこっちのほうだ。わたしに黙って、勝手なことをしているくせに」
「……」
「セティの身がどうなっても、貴方はそれでいいわけ?」」
「やはり…」
 セリスの言に、今度こそ感情を隠そうともせずに軍師は柳眉を顰めた。
「紫銀の忌み子に何を伝えた。…あれは、咎の翼持つもの。傍に近づけるなと何度言えば…」
「何故?心配する必要なんてないよ。確かに貴方にとって、彼の”力”は、厄介なものかもしれないけれど」
 伺うように上目に見上げながら、セリスは柔らかく宣言した。
「わたしは二人を信じている。どちらも、人にとっての希望になるだろう、と」
「……」
 そのままセリスは馬首を巡らせ、影霞む山裾を見下ろした。
 天啓を告げる聖者のように厳として。
「行こう。レヴィン、ルテキアは間近だ」


「全て、貴方の目論見どおりに、なるだろうね。きっと…たった一つを除いて」




















 熱の海を泳いでいるように全身が熱い。
 視界は闇に閉ざされたまま、身も心も内側より生ずる力の波の中、溶けて消えてしまうかのようだった。
「…ティ、セティ!」
 己を呼ぶ声が、どこかから遠く響いて、セティは夢中でそれを追うように手を伸ばした。

「うわっ」
 寝台の上で魘される友が、自分の呼びかけに手を上げた瞬間、突風が部屋を巻き上げ、アーサーは吹き飛ばされそうになるのをようやくにして踏み堪えた。
 質素な調度品に飾られた部屋中が、薄い氷の膜に覆われ、黒い服を纏うアーサーの身体も白い霜がまだらに降りている。
「くそ、いい加減、正気に戻ってくれ。今度こそ凍死しちまいそうだ」
 忌々しげに呟きながら、アーサーは全身で押さえつけるようにセティの上に圧し掛かり、手套を外した右手で額を覆った。
 周囲の熱を全て奪うように、その身は高熱を発しながら、緩く抵抗を見せる。
「ほら、目を開いて。俺の目を見るんだ」
「あ…」
 アーサーの声に呼応するように、喘ぐように弱々しく胸を上下させながらも、薄くその目が開かれた。
 だが焦点を合わさないそれは、紫色に光り、潤んだまま。
 縋るようにうわ言を繰り返す。
「…あ、ち…うえ…どこ?……どこ」
「ちがう!しっかりしろ、俺を見ろって!」
「…ぅ、く」
 忙しない呼吸の合間、アーサーの言葉から耳を背けるように、顔を反らし苦しげに眉が顰められる。玉の汗が翡翠の髪をしとりと濡らした。
「重症だな、制御も利かず力に喰われて…。こんなになってまでどうして」
 舌打ちと共に、アーサーはセティの肩を両手で掴み、怒鳴るように言い立てた。
「なあ、いい加減…気がついているだろう。おまえだってもう、解っているはずだ!!」


「おまえ、取り憑かれているだけなんだよ!既に…死んじまってこの世にはいないはずの、奴に!」





 ぎくり、と。

 肩が強張ったように、大きく震える様が手を通して伝わった。
 だが、アーサーは追い討ちをかけるように、言い含めるように低くゆっくりと告げる。
「どんなにおまえが求めたところで、手に入るわけがない!当たり前だろう?もう帰ってくることは、ないんだよ!」
「ちが…」
「頼むから、断ち切ってくれ、おまえ自身の意思で!いいように操られるな!」
 鋭く細い風の刃が、ひゅっと音を立ててアーサーの頬を掠める。白い頬から血が滴り落ちるも構わず、アーサーは右手を下ろし、セティの左手首を掴んだ。
 そこには碧い宝石を嵌めた小さな腕輪が嵌められており、風の聖痕はその姿を隠している。腕輪を上からなぞるように包み、そのまま下の素肌に手を這わす。
「……っ!」
 セティの身体が、怯えるように跳ねる。声を上げようと開かれた口許に、アーサーは唇を重ね塞いだ。
 逃れようと身を捩る仕草にも構わず、空いた左手で顎を押さえ、舌を絡め取り吸い上げる。
 掴まれた左手首を中心に全身の力が吸われる様な、奇妙な虚脱感にセティは身もがいた。やがて身体の自由が完全に利かなくなり、セティがおとなしくされるがままになると、口付けは甘く溶けるように優しいものに変わった。
「んっ…ぅ」
 歯列を割り、深く差し入れられた舌が、あやすように緩く口内を辿る。
 思考を飲み込む痺れるような波が、幾度も、寄せては返した。
「いいから、今はゆっくり眠るんだ」
 アーサーが耳許で囁く声が、遠くに聞こえる。その声は熱を帯び、僅かに掠れている。
「おれが…朝まで、ついてて…やるから」
 熱に煽られる思考が、ゆるやかに、穏やかな波に包まれ形を取り戻しはじめた。
 心地よい静けさと暖かさに、意識が飲み込まれ。

 そして、やがて途切れゆく。




















 眩い白光が、小さく開いた木戸の隙間から差し込む。
 セティは、深い眠りの底から引き上げられ、ゆっくりと目を開いた。長く、まともに睡眠を享受してこなかったためか、意識が状況を把握するのにしばし時を要した。
 身が圧迫されたようにやけに重いと思えば、ぐったりと身を崩し覆いかぶさるように倒れる人影が目に入る。
「アーサー?!」
 思わずセティが声を張り上げると、頬を擽る銀糸が擦れ、肩口でアーサーが顔を上げた。
 ひととき、伺うように顔を覗き込まれ、やがて安堵したような吐息が漏らされる。
「…おき、たのか。はは…手間、かけさせ、やがって…全く」
 弱々しく微笑んで見せるものの、その声は乾き掠れている。
 見れば、全身擦り傷だらけで、惨憺たる有様だ。その首元から脇腹にかけては深い裂傷が刻まれ、血が乾ききらずにしとりと濡れている。
「!おまえ、どうしたこれは」
 何事かと案ずる友の声に、アーサーは呆れたように溜息をついてみせた。
「誰の、せいだよ…ったく」
 そう告げ、固く掴んでいたセティの左手首をようやくに離した。途端、セティは身体が重き枷から開放されたように、ふわりと軽くなるのを感じた。
 しばらくの沈黙の後、ゆっくりと合点がいったようにセティが頷く。
「ああ…そうか。…そういうことか…」
 呟き、セティは申し訳なさそうに左手で友の頬を包むように撫でた。そのまま傷を追うように白い手がゆっくりと身を辿る。
 染み渡る癒しの力が、暖かく全身を覆うのをアーサーは感じた。
「一応…覚えてはいるのか」
「そうだな」
 俯き加減で、セティは小さく返事を返した。
「すまない」
「今回ばかりは、殺られるかと思ったぜ」
「……」

 セティは何か言葉を続けようとして、しかし応えを返さず、アーサーの肩口に額を寄せた。
 黙ったまま左手の指を、アーサーの右手指に絡めるように合わせる。
「おい」
「…アーサー、おまえは…一体、何者なんだ」
「今更、よりによってあんたに、そんな事を言われたくはないが」
 セティは絡めた指元を引き寄せ、興味深げにその指先を眺めやる。目に見えない何を見ているのか、薄く細められた翠の瞳が、眩しそうに時折瞬いた。
 力に意識を飲まれ、暴走した己を制し、この世に引き戻すことが出来る、不可思議なちから。
 この友の傍にいると、世界が静寂に包まれるのを感じる。夢を見ることもなく、ゆっくりと眠ることができるのだ。昔から。
「三属の理力。この世にありうべくもない力。光でもなく闇でもない…」
「俺が知りたいくらいだよ。妹のティニーは普通の娘なんだ」
「これは、摂理を打ち消す、無の理力だ…」
 目を上げ、静かに告げる賢者の言葉に、アーサーは惑うように目を伏せた。

「セリス様は、俺の力を…”神喰いの右手”と呼んだ」
「……」
「世界に満ちる。連中の、干渉を断つ力だと」
 アーサーは声を低く落とし、紅い瞳に暗い光を宿して呟いた。
「どうして俺がそんな、呪われた異端の存在なのか、わからない。けれど、昔から生きる為には何だってやってきた俺には、似合いなのかもな」
「紫紺の恐王…雷の神器トールハンマーを宿したブルーム王を、討ったのは、やはりおまえなのだなアーサー」
「……」
「ブルーム王の末路は悲惨なものであったと聞く。恐怖に怯え、狂気に飲まれ果てたと」
「神の力に溺れた人間の最期なんて、そんなものだろうさ」
 吐き捨てるようにアーサーはそう言うと、口端を歪めて笑みを浮かべた。
 右手を静かに、セティの首許に宛がって。
「つまるところ俺は、神の祝福から見放された存在。あんた達の天敵ってことだろ」
 そのまま両手で白い頬を挟みこみ、唇が触れるかどうかの距離で、挑発的な表情を浮かべる。
「俺が怖い?」



「はじめて会った、あの時から、そうだった」
 返されたのは惑い無く澄んだ瞳の光。
「……」
「凍えるように寒い、溶けるように熱い、暗闇の中で…薄く小さな、けれど暖かい光が遠くに見えて」
 どこか遠い目をしてセティは告げた。
「私は、無我夢中で手を伸ばすんだ。…縋るように」

「気がつくと、おまえがいた」
 セティは穏やかな微笑とともに、アーサーを見返した。
 沈黙が柔らかく場を包み。絡み合う視線が溶け合う。





「全く…おまえにしても。…フィーの奴も」
 アーサーはいたたまれなくなったように目を泳がして、呟いた。
 消え入るように。

「それを…言いたかったのは、俺の方だっていうのに」



 静かに、細身の身体に覆い被さる。
 両の手を、仰向けに見上げる顔の両脇につき、吐息が混じる距離で見下ろすと。宝石のような翡翠が瞬いた。


 それは崇高な、天の翼持つものの輝き。


 どれ程焦がれようと、触れることの叶わぬ…”神”の至宝。





「……」





 惹き寄せられたのは、どちらからなのか。

 互いに唇を重ねあわせ…触れる



 その瞬間





「そういえば!」
「……何!」
 突然、がばと起き上がった相手の反応に、アーサーは思わず反射的に飛びのいてしまった。



 急な行動に何事かと呆気に取られて様子を伺うと、ひどく真剣な表情でセティが空を見据えている。
「グルティアはおちた。おまえにも助けられたが、無事使命を果たせたようだ。すぐに報告に戻り…ルテキアの部隊に合流をしなければ」
「おい待て」
 やや慌てたように身を起こそうとする身体を、肩口を押さえつけるように引き止める。
「この期に及んで急に…いやおまえ、何だよそれ」
「何を言っている。戦況は予断を許さない。至極真っ当な判断だろう」
「そうじゃなく。身体だってそもそも万全じゃないだろ。しばらく戦線を離脱して休んでおけって。今度こそ過労死したいのか」
 アーサーの言葉は相手の身を真剣に案じているようにも聞こえるが、微妙に間を外されたやるせなさも見え隠れする。セティは困ったような表情とともに反論した。
「そんな事を言っている場合ではない。…私としたことが、おまえに引きずられて、少々調子を狂わされたようだ」
「俺は、おまえのせいで調子が狂いっぱなしだよ!」



 アーサーはがっくりと、肩を落すと、今度はおもむろにセティを寝台に押し倒した。
「……!」
 そのままもがく身体を押さえつけ、腰に手を這わす。
「何をしている!」
「俺みたいな優男に組み敷かれて抗えないとは情けない。疲れてる証拠じゃないの?」
「疲れなど問題ない、体調のことならばいくらでも…」
「これのお陰で?」
 と、セティの目の前に、アーサーは赤い硝子の小瓶をちらつかせた。
「それは…」
 はっとしたようにセティが動きを止める。
 腰の皮袋に入れていたそれを、アーサーが巧みに抜き取ったことに気づくが既に遅い。

「薬の力を借りて、無理を通すなんて真っ当じゃないな」
 そう言ってアーサーは、思い切り良く硝子の小瓶を石壁に向かって投げつけた。
 カシャリと澄んだ音を立てて、瓶が割れる。血のように赤い色をした不思議な液体が、零れ、壁に染みを残した。
「おまえ!何てことを」
 慌てたようにセティが虚空に手を伸ばした。眉が跳ね上がり、彼にしては珍しく、純粋な怒りの表情で友を睨み据える。
「あれは…」
「あれは、何だってんだ。薬の出所について深く問うつもりもないけど」
「……」
「それと、戦線のことならば心配はいらない」

「セリス様達は、戦果を既にご存知だろうよ。ルテキアに留まらずすぐにここグルティアに合流する手はずだ。表向き主力部隊をルテキアに駐留させ、部隊を留めている外観を保ったまま、首都攻略を果たせる精鋭をグルティアに送ることになる。2、3日もたたずに、トラキア各地で決戦となるだろう」

「…どういうことだ。おまえ、まさか最初から」
「それまであんたはルテキア戦線のことには構わず、今は充分な休息を取るように、と。セリス様、直々の命だ」
「……」
「で、俺はそのお目付け役ってこと」



 今度こそ、諦めたようにセティは寝台の上で脱力した。どこかその表情が、ふてくされたように不機嫌さを湛えている。
「成程、色々と事情がわかってきた。私を謀るとは良い度胸だ、と言いたい所だが。…セリス様のご意向であるならば仕方ない」
 言うやいなや、セティはアーサーを押しのけると掛布を手繰り寄せ、寝台の上で背を向ける。
「おまえ、何すねてんの」
「御命なのだからな。もうしばらくは、身を休めることにする」
「……」
 ちらとアーサーを睨んで、そのままセティは身を覆うように掛布を被り丸くなってしまった。
「じゃあ俺は…」
「ついていなくていい。警戒を怠らぬよう見回りでもしていろ」
 布団越しのくぐもった声が、先回りに命令口調で投げ掛けられて、アーサーは二の句も告げずにしばし口を空いたまま沈黙した。
 が、やがて溜息を一つついて起き上がる。
「へいへい。わかりましたよ、王子様」
 休め、と言ったのは確かに自分であるのだから仕方ない。だが昨夜より、気苦労続きはどちらかといえば自分の側なのだが。
 愚痴を喉元に飲み込んで、背伸びを大きく一つ。盟主の到着までのしばらくの間、多少の後始末でもしておくかと、アーサーが寝台を離れかかろうとしたその時。
 急に背後から伸びてきた手に腕を掴まれ、アーサーは再び寝台の上に引き倒されていた。
「うわっ?!」
「やはり気が変わった」
「何なんだよ、一体!」

「とりあえず添い寝を許す。特別にだ」
「……」


 不機嫌そうな面持ちで、自分を見上げる翠の瞳を間近に見て、アーサーは盛大な溜息を一つついた。
「おまえさ。どうして、俺に対しては素直にものが言えないわけ」



 眩い陽の光が、温もりを運ぶ。
 乾いた山岳の大地にもたらされる、ひと時の静寂。
 それは血塗れた戦の合間の。

 僅かばかりの休息…

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