コロンボ通信 第4号                       1997/Oct.


10,7  1997
セックが死んじゃったよ
レモンの木の下に埋めた
何か目印になるもの

言われたけど
なにも要らないと言いました

セックの生きてきた道はわたしたち2人の道です
健太が死んでから
わたしには
健太の魂がセックの中にあるような気がしていた愛犬ちゃーん
とよぶとき
愛健ちゃーんと呼んでいた

でも
今はレモンの木の下
土に溶ける

急に死んじゃった

焼かないでいいのは助かるな
と思う

なんと多くの死

カウンセラーに何故、萌に対して犬の死を隠そうとするのか、私は自分自身の中でなにかを隠そうとしているのではないか、と言われました。健太の死、祖母の死、セックの死、なんと多くの死。でも子供にとって死は単純なものだし、死とはそもそも単純なものだ、と。犬は年を取り、病気になり、苦しみ、耐えられなくなって死に看取られた、ということ。自然な単純なことだ、と。

萌に話した。
もえちゃん、きょうおかーさんせっちゃんの病院に行って来た(これは嘘)んだけど、セックはやっぱりとても具合が悪くて、死んじゃったの

えーっ、セック死んじゃったのー、やだよおー、大声でセック!セック!と泣きました。わあわあ泣いて、じゃー新しい犬買ってよー、と言うかと思えば、セックの名を呼んでぽろぽろ泣き、セックは12才で犬の年でいえばすごく年を取っていること、病気になったり怪我をしたり年を取ったりすると生き物は死ぬのだ、と苦しみが楽になるために、おかーさん、じゃー新しい犬買ってよ、というのには、日本かどこかにずっと居ることになったら買ってあげる、と約束しました。スリランカと日本に国は気候が違うから犬は大変なんだよ、と説明するとすぐに納得しました。

健太も死んじゃうし、セックも死んじゃうしやだよー泣くので、ふと萌が健太とセックを早く会わせたいと言っていたのを思い出し、健太くんもセックに会いたかったし
セックも健太に会いたかったんだよ、と言いました。今頃イエスさまのところで2人で会ってるよ、と言いながらそういう空想は私の気持ちをとても癒してくれました。健太くんは萌のせいで死んだし、と再びそのフレーズが出たので、
萌ちゃんひとはだれかのせいで死んだりしないんだよ。かみさましか知らないことで、かみさまのおつもりがあるの、かみさまに失礼だからそんなことは思ってはだめだよ。と言いました。
萌は納得したように見えました。

明日おとうさんにお墓をつくってもらってお参りしようね。

萌は家に着いてもしばらく車の中で泣き、家に入ってからもしばらく中に入らずに泣いていました。

萌は早く眠りました。カウンセラーが言うように、犬の死の説明が、彼女が弟の死を受け入れる学習になってくれれば良いと思います。

昨日は萌には内緒だよ、病院にいることにしておいて、と頼んだのに、今日はすべてを話し、泣いている萌を見て、ニャーナ(新しい女中さん。香港帰り)はどうしてあいりの居る時に言わないんだ、そうすれば遊びに夢中で平気だったのに、帰ってから言うなんてマダムの落ち度だ、と食欲を失った萌を見て言うのですが、わたしたちは受け入れなくてはならないのよ、と私は答え、しかし全然納得してないニャーナでした。

バーバラおばさんは何匹も犬や猫を飼っている評判の動物好きで、きっと何か教えてくれる、とマニラに発つ最後の日に訪ねてきてくれたキャシーが電話番号を教えてくれました。「私もあまり成功はしていないのよ。故郷から連れてきたジャーマンシャパードは今でもたくさんの薬に殺されたと思ってるわ。だから私は自分の犬が病気にならないようにお祈りするだけ。そして決してローカル以外の犬は飼わないの。でも最近良い獣医の話しを聞いたわ、ちょっと待って」
彼女から聞いた、2人のジェントルマンが良いと言った、という女性の獣医は
バンバラピティヤのロウリスロードにあって、ゴールロード沿いを走ると必ず目立つがちゃがちゃした一角を入っていくとそこは始めて目にするコロンボ市が広がっていました。
きらびやかなサリーやトリンプの下着などを売る店、三輪タクシーが並ぶ通りを行くと獣医の看板が見えました。セックを抱いて門をくぐり薬品のケースや注射器のごみが黒いビニール袋に入れられて無造作に置かれた通路を入って行くと、診療している家の前にすでに洋君が待っていて、軒下に出された二つの籐椅子には制服の女の子と大柄な調子の良さそうな中年の男の人が座っていて、男の人は私に椅子を変わろうとしましたが、私は断りました。女の子の足下には大きなシェパードが寝そべっていて、篭に入った猫も居ました。蚊と蝿が私の足を刺し、踏み石がばらばらに置かれた狭い通路に日を避けてたっていると密集した家の子供の声が塀越しにそのまま聞こえてきて、見上げると赤いかわら屋根がこちらに落ちそうにひしゃげています。子供に呼びかける女の声、通路に雑然と生え伸びている草草、強い日差し、きりっとした眉のきれいな女学生は足はサンダル履きで時折じっと私を見ます。私はセックをバスタオルにくるんで抱き赤ん坊のように揺すっていました。
随分待たされて、私が戸を開け、どれほど待たなくてはならないのか、辛抱強い夫に替わって聞き、中で待つよう言われました。巨大な犬が台の上に白目をむいて寝ています。死んでいるみたい、と言うと洋はちがうだろ、と言い、でも全然動かない、と言って外の女の子に聞くと、それは彼女のではなく中年の男の人の犬でした。携帯電話を持って半ズボンをはいた彼と同室になってあなたの犬と聞くと、イエスと答え、死んだ、とても重い病気で、と言い、幾重にもバリアーの張った瞳の奥が涙でくもりそうになりました。
死んだ巨大な犬の横たわる診療室に毛をほとんど失ってしまったセックをだいて待っていると、掃除に雇われている女の人の使う塩素系消毒剤の臭気に目がまわりそうになりました。

自分たちの番になって、これまでやってきた治療と今朝から食べなくなったということを説明しました。
若い女性の獣医はこころなし作り声でセックに語りかけセックは台の上でじりじりと後ずさりしました。体温を二回計り、口の中と目の裏を見て、酸素が少なくなっているので、もう一度血液検査をすることを勧められ、結局皮膚病の治療は今までどうり、治療とセックが弱ってしまったことに関連はない、と言われ、そんな訳ないと思っている私は何も進展のない状態で帰ることになりそうだ、と思いました。私はむかむかしてきたのでセックを洋にまかせてティッサの運転する車に帰り、エアコンをかけてもらって路上に駐車した車の中から、通りを通るひとびとをながめていました。
女のひとが1人で随分たくさん歩いているのだな、と思いました。白人女性も居ます。グラマラスな金持ちそうなタミル人は胸を揺するようにして歩いて行き、そのモダンなサングラスと袖無しのゴージャスなブラウス。そんな階級の人が何の目的で自分の足でどこへ歩いて行くのでしょう。東洋人の血が混じっているのではないかと思われるようなサリーを着たおばあさんは赤い数珠のピアスを付け黒縁の眼鏡をかけてまっしぐらに歩いていきます。鼻に金のピアスをした女性を見て、麻子の事を思い出しました。パリでもちょっとスキャンダラスな鼻ピアス。えっちゃん(麻子の母)はスリランカじゃみんなしてるんやろ、と言ったけどここでも結構めずらしい。
私は私の知らない世界を車の中からながめていました。
時間がかかるな、でもきょうに限って何故自分はこんな冷めた気持ちで待っていられるのかとふと思ったりしました。

洋が走ってきて、セッちゃんが突然けいれんを起こした、と言った時、いやだ洋くん、と私は一瞬逃げたい気持ちになり、そしてしばらく身体を折り曲げて気持ちを鎮めると、セックに向かって走りました。
セックは先ほどの台の上で女医に心臓の蘇生マッサージを受けていました。
やめてください、と言い、私が「セック」と名前を呼んで身体をなでるとまた心臓が動いて、かっと歯をむき、きゅうっと息が止まりました。注射をしようとしたので、何の役にも立たないからやめてと言いました。

私はモノとなってしまったセックの身体を来た時に包んできたタオルに包んで抱きあげました。それは少し勇気の要ることでした。毛を失った死んだ犬の体はもうセックではないようでした。さっきから私を気にしている掃除の女の人が扉に立っているいるので、戸を開けていただけますか、と言うと彼女はオーケイと言い開けてくれました。
コロンボのその日は暑く、風がありました。
家に着くと、すぐに埋めた方が良いだろう、と思いました。病気を持っていたし、この熱気ではすくさま変化が起こるだろう、そして私は萌に見せたくなかったのです。

神の選ばれた時は、常にその時にかなって美しいのでしょうか。
神がその日、12年半も生かして下さったセックを召されたからには、きっとその訳があるのでしょう。

なんと多くの死

この4日、ジュリアおばさんも死んでしまった。私が彼女をバララットのナーシングホームに訪ねた時、彼女は103才と6ヶ月でした。眠っていて、ロレッタのお父さんのこともお母さんのことも気が付かなかったけど、私は訪ねることが出来て幸せでした。
高齢でコミュニケーションの取れなくなった肉親の耳元で彼女の名を呼び続けるビルの姿は私が祖母に見せたものとは違いました。父や叔父が祖母を千葉に見舞った毎に見せる、恥がそこにはなく、するべきことをしている身内の姿があるだけでした。私についても、私を襲ったあの複雑な想い、悲しみとさまざまなしがらみ、労を出し惜しむいやな気分、責めを負うような否定的な気分、その気分は千葉を後にしてもなかなか消えてくれなかったし、いつまでも引きずったものでした。
人間が弱い、ということなのでしょうか。

ビルとジュリアには血のつながりがありません。早く母親を失ったビルと兄弟姉妹は父方の兄の奥さんであるジュリアおばさんに育てられました。
わたしは健太というダウン症の子を授かるより以前からロレッタのお父さん、ビルの従兄弟がダウン症であることを知っていました。そしてビルが心からこの従兄弟ジョンを愛していることも聞いていました。
今回バララットのロレッタ家を訪ね、ロレッタのお母さんのフィルはジョンの写真を見せてくれました。ジョンは56才まで生きました。そしてその母のジュリアは103才と6ヶ月なのよ、とフィルは自慢そうに私に言いました。
ジュリアは死ぬまでジョンに先天性の障害があったことを認めませんでした。
ジュリアがどんな風にジョンを産み、育てたのか、ロレッタ、少しづつ聞き出して、2人で本を作ろうよ、と私は提案しました。
ジュリアは自分の子供の障害をビルの妹のせいにしました。赤ん坊のジョンを彼女が壁に向かって投げたので、知能に障害を持った、と周囲に説明したそうです。
ジュリアに対し、ビルの想いは相当に複雑なはずなのに、彼の年老いた伯母を見舞う姿の中にはなんの屈託もありません。
「ジューリア!ジューリア!機嫌はどうですか、ビルですよ、おばさん、わかりますか、ジューリア!ジューリア!」と顔を紅潮せて眠る老人の耳元に叫び続けるビルを見て、フィルが悲しいでしょ、と言ったけど。そんなことはない、日本のナーシングホームをあなたは知らない、と言いました。
病院特有の臭いがない、というのが驚きでした。明るく、広く、清潔です。ジユリアおばさんのベッドの足下にはウォーキングシューズが置かれてありました。歩行の練習をなおもしていたのでしょう。

ロイヤルチルドレンズホスピタル(RCH)にもあの臭いがありませんでした。あの臭いと臭いにまつわる病院の権威がなかったのです。医師は心を割り、いつでも個人的な相談に乗り、個人的に対応するのです。個人は駄目と寄付を断ってきたどこかの慈善団体とは違います。

わたしたちは何を恐れ、個人的な接触に怯えを持ち、コミュニケーションの難しくなった年寄りを無視してしまうのでしょうか。

メルボルン

萌とメルボルンに着いたのは現地時間の午前5時。カンタスの中は居心地が良く、スリランカの白人に辟易している私は機内に乗り込んですぐちょっとどきとぎしたけど、みんな田舎っぽく親切な人ばかり。萌は眠ってしまい、となりのおばさんの膝にまで足を乗せていたけど、「ファイン」と言ってくれました。

荷物を待ってからごろごろを押して出ていくと扉の外で待っていたロレッタが「マリ!」と力弱く呼び、私は彼女の状態が電話で聞いていたほど良くないことを知りました。

バララットは1時間半か2時間と聞いていたけど、それはなんの遮るもののない道路をまっすぐに走って、ということで実は144キロもはなれていたのです。まず手押し車を押して空港専用の駐車場へ行きロレッタの車を探す途中で私は寒さで歯が噛み合わなくなりました。オデールで買った綿入りのコートを着ていたけど、明け方のメルボルンはコロンボに慣れ、毛穴が広がりっぱなしの体にはこたえました。
車の中に毛布を用意してきてくれてありましたがエンジンをかけてハンドルを握る前に両手をこすり合わせるロレッタを見てしみじみここは冬なんだ、と理解しました。

途中、アメリカ映画に登場するようなグロサリーストアでコーヒーを買って飲み、トイレへ行きたくなった私のために湖沿いの公園のトイレに寄ってくれました。そんな公衆トイレですら全く清潔で、ただパンツをおろすと凍えそうでした。

ロレッタの家に着くとそこは牧場で、彼女の両親と農場を継ぐ長兄が出戻りのロレッタと優子とリリーと住んでいるのです。私たちが着いた時は優子とリリーは学校へ行っていて、家にはフィルしか居ませんでした。ロレッタが荷物を全部持ってくれて、私は眠ってしまった萌を抱いて中に入ると台所に立っていたフィルが「来たのね」と振り返り、萌が眠っているのに気づいてあら、と口に手をあて起こしてしまったら大変とそっと笑い近づいてくると私の頬にキスしました。

ロレッタの農場の家で過ごした一週間は禅寺で過ごすのにも似て規律正しく、ブルックリンのスーザンのアパートでさしちゃんと3人で過ごした感じにも通じるものがありました。

午睡から目が覚めると日が傾きかけていて、日差しのあふれる居間から壮大な平原と羊の群れが見えます。優子が静かに遊び、台所ではフィルが片づけものをし、毛玉のような子猫が日溜まりに寝ころんでいます。
スリランカの熱気と高い湿度から飛んできた私は瞬時にして真冬のオーストラリアの大平原の真ん中に居ました。


10月8日水曜日  古川家に訪れた別れ

予約を取った獣医はバンバラピティヤのロウリスロードにあって、ゴールロード沿いを走ると必ず目立つがちゃがちゃした一角を入っていくとそこは始めて目にするコロンボの別の顔が広がっていました。
きらびやかなサリーやトリンプの下着などを売る店、三輪タクシーが並ぶ通りを行くと獣医の看板が見えました。セックを抱いて門をくぐり薬品のケースや注射器のごみが黒いビニール袋に入れられて無造作に置かれた通路を入って行くと、診療している家の前にすでに洋君が待っていて、軒下に出された二つの籐椅子には制服の女の子と大柄な調子の良さそうな中年の男の人が座っていて、男の人は私に椅子を変わろうとしましたが、私は断りました。女の子の足下には大きなシェパードが寝そべっていて、篭に入った猫も居ました。蚊と蝿が私の足を刺し、踏み石がばらばらに置かれた狭い通路に日を避けてたっていると密集した家の子供の声が塀越しにそのまま聞こえてきて、見上げると赤いかわら屋根がこちらに落ちそうにひしゃげています。子供に呼びかける女の声、通路に雑然と生え伸びている草草、強い日差し、きりっとした眉のきれいな女学生は足はサンダル履きで時折じっと私を見ます。私はセックをバスタオルにくるんで抱き赤ん坊のように揺すっていました。
随分待たされて、私が戸を開け、どれほど待たなくてはならないのか、辛抱強い夫に替わって聞き、中で待つよう言われました。巨大な犬が台の上に白目をむいて寝ています。死んでいるみたい、と言うと洋はちがうだろ、と言い、でも全然動かない、と言って外の女の子に聞くと、それは彼女のではなく中年の男の人の犬でした。携帯電話を持って半ズボンをはいた彼と同室になってあなたの犬と聞くと、イエスと答え、死んだ、とても重い病気で、と言い、幾重にもバリアーの張った瞳の奥が涙でくもりそうになりました。
死んだ巨大な犬の横たわる診療室に毛をほとんど失ってしまったセックをだいて待っていると、掃除に雇われている女の人の使う塩素系消毒剤の臭気に目がまわりそうになりました。

自分たちの番になって、これまでやってきた治療と今朝から食べなくなったということを説明しました。
若い女性の獣医はこころなし作り声でセックに語りかけセックは台の上でじりじりと後ずさりしました。体温を二回計り、口の中と目の裏を見て、酸素が少なくなっているので、もう一度血液検査をすることを勧められ、結局皮膚病の治療は今までどうり、治療とセックが弱ってしまったことに関連はない、と言われ、そんな訳ないと思っている私は何も進展のない状態で帰ることになりそうだ、と思いました。私はむかむかしてきたのでセックを洋にまかせてティッサの運転する車に帰り、エアコンをかけてもらって路上に駐車した車の中から、通りを通るひとびとをながめていました。
女のひとが1人で随分たくさん歩いているのだな、と思いました。白人女性も居ます。グラマラスな金持ちそうなタミル人は胸を揺するようにして歩いて行き、そのモダンなサングラスと袖無しのゴージャスなブラウス。そんな階級の人が何の目的で自分の足でどこへ歩いて行くのでしょう。東洋人の血が混じっているのではないかと思われるようなサリーを着たおばあさんは赤い数珠のピアスを付け黒縁の眼鏡をかけてまっしぐらに歩いていきます。鼻に金のピアスをした女性を見て、麻子の事を思い出しました。パリでもちょっとスキャンダラスな鼻ピアス。えっちゃん(麻子の母)はスリランカじゃみんなしてるんやろ、と言ったけどここでも結構めずらしい。
私は私の知らない世界を車の中からながめていました。
時間がかかるな、でもきょうに限って何故自分はこんな冷めた気持ちで待っていられるのかとふと思ったりしました。

洋が走ってきて、セッちゃんが突然けいれんを起こした、と言った時、いやだ洋くん、と私は一瞬逃げたい気持ちになり、そしてしばらく身体を折り曲げて気持ちを鎮めると、セックに向かって走りました。
セックは先ほどの台の上で女医に心臓の蘇生マッサージを受けていました。
やめてください、と言い、私が「セック」と名前を呼んで身体をなでるとまた心臓が動いて、かっと歯をむき、きゅうっと息が止まりました。注射をしようとしたので、何の役にも立たないからやめてと言いました。

私はモノとなってしまったセックの身体を来た時に包んできたタオルに包んで抱きあげました。それは少し勇気の要ることでした。毛を失った死んだ犬の体はもうセックではないようでした。さっきから私を気にしている掃除の女の人が扉に立っているいるので、戸を開けていただけますか、と言うと彼女はオーケイと言い開けてくれました。

コロンボのその日は暑く、風がありました。

家に着くと、すぐに埋めた方が良いだろう、と思いました。私はこのユスファリの家の檸檬の木の下に埋めることにしました。ティッサと洋が穴を掘り、ニャーナが見守りました。

* 同じ水曜日の同じ時間、佐藤家に展開していたお話し会の様子をノートで読ませていただき、私たち夫婦の通過した時間、同じ時、セックに与えられた試練と死をノートに載せて欲しい、と思いました。
                                             眞理