コロンボ通信 第2号 眞理 in スリランカ 1997-5/8
「萌ポニーに咬まれる」の巻き 
萌が馬に咬まれ、大騒ぎのシンハラ正月となりました。 4月12〜14日はこちらの仏教のお正月で、使用人たちはみんな帰省し、学校も休み、邦人企業も閉まります。高原のホテルに友人2家族と行って来ました。ホテルに着いた日、夕方ちょっとプールで泳いだだけで、翌日の午前中にはもう、ホテルに飼われているポニーちゃんに太股を咬まれた萌、おかげで、キャンディという近くの町まで破傷風と狂犬病の予防接種を受けにホテルのマネージャー付きでかけずり回らなくてはならず、ただでさえ万事にのろいこの国のまして正月時期のこと、日が暮れかかってからやっとホテルに帰りました。
はじめ、ホテルのあるお茶園の付属の診療所で手当を受けましたが、汚れた白衣を着たスリランカ人の男性が傷を指でとんとん触れるので、その度にマキュロンで消毒する母でした。結局大げさな絆創膏を貼られ、抗生剤を処方されただけで、一旦ホテルに帰りました。ポニーは毎月狂犬病の予防接種を受けているから「ノー、プロブレム」と言うマネージャーも「でも万一のことがあるといけないので予防接種して欲しい」とのこと、病院まで付いてくるという親切ぶり、さては先だてワニ園で子供がワニに咬まれ死んだ事故があったので、心配なんだろう、と親は皮肉な目て゜マネージャーの熱心ぶりをながめています。 破傷風の方はすぐしてもらえましたが、狂犬病の方は薬を手に入れるところと注射してくれるところが別々で苦労しました。
正月時期の閑散とした大病院の待合い室で手続きを待っていると、小さな赤ん坊が母親に抱かれておっぱいを飲んでいます。自分の父親らしい人に付き添われた若い母親は必死で授乳しているのですが、赤ん坊は飲まない、と言うのです。多分2000グラム程、健太が生まれたてよりもまだ少ない位の肉の薄い赤ん坊で、その小さな足を見ると思わず触れてみて、萌はぱっとこぼれるように笑い、その顔につられて、若い母親も、付き添いの男性も同時に笑いました。萌も健太を思い出したのでしょう。何をあげても飲まないらしく、おしっこも出てないので心配して病院に来たということでした。どういう診断を受けたのか知りませんが、萌と同じくらいの年の男の子を連れて、さよなら、と手を振りながら心配そうな一家は帰って行きました。
随分待たされて、やっと2本めのお注射をすることになった萌はぎゃんぎゃん泣き、マネージャー、医師、父親の3人になんとか取り押さえられようとしたのですが、真っ黒な看護婦の高圧的な態度に怯え、なおもあばれ、私が注射針を手に萌に立ちはだかる看護婦の険しい顔を見てかっと頭にきて、彼女の肩につかみ掛かり、もっとやさしくできないの、こんな小さな子に、とわめき、まずいという雰囲気が場に流れる始めると、萌の方はとたんに静かになり、やっと注射に甘んじたのでした。萌は赤ん坊のころから、母がヒステリーを起こすとその場をなんとか沈めようと努力をするけなげな子供なのです。
外線のつながらないホテルから移動電話を使い広尾の日赤にかけたり、在スリランカの大使館にかけたり、とんだお正月でした。
負傷してホテルを出るときはぐったりと母の腕に抱かれていた萌も、帰りの車の中では運転手やマネージャーにちやほやされ前の席に乗せてもらい、マネージャーに買ってもらった二個めのアイスに口のまわりをベトベトにした顔でこちらを向くと「ねーおかあさん、あしたがっこうある?きず、みんなにみせていいでしょ」と嬉しそうに笑い、以来、会う人会う人に「ポニーに咬まれた」「ホース、バイト」などと言ってはスカートをめくって見せる困り者です。犬、猫のみならず息あるものすべてに興味を持ち、何事によらず警戒心がなく、興味を持つと一目散で走り寄り、手を差し伸べる萌は懲りた様子はなく、ただ狂犬病の注射の痛みだけは堪えたようです。
萌の健太を失った心の傷 は、また親の気持ちとは別なところにあるらしく、母親が不安な時、父親から聖書のある箇所を取り出して読んでもらっているのをまね、自分も人形相手にその「すべてのわざには時がある。生まるるに時があり、死ぬるに時があり、植えるに時があり、」という箇所を読んでやっている時のこと「けんたくんがしんだのは、もえのせいじゃありません、けんたくんがしんだのはかぜのばいきんのせいなのです。だからけんたくんがしんだのはもえのせいではないのです」と言っているのを聞いて、ぎよっとなりました。一体、いつから萌が弟の死を自分の責任と感じるようになったのか。そんな考えは私たちの頭をかすめたこともないのです。そして、いつから「かぜのばいきん」などをひねり出したのか。 そして、現実の生活の中で健太がまだ生きている、という空想をしてお話を作り、それが良いこととは思えなかったので叱りつけたことがありました。「おかーさん、ほらけんたくんがここにいるよ、おかーさんけんたくんのあしふんでるよ」などと言うのです。「萌、健太君は死んじゃったの、イエス様のところから萌やお母さんを見ててくれるんだよ」と言っても「そのけんたくんじゃなくて、もうひとりのけんたくん」と言うのです。「健太は一人しか居ないの!」と怒ると元気なく「わかったよ」。ぐっと顔をこわばらせて、お友達が来て「もえちゃん、もえちゃん」と話しかけられても「もえきょうちょうしわるいから」と不機嫌な傷付いた顔のままでした。子供は空想の世界に癒される生き物で、そこを閉ざすようなことはしてはいけなかったと元園長の伊藤万里子さんから聞き、深く後悔しました。
アンナさんが突然やってきました。 その日は丁度、前々から予定してあった「コンサート」の日でした。バイオリンを始めた万希さんと週に一度位のペースで練習を積んできたので、一度、人前で引いてみようと英語の先生のインドラを囲んでコンサートを開きました。といっても6人のお茶会に演奏が付いたという程度のものです。でも私はちょっと、万希さんはけっこー緊張して、気持ち良かった。やれやれ、と終わって万希さんと打ち上げのビールを飲んでいると電話がかかり、「アンナ、スピーキング」と言うのです。「アンナ・エダル?」と聞くと「イエス」イスタンブール時代、チェロの先生から紹介されてヨガのグループに入っていました。オーストリア、スイスなどドイツ語圏の女性たちのグループで週に一度ビジムテペというクラブハウスに集まりヨガ、メディテーション、時々、お菓子を持ち寄ってジンジャーティーを飲んだりしていました。終わって、ビジムテペから帰る途中、暮れかかる日を反射したボスボラス海峡の光景は声をあげたくなるほど美しかったものです。アンナがリーダーで、当時はトルコのオーストリア高校で数学と哲学の教師をしていました。今はスイスに居て、今年、コンサート活動のためにトルコからスイスを訪れた貞子さんというフルート奏者の友人と出会い「眞理が今、スリランカに居るのよ、ああ貴女は眞理を知らなかったかしら・・」「知ってる、知ってる。ヨガを一緒にやっていたのよ」という話しになって、アンナさんはスリランカのアーユルヴェーダを体験しにスイスからはるばるやって来たのでした。
7年間に手紙が1通来ただけの関係です。私の方はもうちょっと出していると思うけど、それにしてももう1度会えるとはお互いに思っていなかったのです。健太が死んでしまった時、海外に居る外国人の友達全員に健太のことを知ってほしい、と思ったことがあって、その時のこころづもりの中にアンナは混ざっていたけれど。 私の英語は大したことはないのですが、それでもヨガのPositive thinkingということに触れ、私はマイナーなことをポジティブに捉えろといわれても、そんなことはできない、と言うと、それは理解してないからなのだ、と言われ唸ってしまった。おばさんたちが、ものごとは考えよう、考え方次第で不幸も幸せになる、という台詞が私は大嫌い。そんなまやかしのご都合主義はものごとの本質をくもらせるゆゆしき態度だ、と思うのです。アンナは「何故なのか、と考えても答えは一つじゃない、いろいろな理由があって、それを完全に知ることは出来ない。ひとはすべてを知ることができないということが判れば、受け入れられるのだ」と。
私はアンナさんに「健太の命は8ヶ月だったけど、その一生は完全な一生だった」と言った時、その思いがけないことばに自分でも驚き、そして真実自分がそう思っているのだ、ということを知りました。日本語で日本人に向かっては言ってはいけない、そう言い切ることは許してもらえない、そんなことばでした。もし、誰かに同じように言ったとしても、判ってもらうために幾つもの但し書きが必要なような、そんな自分の正直に気持ちでした。
そして、最後の夜、アンナさんはアンナさんたちの考えによれば、モンゴロイドの子供たちには特別なエネルギーがあり、特別なスピリチュアを持っていて、私たちにエネルギーをあたえてくれる素晴らしいひとたちだ、と彼らは別なプラネットから来たのだ、とああ、マリ、なにも心配することはない、いつかひとは知るだろう、と。
自分の誕生日に突然やって来た日アンナ、そして帰って行ったのは4月28日、健太の生まれた日でした。アンナに言わせれば、それも、これも偶然ではない、なにか意味のあること、というふうになるのかも知れません。
<one day fast>をやりました。 1日水のみ、これなら出来る、と思って実行したのですが、実はその後4日間、果物から始まって、生野菜、煮た野菜、穀物、と徐々にプラスしていかなくてはならず、結構大変でした。断食は誰でも出来るけど、食べ始めが重要でそこでぶったおれる人が居る、と聞いていたので怖々でした。しかし、1日中、前の晩からだから、32時間ほど食物のことを思うことも、塩分もなにも身体に入れない、という経験は実際生まれて初めて、腎臓も肝臓も43年間1日も休まずに働いてきたので32時間くらいお休みをあげても良いわけです。不思議な気持ちでした。瞑想と言って良い心の状態、たりーっとコロニアルの風になびかれつつ1日を過ごしました。黄泉の国に行った息子にばかり想いが行き、ああ、供養というのはこういうことをいうのか、と、断食が宗教的儀式としてあるのは、断食自体が持つ生き物人間に思い知らすなにかがあるのだ、と思いました。健太のことを恋しく思いながらも自分が行き続けていくことにリアルな解放された世界を感じるとでもいうのか・・。2日後、同様に決行した洋くん、きっと同じ心情にとらわれているのだろう、とそっとながめていたら「考えまい、考えまいとしてもドーナッツが頭に浮かんで・・」とその即物的な健全な性格をあらわにし、両者の性質、体質の相違を浮き彫りにしてくれたのでした。あろうことか「おとーさんに一粒だけ頂戴」なとどといじましく萌のご飯をねらう夫とハイとヒステリーを繰り返す妻、両親がなにをしているのかわけわからない娘、へんにべたべたしつこく可愛がる飼い主に戸惑う犬、突然お茶を飲まない、冷やした水は飲まない、ミントを大量に買いこんでミントティーを作れ、塩を入れない野菜だけのスープを作れ、と注文する女主人になーにやってんだろう、と首を傾げる女中さんでありました。お肌のつるつる、と2、3日頭が以上な冴え方をしたほか、二週間後にはすべて元どうり。
佐多美知子さんから絵本「さよならっていわせて」と河合隼雄の「ファンタジーを読む」が届きました。萌を心配して送ってくれたもので「死」を早々と体験してしまった子供のためのものです。目が洗われる思いがしました。萌がどんな反応を示すか、今その時を待っているところです。
セックは実はそのしつこい皮膚病がフィラリアの一種であることが判り、こちらの獣医の荒っぽい治療に一時は足どりを失い、家の階段を上ることも出来なくなりました。注射を毎日4本づつ左右の後ろ足に1週間も打たれ、誤った治療により死んでしまう動物の話しをよく聞くのでとても心配しました。奥沢の、子犬の頃から診ていただいてる獣医先生に電話したけど、この付近の風土病に関してはお手上げで、迷ったけど信用ならないタミル人の獣医にまかせて治療を続けることにしたのです。放置すると失明、毛も全身抜ける、と聞き、それも生き物にとってはつらいことだし。でも1ヶ月たった最近、前のように飛んで上ることはできないけど自力で階段を上り降りしているし、力も徐々に甦ってきています。治療の後遺症じゃないのか、とすっかり弱ってしまったセックを連れて行くと、お腹に虫がいるからだ、と(力が弱ったのはお腹の虫のせいと思うのか?と聞くとこちらの目を見ずにイエスとのことでした。)また注射しようとしたので、頭にきて、もう、これ以上は注射しないで、もう結構、って連れて帰ってきました。あとは自宅でわれわれ夫婦のラブ・ケアーしかないと思いました。