コロンボ通信 1


コロンボに着陸したのは現地時間の10時でした。萌にとって2日前まで午前1時だった時間です。 空港に出迎えに来ていたハザマの運転手ティッサの姿を見ると「ティッサ!」と飛んで行って抱き付き、1年間名前も出なかった人と瞬時にして打ち解け、もう1人の運転手ウガンダも萌の姿が見えると本当に嬉しそうにしてくれました。

私は健太の遺骨を背負い、なまなましく暑い空港の通路を歩くのがつらくてなりませんでした。健太と共に歩く予定だった通路、健太と一緒に乗るはずだった飛行機は悲しく苦しいものでした。洋が東京の家で言いました、告別式の時は悲しかったけど、こんなに淋しくはなかった、と。

車で空港を後にする時、萌は大声で「バイバーイ!みんな!」と窓から叫びました。彼女はこの時点で日本のお友達とお別れをしたのです。

コロンボの古いお友達たちが、萌を前と同じように迎えてくれました。それでもやはり「もえ、さみしいよ」と言います。時には、弟を思い、時には南奥沢のお友達を思うらしく、「もえまだけっこんもしてないのに・・」と切なそうに言います。昨日のお昼寝の時「健太くんが居なくて淋しいよー」と泣きました。「健太くんおおきくなれなかったね」「もえ、健太くんになにもしられなかったよ」と心優しい姉は泣くのでした。「もえ、しゅうじくんとけっこんしたい」「かずくん、もう五歳なんだよ」と時々思い出したように言います。 今朝も、Over Seas Children's School (OCS)へ向かう車の中で突然「かずくん、おうち、こわれちゃったそうだよ(??)」と言い、私が「・・そうだよ」という言い回しがおかしくて笑うと、「笑ってんじゃ、ねーよー」と南奥沢の男の子から教わった言葉で照れました。 幼稚園は高校生まで収容する大きなインターナショナルで、萌はキンダーガーデンの部に通います。スリランカ人、白人、韓国人、日本のお友達も萌の他に二人居ます。時間は七時半から十二時まで、水筒とスナックを持って出かけます。 親友だった女の子が同じクラスに居るので、1日目からすっと溶け込んだようにみえました。

帰ってからは昼休みに戻る父親と三人でお昼を食べ、お昼寝をし、起きた後、また日本人のお友達の家へ母と出かけたり、呼んだりして早速一年前と同じ生活がスタートしそうです。 極寒の日本から来ると、今は暑くて暑くてしょうがない、という感じで、高い電気料金を気にしながらクーラーをかけて生活しています。

われらの老犬マルチーズのSECくんはすっかり老け込んで、狂喜乱舞するお出迎えを期待していたところが、何のことはない、玄関口からよろよろと出てきただけでした。 がっかりした勝手な飼い主は旅の疲労も手伝って「相変わらずバカな犬だよ、お前は!」などとつっけんどんに扱いましたが、翌日、私たちの不在中ずっとSECの様子を見に来てくれていた友人がたずねてきて言うには、二週間前の様子と全然ちがう「元気ぶり」だそうで、彼女が私から健太の訃報を受け、気になってすぐにこの犬を見舞ってくれた時は「まりさんが帰ってくるまでモツかしら?」というほどの衰弱ぶりだったそうです。反省した飼い主は老犬を労わってやらなくては、と思っています。もう、ソファに飛び乗ることもできなければ、ベッドに上がろうともせず、わざわざマットを重ねて寝台を高くする必要もなくなりました。嫉妬心は健在で、萌には強気の姿勢。到着のその日、萌は腕を引掻かれ、深傷を負いました。私が萌を抱いたりするのを見ると吠えて、足をかっかっと後ろに蹴って抗議します。 萌の方では、そんな仕打ちをされても「もえのセックう」と犬の後を追いかけ、帽子を被せたりリボンにつないだり、櫛でとかしたりして遊んでいます。 一年前、日本に帰り、奥沢幼稚園をスタートした時点では園に居た大きな子供好きの犬が萌の最初のお友達でした。「犬が萌ちゃんの救いみたいで」と訪問してくださった先生に言われ、母は涙ぐんだものです。

今また、萌は犬から再出発しようとしています。


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