2007.3.9
昔の替え歌いろいろ


                                                                              増田 次郎


お正月の歌の替え歌を先日ご紹介しましたが、またまた変な替え歌を皆さんにご紹介してお茶を濁させて

頂きます。戦争中にはいろいろな軍歌がありました。

その一つに「天に代わりて不義を討つ」という歌がありました。本歌(の一番)を先ずご紹介します。


「天に代わりて不義を討つ、忠勇無双の我が兵は、歓呼の声に送られて、今ぞ出で立つ父母の国、

勝たずば生きて帰らじと、誓う心の勇ましさ
」。

これが小学生の替え歌になると

「天井に向かって釘を打つ、チューチューネズミの運動会、学校の先生に怒られて」と歌っていました。

後は残念ながら忘れました。語呂合わせがうまくできているのには、ただただ驚くばかりです。


私の会社の先輩でMさんという面白い方がおられました。大阪高等外語(現在の外語大学)ロシア語科の出身

で、語学の達人でした。個人になっておられますが、飄々としてまさに大人の風格のある方でした。

宴会の席で、この方に陸軍のラッパの替え歌を随分聴かされました。

その中の最高傑作は陸軍の消灯ラッパです。非常に哀愁を帯びたメロディで普通は

「新兵さんはかわいそうだね、また寝て泣くのかよ」というのが普通です。

もちろん私も学校教練で野営に行ったとき、このメロディで寝ていました。

ところがMさんが教えてくれたのはこれと全く違います。

「連隊長の〇〇見たか、見た見た皮かむり」という誠に傑作な文句でした。

 連隊長は陸軍大佐で、大変な高官です。軍刀を下げて、将校の副官を従え、馬に乗って、営門(兵営の正門)

を出入りするときは、衛兵がラッパを鳴らして捧げ銃で送り迎えするという偉い人だったのです。

兵隊から見たらまさしく雲の上の人だったわけです。それをこういう文句でおちょくっていたのです。


Mさんは戦争中大阪の部隊で中尉さんでした。大阪出身の人に叱られるかも知れませんが、明治時代に

「大阪鎮台、バカ鎮台。またも負けたか八連隊」という「はやしことば 」がありました。

正確には「あったそうです」というべきですね。

鎮台とは明治時代の初期に国内各地に設けられた陸軍の駐屯地で、後に師団と呼ばれています。

戦争中も大阪師団は弱いといわれ、中国軍との戦闘で集中攻撃を受けたと聞きました。

熊本師団や仙台師団、旭川師団などは強いといわれ、恐れられていたそうです。

戦後の小学生の間にも昭和初期のわれわれと同様、替え歌があったようです。


クリスマスソングの一つに「ジングル・ベル、ジングル・ベル-----」というどなたもご存じの歌があります。

これの替え歌が「ち〇ぽの毛、ち〇ぽの毛。いつ生える」という文句になっていました。

子供はいつの時代でも天真爛漫。兵隊さんも同じだったようです。
 
これらの歌をなくなった島さんに聴かせてあげたら、抱腹絶倒しておられました。

あの方はかつての豊島師範学校付属小学校の出身でしたが、坊ちゃん学校でも結構面白い歌があったようです。

聞き損なって残念なことをしました。
                                                                         
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