えこし文庫『諸註という書物』中村文昭著

文庫版342ページ 定価1500円
2003年4月14日刊
企画・えこし会
発行・ノーサイド企画室

単行本として刊行された『諸註という書物』全三分冊が、この文庫本一冊に!
言語、人間、イノチ、愛、宇宙を、
「私とは私と肉体としての私である」という新しいコギトから考察する。
解剖学者・三木成夫のコトバ、詩人・中原中也、宮沢賢治のコトバ、舞踏家・土方巽、大野一雄のコトバなどにも触れつつ語られる、心とカラダに響く全26章、856項の、ポエジーあるコトバの集成。

001
二十世紀における言語の権威の失墜。言語不信は、理性、自我、科学的世界観、人間中心主義のヒューマニズムへの疑問につながる。
 二十世紀の一つの象徴は言語の完膚なきまでの権威失墜である。今世紀を通じ、人は、政治、思想、芸術、文学等の中で中心的役割を担ってきたこれまでの言語的価値と意味の偽善、裏切り、不誠実をまのあたりにしてきた。言語をもはや、言語自体の中で根拠づけることはできない。
 「私とは私と肉体としての私である」という、新しいコギトから全てにわたって語りあうときである。
403
……人間は動物のように最強の感覚ー運動器官をじぶんに設備する道をとらず、逆に、植物の垂直性が恩恵をもたらす “宇宙の遠”をじぶんのカラダに設備したのである。動物でありながら、植物の “遠”を手にしたのが人間である。
407
……四次元としての人間は、宇宙の摂理、宇宙の心、宇宙のロゴスと共鳴する心の内部を築いたことだ。……
602
愛の営みにおいて、人間は永遠に愛の不足者である。それ故に、人間は愛の不足を充実した愛に変容すべく自然の常識にはない夢想によって補うのである。
──本文より

『諸註という書物』の訂正箇所

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