わ た し 丈





多分、初めて見た時から。それからが始まりだった。始まりがなかったら終わりもないんだろうけど、それでも僕はそんなもの欲しくなかった。始まりなんか、あったって、悲しくなるだけだよね。






「―――帰らないのか、手塚?」

「先生に報告あるから残るんだって」

「そうか、じゃあ俺たちは先に失礼するよ」

「また明日」


静かにドアが閉まると、散漫としていた部室の空気が一気に凝縮する。換気扇と、時々途切れる蛍光灯が、カラカラと、パチパチと鳴る。それだけの空間。そこに僕と君が居る。


「おまえも先に帰っていろ」


君は僕を見ず、僕に退室を促す。部内の事務作業をこなすような口振りが、僕に冷静さを呼ぶ。だからなるべく温和に、僕は返答することが出来た。


「もう少しで終わるんでしょう?待ってるよ、終わるまで」


机に伏せたままそう言うと、指先の向こうにペンを止めた手塚が見えた。やっぱり手塚は僕を見ないで、手元の用紙か何かをじっと見ていた。僕からはよく見えているんだけど、手塚にはもしかして、僕の目の前に塞がるテニス用具の詰まったダンボールが邪魔なのかもしれない。なんて戯言を考えていると、手塚の手が思い出したように再起動し始めた。

僕は彼の微々たる個所に惹かれた。立ち振るまいとか、あの誰をも近付けない、彼が彼たる所以である、コート上のスタイル。決して僕じゃ届かない、遥か先に彼はいた。僕は生まれて初めて嫉妬と羨望という感情を抱かされた。出来ることならそんな彼を凌駕したいと思った。だけどそれは、叶わぬ夢であると身を以って知った。だから、僕の感情は転化した。転化するしかなかったのかもしれない。良く分からない。だけど僕は彼に惹かれていた。 だけど彼は僕に惹かれはしなかった。それどころか、彼は僕を見ようともしなかった。目が、いつだって蔑んでいたようにも思う。

そんなことを空白の時間に思い起こしていると、なんだかやたら悔しくなった。そんなのいつものことで、いつもだったら黙ってやり過ごす空気なんだけど、今日はそれが笑って出来ない。多分それは君のせい。その生半可に揺れる、ペン先の泳ぎ方。何をそんなにがむしゃらに書いてるの。ねえ、どうしてそんな伏せ目でいるの、僕はここにいるのに。


「手塚」


僕はここで君を見ているのに。


「手塚」


君しか見てないのに。


「手塚」


君は僕に独り言を余儀なくせる。何だろう、このもどかしさは。こんないらない気持ちばかり僕はどんどん膨らませていくよ。どこまで膨張するのかな。想像するだけで僕の中味はゆらゆら揺れるよ。


「―――こっち、向いて?」


だから、そう、だから。腹いせに、何かしてやろうと思った。僕に残されたものは、こんなものしかなくって。


「ねえ手塚――――好きだよ?」


手塚はなんだか渋い顔になったけど、それが何を表しているんだか、やっぱり僕には分からなくて、買い被り過ぎたのかも分からずじまい。何か、言って欲しい。ねえ君は、どこまで僕に独り言を続けさせるの。手塚、君のその顔は整っていて、凛として、誰をも魅了すけど、多分それだけなんだ。長所よりも、短所のほうが多いよ。ねえ、僕、どうすればいい―――?


「――――終わりだ、机の上を片せ、帰るぞ」


一瞬、主語を履き違えてドキリとした。後に続く言葉に、自分でも驚くほど安堵した。僕は手塚と違うから、顔に出てやしないか焦ってしまう。


「うん、帰ろう」


だけど僕だって君に負けないくらい、自分を操作出来るから、こんな時だって穏やかに笑えるんだよ。

事務的に身支度を終えて、ドアまで歩み寄ると、手塚は一瞬その足を止めた。だけどそれは見間違いだったのか、その足は照明が全て消えた後の、薄暗いコートの脇を進んで行った。歩幅が大きいから、歩くのが早い手塚は、あっという間に小さな後姿になっていった。僕はまた机に突っ伏して、冷たい質感を頬で感じた。じんわり頬から冷気が伝う。そして、不本意な水気が、頬を降りた。そのかたまりを見るのが、なんだか凄く嫌だった。






ねえ、僕は君を好きになってから、損ばかりしている気がするんだ。君を好きになって、良かったなんてきっと1度も思えない。その思いが拭えなくて、僕は行き詰まってしまったよ。終わりを切望しながら終わりを誰より恐れてる――――僕はもう、是が非でも君を嫌いになるしかないと思うよ。

だからどうか協力を惜しまないで、愛しい人よ。





 


イイワケ
3万ヒットアンケ第3位「塚不二」「一方通行で報われないもの」「片思いだけど、相手はそれに気付いている」って感じのものです。久々に文を、そして塚不二を書いた気がする!ああピカ文て、こうゆうのだよね〜って感じが私的にはとってもしますがどうでしょう。
02.06.12