抱き締められると、特有のいい匂いと暖かさ。そして無条件に安心する柔らかさに包まれる。

だけど不安が襲います。



姉 さ ん の 身 体 は 気 持 ち い い



英二が僕に触れてこない。人前でも構わず抱き付いてくる、暑苦しい英二をやめてと言って制す僕。そんな遣り取りが、いつの日か消えていた。だけどそれ以外は何も変わらず、英二はよく笑い、よく食べ、よく眠り、よく喋り、よく動く。僕もそれに倣って、いつもみたいに何だってこなした。だけど僕はどうにも不安で、嫌なドキドキが胸を埋める。心で、何度英二の名を叫んでも、僕は何も言わなかった。怖いから、僕は何も言えない。ただ、ひたすら何の変哲もない時を過ごす、僕をためらいなく呼ぶ君と。


「不二、ほら早く早く」


やけに重かった、引っ張られずに置いてかれた手が。





重くなった手を引きずりながら帰宅。重いドアを開けたら、リビングで姉さんが笑顔で迎えてくれた。


「お帰り、周助」


だけどそれがすぐに陰った。


「周助どうしたの?」


姉さんは、僕の微妙な変化を見逃さない。侮れない人。


「おいで?周助」


姉さんは、ソファーに座ったまま僕に向かって両手を広げた。


「ほら、周助」


穏やかな全身が僕を迎えてくれるから、僕は姉さんに身体をあずける。柔らかい全て、暖かい声、ふんわりといい匂い。落ち着く。姉さんの首から、甘くていい匂いがする。いくつもの気持ちいいものに包まれて、僕は眠気を誘われる。


「よしよし、いい子いい子」


だけど漠然と広大に広がる、言いようもない不安感。





自分を抱き締めてみる。硬い肩、浅い胸、ひんやりとした肌。何の変哲もない身体。そして思い出す、あの温もり。それが僕に更なる低温を呼ぶ。なんて冷たい冷たい身体なんだろう。

どうして姉さんの身体は、ああも気持ちいいのか。





「今日来るっしょ?」


屈託のない無邪気な顔は、行かない、なんてセリフを飲み込ませる。英二は鼻歌交じりで、僕は複雑な思いを抱えながら、英二の家に向かった。

だけど、なんだかんだ言って、僕は英二の部屋でくつろいでいた。なんだかんだ言って、結局僕は英二の部屋とかが好きだから。英二と他愛のない雑談をし、微妙にまどろんでいた。それを破る切っ掛けを与えたのは、小気味よいノックの後に現れた、英二のお姉さん。


「いらっしゃい不二くん、ハイ英ちゃん差し入れ」

「サンキュ、姉ちゃん」

「ゆっくりしていってね不二くん」


僕は軽い会釈をして、パタリ閉まるドアを見送った。じんわり。背中に冷ややかな、悲しい笑いを余儀なくされるようなものが押し寄せる。むしゃくしゃに似た、髪を掻き毟りたいような―――どうしようもない。このもやもやは、どうしたものだろうね。


「英二のお姉さんて、気持ちいい?」


よりによって、英二の前でこんな気持ちになりたくなかったのに。思い出したくなかったのに。想起するほどひたっているわけでもないのに。もやもやが、口先にのぼって、感情と一緒に吐露される。


「英二のお姉さんて、気持ちいい?」

「は?」


返答がないから繰り返すと、英二はさっき運ばれてきた、炭酸が入ったグラスを飲んだところで、少しむせていた。


「何だソレ急に」


苦しそうな顔と、疑問がってる顔を混同させる英二の少し蒸気した顔は、ふうと一息つくと疑問一色になった。


「今のいいや、じゃあ英二のお姉さん、いい匂いする?」

「―――まあ割りと、するけど」


姉さんだけじゃ、ないんだね。ぎゅん。加速度をつけて増す恐れが、それに比例して現実感を帯びていく。不安が脅威になる。英二、英二、嫌だ、嫌だよ、僕はどうすればいいのか分からない。入り乱れる頭は、歯止めなんてなくて、悲しい不安を訴える。


「うちの姉さん、自分でネックレスとか付けれないから、いつも僕が付けてあげるんだけど、姉さん首からいい匂いするんだよね。僕も同じシャンプー付けてるのに、僕はそんなじゃないの」

「―――自分の匂いって、気付かないもんでしょーよ。それに不二、かなりいい匂いするよ?」


英二が言うと、信じていいような、そんな感じがして、僕は素直に受け取ってしまう。更に英二は続ける。


「てゆーかさあ、不二の姉ちゃんのいい匂いって、香水じゃん?」


そうかも、しれない。多分、そうだと思う。でも、でもだめ、だめだよ英二。今度ばかりは君の言葉が信じられない。それだけじゃだめ、だめ、僕、つぶれそうなくらい怖くて、怖いよ。英二、英二、僕はもう、だめかもしれない。


「だけどっ・・・だけど英二!」


続く言葉すら、怖くて言えない。言葉にする勇気がない。抽象的な言葉しか出なくて。困惑する英二の顔が、気にもとめられなくて。


「だって、不安だよ、不安だよっ」


僕に香りがあっても安らぎはない。僕に声はあっても柔らかさはない。僕は無い物ねだりしてる。英二、英二、僕、どうしたらいいんだろう。声に出した途端、後悔が冷たくなって耳のあたりで燻ってる。頭の奥がカンカン痛くて、冷たくて、手の感覚なんかなくて、でも何かに頼りたくて、カチカチになった手を握り締めた。手のひらに食い込む爪が心地いいってどういうこと?仕舞いには手を震わせてると、急に硬さと温もりが僕を包む。英二が僕を抱き締めた。


「―――今、どんな感じ?」


ささやくような、冗談を言うような、少し弾ませた、でも優しい言葉に、僕は素直にさせられる。


「・・・ドキドキしてる・・・でも、安心してる」

「オレも一緒」


内緒話みたいな、子どもじみたその声。ねえ、君は今、どれだけ僕を綻ばせてるか知ってる?耳の奥が、とけてくように温かくなってる。


「君は、優しいね」


君の体温を感じながら、僕は色んなものをもらう。


「ウン、オレ好きな子には優しいの」

「何それ」


思わず軽く失笑。背中に回した手は、君の広さを抱えて喜んでる。


「不二は気持ちいね」


ふと、嬉しそうに英二は言った。心の中で、何度も何度も繰り返して噛み砕いて呑み込むと、鳥肌がたった。自分が保てなくなりそうで、僕を覆うものにしがみ付いた。主語が、だって嬉しいよ。嬉しい、嬉しい。嬉しいの言葉しか分からない。語彙の代わりに涙が出る。

ありがとうと言ったら、英二は何が?と無感動に応えた。僕は君に、何度となく救われてるよ。


「変な不二〜」


最後に、英二は温かい気配と、柔らかい、でもカツンと歯があたるキスをくれた。ただ、嬉しかった。










イイワケ
マコトさんから36363リク「不二を救う菊」…のつもり!無意識菊ちゃんだか、それとも精神年齢高い菊ちゃんなのか分かりません。「不二の身体」じゃなくて、「不二」が気持ちいいと言ってくれたのが不二は嬉しかったのよってお話。
…色々分かり難い文でごめんなさいマコトさん…!リク有難うございました!
02.06.21