抱き締められると、特有のいい匂いと暖かさ。そして無条件に安心する柔らかさに包まれる。
だけど不安が襲います。
姉 さ ん の 身 体 は
気 持 ち い い
英二が僕に触れてこない。人前でも構わず抱き付いてくる、暑苦しい英二をやめてと言って制す僕。そんな遣り取りが、いつの日か消えていた。だけどそれ以外は何も変わらず、英二はよく笑い、よく食べ、よく眠り、よく喋り、よく動く。僕もそれに倣って、いつもみたいに何だってこなした。だけど僕はどうにも不安で、嫌なドキドキが胸を埋める。心で、何度英二の名を叫んでも、僕は何も言わなかった。怖いから、僕は何も言えない。ただ、ひたすら何の変哲もない時を過ごす、僕をためらいなく呼ぶ君と。
「不二、ほら早く早く」
やけに重かった、引っ張られずに置いてかれた手が。
■
重くなった手を引きずりながら帰宅。重いドアを開けたら、リビングで姉さんが笑顔で迎えてくれた。
「お帰り、周助」
だけどそれがすぐに陰った。
「周助どうしたの?」
姉さんは、僕の微妙な変化を見逃さない。侮れない人。
「おいで?周助」
姉さんは、ソファーに座ったまま僕に向かって両手を広げた。
「ほら、周助」
穏やかな全身が僕を迎えてくれるから、僕は姉さんに身体をあずける。柔らかい全て、暖かい声、ふんわりといい匂い。落ち着く。姉さんの首から、甘くていい匂いがする。いくつもの気持ちいいものに包まれて、僕は眠気を誘われる。
「よしよし、いい子いい子」
だけど漠然と広大に広がる、言いようもない不安感。
■
自分を抱き締めてみる。硬い肩、浅い胸、ひんやりとした肌。何の変哲もない身体。そして思い出す、あの温もり。それが僕に更なる低温を呼ぶ。なんて冷たい冷たい身体なんだろう。
どうして姉さんの身体は、ああも気持ちいいのか。
■
「今日来るっしょ?」
屈託のない無邪気な顔は、行かない、なんてセリフを飲み込ませる。英二は鼻歌交じりで、僕は複雑な思いを抱えながら、英二の家に向かった。
だけど、なんだかんだ言って、僕は英二の部屋でくつろいでいた。なんだかんだ言って、結局僕は英二の部屋とかが好きだから。英二と他愛のない雑談をし、微妙にまどろんでいた。それを破る切っ掛けを与えたのは、小気味よいノックの後に現れた、英二のお姉さん。
「いらっしゃい不二くん、ハイ英ちゃん差し入れ」
「サンキュ、姉ちゃん」
「ゆっくりしていってね不二くん」
僕は軽い会釈をして、パタリ閉まるドアを見送った。じんわり。背中に冷ややかな、悲しい笑いを余儀なくされるようなものが押し寄せる。むしゃくしゃに似た、髪を掻き毟りたいような―――どうしようもない。このもやもやは、どうしたものだろうね。
「英二のお姉さんて、気持ちいい?」
よりによって、英二の前でこんな気持ちになりたくなかったのに。思い出したくなかったのに。想起するほどひたっているわけでもないのに。もやもやが、口先にのぼって、感情と一緒に吐露される。
「英二のお姉さんて、気持ちいい?」
「は?」
返答がないから繰り返すと、英二はさっき運ばれてきた、炭酸が入ったグラスを飲んだところで、少しむせていた。
「何だソレ急に」
苦しそうな顔と、疑問がってる顔を混同させる英二の少し蒸気した顔は、ふうと一息つくと疑問一色になった。
「今のいいや、じゃあ英二のお姉さん、いい匂いする?」
「―――まあ割りと、するけど」
姉さんだけじゃ、ないんだね。ぎゅん。加速度をつけて増す恐れが、それに比例して現実感を帯びていく。不安が脅威になる。英二、英二、嫌だ、嫌だよ、僕はどうすればいいのか分からない。入り乱れる頭は、歯止めなんてなくて、悲しい不安を訴える。
「うちの姉さん、自分でネックレスとか付けれないから、いつも僕が付けてあげるんだけど、姉さん首からいい匂いするんだよね。僕も同じシャンプー付けてるのに、僕はそんなじゃないの」
「―――自分の匂いって、気付かないもんでしょーよ。それに不二、かなりいい匂いするよ?」
英二が言うと、信じていいような、そんな感じがして、僕は素直に受け取ってしまう。更に英二は続ける。
「てゆーかさあ、不二の姉ちゃんのいい匂いって、香水じゃん?」
そうかも、しれない。多分、そうだと思う。でも、でもだめ、だめだよ英二。今度ばかりは君の言葉が信じられない。それだけじゃだめ、だめ、僕、つぶれそうなくらい怖くて、怖いよ。英二、英二、僕はもう、だめかもしれない。
「だけどっ・・・だけど英二!」
続く言葉すら、怖くて言えない。言葉にする勇気がない。抽象的な言葉しか出なくて。困惑する英二の顔が、気にもとめられなくて。
「だって、不安だよ、不安だよっ」
僕に香りがあっても安らぎはない。僕に声はあっても柔らかさはない。僕は無い物ねだりしてる。英二、英二、僕、どうしたらいいんだろう。声に出した途端、後悔が冷たくなって耳のあたりで燻ってる。頭の奥がカンカン痛くて、冷たくて、手の感覚なんかなくて、でも何かに頼りたくて、カチカチになった手を握り締めた。手のひらに食い込む爪が心地いいってどういうこと?仕舞いには手を震わせてると、急に硬さと温もりが僕を包む。英二が僕を抱き締めた。
「―――今、どんな感じ?」
ささやくような、冗談を言うような、少し弾ませた、でも優しい言葉に、僕は素直にさせられる。
「・・・ドキドキしてる・・・でも、安心してる」
「オレも一緒」
内緒話みたいな、子どもじみたその声。ねえ、君は今、どれだけ僕を綻ばせてるか知ってる?耳の奥が、とけてくように温かくなってる。
「君は、優しいね」
君の体温を感じながら、僕は色んなものをもらう。
「ウン、オレ好きな子には優しいの」
「何それ」
思わず軽く失笑。背中に回した手は、君の広さを抱えて喜んでる。
「不二は気持ちいね」
ふと、嬉しそうに英二は言った。心の中で、何度も何度も繰り返して噛み砕いて呑み込むと、鳥肌がたった。自分が保てなくなりそうで、僕を覆うものにしがみ付いた。主語が、だって嬉しいよ。嬉しい、嬉しい。嬉しいの言葉しか分からない。語彙の代わりに涙が出る。
ありがとうと言ったら、英二は何が?と無感動に応えた。僕は君に、何度となく救われてるよ。
「変な不二〜」
最後に、英二は温かい気配と、柔らかい、でもカツンと歯があたるキスをくれた。ただ、嬉しかった。
イイワケ
マコトさんから36363リク「不二を救う菊」…のつもり!無意識菊ちゃんだか、それとも精神年齢高い菊ちゃんなのか分かりません。「不二の身体」じゃなくて、「不二」が気持ちいいと言ってくれたのが不二は嬉しかったのよってお話。
…色々分かり難い文でごめんなさいマコトさん…!リク有難うございました!
02.06.21