無色の君を僕色に染めたい

僕 色 染 色


菊丸英二は本当に不二が好きだった。切欠は隣同士になった不二が、教科書を見せてくれたからとか、本当に些細なことだったのだけど、菊丸にとってはそれで充分だった。それだけで菊丸は不二を好きになってしまった。好きな要因はそれだけでなく、温厚で優しくて、どこか人間味を感じさせなくて、同い年と思えない冷静さも、誰よりも賢い所も、容姿も、菊丸が不二を好きである所以は多々存在したが、理由も忘れるほど菊丸は不二が好きだった。当の不二はというと、菊丸を快く受け入れていた。他人に侵されることを嫌う不二だったが、それは菊丸の果てしない長期攻撃と、愛嬌によって打ち消された。不二もまた菊丸を好いた。無邪気で可愛い、素直な弟みたいに思えて仕方なかったから。2人は上手くやっていた。


「あ、枝毛ハッケ〜ン」


素っ頓狂な声を徐にあげた菊丸は、黒板に公式を書く教師に睨まれた。周りから女子のクスクスと笑い声が漏れる。


「声大きいんだよ、英二は」


不二は英二を振り向きもせずに呟いた。その声から、表情は軽く笑んでいると菊丸は推測する。


「なんだよ、せっかく枝毛見付けてやってんのに」


3年6組、3時間目の数学の時間。菊丸と不二は、毎時間繰り返される行為に励んでいた。菊丸が、前の席に座っている不二の数少ない枝毛を見付けて切る、という作業。不二はされている側だから授業を聞き、ノートもとっているが、菊丸は枝毛探しに没頭しているものだから、教科書は開いてもいないし、ノートをとっているはずもない。ただ自分の机を不二の椅子にくっつけて、親友の枝毛探しに没頭するだけの授業。その姿は、はたから見れば微笑ましい光景だが、菊丸にとってこの行為は口実で、特権を獲得しているにすぎなかった。髪を弄られるという行為は、嫌いな人間には絶対させないこと。枝毛を探すとなると、必然的に顔を髪に近付けなくてはいけないこと。不二の放つ甘い香りを、誰にも邪魔されず、疑われもせずに摂取できること。その特権を菊丸は持っていた。学級委員をするより、テストで1番を獲るより、レギュラーを保持することより、それは誇らしいことだった。


「今の枝毛見せて?」


この瞬間、不二が後ろを向いた時、互いの顔は接近する。菊丸はこの瞬間がとても嬉しくて、愛しくて、待ちわびていた。ふわりと舞う髪、白皙の肌、薄く色付いた唇、桜色の頬、そして大好きな甘い甘い香り――それが限りなく菊丸の間近にある。他の誰も得ることの出来ない、自分だけの特権。その至福を感じるこの瞬間。菊丸は本当に不二が大好きだった。2人の心得違いは、開いていく一方だった。

君は知らない、君の隣りで煩悶する僕を

* * * * *


寝息をたてる不二の頬は、赤く色付いていた。その姿はとても愛らしく、菊丸は心から愛しいと思った。だから理由はそれだけだった。菊丸は心を込めてその頬へ口付けをした。初めて知る、唇で感じる不二の肌。それはとても滑らかで、柔らかく、ほんのり甘く、菊丸は暫く静止した。噛付きたくなる衝動を呑込んだ。

とても綺麗な君が、無性に欲しい

* * * * *

「英二休みなのか?」

「ン」


テニスコートの中の日陰での会話。大石の問いに小さく応えた不二は、どこかふてくされていた。不二の表情のパターンは少ないから、ふてくされた不二の顔は、本当に珍しく滅多に見れるものではない。が、大石はそれを見逃していた。その代わり、彼は意表を突いた。


「寂しかったろ」


その言葉に不二の胸は小さく疼いた。深い意味もなくそう口にした大石は、言ってからもその言葉の重要性に気付くこともなかった。穏やかに笑みを携える大石が、不二には得体の知れない者になっていた。


「あいつ今まで皆勤だったよな、じゃあ欠席は初めてか。不二、今日は1日寂しかったろ」


疼きは段々痛みになる。その苦痛に、不二は表情を変える。いつもなら絶対我慢する所であるはずなのに、堪えれない。理由はとてもシンプルだったけど、不二はそれを認めてない。日陰の心地好い涼しさが、いつの間にか寒気に変わっていた。

寂しかった

菊丸が今日学校に来なくて、すごく寂しかった。いつも振り返れば必ずいるのに、後の席から肩に触れるのに、移動教室の時にいるのに、お昼の時もいるのに、部活をする時にもいるのに、菊丸は何処にもいなかったから――不二は寂しかった。いつも隣にいるのが当たり前だから、不二は寂しかった。空っぽの空気を相手にしているようで、教室が本当に広く感じた。


「お、始めるみたいだぞ不二」


休憩中のコートの隅に、不二は1人取り残された。いつもなら隣には彼がいる。再び始まる練習に文句を言いながら立ち上る姿があって、それをなだめる自分がいる。なのに振り返っても誰もいない現象。不二は堪らない思いを両手に持ちきれないほど抱えた。寂しい。


「バカ英二」


それだけ呟いて、不二は部員の輪の中へ掛けて行った。余裕がなかった。

君に触れたい、抱き締めたい、侵したい

* * * * *


寂しい環境が続いた。皆勤賞確実だと言われていた菊丸は、無断欠席を3日連続したのだった。不二はというと、ただ菊丸のいない教室で暇と、静かな時を持て余していた。菊丸に電話をするわけでもなく、家を訪ねるわけでもなく、何の行動も起こさなかった。今まで自分から動いたことがなかったから、いつも動くのは菊丸だったから。不二は菊丸の家電の入った携帯の前で、思いあぐねていた。声が聞きたいし、どうして学校に来ないのか知りたいし、具合でも悪いんだったら心配だし、電話をしたい理由は沢山あった。でも不二はそれをしなかった。体調が悪い時に電話をしたら迷惑かもしれない、だからしない。でもそんなのはいい訳だった。不二は自分から何かをすることに慣れていなかったから、電話が出来なかった。いつも電話をするのも、家を訪ねてくるのも菊丸からだったから、不二は電話をすることすらも躊躇った。


「やだ」


何に言うわけでもなく、ただ不二はポツリと吐いて携帯の電源を切った。

侵された聖域は純真に還ることもない

* * * * *


「おはよ、ふ〜じっ」


背後からぎゅうっと首に抱き付く菊丸。いつもの見慣れた光景だけど、それは4日振りの光景だった。抱き付かれた不二は、ぎゅっと唇を噛み締めた。今不二が座っている椅子のように、身体を堅く強張らせている。


「ん〜、相変わらずいい匂い〜」


スリスリ。背中に頬ずりする菊丸は、いつもと違うことに気が付いた。不二の反応がない。いつもならやめてよとか、嫌だという意思表示をするのに、今日はそれがない。不二を抱き締めていた腕を放し、不二の顔を覗いに不二の前に出た。不二は俯いていたから、菊丸は屈む。


「バカ英二」


搾り出すような声。見上げた菊丸の目に飛び込んできたのは、見たこともない不二の顔。口にぎゅっと力をこめて、頬を赤く染めて、長い睫の付いた瞳を悩ましげに伏せて。


「バカ英二」


らしくもない陳腐なセリフ。そこにいたのは菊丸と同い年の子どもで、嘘みたいな不二がいた。細めた目の合間から、涙が覗く。ポト。不二の膝の上に零れる。落下するそれはビー玉のように丸く、そして僅かばかり光っていた。不二が泣いている。表情を隠さず泣いている。しかもこんな人前で。ぎゅっ。菊丸は勢いよく立ち上ると、不二の顔を自分の胸へ宛がった。ぎゅ。後頭部を抱いて、訳も分からず抱き寄せた。周りの雑音は不思議と彼らには届いておらず、煩悶する頭が交錯した。


「不二、ごめんね?」

「ン」

無防備な君は、最早染まった

* * * * *


染色完了

* * * * *







イイワケ
ひっさしぶりの黒菊は、なんだかとっても微妙なお味(泣)
ようは確信犯黒菊なんですヨっ(汗)学校休んで、不二の中の自分がどれをど占めてるか思い知らせるという・・・オー怖い!(笑)
ズルーリスルーリと自分色に不二を染めていくゾ!ってお話なのでありました。

01.12.19