富安風生により、逓信省内の俳誌として発刊されました。
温情をもって、静かに歩を中道にとどめ」ていると評したことで、花鳥諷詠に
よる「中道俳句」として飛躍的に発展し、戦前戦後を通して多彩で個性的な
作家を輩出してきています。昭和54年に風生が亡くなり、その高弟の
清崎敏郎が二代目の主宰となり、虚子の理念・方法論である「花鳥諷詠」
「客観写生」をモットーに、自然・人間の諸相を季題(季語)を通して、また季題
の本情・美そのものを詠む句風をもって花鳥諷詠派の一大結社となりました。
よろこべばしきりに落つる木の実かな ・・ 風生
うすうすとしかもさだかに天の川 ・・・・・・ 敏郎
[現在]
就任し、現在に至っています。
風生・敏郎の俳句理念と方法を継承し、右顧左眄することなく自然・人間の
諸相を写生の目でとらえ、叙情性をもった句風で活躍中。しかも、常に、
「真の新しさ」の俳句を求め、ベテランはもちろんのこと、20代、30代などの
若々しくフレッシュな感覚・発想の作品も注目して取り上げ、21世紀の
若葉俳句を追求しています。
シャム猫の目に春の海二タかけら ・・・ 貞雄