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ついに、親の歳を超えた。 昨日は、私の還暦の日、12年x5で、暦が元に戻る日だ。 と言っても、昔から、ね・うし・とら・・・・・と
しっかりと数える事を習わず、イージージー(EGG)とかそんな言葉ばっかりを教え込まれる環境で育ったので、まだこのx5の意味
を知らない。 きっと広辞苑ででも、ネットででも簡単に調べられるのだと思うが、人が知っている事は自分が知らなくて良いとの
考えて生きて来たから、誰か親切な人が教えてくれるのを待とう。
父は、59歳、母は51歳でこの世を去ったから、親の歳を超えた事になる。
でも不思議なもので、親を思い出す時、生きていた時の光景が出てきて、そこに子供であった自分が居る。 だからいつまでたっ
ても親の歳を超えられない。 それが親子なのだろう。
60歳の歳を、新しい会社の立ち上げの混乱期に迎えるとは考えても居なかった。 家内も娘も超多忙で、60歳の誕生の祝いの
食卓を囲んだのが9時。 私の数倍忙しい家内が、8時頃(夜)からスクーターで高島屋へ行き、ケーキとステーキを買って来てく
れた。 いつもは私が調理をするのだが、昨日は何もせずにテーブルで待った。
ノースキャロライナで知り合った、例のハーレー仲間が、この日に間に合うように、プレゼントを贈ってくれた。 下の写真の革のハ
ーレーキャップ。 カードには還暦祝いと自筆でかかれていた。 本当に嬉しい贈り物であり、地理的に一番遠方に居る友人から
の贈り物に感動もした。 やはり人の心は地理的な距離とは無縁と思った。
今の自分を整理すると
素敵な家族が居ますか? YES !!
チャレンジ甲斐のある仕事がありますか? YES
今後の人生の具体的な目標がありますか? YES
一生できる趣味を持っていますか? YES
素敵な仲間が居ますか ? YES
心から尊敬できる先輩が居ますか? YES
若いと言われますか ? YES
好きな車を持ってますか ? YES
やりたいと思った事をやってきましたか? YES
・・・・・・・
と自分では言い切れます。
自分の幸せを60歳で言える。
そんな今を与えられている事に感謝を禁じ得ません。
それにしても、昨日の奥様の手料理のステーキは美味でした。
因みに我が家の家族TEEも人に換算すると60歳だそうです。 だから一緒に写真でした。
皆様にも幸多かれ !!!
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2月18日に京橋(東京)の会社へ初出勤、翌日からシンガポールへ会議で出張、21日の夜11時30分初 成田行き(Red Eyeと呼
ぶ)で東京へ。 22日朝7時30分着。 そのまま10時から東京でのお客様とのミーティング、 夜、家へ帰り、翌日の土曜日23日
は隣のマンションの臨時総会(私が理事長なのです)、24日日曜に成田からサンフランシスコ、 25日〜29日(金曜)まで研修と
会議 3月1日(土曜)の成田行きで、翌2日(日曜)に成田着。 月曜からまた会社。 と、ここまでは人に聞いて貰う話ではない
のですが、一応、今までの暇に比べればとんでも無い事になっている事を書いてみたかったのです。 だから命がけで好きな2月
のPhoenixのレースに出れなかったのです。 しかも3月も出れそうにないのです。
何が偶然か?
またまた、帰りのサンフランシスコの空港での出来事なのです。 この研修で疲れ果て、チェックインをし、待合室で、これから
先にしなくてはならない事を考え、、ファイトよりも、現実逃避をして楽になりたいと、多少は弱気になって気がめいっていた時、
いきなり”社長”との声。 半年も社長と呼ばれない日々が続いて、いくら新任の社長になったからと言って、まだ社長の名詞を一
枚も配っていない(実はまだできてない)中での事。
なんとその声のかなたを見ると、4つ前の会社の社長をやっていた時のスタッフがそこに居たのです。 しかも、私のNo.1秘書と
結婚したS氏でありました。
まあ、こんなLow(Hiの反対ですよ)になった時の最高の友であったのです。 彼は今でも、同じ会社(吸収合併され社名は変わり
ましたが)の要職にあり、アメリカにも頻繁に出張はしているのですが、サンフランシスコには年に一度来るか来ないか。 しか
も、今回の私は、急な出張であり、マイレージを多く持っているUnitedでなく、最近殆ど使わない、NorthWestを選択していたわけ
です。 だからここでの出会いは、神様が私を励ます為にアレンジしてくれたとしか考えられないのです。
成田に着き、海外出張の二人分の荷物を積めない車で、一緒に帰ってきました。 どうやって? なんとアメックスが成田から
2つまでの荷物を無料で家まで届けてくれるサービスがある事を今回の出国時に聞いていたから利用できたのです。 新しく知っ
た事を、すぐ利用し、結果、楽しい話を咲かせる事までできたのです。
そう、私にとっては幸いでしたが、 相手にとっては、もしかして・・・・・・だったかも知れませんが。
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今日は、こちらの一番有名で流行っている寿司レストラン NIKKOで寿司職人をしている今井さんと近しくなる事ができた。 前回
こちらへ来た時に、Jeffreyさんの事務所の隣にあるこのレストランでBrianと一度、Jeffreyと一度の都合2回食事をした。 私は基
本的に日本食だから、昔から恥ずることなく、アメリカに着くとそのまま寿司か日本食レストランへ行くのがほぼ習慣化している。
郷に入れば郷に従えなんて言葉を知っているが、私は一人でする食事にはこれを当てはめていない。 このNIKKOは韓国人の
女性がマネージしているのだが、最近のアメリカの寿司・日本食屋には珍しく、日本人が寿司を握ってくれる。 その時に対応し
てくれたのがこの今井さんだった。 バンダナを巻き、大柄な彼は、まさにハーレーライダーの趣があった。 聞いてみるとその通
りで、初めての対面だったが話が弾んだ事を記憶していた。 今回も、最初の日の昼食を新装オープンした(近くにとても大きくな
って)NIKKOへ行った。 その時は正直、今井さんの事も彼の名前も記憶の中になかった。 なぜならここの女性マネージャーが
強烈で、彼女の事が全てを上書きしていた。 注文ししばらくして、カウンターの向こう側から、”富田さんじゃないですか”との
声。
俺も有名になったものだと一瞬思ったが、”前回お会いした今井です、憶えてくれてますか?” との声で、そうだ今井さんだっ
たと記憶がよみがえった。 ”いつまで居られるのですか” と尋ねられたので、明後日の朝一番で帰国する旨を話した。
彼は時間があったら一緒にハーレーに乗りたいですねと言ってくれたが、それは次回にとその場では終えていた。
夜、ホテルへもどると彼からの電話。 ”明日休暇とりましたから、仕事が終ってからどこかへ行きましょう”との話し。 私を案内し
たい為に休暇をとってくれた。 結局、昼までにすべき事を終え、昼から彼の車でハーレーを見にいったり食事をしたり、すっかり
観光案内をしてもらった。 この迫力ある姿が今井さん、愛車は2005年式ファットボーイ 実に歯切れの良い音のするマフラーをつ
けていた。
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大雪だった2月3日に成田からワシントン経由でシャーロット(ノースキャロライナ州)へ来た。 昨年の9月以来の2度目である。
前回はシカゴ経由で来たが、今回は雪での空港閉鎖を嫌って、経由地を変えた。 知っての通り、日本から初めて着陸した空港
で入管検査が行われる。 今回のワシントンはUS citizenとそれ以外の対応が実に不公平だった。 どちらも5人づつでの対応だ
ったが、当然、それ以外である外国人の方が多いわけで、入国手続きをするだけで1時間もかかってしまった。 米国国籍の連中
は20分位で終ったのではないだろうか。 成田でも多少はこのような自国民に対する利便性を与えているかも知れないが、ワシ
ントンのは私が知っている他の地と比べても最も不公平感が強かった。 US as No.1を標榜する政府のある場所だからなのだろ
うか。
ところで、東京の雪はどんなだったのだろうか。 朝からかなり降っていた為に、人生で初めて、車でなく、電車で成田まで来た。
今は、品川から成田Expressが出ているので二子玉川から大井まで行き、そこから品川へ。 着いてみると次の成田Expressまで
30分以上もあり、快速の成田空港行きの方は待たずに乗れ、後発のExpressより10分早く着くとの事で、それに乗ることにした。
生憎、雪で10分遅れだが、急行料金も不要で、最近得意となったSuicaで乗車できた。 車窓からは益々凄くなる雪を見て成田
での出発が遅れたり、フライトがキャンセルになると嫌だなと考えていたが、成田の近くは雨で、雪景色は無し。 安心した。 最
も飛行機に搭乗してから空港でも雪が降り始め、飛行機の雪を落とすのに30分位かかり出発が遅れたが、ワシントンには定刻
で着いた。 そこからシャーロットまでは今まで経験した事のない小さなジェット旅客機だった。 1時間弱の快適なフライトだっ
た。
出迎えに来ていた運転手がスーパーボールが20分前に始まったと教えてくれた。 流石に道路を走っている車はほとんど無か
った。 みんなテレビの前でかじりついているのだろう。 ホテルでも早く、部屋でテレビを見るように勧められた。 本当にこっち
の連中はフットボールが好きなんだと言う事を思いだした。
今回の為に前回購入したNikonのVR18−200と言う手振れ減少ズームレンズを持参した。 物のついでにD70をD300(カメラ本
体)にUpGradeした !!??
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昨日、2008年1月17日は私にとっては極めて運命的な日となった。 朝のメールで、シリコンバレーのIT企業の日本オペレーショ
ンのGMの仕事を引き受けた。 またGitomerのe-Learning部門のTRAINONEの日本向けのポータルも完成した。 そして、午前
中に、”すごい会議”と言う、会議を究極に効率化する会社の代表と会い、その後、ITIL関連のコンサル企業の社長と役員と食事
をし今後の話を弾ませ、青山のホンダビルの前で別れた。 何年振りかでの充実した時間だった。 気分が良かったので、仕事
が決まった報告をしに、最初の会社(田村電機)でお世話になった先輩2人に会いに行く事をその場で決め、即電話。 現在、そ
の二人の先輩は同じオフィスビルに居るので、一遍に二人に会える。 幸い、年長のU先輩が電話に出てくださり、
”いいよ、来なさい”と言ってくれたの、久しぶりにTAXIを奢って(と言っても1メーター)荒木町へ(四谷)。 U先輩に報告している
と、T先輩も帰社、お二人に報告、今後の仕事のお手伝いもお願いし、気分良く、四谷三丁目駅へ徒歩で向かう。、そこで、荒木
町から、広い道路の左側の歩道を歩いて駅へ向かう。 駅入り口が右側にある事に気づき、横断歩道を渡って右側の歩道を10
0m程歩き四谷三丁目の交差点を慶応病院の方へ渡ろうとしたのだが、生憎、信号が赤、そこで、青信号になっている左側の横
断歩道の先を見るとそこにも駅入り口が、そこで、横断歩道を渡り始めた。 すると前の方から見慣れた姿がこちらへ、なんとアシ
ュトンテイト時代の営業部長のT氏だった。 不思議なのは、この数分前に、彼にも連絡をしなければ・・・と考えていたと言う事
実。 事実は小説より奇なり・・・と言うが、お互いが、この横断歩道で遭う確立は極めて低い。 それもとりわけ低い。 何故な
ら、この場所に私が行くのは一年に一度あるかないか、そして、T氏がここを通るのは、年に4度位だと言う。 しかも遭う事ができ
るためには、同じ日でも1分の精度で同じ所にたっていなければ実現しない。 それこそ、最初から左の歩道を歩いていたら、時
間的にも同じ場所に居ないし、だいいち、正面から発見する事もできない。
不思議だが、本当に今日は良い事がしこたま起きた日だった。
偶然に感謝 !! 運命に感謝!! でも一番間違いないのは 良い結果に感謝!! 終わり良ければ全て良し ^^これは
違うか
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