一方で英国では既に9cm波による航空機搭載型のレーダーが実用化され爆撃照準や潜水艦探知に大きな威力を発揮していた。ドイツで開発された射撃用レーダーは訓練された技術者とともに潜水艦により1943年に日本に持ちこまれた。しかしこれを利用した陸軍での開発は結局成功せずに輸入機を整備したものだけが動作したようである。

英国の技術を引き継いだ米国では1944年についに最終形態のシステムを完成させた。これは局部発振器に反射型クライストロンを用い、第一検波器にシリコン検波器を用いた3cm波長のレーダーで、ブラウン管上に2次元のパノラマ表示が行われる型である。日本もドイツも撃墜機などからこれを入手はしたのであるが金属管の製造技術を用いた反射型クライストロンの製造は日本もドイツも成功していない。マグネトロンが個々の物理的加工精度と陽極電圧、磁界の強度などで周波数が微妙に変化するのに比較して反射型クライストロンは僅かな電源と空洞の機械的調整で所定の周波数の発振ができるので、送信用マグネトロンの発振周波数に合わせて調整することで受信電波から安定した中間周波が得ることが可能となり高感度・高分解能の受信ができる。このレーダーシステムは戦後に日本でもライセンス生産され、20年に渡って使用された。多くのジャンク屋に出回っていたマイクロ波真空管はこの当時のものである。


日本での開発における最大の誤りはレーダーの開発を超短波の電子管開発と勘違いするような研究者に任せたことなのであるが、これはレーダーがテレビと同様のシステム製品であることの認識が研究所上層部になかったことと、要求元の海軍自体にレーダーの兵器体系の中での位置づけと運用形態への認識が確立していなかったために要求仕様自体が不明確であったことである。このような開発管理体制の欠如が、研究者に特有である自分の得意なところから発想しての製品のでっちあげを招いてしまったのである。

素人にも判ることであるが、レーダーで最も重要なのは反射して帰って来る微弱な信号を受信する高感度の受信機であり、これは利用する軍当局が敵に所在を明らかにすることから電波封止にこだわったことからも判る。その意味で出力ばかり大きくて受信感度の悪いレーダーは兵器として不適格だったのである。
また艦船に搭載して兵器として使用するには激しい使用環境に耐え、戦闘状態でも間違いなく運用するための安定性、耐震性などの問題を解決しなければならないが、実際には運用状態に置かれることが少なく、また稼働率も高くなかった。
さらに、そして分解能の良いパルスを生成する電子回路技術の不足、送信と受信の信号を電気的に分離させることによる送受一体型のアンテナ(これも1944年にやっと一応完成)、PPIによる理解が容易な表示(これは実用化試験中に終戦)など兵器システムとしての重要な要素は全く着手が遅れてしまっていた。
兵器としての運用には当然ながら相手の対抗手段(電波による妨害)への対策や、相手レーダーへの妨害手段などが必要になるが、その種のものはほとんど開発されていなかった。
またレーダーの運用は狭い電探室で行われ、操艦や射撃の責任者が運用するようにはなっていなかった。元々が視界の悪い中での艦隊運用における衝突防止のための補助手段程度の認識しか得られていなかったのだろう。

最後には得意の出力の大きなマグネトロンを開発して敵機を撃墜する装置(殺人光線みたいなもの)などと与太話にしかならないものに注力がされた。これは島田市のJRCにて20KW、100KWの連続出力のものが試作され動物実験とか行われたようである。しかし、この種の高エネルギー放射兵器は開発に成功しても不注意な敵機への最初の一回きりしか効果は無かったであろう。後のレーザーのような位相を合わせた収束性の高い手段があれば別であるが、距離の自乗に反比例して拡散する高エネルギー兵器は自ずと射程に限界があるのである。