ここでは番外編として、第二次大戦前後における日本のRADAR開発についての話です。これに関しては先の「電子管の歴史」では触れられていないような話が「日本海軍エレクトロニクス開発秘話」と言う本にいろいろ出ています。
この本は当時の開発関係者の寄せ書きみたいなものですが、通常のこの種の本と違うのは、かなりに批判的精神に富んでいて、関係者の実名を挙げて問題の指摘が行われているところが非常に参考になります。
海軍では遠距離の通信のために長波と短波による通信が早期から実用化されていましたが、この波長の電波には必要以上に伝播して、意図しないところまで届くと言う問題があるので、艦隊内での連絡のために超短波の通信も開発されていました。
ところが、この超短波通信は飛行機により伝播に影響が発生することがしばしば観測されました。当時、敵国の飛行機を発見する手段としては目視による手段または集音による手段しかなく前者は悪天候や夜間には困難であり後者は距離の面での制約が大きく、航空機の発達に対応した有効な手段が望まれていました。従って各国において電波による航空機の早期発見手段としてのレーダーの開発が手がけられました。
ドイツと英国が最初にこれに手がけます。初期のレーダーは航空機からの反射波による電波の干渉を検出する形のものでした。これは連続波を送信して、伝播が航空機によって変化することから航空機の存在を検出するタイプです。この種類のレーダーはミサイルの遠距離からの監視のための長距離レーダー(OTH:Over The Horizon)として位置を検出できるようにしたものが実用化されていますが、当時の技術レベルでは航空機が存在すること程度しかわからなかったでしょう。
やがて電波を短い期間送信して、航空機からの反射波そのものを受信するタイプのレーダーの開発が開始されます。これによって電波の往復時間から距離を、反射の発生する方向から航空機の方位を求めることができます。英国では数mの波長のレーダーで地上から航空機の早期発見をおこなおうとしました。この数mと言う波長は後にテレビ電波に利用されるのですが、当時はテレビの実用化への研究が始まったばかりの段階であり、研究としては全く未知の領域でした。ちなみにマルコーニなどの電波の発見はこの波長帯から開始されたのですが、実用に当っては電波の発生手段や受信手段の面から長波、中波、そして短波と技術が発達し、それに対応する真空管や諸部品が開発されてきましたが、数mと言う波長はやっと真空管が実用になり始めたばかりの状態でした。
日本でレーダー開発のための超短波の研究を行うことになった海軍の研究部では、それ以前に東北大学で岡部氏などが研究していたマグネトロンの研究を主体にしての開発が開始されます。マグネトロンは現在では一般家庭の電子レンジで広く普及していますが、これは米国のHalが実験の過程で偶然に発見した内部に磁石を配置した特殊な真空管での超短波の発生現象で、岡部氏は陽極を分割することでより短い波長の電波が安定して発生することを発見しました。
マグネトロンは超短波の発生手段としては、この当時の真空管による発信器よりもはるかに強力なものでした。しかし、この波長における測定や受信の手段はまだ未解決な課題が多く残されていました。
当時日本では八木・宇田両氏によって複数素子から構成されたビームアンテナ(現在でも多くの家庭の屋上に設置されているテレビアンテナの原型)が開発され海外にも紹介されていましたが、これに関する国内でのフォローはあまりありませんでした。ただ、中止になった1940年開催予定だった東京オリンピックでのテレビ放送のために日本でもテレビの映像増幅のための広帯域増幅器向けの真空管の開発は行われており、これはレーダー受信器の重要な要素となりました。