ENIAC Computer2


ENIACは一種のデモとして1949年に以前に数学者が生涯をかけて700桁まで計算した円周率の計算に用いられて70時間の稼働で先の数値は500桁付近で間違いがあり、200桁余までの計算を行ってみせた。
しかし、元々レジスタ20個、10進数で200桁の記憶しかないENIACにはこれは無理な作業であり本来の目的から外れ、外部のカードへの中間結果の書き込み・読み出しを併用したものである。
ちなみにこの程度のことは初期の8ビットパソコンでも容易な仕事であった。

ENIACの回路図などは比較的容易に入手することができ、使用ハードウェアの量にかかわらず反復性の多い回路でもあり、解析は容易である。
米国などでは学生の演習課題としてプログラマブルロジック素子(PLD)を用いてENIAC等価の回路を作成したとの話題を耳にしたこともある。
レジスタの記憶部は1桁あたり15個の真空管、20個で3000個の真空管を用いて構成されているが初期のマイコンよりはるかに単純である。

面白いのはエッカート達が論理数学やディジタル論理回路に無知であることが回路図からも透けて見えることであり、例えばレジスタのキャリー判定に7極管の6SA7を、また乗算九九のクロスポイントに同じく7極管の6L7を用いている事実である。
真空管式オーディオ装置マニアなら知っているように7極管は2個の制御グリッドによって乗算特性を示し、これを用いて音量のダイナミックを拡張するエクスパンダと言う応用がされる。
しかしこの乗算特性は論理演算の論理積とは似て非なるものであるが、エッカートにはその違いは理解できなかったのであろう。(幸いに動作したようであるが)

ENIAC以降に計画されたディジタルコンピュータでは演算と記憶の分離と記憶部構成への種々の模索が行われデータ並びにプログラムのために大きな記憶部を提供できるようにしている。
記憶部の候補には水銀槽を伝搬する超音波を用いたり、CRTの管面に残る電荷を用いたりなどの検討の結果、やがて高速のランダムアクセスには磁気コア、後には半導体が、また大容量の記憶部には磁気テープ、磁気ドラム・ディスクが用いられるようになり、プログラム内蔵型のディジタルコンピュータとしての新しい時代を切り開くことになる。