始めに


Crimea戦争のエピソードの一つであるBalaklavaの戦いはA.L.Tennysonの詩によって知られており、現在でも英語圏ではいろいろな面で引用されているようですが日本では現在はほとんど知られることもなくなり、Tennyson自体も忘れられた存在になっています。
Virginia Woolfeの「燈台へ」の中で老教授がこの詩の断片をいつも口ずさんでいた情景もこのエピソードが共有されて初めて理解されると思います。

「ベルリッツの世界言葉百科」(中村訳:新潮選書)の人名由来の語源の説明によると

カーディガン: クリミア戦争の際、バラクラバの激戦で軽騎兵連隊の突撃を指揮した第七代カーディガン伯爵は前にずらりとボタンがついているセーターを着て軍務についていた。カーディガンはホワイト・ハウスでカーター大統領が愛用していたことで人気が再燃した。

ラグラン: ワーテルローの戦で片腕を失ったラグラン卿は、クリミア戦争には元帥として出征していたが、その際、肩のところに縫い目がなく、袖が首のところまで続いている外套を着ていた。それ以来、このように仕立てられた服のことを「ラグラン袖の」服と呼ぶようになった。(クリミア戦争で軽騎兵旅団の受けた惨澹たる被害を思うと、ラグラン卿にしても、カーディガン伯爵にしても、衣服のことより騎兵戦の戦術にもっと気を使ってもらいたかったものだと悔やまれる。)
) ラグランは大将でした。またひどい誤訳は訂正してあります。

Tennysonの詩では騎兵の勇気が賞賛されていますが、その中に一行だけ "Some one had blunder'd" (誰かがヘマをやった) と言う文があります。

実際に起きたことは、英軍の指揮系統の誤解により、軽騎兵連隊が単独でロシア軍の砲列に向かって突撃し、それでも一部は突入に成功したが壊滅的な損害を受けたと言う事件なのですが、その原因には当時の英国軍の深い病根が隠されていました。