「電光掲示板」
派手な音がして俺は思わず受け身の態勢をとっていた。
相手が慌てているのがわかる。
バランスを崩したのだ。
目の前に相手の鮮やかな金髪が見え、軽い振動と共に聞き覚えのある声が聞こえた。
多分、反射的に出したのだろう、悪ィっ、という相手の声と、自分が相手を支える手。
男であるはずなのに、腕にかかる負担はかなり軽い。
――それは。
「……ナルト?」
「サ……サスケ!」
こうして、高校を卒業して別れた筈の腐れ縁は、消えること無く堂々と俺の目の前に姿を現したのだった。
「さんきゅーな、もう少しで顔面打ち付けるとこだったってば。てゆーか、久し振りだな」
「ついニ週間前だろ、最後に逢ったの」
「細けぇなサスケはー。久し振りって気分なんだからいいじゃん」
「別にどうでもいいけど」
「うわーいけ好かない野郎なとこは全然変わらねーよなぁ」
「だから?」
「認めたし!」
ナルトはふぅと白い息を吐いて、座ろうぜ、少し話そう、時間あるか、と笑顔を見せた。
おまえこそその誰の疲れもふっ飛ばす笑顔は変わらねえな、とは云えず、その言葉の代わりに俺は短く首を縦に動かした。
また、彼の顔が輝いた。
椅子が、冷たかった。
「仕事、どうよ。」
「別にどうも」
「サスケのことだから上司に気に入られてんだろうなぁ……」
「……お前はどうなんだ」
「それがさー! 上司がめっちゃムカつくんだってばよ!」
自立したてで己の仕事を見つけても、こうして愚痴を言い合える仲間が居るのは嬉しかった。
(最も、愚痴を言うのは殆どの場合がナルトで、喋るのが苦手な俺は助かっている)
彼曰く、愚痴を聞いてもらうだけでもかなりストレスが発散されるらしい。
自分が彼の愚痴吐き場所なだけであることを薄々感じてはいたけれど。
きっと彼も自分ではない人生の伴侶を選び、自分から離れていくのだろう、と。
薄々、気付いてはいた。
「もぉ、仕事つまんねーってばよ」
「へぇ」
「今月は金もキツイし」
「……給料日前なんだろ? 全財産いくらだよ」
「2237円」
「……」
「……ため息つくな虚しいから」
どうしたものだろうか、学生時代は互角だのライバルだの(恋人だの)、同じ立場で闘っていた彼が、こんなにも覇気をなくして仕事の愚痴を零している。
彼はこんなにも木偶の坊ではなかったはずなのに。
寧ろ、俺さえも越えてあの笑顔は光り輝いていた。
――彼をだめにしているのは何だろう。
会社の上司。
同僚。
過去。
それとも彼自身。
――彼を元に戻せるのは何だろう。
会社の上司。
同僚。
彼自身。
願わくば、自分であってほしいとも。
(叶わないことなど知っていた、)
彼の笑顔が変わらない、ということは。
まだ元に戻れる、ということでもあるはずなのに?
「おまえさ、」
奇しくも俺の口から飛び出たのは、いつもの嫌味だった。
「最近愚痴ばっかだな」
「え?」
驚いたような、戸惑ったような、その笑顔。
そういえばその顔は、目は落ち窪んでいかにも悪生活をしています、といったふう。
「……迷惑?」
「いや……別に。」
「ごめん。サスケの気持ちも考えねえで」
「や、だから、別に」
「……これから気をつける」
明らかに口調を沈ませて、彼はゆっくり立ちあがろうとした。
彼より早く立ちあがって、俺はその栄養失調寸前の細い腕を掴んだ。
「はっきりさせておきたい。俺は、おまえの何だ」
「……?」
「俺は、ただのおまえの愚痴吐き場所か。いてもいなくても変わらないだろう」
「違っ……! 俺は、サスケが俺の話なら愚痴でも聞いてくれてるって思うから、安心して――」
「……ナルト?」
「サスケだから、話すんだってばよ」
心なしか彼の頬が紅色に染まった気がした。
「……寒ィなぁ! 今日は!」
「はぁ?」
「あ」
ナルトは照れ隠しか目をきょろきょろさせて、何かに目を留めた。
同じ方角を向けば、そこには天気情報の流れる電光掲示板。
「明日は晴れて暖かくなるでしょう、だってさ」
「……へぇ」
「な、サスケ、明日! 明日、空いてる?」
「明日……? なんでだ」
「久し振りにどっか遊びに行こうってばよー!」
「何処に」
「何処でも。ディズニーランドとか」
「……おまえの全財産じゃ入場もできねーぞ」
あっ……と声が途切れ行動の止まった彼を、俺は堪えきれずに笑った。
(なんで俺は素直に大笑いできないんだろう、)
「……俺のおごりだな。ひとつ貸しだぞ」
わぁ、とそれは真冬の向日葵のように、俺の目の前で咲き誇った。
(なんで彼はこんなに単純に笑えるんだろう、)
「マジィ!! やったァ、サスケ最高ッ! 明日、朝八時に此所集合だってば!!」
じゃあなーと駆けて行く彼を、俺は目を細めて見守った。
笑ったのは久し振りだったかもしれない。
嗚呼、全ては彼の御陰、いや――。
……電光掲示板の御陰?