First Date
「ねぇねぇ聞いてよー。昨日ね、伊藤先生と話しちゃったのー。超楽しかった」
いつも朝は、この楽しそうな、そして高い声から聞こえてくる。
私は、軽く受け流す。
彼女は早風 百合香【はやかぜ ゆりか】。通称ユリちゃん。
何故だか知らないけど、理科Uを担当する教師、伊藤先生に想いを寄せている。
「キミさぁ、あの先生のドコがいいわけ?」
私はいつもと同じ質問を繰り返す。でも、返ってくる答えも一緒だった。
「全部」
即答。わかりやすい。というか単純か。ひゅーひゅー。
入学してまだ数日なのに、理科教師に恋する生徒もどうかと思うけど。
何度そう思ったことか知れないけど、私はとにかく黙っていた。
「ほらぁ、よくあるじゃない。教師と生徒の禁断の愛――」
「禁断、ね。いけないんだ」
「えぇえ――っ、違うよぅーっ。別にいいじゃーんっ。キリちゃんなんか恋したことも無いくせにぃ」
ほーら始まった。「恋したことも無いくせに」。あぁ、そういえば私の紹介がまだだったっけ。
私は色野紀里【しきの きり】。
そう、恋したことも無い、っていえばウソになる。
六年生のときの最悪な恋愛経験からして、私は恋愛を「したことがある」と言いたくなくなっていたのだ。
そういえば生徒会の候補者にも選ばれたけど、マイクの調子が悪かったのもあってサッパリ落ちた。
どーせ私はこういうのには向いてないし、面倒だったし。
「そう思うよねぇ、萌ちゃんっ!」
そうだ、この萌ちゃんと呼ばれている人は、西木萌【にしき もえ】。通称萌ちゃん。
いつもクールで素っ気無くて、それでも面白い答えを返してくれたりするから、かなり人気がある人だ。
「知らない」
萌ちゃんは至って単調に、声色を変えず言った。
自分が興味の無い話、恋愛となると、彼女は表情一つ変えなくなる。
それでもユリちゃんは聞くんだから、そうとう共感を得たかったのだろう。
「もうっ、萌ちゃんまでー。どうして伊藤先生の良さをわかってくれないのー」
「わかるわけないじゃんっ」
もう萌ちゃんは聞いてもいなかった。
「でねでねっ、今度の日曜日、一緒に遊園地に行く約束しちゃったのーっ!」
「なにィ――? なんてイヤなことをするんだ」
「えへっ、いいでしょー。それとも、ヤキモチかな?」
「友達として忠告してるんだ!! で? 何? 伊藤先生は保護者としてくるわけ?
一緒に来るオトモダチは何人かな?」
「バカだなキリー。二人きりに決まってるじゃん」
私のゾーキンを引き裂くような悲鳴が教室に響き渡った。
勉強しているコたちは、怪訝そうな顔でこちらをながめた。
私は口を押さえ、眼を見開いてユリちゃんを見た。
――この小娘……本気【マジ】か? 正気か?
別に説明してくれといった訳でもないのだが、彼女は得意そうに話し始めた。
その話によるとこうだ。
担任の佐藤先生に、今日提出の作文を出しに行ったついでに、
伊藤先生の机を眺めていたところ、丁度そこに伊藤先生が来たと。
そして、理科の話から始まり、日常の話、遊びの話とつながって、
ついには一緒に遊園地に行こうという話題になってしまったらしいのだ。
そんな話になるなんて教師としてどうかと思うが、私はつい生徒の口車に乗せられてしまった
伊藤先生に同情した。
「もう私は止めないッ、知らないッ、聞いてもいない!」
「きゃっ、ありがとう。誰も止めないのね、そんなうれしいことはないわー」
――どうも彼女の思考回路にはついて行けない私だった。
「で? ――どーして私が、キミたちのデートの付き添いをしなくちゃいけないのかな!?」
「だぁってー……」
まったく、コヤツは一体どういうキモチで私にこんな頼み事をしたのだろうか。
いざ“デート”の前日になって、彼女は私に電話をかけてきた。
『ハイ色野です』
≪――あっ、キリぃ……≫
『ん? ユリちゃん?』
≪うん。あのさぁ、実はさ、ちょっと頼みごとしていい?≫
『何、どうしたのさ? 明日でしょ?』
≪あのさぁ……≫
このあとの会話は読者のミナサマのご想像にお任せします。
「隠れて見ててね」
「……ふんっ」
もう最悪だった。
ユリちゃんのあの屈託のない笑顔を見てるのが。
だって、考えてもみればわかる。
ジェットコースターは苦手なのに、一番前に乗ったユリちゃんと伊藤先生を見張る(見守る?)ために、
無理して一番後ろに乗ったり、コーヒーカップなんかいつぐんぐん近づいてバレるかと思うと、
心臓がいくつあっても足りなかった。
一番ぞくぞくしたのは、恒例のお化け屋敷に入るときだった。
オバケ自体はぜんぜんといって良いほど怖く無かったのだが、前からあのソプラノ系の声が聞こえてくる。
「キャ―――!!!!」
「いぃやぁ―――――っ」
ったく、本音なんだか、くっつくために入ってるんだか。
そう思って先に進む私の足元に、ぞぞっとガイコツが手を伸ばした。
「……ギャ―――――ッ!!」
「なぁ、早風さん、今後ろで、聞いたことのある声、しなかった?」
「えっ――私は聞こえませんでしたけど――!」
「そ、すか。ならいいんすけど」
伊藤先生はさっぱりと答える。気にも止めてないみたいだ。
ホッ、と胸をなでおろす。ああいうサバサバした性格の人が好きなんだろうか――?
私はふと考えてから、もうこりごり、とばかりのそのそ歩き出した。
私はげっそりした顔でなおも二人の後について行った。
(まだ居るわけ?)
二人のデートは終わらない。
メリーゴーラウンド、カヌー、ミステリーツアー……。
でも、私にはわかっている。あいつら一番大事なものを最後にとどめてんだ。
――そう、観覧車。
「伊藤センセっ! 最後に観覧車、乗ろっ」
ああ、来た。
そのとき、ユリちゃんが妙な素振りを見せた。
トイレに行くんだかなんだか、伊藤先生から離れたのだ。
(?)
その答えはすぐにわかった。
ケータイにメールが届いたのだ。
【観覧車ノトキダケ見逃シテ! オ願イv】
……はいはい。
【絶対アトデ教エテアゲルネ〜!】
……はいはい。
私は、仕事終了の予感に、密かな喜びを感じた。
《ユリちゃん視点モード》
伊藤先生は観覧車に乗った時からずっと腕を組んで座ったままだ。
心なしか顔がほんのり桜色。素直なんだな、と改めて思う。
「ねぇっ。伊藤センセ、カズ、て呼んでも良い?」
話す話題が乏しくて、寂し紛れに私は叫んだ。
「え、あぁ……」
でも、その先が続かない。無意味だ。
それとも――私と話す話題なんか無いのかな――?
私が肩をすくめて、窓の外の景色に目をやろうとしたとき、カズが桜色の顔をもうちょっと赤らめて、
「今日は楽しかった、か?」
と呟いた。
「もちろんっ!」
私はあらん限りの声を出した。
カズと居るなら、どこでだって楽しいよ――。
観覧車の頂上で口付けをすると、そのカップルは結ばれる、って聞いたことがある。
でも、今の私にそんな勇気はない。
そこまで進展もしていない。
ゴンドラがゆっくりと頂上に差しかかった。
(あ、過ぎちゃう――)
頂上からの景色は最高だったけど、ゴンドラはおもむろに傾き始めていた。
そこまで進展もしてない。
でも――ゆっくりでいい。
これからこんな時間を増やせたら良いな――私はそっと微笑んだ。
ゴンドラががくんと揺れて、従業員が満面の笑顔で勢い良く扉を開ける。
扉が開くのが――ずっと怖かったのだけど。
「ねぇねぇ、カズ。また来ようね」
「あぁ」
今日初めてのカズの笑顔。
だってさっきまでこの人、強張ってまともに私と顔も合わせなかったんだもん。
笑顔を見せてくれて、なんだか私は頬が熱くなった。
(そいえば、キリ何処かな?)
辺りを見回していた時、隣でカズが、素っ頓狂な声を上げた。
「棗【なつめ】……!」
カズは、一人で歩いていた細身の女の人の肩に、手をかけた。
「あれぇー? 一司、久しぶりね!」
声をかけられたナツメ、と呼ばれた女の人も、うれしそうに話し始めた。
私には最後にしか見せなかった笑顔を、カズが今日の初対面で見せている。
――いるんじゃない、そういうヒト。
――私は、ただの遊びだった?
――私は、玩具だった?
「あのっ――カズ、今日はありがとうっ、私そろそろ帰るねっ……」
待って、送ってくよ、と引き止められた方がまだ良かった。
「そうか。うん。今日はありがとな」
――どうして引き止めてくれないの?
――所詮、コドモの付き添いだったの?
――ダイキライ。
私は駆け出した。
もういらない。
顔も見たくない。
……誰か付いて来てる。
「カズ――?」
振り返ると、キリが走って付いて来ていた。
私のヒドイ崩れ顔を見て、何も言わなかったらしい。
「ごめん――ね。伊藤先生じゃなくて」
「うぅん。いい。あんな顔もう見たくない」
私は速さを緩めた。
「居た方が――良い? それとも――立ち去る?」
「いい。行こ」
無言の付き添い。
一人で重荷を引きずって帰るよりは良いと思うけど、重荷は二人だと半分にしかならない。
何もできない。
何の言葉もかけてあげられない。
何の言葉をかけてあげれば良いのかわからない。
静かにあとをついて行くしかなかった。
「じゃあね。今日はついてきてくれてありがとう」
ユリちゃんは、顔を振り向かせずに言った。
「ん。じゃ、明日ね」
何も言えなかった。
元気出してね、も。気にするなよ、も。
「大丈夫なのかな……」
心配することしか、出来なかった。
次の日の、学校。
ユリちゃんは遅かった。
やっと学校に来たユリちゃんは、昨日のままの顔で、乗り遅れちゃったんだ、と眼をこすった。
これがトラウマにならなきゃいいんだけど――。
何時間目になっても、ユリちゃんは声一つかけてこなかった。
誰かに何か聞かれたときは、頷いたり力なく首を振ったりしただけだった。
もうみんなに知れ渡ってる。――ユリちゃん、元気ないね、って。
昼休み、弁当を食べ終わると、私はユリちゃんの方を見た。
ほとんど弁当を食べていない。
そして、次の瞬間だった。
<お呼び出しします。中学1年3組、早風百合香さん、職員室伊藤の所まで来て下さい>
「……!?」
「――!」
二人とも、飛び上がらんばかりだった。
ユリちゃんが、私のセーターの袖口をきゅっと掴んだ。
一緒に来てくれという意味なのだろう。
佐藤先生が、伊藤先生にニコニコ話しかける。
「珍しいですよね、伊藤先生が生徒を呼び寄せるの」
伊藤先生はちょっと顔を赤らめた。
職員室の扉が開いた。
入って行ったのはユリちゃんだけだ。
二人は職員室の端っこ、みんなが聞いていないところまで行った。
私はじっと壁の向こうから聞く。
・・
「はい、先生」
無表情にユリちゃんの声が聞こえた。
「あの、昨日のことなんだが」
「――私、子供ですから」
「違うんだ、棗はオレの妹なんだ」
「……は?」
「だから、久しぶりに妹に会ったから、呼びかけただけなんだ」
「――信じません」
きっとそうだ。
また騙される。
だって、一回騙された。
遊園地に行く話までして、あんなに楽しそうだったくせに、
行った時、笑顔は私に一回しか見せなかった。
「嘘じゃない。信じるって、言わせるまで、付き合う」
一言一言を、力強く、ちょっと顔を背け気味に、カズが喋った。
ユリちゃんの顔が段々と明るくなっていく。
佐藤先生が資料を取りに近づいてきている。
「じゃ、B5のプリント、頼むな!」
カズが笑顔で、佐藤先生に聞こえる声で言った。
ユリちゃんの、一オクターブ高いソプラノが聞こえる。
「はいっ!」
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