
『祭がココが良いって言ったから来たんだよ』
その子は突然やってきた。
『宜しくね? 黒茶さん』
その異常な力に、誰もが最初に気付くことが出来た。
ドアを開けた瞬間、生暖かい風が吹いたことと、名前を呼ばれたことで。
勿論、教えたわけでもなく、その子は全員の名前を知っていた。
帽子を浅く被って、男の子みたいな女の子だった。
二番目に玄関へと登場した青年に向かって、彼女は微笑んだ。
『あなたも宜しくね、迅雷くん』
『……何で知ってるんだ!? 誰かに――教わったのか?』
『そうだね。教わった、が正しいよ』
『誰に!? ソイツはどうして知ってるんだ!!』
ニヤ、と笑った口元から、誰も信じなかった一言が飛び出す。
『ここの霊から』
それを信じる筈も無く。
霊の存在についての押し問答になる。
『じゃあ――!! 証拠を見せろ!』
そうでもしないと信じないの、とでも言わんばかりのうんざりした口調で、その子は話し始める。
『祭、ゴメン。ちょっと協力して? じゃあねぇ、あの花瓶を揺らして?』
黒茶と迅雷にとっては緊張した一瞬だった。
そしてその途端、花瓶はグワングワン、と明らかに人の手によって動かされていた。
物理的に言えば、そんなゆっくりした揺れ方は、到底無理だった。
早さも一定、倒れもしない。
迅雷がずっと見ていたけれど、久遠自身が何かしたわけでもないようだ。
超能力? それにしちゃ随分とちまちま事を進めるじゃないか。
けど、仮に霊なんてものが居るとしても、どうして霊感がある人とない人に分かれたのだろう?
おかしいじゃないか。
じゃあ如何して?
タイミングというものが、それを重苦しいものに変えていた。
『そんな馬鹿芝居に騙されるほど甘くないんだよ俺は!』
迅雷――だと呼ばれた青年は、ムッとしてドアを閉めかける。
でも、彼は直ぐに、目を見開いて、その子を睨まずにはいられなかった。
どんなに力を入れても、ドアは梃子でも動かない。
迅雷が汗だくになってドアを引いても、まるでドアを何かで抑えられているかのよう。
『駄目だよ? ココにいた怪力オジさんに頼んだから』
勿論その子はドアに少しも触れちゃいないし、ドアの向こうには誰も見えない。
その子にしか見えないんだ――!
そうだ、それはさっき言っていた――。
『あなた一体、何者なの?!』
遂に黒茶が声を張り上げる。
この子が何をしたいのだか、そして如何いう力を持っているのか。
心臓は高鳴り、顔は真剣みを滲ませて、黒茶は必死にその子の顔を見た。
あまり顔を上げなかったその子は、何者なんだ、という質問に、やっとのこと黒茶に顔を見せた。
『名前が聞きたいの? 私は久遠。杜叶久遠【とがのう くおん】』
* * * * *
絶対に迷惑は掛けないから、という条件で、久遠は黒茶の家の一角に居座った。
俗に言う居候、だった。
「久遠ー、ご飯よー」
「ほーい」
気の抜けた返事と共に、待って、斜貴【はすき】ちゃんと話してから、と彼女は呟いた。
「迷惑は掛けない、とか言ったか?」
「良いじゃない、面白い力持ってるし」
「良いのか?」
ぼへー、とした声で迅雷が黒茶に問う。
一方の黒茶は意外にも楽天的で、特に今は許しているといった様子だった。
初めて晩御飯を一緒に食べた日――彼女はそこにいる皆の霊感を予知した。
「アナタは、えっとねぇ、まだ大丈夫。でもちょっとしたことで強い霊感が付いてしまいそうだよ黒茶さん。
で、紺君だっけ。君はね、あんまり無いけど要注意。見えはしないけど聞こえるタイプだよ?」
「……聞こえる?」
紺が困ったように首を傾げた。
「久遠ちゃん……あんまり刺激的なことは……」
「あぁ、ごめん。そうだなぁ。それから、あなたは――いくつ?」
初対面の少女にいろいろと話しかけられて、淡雪は露骨にそれを嫌がった。
いかにも不満そうに、淡雪は相手も見ずに答える。
「いくつに見える」
「んんー、十二歳くらいでしょ」
淡雪の手が、食卓にあった食用ナイフに伸びる。
「次に言ったら殺すわよ新入りさん」
ナイフを突き付けられても、久遠は特に驚く様子も無かった。
目の前のナイフを見て、少ししかめっ面をしただけ。
それも、ナイフ自体を嫌がったんじゃなくて、単に鼻が痒かっただけらしい。
「新入りさん、あんたこそ自己紹介をすべきじゃないの?」
「そうかっ! ご免ご免っ。私は杜叶久遠、十五歳。友達は祭【マツリ】と、今は斜貴ちゃんと――」
十五歳、と久遠が笑顔で放ったとき、一番露骨に表情を変えたのは淡雪だった。
「何ならそのお友達の住所、教えて頂けるかしら久遠さん」
勿論、淡雪としてはそいつらに嗾けてやろうと言った脅しを掛けたつもりだ。
別に本気で殺す気はなくとも、この生意気な十五歳少女を一度ギャフンと言わせたかったのだ。
「住所? 私の隣だよ」
その突飛な答えに、淡雪は食事の手を止めて、呆然と久遠を見つめる。
勿論淡雪は霊なんてものの存在はハナから信じていなかったし、居たとしても別に怖くなかった。
死人に何が出来るんだ。
それが淡雪論。
淡雪論は、真っ向から否定されている。
それを感じずにはいられない。
「同い年にしては随分、子供っぽい思想をお持ちでらっしゃるようね」
淡雪が皮肉っぽくつっかかる。
そりゃ、勿論その時点で淡雪に「マツリ」や「ハスキ」の存在は見えていなかったし、
淡雪の処置は当然と言えば当然だった。
「霊は怖いよ?」
久遠の顔が、心なしか曇った。
「死を自覚していなければ――そんなに怖いものはないよ?」
「……意味、わかんない」
「三途の川を一緒に渡ったら、もう肉体が完全に死ぬ」
「へぇ、そう。でもあたし、ファンタジー小説に興味ないから」
「まだ信じないの?」
「信じて欲しいの?」
淡雪は不機嫌そうに、牛乳を啜る。
「うぅん。別に。だって信じたくないでしょ?」
遂に淡雪が久遠を睨む。
「なぁに? あんた、私が弱虫だって言いたいわけ?」
「そう聞こえただけ」
「……生意気ね」
「食事中は静かにね?」
二人の殺気溢れる口論を、黒茶が控えめな言語で締め括った。
「そうそう、それからね淡雪さん。あなたは少しだけ霊感、あるみたいだよ」
「……」
「あなたはね、」
久遠が迅雷に目を向ける。
「これっぽっちもないよ」
* * * * *
別に迷惑を掛けたわけじゃない。
それに、いろいろと話している内にその人の本当の性格がわかってくることもある。
淡雪と久遠は、“ある意味”で気が合った。
相変わらずソレの存在は認めていないものの、淡雪は呼びかけられて不機嫌な顔をしなくなった。
“見える”能力に憧れを抱いたことも無かったし、力を持ってもきっと嬉しくないだろうと淡雪は思う。
それはそれで結構大変そうだから。
久遠に祭、という霊友達がいるというのは話しただろう。
祭は、久遠が初めて持った友達だったのだ。
霊が見えるなんて事を気味悪がられない筈は無く、何時しか久遠の廻りに人は集まらなくなった。
凄いね、なんて声を掛けてくれる人も、気を遣ってのことだろうと、久遠は人間の友達を作ることを諦めていた。
優しくて、いつ見せる顔も笑顔で。
まさに理想の友達像は、祭とまったく一緒だった。
席が隣だった祭に、消しゴムを貸して以来。
そのとき言われた「有り難う」が、久遠の心に焼き付いて、冷めて消えることは無かったのだ。
祭には知られたくなかった――自分の能力を、今まで避けられ続けた悲惨な現実を。
翌朝、祭の机には祭が座っていた。
ただし、それは生きている人間でない――つまり霊だということを――久遠は悟っていた。
祭の表情は悲しげで、今にも泣いてしまいそうなくらい。
でも、周りには慰める人も心配そうな顔をする人も居ない。
一番の証拠に――彼女の机の上にあるのは切なげなピンク色のコスモスが入った花瓶だった。
祭に投げかけられるのは、誰も居ない机に対する悲しみの表情。
教師が話す言葉が、どんどん耳から離れていった。
『祭さんは昨日の夕方、車に撥ねられて――打ち所が悪かったらしく亡くなったそうです――』
“霊になった”祭に話し掛けられるのは――久遠だった。
知っていた。
誰にも呼び掛けてもらえない寂しさは、久遠がよく知っていた。
だからこそ――そのとき、友達になってあげられるのは久遠だった。
『ねェ、祭さん――』
≪……?≫
『私、見えるよ。祭さんのこと』
それ以来は、祭も久遠に付いて行ったし、見えているのが久遠だけだったから、とても親しくなった。
あの日までは。
* * * * *
いつものように黒茶が久遠を夕食だと呼ぶ。
やっと気付いたようにほーい、と気の無い返事が返ってくる筈だったのに。
部屋の片隅にいたのは、涙混じりに別れの言葉を呟く久遠だった。
「……どうしたの久遠……」
「だから……言ったのに……私は祭がいないと生きられないのに……」
黒茶が悟った。
ブツブツと独り言のように何者かに話しかける様は、決して微笑ましいものではなく、むしろ不気味だ。
でも、そんな異様な行為をする少女でも、別れのときは悲しいものなのだ。
久遠の視界には、もう祭の姿は無かった。
「祭はね。私がこの家の人達にヒドイ事言うの見て、霊の見えない人達とも仲良くして欲しいと思ったんだって。
小学校の頃よりも進歩して欲しいと思ったんだって。
唯一霊の見える私を裏切ったりしないから――霊の友達を選んだ。
霊に私と同じ思いをして欲しくなかったから、積極的に霊と友達になったんだ――。
人間の友達なんか居ても――この変な能力を怖がられるだけだから!!!
決心したんだ――人間の友達なんか作らないって」
誰も馬鹿にしなかった。
今だって自分の見えないものを肯定するのは難しいけれど、少なくとも、泣いている久遠を見て、
冗談だと思う者はいなかった。
「そうかなぁ」
紺が、不思議そうな顔で久遠の横まで歩いていった。
「僕には霊は見えないけど、君のこと見えるよ。どんな形のどんな友達が居てもいいと思うけどな」
「あんたに何がわかるのよ! 私がこれまで人間に受けた心の傷の深さを知ってるの!?」
久遠が涙声を響かせた。
怖がられて避けられて。
そんなことを生まれたときからされて、トラウマにならないはずが無かった。
何年も何年も。
久遠が受けた傷は、暗くて深くて、誰も計り知れやしなかった。
「紺の言う通りよ久遠。傷が深くて痛いなら、癒されるまで――うぅん、癒されてからもここにいればいいじゃない」
「もう傷なんて大きくなっていいよ――こんな能力さえなければ普通の子でいられたのに!!」
「その能力があったからここに来たんでしょ?」
淡雪が腕を組んで、クールに言い放つ。
彼女には久遠を慰めてあげようなんて甘っちょろい考えは元から無かったけれど。
ネガティブ過ぎる久遠の思考回路に、文句をつけたくなったらしかった。
「人間が全員同じだと思ってるのか? 現に祭ってヤツだけは違ったんだろ」
迅雷も放って置けはしなかったらしい。
毒舌でありながらも――それは一理あった。
「君の傷の深さはわからないけど……一緒に暮らすんだから、僕は友達になりたいな」
久遠が怪訝そうな顔つきで紺を見上げる。
「……私なんていなければ良かったのに」
「君がいなくなったら僕が悲しむよ? 友達になりたいひとが居なくなるんだから。
そしたら君もわかるでしょう? 祭さんが消えちゃうのと一緒なんだから」
「……」
黒茶が首を傾げる。
「如何してまだ人間と友達になれないの? イヤ? 私達と話すのはイヤなの?」
「違う――違うわよ。困ってンのよ……人間と話すのがこんなに楽しいモノだなんて知らなかったから。
ふん……どうしちゃったんだろ私。前まで人間と話すのがあんなにイヤでたまらなかったのにね」
「……祭さんは知ってたんだよ、ここにいる人達は周りとは違うってこと――。
君を受け入れてくれる家があるんだよってこと……。
だから敢えてここに君を導いて、自分が去ることを決意したんだ――」
紺の目からは少しずつ、小さな水の雫が流れ出ていた。
こんなにも親身に考えてしまって、祭の優しさを思えば、当然の気持ちだった。
これはちっぽけな同情なんかじゃなくて、本当に――心から。
「祭……っ」
久遠を好きだったからこそ。
祭は久遠の思うとおリに、“普通の女の子”を感じて欲しかったのだと。
* * * * *
「降るわねー……湿気が多いとイヤね」
あれから数日。
久遠は流石にあの日は元気が無かったが、だんだんと明るさを取り戻していた。
時々見せる虚ろな瞳に気付いたのは、紺と黒茶だけだった。
この家に住むことで完全に癒されるかどうかわからないけれど、少なくとも久遠はこの家の人間は嫌いじゃなかった。
室内に洗濯物を干していた黒茶が、窓の外を見やる。
「梅雨だしね。あーあ鬱陶しい。――そういえば久遠は?」
「なんか気配がするって――出てったよ。直ぐ帰ってくるわよ、きっと」
「まったく――黒茶姉ちゃんたら寛大な心をお持ちですこと」
「あら、久遠だってきっと不安だったのよ。霊が見える能力を知られたときの反応。
そりゃ決していいものじゃないものね。意地、張ってたんじゃない? 見えるんだぞー、って」
「ふぅん。久遠もあたしみたいに素直じゃなくちゃね?」
淡雪も外を見やる。そして、不思議そうにもっと窓に近寄った。
「あそこに居るよ?」
「え……っ」
こんなに降っているのに、傘もささず、久遠はそこに立っている。
何か持っているようにも見えるが――カゼどころでは済まないだろう。
久遠の体に当たる、大粒の水の感覚が突然無くなって、ぼやけた視界が少しだけ暗くなった。
黒茶が青い傘を持って、後ろに立っていた。
なんて心配そうな顔。
「どうしたのよ久遠っ……!」
久遠が抱いていたのは――子犬だった。
「この子はね――蔡【サイ】って言うの。祭の――生まれ変わりだよ」
蔡に祭のときの記憶はないという。
でも久遠は、蔡をいつも共に連れている。
捕われるのも当然。
何年も一人だけの親友だったんだから。
「だからね――でも。飼っても良い?」
久遠は一瞬否定しかけて。
それで久遠の心がすこしでも晴れるのならば。
願わくば彼女の心が、すこしでも私達に開きますように。
たとえ不完全であったとしても。
黒茶は徐に頷いた。
否定できやしなかった。
雨が降る。
ズブ濡れの久遠の顔は、涙に濡れてるんだか雨に濡れてるんだかわからなかった。
GALLERY
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