
『父さんと母さんからの誕生日プレゼントだよ。大事に扱いなさい』
「――さん」
『あいがと、お父さ、お母さ』
「――ゆきさん」
『これからお父さんとお母さんはちょっと出掛けてくるからね』
どうして? また私を置いて何処かに行ってしまうの……?
酷いよ。また私は置いてけぼりなの?
さっきから遠のいてた意識がまた復活して、真上に神父の顔が見えた。
「淡雪さん、大丈夫ですか? やはり体調が悪かったのでは?」
「……ほえ?」
どうやら、合唱の最中に倒れたらしい。
(どうしたんだろ――昨日本を読みすぎたからかな?)
ここはきっと神父さんの部屋だ。
「――ごめんなさい。私ったら迷惑かけてばかり」
「いいのですよ、淡雪さん。しばらくそこでおやすみなさい」
「――はい」
淡雪は、物心ついた時にはもう修道女としての道を歩み始めていた。
親は知らない。
神父さんも優しくしてくれるけれど、何か淡雪に遠慮しているところがあると思う。
親について聞こうとしても、さあ、良く知らないな、と言葉をにごして去ってしまう。
淡雪はちょっと、それが嫌だった。
神父さんの部屋はあまり見たことがない。
いつも鍵がかかっていて入れないし、みだりに覗いてはいけないことになっていたからだ。
意外と淡雪は、なにか神秘的な部屋なのかと期待していたのだが、神父さんもやはり人間だ。
普通のこじんまりした部屋に、粗末なソファとベッド、そして妙に古いデスクが置いてあるだけだった。
窓ガラスには当たり前のように十字架がはまっていたのだけれど――。
そのとき淡雪は、神父さんのポケットからなにか光るものが滑り落ちるのを見た。
「神父さん、これ――」
淡雪はベッドからそっと出て、それを拾い上げた。
それは、純白の十字架と、小さな銀色の星がぶら下がっているペンダントだった。
淡雪はもっとそれを見ていたかったが、神父さんがそれを静かに取り上げた。
「あ……」
「ありがとう。これはね、私の家に代々伝わる、神と通信が可能だと言われるお守りのようなものなんだ。
でも、今ここで見たり聞いたりしたことは忘れるんだよ、淡雪」
ワスレルンダヨ――
ワスレルンダヨ――
なんだかそれが悪い言葉みたいに、淡雪の頭の中を駆け巡った。
その夜のことだった。
淡雪はふと目が覚めて、階下に降りていった。
きっともう誰も居ないな――淡雪はあくびをひとつして、浅くため息をついた。
ホールに入ろうとすると、神父さんと他の修道院生が話している声が聞こえてきた。
「――すごいらしいですね、この“黒茶”って子」
「あぁ。用心棒としてはかなり優秀らしいな。強いんじゃないか?」
「そうだと思いますわ」
「――この子に守ってもらえば――大丈夫だったのかもしれないな」
「え?」
「淡雪さんも――好きな道を歩めたかもしれなかったのに」
「……淡雪さんの――ご両親のことですか?」
淡雪が、とうとうおさえきれなくなって二人の前に跳び出した。
「神父さんっ、お父さんとお母さんのこと――何か知ってらっしゃるんですね!?」
「あ、淡雪さん――!」
「やっぱり何か知ってらっしゃったんですね! 教えてください! どんなことでもかまいませんから!」
「しかし――」
「どうして拒むんですか!? 私は何も怖くない!」
「両親を恨むな、淡雪さん――あの両親は、君のことをこの修道院に預けて、二人で一緒に何処かへ行ってしまったんだ」
「何処へ?」
「それは――私にもわからない」
「いいえ、ご存知です」
「……え?」
「神父さんは何処へ行ったのかご存知です。自分の心に嘘はつけないって、おっしゃいましたよね?
“心”が目に現れてます。私のために無理して嘘ついてます」
「わかった――でも、あまり気にしないほうが良い」
「覚悟は出来ています」
神父は、目を伏せて話し出した。
淡雪の目はじっと神父だけに向けられている。
「――確かに、最初は“何処かへ”だった――だが、数日後の新聞で、夫婦が手を繋いだまま、花畑で心中していた、と
報道されていたんだ――私があのとき、止めていれば――」
「……」
「仕事の関係で、しばらく預かっていて欲しいと――彼らはそう言ったんだ……だから疑いもせず――」
「もういいです……」
「いや、もうひとつある」
「……?」
「これなんだ」
神父さんが取り出したのは、茶色いくまの縫いぐるみだった。
「これは――淡雪さんが大好きな縫いぐるみだから、と――ご両親が預けて行ったのだよ――」
淡雪は確信した。
昼間見たあの夢は、過去夢だったんだ、と。
淡雪はすっかり思い出した。
淡雪がまだほんの3,4歳だった頃――朝起きると、いつ連れてこられたのか、車の中にいた。
『おはよう、淡雪』
お母さんが前の座席から後ろを振り向いて笑顔を見せた。
『父さんと母さんからの誕生日プレゼントだよ。大事に扱いなさい』
『あいがと、お父さ、お母さ』
淡雪がぎゅうと握ったのは、他でもない、たった今神父さんが取り出したくまの縫いぐるみだった。
『――これからお父さんとお母さんはちょっと出掛けてくるからね。これから行く修道院でおとなしく
待っていなさい。いいこにしているんだよ』
淡雪はむうっとほっぺたを膨らませる。
『いっつもそうだ。あたしはいっつも置いてけぼりにされちゃうんだ』
淡雪がそっぽをむいたとき、お母さんが急にハンカチのようなものを口に押し当てた。
それを嗅ぐと、淡雪は酷く気が遠くなった。
『……!』 ・・・・・・
『ごめんね、淡雪。お父さんとお母さん、いかなくちゃいけないの』
消え行く意識の中で、淡雪は最後の両親の言葉を聞いた。
『眠ったか?』
『……もう少しだと思うわ。ごめんね、淡雪――ごめんね――』
そこでぷっつりと記憶が途絶えている。
きっとそのあと、修道院の神父に預けられて、その事実を忘れたまま修道女として流れに身を任せていたのだろう。
縫いぐるみを見ながら、淡雪が呟いた。
「……キャハハ……ひっでぇ親だぜ――子供を置いて心中した上に、預ける前にごめんねだと?」
「あ――淡雪さん?」
「ざけんじゃねーぜ……私はなんのためにここで毎日合唱なんかやってたわけだ?」
「淡雪さんッ!」
「るせーよクソジジィ」
淡雪は、ホールの椅子の座る部分を開けて、鋭い切れ味の包丁を取り出して、
バシッと神父に向けた。
「知ってるんだぜ? ココが襲撃されたときのためにって武器が隠してあるの」
淡雪は、手をそのまま伸ばした。
伸びた包丁は、勢い込んで神父の胸を突き刺した。
「ぐ……があァァァァァッ!!!」
「キャアァァァァ―――――――ッ!!!」
修道院生が叫ぶ。
「黙れ……赤子以下か」
今度はもっと深く――!
淡雪の血が騒いでいる。
無惨な音がして、うつ伏せに倒れた修道院生の姿があった。
「――どうした?」
「何の騒ぎだ?」
「何時だと思ってるの?」
修道院生たちがさっきの悲鳴で次々と起きてくる。
彼らが見た光景はすさまじかった。
修道院生の女は血の海の中に転げていて、もう動く気配さえなかった。
神父の方は、まだ傷が浅かったらしく、ビクビクと痙攣してはいるものの、すぐに息が絶えてもおかしくなかった。
そばには、返り血を浴びた悪魔の生贄となった少女が立っている。
手には、真っ赤に染まった包丁が握られている。
昨日までのあの可愛らしい天使は、いつのまにか悪魔の少女となっていた。
「な――淡雪――ちゃん?」
もう、目をつぶるひまもなかった。
残る一人になったとき、淡雪は後ろから呼びとめられた。
「淡――雪さん! 待ちなさい」
「まだ生きていやがったのか」
神父が、あのペンダントを掲げて、祈りを捧げた。
「神よ、イエス・キリストよ、聖母マリアよ、この声が聞こえたならば我に力を! この少女を元に戻したまえ!」
「無駄」
淡雪が神父ににじり寄った。
そのとき、淡雪の額に、一筋の青い光が走った。
「うあ……! 何だ――!?」
それはゆっくりと、上から何かの模様を書きつけていった。
「やめろ――!」
淡雪の目の感じが変わって行った。
だんだんとおだやかな目つきになる。
しかし、神父の方が力尽きた。
気を使いすぎたのか、先ほどの一撃が致命傷だったのか――、神父はガクリと倒れた。
青い光は中途半端に消え去り、刺青【タトゥー】は完全にはつかなかった。
残っていた一人は、何度淡雪がこのまますべてを忘れてくれたらと思ったことだろう。
しかし、淡雪は、なんの表情も見せず、まだ痙攣している神父の背中にドスリと包丁を落とした。
神父はこときれた。
(な――!? さっきの青い光は何だったというのだ!? ただの偶然だったのか!?
淡雪のやつ――目は穏やかになったが――殺人にためらいがない!!
一体何が無くなったんだ――!? 一体何が代わったというのだ――!?)
「うわァァァ――――――!!! やめてくれえぇぇぇぇ!!!」
「お願いだから――静かにして」
淡雪はぎりぎりまで近よって、その修道院生の胸に深深と包丁を突き刺した。
「な――やはり――ためらいはあまり変わっていな――ゴブッ……」
残った修道院生も血を吐いて倒れたきり、動かなくなった。
淡雪は、一筋の涙を流した。
それが殺人への抵抗だったのか、周りの人を殺してしまったことへの悲しみだったのかはわからない。
窓にはまっている十字架はまだ真っ白のままだ。
だが、教壇や道は、真っ赤に染まっていた。
教壇の下に、くまの縫いぐるみが落ちている。
淡雪はそれをゆっくりと拾い上げた。
そして、ふっと冷たげな笑いを浮かべて、くまに話しかけた。
「よろしくね――クエーサー君」
血が飛んでいる新聞が、教壇の裏に静かに落ちていた。
淡雪はそれをそっと拾い上げる。
「――黒茶――私もこの人みたいに――有名になりたいなぁ……ふふっ」
彼女はそう呟くと、修道院を出ていった。
彼女はこのくまの縫いぐるみを離さない。
それは、両親にもらったものだから、というよりも、一人で自制できないかもしれない、
という恐れからだったろう。
その後彼女はくまに黒い目隠しをつけた。
返り血を浴びた無惨な自分を見られたくなかったからなのか――。
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